その1『大陸を架ける王女』
出会い
人間がやっと鉄の道具作りや、墨と筆で文字を書き表すことを覚えはじめたばかりで、山へ行けば虎が跋扈し、川へ行けば鰐の天下。これはそんな古代のアジアを横断し、大陸東端に芽生えた小国を歴史に留めさせることとなった王女の物語りである。
2世紀はじめの朝鮮半島南部には、やっと国と呼べるほどの部族連合が数多く生まれていた。そのひとつ、金官を治めていたのが首露王。まだ十八歳だが、稲作や鉄の鍛錬について優れた知識を持っていた。
ある日、首露王は夢の中に現れた神のお告げに従い、家臣に「もうすぐ私の妃となる姫君が船でやって参るので、入江へ行き出迎えるように」と命じる。するとたしかに赤い帆をなびかせた船が一艘現れて入江の船寄せに着岸した。降りてきたのは、金官の民とはまったく異色の衣服に身を包んだ一団で、その中にひときわ高貴の彩を放つ乙女の姿があった。
王の家臣はその人こそ姫君と合点し、いいつけどおり丁重に王の元に案内しようと誘いかけた。ところが漢のことばを話す一行は、姫を含めて家臣と十分に意志を通じさせることができず、すぐに誘いに従ってよいものかどうか警戒していた。
家臣はすぐに伝令をとばし、事態を聞いた王はもっともだと考え、姫たちにひとまず休んでもらう仮殿を急いで作らせた。王はその夜みずから仮殿をたずね、はじめて姫と向かい合い、自分が金官の王であり、天の神のお告げを聞いてあなたを待っていたと、なんと漢のことばで伝えたのだった。
姫は即座に王のもてなしをすべて受け入れ、自身も神のお告げに従って金官にたどり着いたことを最初に明かした。
だが、その場で名乗ることはためらってしまった。しばし目を閉じ、自分が何者か確かめるように遠い記憶の糸を紡ぐ時間が欲しかったのである。
王が灯火の油をつぎ足すほどに、姫は静かにおもてを上げて、それまでの長い長い道のりを語りはじめた。
故郷をあとに
「私はヒマラヤ山麓のカーンバ国を治めていた父上の御元、アヨーディヤという都で生まれました。まだ私がやっとことばを覚え始めた幼子だった時に、カーンバ国は西から襲いかかってきた異境の民クシャーナ族に激しく攻め立てられました。父と十二歳になったばかりの一番上の兄まで、たくさんの部下たちと一緒に戦いました。それでももうこれ以上耐えられないという時に、私と四歳だったすぐ上の兄だけは、父上が信頼していた将軍の弟ナーラ君と侍従夫婦、それと二十余名の家臣にゆだねられて都を出るように言い渡されたのです。」
幼いながらも幸せなひとときを過ごしたかすかな思いでが一瞬よみがえったのか、目がうるんだ姫を首露王はやさしく見つめていた。
はじめての難関
「アヨーディヤを出た私たちはガンジス川に沿って馬を走らせましたが、八日目にもうひとつのブラマプトラ川を渡ると、十日目には山並が壁のように目の前にはだかりました。みんなはそこで足をとめ七日ほど過ごしました。その間に、山を越えて東へ東へと進むべきか、それとも南へ向かうべきかナーラ君と侍従たちが意見を出し合っていたところ、偶然にも東方の漢という豊かな国に行ったことがあると話す老人に会うことができ、口伝えに漢までの道筋を教わったのです。その場でみんなの意志は固まりました。」
山越え
「そこからは東へ幾重もの山と谷を越え、行きつ戻りつをくり返しました。
いくら道を教わったといっても口伝えですから、従者が書きとめておいた道の様子と、目の前に現れる風景とが重なることはなかなかありません。ちょっとした分かれ道でもナーラ君はみんなを立ち止まらせ、ひとり馬を走らせ一方の道の奥まで行き、道が尽きることを知るとそれを伝え、もう一方の道を進み始めます。
急で荒れた山道にさしかかれば、馬をいたわるために私たちもみんな歩きました。
流れの早い川に出会えばナーラ君が先に向こうに渡り、編んだつる草を投げてくれ、それにつかまって渡りました。
時には人の住む里に着くこともありました。雨がいつまでも降り止まないと先へ進まず、幾日もそこにとどまりました。」
安堵の地
「みんなの心が一瞬に明るくなったのは、大きな川とどこまでも続く田園が目の前に開けた時でした。そこかしこに家が建ち、にぎやかな町もあります。山越えの初めで会った老人に少しだけことばを習っていた侍従が、ここはどこですかとたずねました。教えられて振り返ったその顔には満面の笑みがあふれていました。そこが漢の国なのでした。
