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11.聖女たちの力

オベリスクの異変を探る旅立ちまで、あと二日。

ネージュとレイラは、皇太子ルシアンたちのもとを訪れていた。

案内役としての役目を果たせなくなることを伝え、謝罪するためだった。


「そうか……君たち聖女は、オベリスクの調査に向かうのだな」


ルシアンは、静かに彼女の言葉を聞き終え、深く息を吐いた。


「はい。突然このようなことになってしまい、申し訳ありません」

ネージュとレイラはまっすぐに頭を下げる。


「謝る必要はない。そもそも、聖女としての役目の方がはるかに重要なのだから」


彼の言葉は穏やかだったが、その胸中では、別の思いが渦巻いていた。

(最初に向かう街は……港町カラーリア、か。)

その名を聞いた途端、ルシアンの眉がかすかに動く。

カラーリア——それは、海と交易で栄える美しい港町。

しかし同時に、活気のある街にはびこる影もまた深い。

貴族や商人が集う華やかな表の顔とは裏腹に、密輸業者や裏組織が暗躍し、時折、異国の者たちの争いが起こることもある。

女性が歩くには、多少の不安がある場所だった。

ましてや、聖女が向かうとなれば、狙われる可能性もある。


ルシアンはふと、昨日のことを思い出す。

聖女たちはみな傷を抱えているという大司祭の言葉。

無垢な笑顔で露店を覗くネージュがようやく手に入れたのかもしれない「喜び」

そんな彼女が、あの街で危険にさらされることを考えると——


「どちらにせよ、俺たちもカラーリアに向かう予定だった。あの港から帰るのだから」


ルシアンは、ふと何気ないふりを装いながら口を開く。


「俺たちは騎士団と共に動く。護衛がついている方が心強いだろう。同行しよう」

「え……!?」


ネージュは驚き、思わずルシアンを見上げる。


「そ、そんな、ご迷惑では……」

「迷惑ではない。むしろ、そちらこそ無理をしていないか?」

「それは……」


戸惑うネージュの後ろから優しくも凛とした声が響いた。


「聖女の務めに集中できる環境を整えるのも、我々の仕事の一つです」


エレンだった。

彼女はルシアンに、ゆっくりと微笑む。


「皇太子殿下がお申し出くださるのなら、これほど心強いことはありません。」

「エレン様……?」

「安全には代えがたいのです、ネージュ。」


静かだが、はっきりとした言葉。

エレンは聖女たちの指導者として、危機は事前に避けるべきだと知っている。

護衛なしで旅立つよりも、皇太子一行の存在は大きな支えになる。


「わかりました……」


ネージュは少しの間考えた後、静かに頷いた。


「では、共に参りましょう。」


ルシアンの表情がわずかに和らぐ。

彼の胸の内には、まだ拭えない不安があった。

(この旅が、無事に終わればいいが……。)

しかし、その不安を押し隠しながら、彼は静かにネージュを見つめていた。

こうして、聖女たちと皇太子一行は、同じ旅路を行くことになったのだった——。



出立の日、空はどんよりとした雲に覆われていた。

ぽつぽつと降り始めた雨は、次第に地面を濡らし、丘陵地帯を越えていく田舎道はあっという間にぬかるんでいく。

舗装などされていない道に、馬車の車輪が何度も取られ、行軍のたびに揺さぶられる。

泥濘ぬかるみに足をとられた馬たちは不安げにいななき、御者たちが手綱を強く引いた。

そんな状況の中、最初の休憩が取られると、ネージュはエレンのもとへ歩み寄った。


「エレン様、道を固めても構いませんか?」


彼女の申し出に、エレンは穏やかな表情を崩さないまま、静かに問いかける。


「あなたの体力と魔力は持ちますか? 無理をしてカラーリアで務めが果たせなくては意味がないのですから」

「大丈夫です、無理はしません」

「……約束ですよ。」


エレンの言葉に、ネージュはしっかりと頷いた。


休憩が終わると、ネージュは先頭の馬車の御者台の脇に乗せてもらい、進む道を見据えた。

前方には、雨を吸い込んで黒くぬかるんだ土の道が広がっている。

このままでは馬車が何度も立ち往生し、旅が大幅に遅れてしまう。

ネージュはそっと目を閉じ、心の中で呼びかけた。

(シュウ、馬車が通れるくらいの道にできるかしら?)

彼女の問いかけに、すぐに小さな囁きが返ってくる。

『大丈夫、土の道だからね。僕の仕事だよ。』

彼の声はいつも通り軽やかで、頼もしかった。

ネージュが心の中で感謝を伝え、安全な旅への祈りを込めると、シュウがゆっくりと力を発動させた。

すると——

道の表面が、まるで何かに撫でられるように変化し始めた。

泥濘の中の余分な水分が吸い上げられ、土がゆっくりと締まっていく。

でこぼこだった地面が次第になめらかになり、車輪が取られることなく進める道ができあがっていった。


「……すごい」


御者が驚いたように呟く。

ネージュはシュウの働きに心の中で感謝しながら、そっと手を握った。

雨はまだ止む気配を見せない。しかし、これで旅は少しでも楽になるはずだ。


そう思っていた。


走る馬車の御者台で感じていた風が、ふっと止んだ。

次の瞬間、荒れ狂う突風がすべての馬車を後ろへと押し下げる。屋根が吹き飛ぶほどの凄まじい力。馬が悲鳴を上げ、御者たちが必死に手綱を引く中、何が起こったのか理解する間もなく、

——ドォンッ!!

