歪んだ星影
雨上がりのアスファルトに、街のネオンが滲んでいた。桜色の傘を差す彼女――麻衣の横顔を、僕は見つめていた。数週間前、幾度もの告白の末、ようやく恋人になった彼女。頰を染めて俯く仕草、時折見せる儚げな笑顔、全てが僕の心を捉えて離さない。
まるで脆いガラス細工のように、守ってやらなければいけない、そんな衝動に駆られていた。
「実はね…」
カフェの柔らかな照明の下、麻衣はカップを弄びながら口を開いた。その声は小さく震えていた。
「ずっと前から…ストーカーに…遭ってるの」
彼女の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。僕は息を呑んだ。彼女の怯えた表情、絞り出すような声。それらが僕の胸に鋭い痛みを走らせた。
「大丈夫。僕が守るから」
言葉は自然と口をついて出た。守る。彼女を、この壊れそうな彼女を、僕が守る。その一心だった。
それからというもの、僕は麻衣の影となった。彼女の家の近くで見守ったり、職場までこっそり付いて行ったり。麻衣の安全を脅かす存在を、この目で確認したかった。
ある日の夕方、僕はいつものように麻衣のアパートの向かいの路地に立っていた。彼女の部屋の窓には、温かなオレンジ色の灯りが灯っている。その光を見ていると、不思議な安堵感に包まれた。
その時、背後から誰かに肩を叩かれた。振り返ると、二人の警察官が立っていた。
「あなたは…?」
尋問室の蛍光灯の光が、やけに眩しかった。僕は麻衣を守るためにしていたことを説明したが、警察官の表情は変わらない。
「被害届が出ているんです。ストーカー行為で」
心臓が凍りついた。被害届?ストーカー?一体誰が…
そして、僕は理解した。麻衣が、僕を警察に通報したのだと。
「…彼女を守ろうとしていただけなんです」
絞り出すように言った僕の言葉は、虚しく部屋に響いた。警察官は冷たく言い放った。
「あなたがストーカーだったんですね」
その言葉が、僕の脳天をハンマーで殴りつけたような衝撃を与えた。僕は…ストーカー?
記憶の断片が、走馬灯のように駆け巡る。初めて麻衣を見かけた日の衝撃。何度も繰り返した告白。断られても諦めきれなかった執着。彼女の家の前を何度も通ったこと。SNSで彼女の投稿をくまなくチェックしたこと。プレゼントを彼女の家の前に置いたこと…。
それらの行為が、麻衣にとってどれほどの恐怖だったのか。今になって、ようやく理解した。
「麻衣を…怖がらせていたのは…僕だったのか…」
声にならない呟きが、虚しく部屋に響いた。僕は、彼女を守ろうとしていたのではなく、自分の歪んだ愛情で彼女を縛り付けていたのだ。
彼女の怯えた瞳、絞り出すような声。それらは、僕への恐怖の叫びだったのだ。
僕は椅子に深く沈み込み、両手で顔を覆った。指の隙間から、熱い涙がこぼれ落ちた。
雨は上がり、夜空には星が瞬いていた。拘置所の鉄格子越しに見える星空は、冷たく、そして残酷なまでに美しかった。
僕は、彼女を愛していた。
しかし、僕の愛は、彼女にとっての恐怖でしかなかった。
この鉄格子の中で、僕は自分自身と、そして失ってしまった愛と向き合っていくのだろう。
そして、いつか、彼女に心からの謝罪を伝えたい。
たとえ、それが許されることはないとしても。
逆転が難しい……