私は十五歳になるまで、一緒に逃げてきた侍従や二十人余りの国の人々が山里に作り上げた普州の安岳という村で一緒に暮らしました。一生懸命私たちを旅の途中の賊や獣から守り、老人から聞いた道を確かめ、方角を誤らないように導いてくれていたナーラ君は、それまで張りつめていた気持ちが解けて疲れが一度に出てしまったのか、漢にたどり着くとまもなく亡くなりました。——今申し上げたこれらのことは、私と兄を育ててくださった侍従のナジャ夫婦からいく度となく聞かされてきたものです。」
ここまで聞き終わると、首露王は目にあふれる熱いものをとめることができなかった。
「今夜はどうかゆっくりお休みください。そのはじめての安堵の地から、あなた方は再びこの地をめざしたということになりますが、お話のつづきは明日またうかがいましょう。
今はもうこれ以上何の心配もいらないことをお約束します。」
と仰せになり首露王は仮殿をあとにした。
再び争乱に
翌朝首露王と姫は緑の木立に囲まれ、金官の家並が見渡せる仮殿近くの高台で会う。首露王は金官の海の幸、山の幸をたくさん用意して姫にすすめ、姫は旅の途中で手に入れ、習い覚えた方法でたてた「茶」を王にすすめた。
首露王ははじめて味わう茶の香りと風味にすっかり魅了されてしまった。
姫は静かに昨日のつづきを語りはじめる。
「私たちは周囲の人たちとなじむために、漢の国の服を着、漢式の名前をそれぞれつけました。兄と私とナジャ夫婦は一族の長の家族と見られるようひとつの家に住み、特別に「許」という姓を持ちました。そして私は「ハンナ」という名で親しく呼ばれるようになりました。漢の文字による姓名は「許黄玉」と申します。」
ホファンノクは金官での読み方。漢ではシイファンユィと発音。
「十四年の時が経って私が漢のことばを読み書きできるようになった頃には、村の周囲はまた戦いの舞台になりました。村を押さえつけていた土地の豪族からはとても払いきれないほどの年貢を要求され、豪族の雇った蛮族出身の兵隊たちが女性や子どもに乱暴をはたらき、それに反発する乱があちらこちらで起こったからでした。
その頃私たちが伝え聞いた限りでは、漢という国はもう力が衰え始めているが、まだ都は賑やかだし、今は東に向かって活路を求めているという話が一番信用できました。私たち一族の知恵者であるナジャは、腹心のダーバを呼び寄せて漢の本当のありさまを確かめるよう北へ旅立たせました。ダーバはおよそ一年で村へ戻り、その頃中原と呼ばれた漢の支配する土地の様子と、東方の別天地、三韓の噂を詳しく知らせてくれました。その時から私たちは少しずつ東方へ移動する準備を重ねたのです。」
船を奪う
「豪族は五千人以上の人々を村という村から追い出し、私たちが最初に見た大河である長江[揚子江]沿岸の土地に集めようとしました。ナジャはその話を聞くとすぐ、ダーバの他に力のある男子を二人選び出し、『蓄えた財物をすべて村の背後の岩山に隠し三人とも潜んでいろ。そして頃をみはからって財物とともに、漢のいちばん東にあって海に面した登州をめざせ。天の神のご加護あらばそこで再会するのだ。』と指示しました。
豪族の傭兵たちはそれからあっという間にやってきて、村人を力づくで長江の岸から船に乗せました。私たち一族は私と兄、ナジャ夫婦、そして岩山に隠れた三人を除く十七人でした。私たちのほかにも老人、子どもを含む隣村の十五人ほどが乗せられていました。
船が目的地に着く前に夜になりました。武器を持ち、船をあやつっている傭兵をナジャが数えるとわずか十人たらずです。ナジャは隣村の長をそっと起こして耳打ちし『あいつらをやっつけこの船で逃げよう』と誘いかけました。この計略は大成功でした。わざと大勢で騒ぎ出し、何事かと集まってきた傭兵たちを、ひとりずつしか通れない船の狭い通路に誘い込んで彼らを打ちのめしたのです。
夜が明けると私たちは海をめざして長江を下っていました。」
北へ
「船にわずかばかり積まれていた食糧も尽き果てる頃、川幅は見渡す限りに広くなりました。私たちは川の水を汲み上げその塩辛さで海に着いたことを知ります。