轟音とともに、巨大な岩が目前に叩きつけられた。

ほんの数秒の違いで、もし自分たちがあそこにいたら……。


「……間に合った……?」


誰かのか細い声に、皆が振り向いた。

騎士姿の風の精霊、ノトスの腕の中に抱えられた少女——サヴィアが呟いていた。


「サヴィアが助けてくれたのかい?」


皇太子ルシアンが驚きに満ちた声で問いかける。サヴィアは小さく頷くと、震える唇を開いた。


「……山が崩れる音がした」


彼女の鋭敏な聴覚だけが、誰も気づかなかった異変を捉えたのだ。


「サヴィア……ありがとう」

「お前がいなかったら、俺たちは……」


聖女たちも、皇太子たちも、騎士団も、口々に感謝を伝える。しかしサヴィアは恥ずかしそうにノトスの陰へと身を隠し、小さな声で呟いた。


「もう、変な音、しない」


その言葉が、崩落が収まったことを告げていた。

だが、目の前には道を完全に塞ぐ岩の壁。


「このままじゃ進めないな……」


ルシアンが険しい顔で呟く。しかし、レイラは迷いなく首を横に振った。


「私がどかしますから、大丈夫ですわ」


力強い宣言とともに、彼女は前へと進み出る。


「ガイ、手伝って」


巨漢の精霊、ガイが彼女を守るように横に立った。

レイラが指先をかざすと、微かな震動が地面を伝わる。まるで大地が呼応するように、巨大な岩がわずかに揺れた。


「……すごい……」


ネージュが思わず感嘆の声を漏らす中、レイラは次々と岩を動かしていく。

彼女の姿は、貴族の淑女というより、まるで戦場の労働者のようだった。建築現場でも身にまとっていた木綿のローブは泥に塗れ、雨と汗が額を濡らしている。それでも、彼女の手は決して止まらなかった。


「私も手伝うから」


ネージュが申し出ると、レイラは微笑み、しかし静かに首を振る。


「ネージュはずっと道を作っていたでしょう。それに、岩を動かすのはコツがあるの」


少ない力で効率よく岩を動かす彼女の手際には、長年の経験がにじむ。それを見つめていたノアは、ふっと息を吐いた。

無償の献身——。

それがどれほど強い意志を必要とするか、仕える身であるノアには痛いほどわかる。

レイラの背中を見つめる彼の瞳には、深い敬意が宿っていた。


一方、その頃。

老齢の聖女エレンに、騎士団の一人が声をかける。


「エレン様、体を冷やしてはよくありませんよ」

「迷惑をかけるわけにはいかないものね……」


エレンはそう言って馬車の中に留まり、冷えた指先をそっと握っている。それを見たネージュは、迷わず動いた。


「エレン様、すぐに温かいものをお持ちしますね」


そう言うと、屋根が吹き飛んだ馬車へと向かい、濡れてしまったパンと干し肉を集める。


「もう、それは食べられないだろう」


ルシアンが怪訝そうに言うが、ネージュは静かに首を振った。


「このままにしておけば、すぐカビてしまいます。でも、まだ大丈夫です。レイラが頑張っているんだから、温かいものくらい用意したいじゃないですか」


彼女の言葉に、ルシアンは目を見開く。

ネージュは手際よく火をおこし、鍋に水を張ると、シュウと探し当てた野蒜を刻み始める。

野生のネギともいえる野蒜は、前世の貧しかった彼女の生活に細やかな彩りを与えたものだった。

濡れた干し肉とパンをさっと煮込み、ナイフで手早くチーズを削り入れる。仕上げに野蒜を加え、じっくりと火を通すと、しばらくして湯気とともに食欲をそそる香りが漂い始めた。


「……こんな料理を貴族の令嬢が作るなんて」


ルシアンが驚いたように呟く。


「ネージュ、料理もできるのか?」


ノアも目を丸くする。


「ええ。簡単なものですけど……」


ネージュは微笑みながら、温かな干し肉入りのパン粥を一人ひとりに手渡していく。


「美味しい」

「温まるな」


皆がほっとしたように呟く。


ノアも粥を口に運び、その素朴な味わいに驚いたように目を見開いた。


「本当に……聖女というものは、ただ高貴な存在ではなく、苦しみを乗り越え、人々の力になるものなのですね」


彼の言葉に、聖女たちは少し照れくさそうに器に目を落とす。


「私にできることは少ないけれど……みんなの助けになるなら、それでいいんです」


ネージュの言葉に、エレンも、ルシアンも、ノアさえも微笑んだ。

どんな小さなことでも、誰かを支える力になる。

それが、聖女の役目なのかもしれない——。

こうして、一行は再び旅路につくのだった。

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