巡る
信じられないほど、穏やかな一生だった。
生まれた家が商家だったから、傭兵になる必要もなく。
逆に傭兵を雇う側になって安全な一生を過ごせた。
辛い事も沢山あった、しかし、幸せな事の方が沢山あった。
今回の私は、幸せだ。
「おじいちゃん!!」
扉を蹴破ってパタパタと駆けてくる孫を見つめて、幸せを噛み締める。
“ん? どうしたんだ”
「またお話を聞かせてっ」
“もちろんいいよ、さて何がいいかな”
私は椅子に腰掛け、孫を抱き上げて膝に乗せる。
ついでに孫と一緒に入ってきた使用人に、紅茶の用意を命じる。
体全体に伝わる孫の暖かさが、私に一層の幸せを齎してくれる。
「ドラゴン退治が良い!!」
“それは先週話さなかったかな?”
「また聞きたいのっ」
“はは、いいよ。じゃあ、ドラゴン退治の話にしようか”
「やった!!」
女の子なのに英雄譚を好む孫に、少しだけ将来が不安になるが、それでもこの子が望むのなら話す事に戸惑いは無い。
“遠い遠い、ずっと昔の話でね。小さな村になんの力も持たない少年が居た”
「魔法も使えないんだよね?」
“そうだね。よく覚えていたね、エライよ”
「おじいちゃんのお話は全部覚えてるものっ!!」
私は口元を笑みの形に崩し、孫の頭を撫でる。
こちらでは珍しい黒の髪がサラサラと流れ、私は望郷の念と共に撫で付ける。
はにかむような笑みで私を見上げる紅い目を見つめ、私も笑いかける。
ワタワタと目を逸らし、俯く仕草も愛おしく、笑みを深める。
ちょうど使用人が紅茶を持って帰ってきた。
“君もどうかな? ドラゴン退治の話だが”
使用人はテキパキと紅茶を入れつつ、拒否の言葉を返してくる。
彼にも彼の仕事があるか、私は誘いを断った彼に謝罪を送り、退室を促す。
「おじいちゃんは、どうして使用人にもあんなに丁寧なの?」
“おかしな事かな?”
「んー。だってパパもママも命令してるよ」
“育て方を間違ったかな”
「イケナイ事なの?」
“難しい所だけどね、私は使用人だからと礼を欠いた物言いは良くないと思っているよ”
「どうして?」
“ベアトリスは乱暴な物言いをされてどう思うかな?”
「んー嫌だと思うわ」
“だろう? そう言った物言いをされている側は、ベアトリスのように嫌な気持ちになる場合もあるんだよ”
「だから丁寧にお話するの?」
“そうだね。私は自分がされて嫌な事は他人にもしないよ”
孫は何か思う事があったのか、俯いて考え込んでいる。
私はその仕草に目を細め、孫の頭に手を乗せる。
“私がそうしているからベアトリスもそうしなければ成らない。なんて事は無いんだよ、これから沢山の人を見て、沢山の経験をして、人にどう接すれば良いのか、自分で考えなさい”
「…うん」
孫は、どこかションボリしている。
理由は見当たらないが、いろいろ考えているのだろうと思い、私は紅茶のカップに手を伸ばす。
それを察したのか、孫は慌てた様子で私のカップを掴み、私に差し出してくる。
“ありがとう”
「ううん。私が乗ってるから取りにくいでしょう」
“そんな事はないけどね、嬉しいよ”
私は笑みを深め、カップを口につける。
孫も私に習うように両手でカップを持ち上げ、紅茶を飲んでいる。
“あまり喉を鳴らしてはダメだよ”
「あ」
しまったと言う風に声をあげ、カップから口を離す。
“私の前ではいいけどね、社交界や公の場ではマナーも重要だから、気をつけなさい”
「うん。今は、いいよね」
“構わないよ”
「やった」
コクコクと紅茶を飲みだすそれを見て、私は話だす。
“村で育った少年は傭兵になった、少年は強かった、傭兵仲間の中でも一番強くてね……”
息子が迎えに来るまで沢山の話をした。
ほぼ全てが英雄譚である事に、やはり孫の将来が不安になるが、それでも可愛いのだからしょうがない。
それから3年恙無く幸せに暮らし、私はその生涯を終えた。
次に悲鳴を上げたのは小さな村で、私はいつものように傭兵になった。
23の頃、私の所属する傭兵団はある町を攻める作戦に参加した。
それは幸せな私の居た町で、すでに以前の私の一族は移動しているのを確認した。
確認していなければ、私はこの作戦には参加しなかっただろう。
町を侵攻する軍靴の音は、寒々しく。
私の大切な物を壊されていくようで、見ていられなかった。
所属する傭兵団の任務は、商家の制圧だったのは何の皮肉だろうかと悔しくなったものだ。
その過程で一箇所だけ制圧出来ない区画が出来たのは、本当に何の悪ふざけかと思った。
その場所は、私が老後を過ごした場所。私が生涯を閉じた場所だった。
私達がそこに駆けつけると、屋敷の門の前に死体が積み上げられ、山かと思うような惨状が出来ていた。
そして、門の向こう側で剣を地に突立て、怪我の一つもしていない女性の姿。
黒い髪は腰まで伸ばされ、鷹のように鋭い紅の目は殺意を隠す事もない。
“……何故、だ”
戦乱に巻き込まれると解った時点で、脱出しているのを確認したはずなのに。
見間違うはずの無い姿がそこに在る。
“何故だ……ベアトリス”
彼女は苛烈な目で私達を睨み、一括する。
「ここから先は通さん」
ハスキーな女性の声。
弾けるような笑みも、私を呼ぶ可愛らしい声も無い。
「女一人で耐え切れるとでも思ってんのか」
先頭に立つ誰かが声をあげるが、私には聞こえない。
何故こんな事になってしまったのか、その思考だけが私を占領する。
「なんと言われようとも、この先に通すつもりはない。100の軍勢も1000の軍勢も、おじい様の安らかな眠りを妨げる者は、この私が殺す」
“………”
視線が下がる。
いや、私の膝が折れたのだ。
誰がこんな事態を予測できようか。
団長の掛け声で、始まる殲滅戦を、私は呆然と眺める。
一人斬り、十人斬り、五十人斬り。
ベアトリスはそれでも折れない。
私が話した英雄譚そのままの英雄の姿。
ついには王国の弓兵部隊が到着し、ベアトリスはその膝を折った。
「…私の……陽だまりを、汚すなっ!!!」
それでも、ベアトリスは立ち上がり、来る者を斬り続ける。
私は己の胸を剣で貫き、その生涯を終えた。
悲鳴は酷い物だっただろう。
私は狂いたい。狂いたくて狂いたくてしょがない。
黒髪の女性を見る度に沸き起こる、愛おしさと狂おしさ。
何故、私は生きている。
悲劇なのか喜劇なのか。
それは読む人それぞれ。
今晩にでも連載の方をUPします。