ナジャが指揮をとり北岸に船を寄せ、全員が降り立ちました。隣村の人たちはまさかこんなことになるとは予想もしなかったことなので、みんなとまどっていましたが、私たちとしばらく一緒に行動を共にしました。
私たちは三十六人の集団だったにもかかわらず、海辺の村では事情を話すとどこでも快く落ち着く場所を与えてくれました。隣村の十五人はそこにとどまることになりました。けれども私たちにはダーバとの約束があります。
ナジャはこのまま海沿いに北へたどれば登州の町に着くと信じていました。それもダーバが一年をかけて漢の地理を調べてくれていたおかげでした。
私たちは船にふたたび乗り込んで北をめざそうとしましたが、川を行き来する船は海では使えませんでした。一度は海に出ましたが波にもまれるばかり。ナジャはあきらめてどうにか岸に戻させると、船を馬と荷車と武器に交換してくれるよう土地の長老に頼み、この申し出は数日待たされてかないました。
ナジャとそのとき十二人いた男性家臣は全員刀を持ちました。ナジャの次に年上のサリフは槍も携え、北へ向かう一団の先頭をつとめて、兄と私と侍従婦人、そして女性家臣五人を中にはさみ前後左右を三人ずつ男性家臣が守るという隊列ができました。ナジャはいつも隊列を行き来して周囲にも気を配っていました。
アヨーディヤを出たとき家臣たちはみんな二十歳代の若者でした。それが四十歳のサリフをはじめ男性の誰もがたくましい兵士になっていました。山里での暮らしぶりからは想像できないほどです。その時みんながどんなに心強く思えたかはかり知れません。
盗賊の襲撃は幸いにもたった一度で済みました。誰もが勇敢に立ち向かいました。中でも私でさえ驚いたのは、女性家臣の一人が弓の使い手だったことです。その矢が盗賊の首領の胸を射抜いたので、あわてた盗賊たちは一目散に逃げ出し、それ以上私たちを襲うことはありませんでした。
野営地に落ち着くと、兄と私はことば足らずもみんなの勇気に感謝しました。とりわけ首領を倒した女性家臣のミヌをその日の英雄として誉めたたえました。そこでナジャが立ち上がってさりげなくことばを補ってくれ、旅の統率者としてみんなに語りかけました。
『ミヌ、それにみんな本当にありがとう。これで私たちはゆるぎない一団であることが確とわかった。みんなの力でよくぞここまで王子と姫を助け、異境の地で生き抜いてこれたことかと思う…。まだ旅は続く。だが喜べ。近くの村で聞きだした話によれば、ダーバと出会う目的地の登州まではあと三十里に迫った。登州から一海を渡れば、三韓という神仙の遊ぶ豊かな土地があるとダーバは知らせてくれている。我々は三韓をめざす。それまで今日のようにみんなの力を出し合おう!』
ナジャのさしだすこぶしと同時にいっせいにかちどきが上がりました。頼もしいナジャの姿と共に、その時のみんなの表情を私は今でも忘れることができません。」
首露王は茶の器を持ったまま、まだくい入るような目で姫を見つめていた。しかし姫にうながされて一瞬我に帰り、すすめられた二杯目の茶を所望する。
ダーバの旅
「ダーバたち三人もその頃、決して楽な旅ができたわけではありませんでした。お話は私たちの住んだ村までさかのぼりますが、豪族の傭兵たちは近隣のすべての村人を追い立てたあと、家々をことごとく焼き払ったそうです。岩山から見渡す限りその煙は三日に渡って絶えることはありませんでしたが、ダーバは煙がおさまるのを見はからって、少し若いヤショカを偵察に行かせ傭兵たちがいなくなっていることを確かめると、財物を荷車に乗せ、夜の闇にまぎれて村を抜け出しました。
その後は、以前漢の国をめぐった道をひたすら登州に向かって走りました。途中の峠道は昼間越えましたが、平原に下ってからはまた夜に走り、日中は山陰や森に隠れる毎日でした。満天の星明かりだけがたよりです。月も満ちて来ると明る過ぎて昼と同じくらい目立ちましたのでやはり隠れていました。雲が出てしまえば真っ暗ですから当然足止めです。そんな日々を繰り返しておよそ四十日目に漢の都のすぐ近くまでやって来ました。
そこで三人のうちいちばん年下のアナンが激しい動悸とめまいに襲われました。実は私は『本草経』という薬学の知識を得ていましたので、万一の場合の薬を彼らに持たせていたのですが、アナンにはどの薬も効きませんでした。ダーバは薬を求めて都に行きました。
さすがに都は薬に恵まれていました。アナンの症状を薬師に話すと眠り薬を処方されました。『それは人の体の陰陽が逆転して、更に極度の緊張が加わった時に起こるのだからゆっくり寝たいだけ寝かせるのがよい』と言われたそうです。もちろん自分たちの身上を話したわけではないのに、真実を言い当てられたのでダーバはびっくりしてしまいました。果たしてアナンを静かに寝かせていると、動悸もめまいも熱までも治まってきました。
二度目に薬師の元をたずねたとき、ダーバは都の役人に呼び止められました。ダーバの容貌が漢の人とは違ったので『そちはどこから来た者か』と疑われてしまったのです。ダーバは思いきって『カーンバ国から参りました』と答えました。決して逃げてきたことを悟られまいと必死でした。すると役人は急にうれしさをあらわにし『おー!わしが生まれたのは雲南じゃ。カーンバ国のことは子どものときに、街道を通る旅人から何度も聞かされた。一度行ってみたかったものじゃよ』と言いました。それからダーバと役人はまったく予期もせずに親しくなり、カーンバと雲南の話題で盛り上がりました。」
再会
「ダーバは役人から『漢の更に東にある半島すなわち三韓に移住してはどうか。そちのような者には安住の地であろうぞ。半島の中ほどの楽浪を我が国は古来より掌握しておる。そこへは船を出せば月に二度渡ることができる。』と勧められました。
——三韓と聞いてダーバは内心小おどりしました。『お役人様、それでは私にも連れの者といささかの荷がありますので、楽浪への通行証をいただきとうございます』と持ちかけると、役人からはすんなりと了承を取り付けることができたのです。役人のもくろんでいるのが楽浪への働き手の供給であり、同時に兵士集めであることは、ダーバにはお見通しでした。でも堂々と日中進めることは三人にとって願ってもないことですし、何より楽浪への道筋に約束の地、登州があります。ダーバとヤショカとすっかり回復したアナンは楽浪へ向かう一団へ、中身のあらためをかろうじて逃れた荷物と共に加わって登州をめざしました。
登州に先に着いたのは三人でした。一団はもっと先の港へ向かいましたが三人は何とか理由を作って登州にとどまっていました。ヤショカが毎日毎日、町から一里離れた川にかかる橋のたもとにやってきて私たちを待っていました。みんなはきっとその橋を渡ってくるとダーバは信じていたのです。
私たちは登州に近づくにつれて、初めの武装を解いて馬も減らし、目立ちすぎないように徒歩の旅に変えていましたが、やはりサリフが先頭に立っていました。三人に遅れること七日目でした。サリフが突然『何だあれは!』と叫びました。みんなも目をこらすと、まだ晴れ切らない朝もやの向こうにこちらへ風の勢いで走って来る黒い影が見えたのです。だんだんその姿がわかってくるとどよめきが起こりました!『ヤショカだ!ヤショカだ!』一目散にまずサリフが駆け出しました。続いてナジャも走りました。
サリフに肩車されてきたヤショカは、みんなの中におろされるともう抱きかかえられたり叩かれたり大変なありさまでした。
ヤショカはみんなをダーバとアナンが財物を見張って待つ登州のはずれに案内しました。
一族の全員がたった一人も欠けずに再び揃いました。誰からともなく歌が生まれ、歓喜の踊りが始まり、それは夜中まで絶えることがありませんでした。
兄と私とナジャ夫婦は三人をねぎらいました。荷物も無事である上に三韓への道まで開けたことは、これこそ神のみはからいと全員で感謝の祈りを捧げました。」
金官へ
「私はみんなが再会したその夜に夢を見ました。私は故郷で西域の敵によって討たれた父上と母上と一緒に天の神様に呼ばれていました。すると神様が私に『この後必ずそなたの前に聖なる王が現れる。汝はその王と結ばれ共に国を治めるように』とお告げになられました。神様がすうーっと彼方に消えると、父上と母上も一緒に微笑んで私を見やりながら神様のあとを追いました。
ナジャはダーバから、楽浪まで行く船が月に二度出ることを聞き、すぐに次の計画を練り始めました。港では役人が関わっている船ではなく、行商人ばかりが乗る船を選び、私たちはカーンバの商人として乗り込みました。ナジャはみんなにそっと『楽浪の港へ着いても決して降りずに船に残るのだ』と言い含めます。兄と私はナジャが何を考えているのか承知していました。楽浪へは三日で着き、ナジャは大きな包みを肩にかけた家臣の一人をともなって、他の行商人の誰よりも早く港に降り立ち、船主の元を訪れました。ナジャは船を水夫ごと買い取ってしまったのでした。ダーバたち三人がけんめいに運んだ財物の一部が役立ったことはいうまでもありません。
それから私たちはその船で海岸に沿い、陸地が望める沖合を南へひた走りました。
私が再会の翌朝に見た夢の話を兄へ申し上げると、兄はすぐに『私たちはこれよりカーンバの国人に戻る。姫は新しい土地にもふさわしいハンナをそのまま名乗りなさい。』と仰せられ、次にナジャを呼び『一族の者はカーンバの国人として姫の婚礼にのぞむための身支度をせよ』と命じたのでした。
しばらくして兄は自らを僧侶の姿に変えます。この後はブッダの弟子として、父上母上と国で亡くなった多くの人々を供養したいとも打ち明かされました。
南へ東へと船を進め、その間に女性たちは一族全員の新しい服を作りました。また港へ着くたびに若い家臣が周辺の様子を確かめました。報告を聞き、どんどん土地が豊かになっていることがわかると、いよいよ私たちのめざす三韓が近づいたと信じられるようになったのでございます。」
それほどの旅の末にこの国までやって来れたのかと、首露王は心の高ぶりをもはやおさえることができなかった。そして両手を合わせ、姫にていねいにお辞儀をすると、
「私はこの地で生まれ、九人の家臣に育てられますが、御親は早く天に昇ってしまわれました。ことばが備わってからは、朝な夕なに聞く天の神様の声を御親の声とも心得て今に至りました。あなたが夢の中で天の神様に召されたちょうどその頃、私も神様に告げられて、私の妃となるべきあなたがやってくることを知ったのです。重臣からは近隣の都の姫を迎えてはどうかといつも進言されていましたが、私はすべて断ってまいりました。
ここはたしかにあなた方の最後にとどまる三韓の地です。
そして私が三韓の中で最も豊かなこの都の王です。どうか私と結婚してください。」
と思い切ってことばをかけると、姫も即座に
「神様のお導きに感謝いたします。私は一生王様に添いとげることを誓います。」
と答えた。
金官の人々や姫の一族は遠くで控えていたが、首露王とハンナ姫の手を取り合った姿が一同の前にあらわれると、天と地に響くほどの歓声が湧き上がった。
伽耶国の発展
ハンナ姫はついに皇后となり、王と力を合わせて金官の都を豊かにする。
姫の兄は出家して長游和尚と呼ばれ、ナジャ夫婦は都に住み、あらためて首露王に召しかかえられた。また家臣たちも都の周囲に散らばり、そこを安住の地とした。
王と皇后の間に授かったのは十人の王子と二人の王女である。王子たちは成長すると金官から離れた土地に新しい都を作ったり、他の都の姫と結婚して王の治める国をどんどん大きくさせた。発展した国の名前は、駕洛または伽耶と呼ばれ、やがて隣の国である新羅や百済と覇を競うまでになる。
皇后はなんと百五十七歳という長寿でこの世を去ったというが、崩御の前に同じく長寿であった首露王に最後の願いとして、漢の時代に名乗った自身の姓である「許」を王子の一人に与えてほしいと頼んだ。王は皇后の遺言を聞き入れ、二番目の王子と更に十番目の王子にも「許」という姓を名乗らせた。
さて、その伽耶国のもっと東南の海上にはヤマトという島国が横たわっていた。
伽耶国はどんどん大きくなる過程で、多くの人をヤマトの地に送り込む。これは現代のヤマトにある遺跡で伽耶と同じ品物が発掘されることを見ても明らかである。
許黄玉皇后は一人の孫娘をとりわけかわいがり、ハンナ姫の時代から身につけた薬の知識、茶の知識、王と共に長寿の秘訣とした養生法などを数多く教えた。
この養生法は道術とも呼び、そこには占いや天の神の声を聞くという奥義も含まれていたので、少女はやがて一人前の巫女に成長する。少女もまたヤマトに渡った。そしてヤマトではヒノミコと名乗った。
はるかヒマラヤ山脈のふもとの小国から地を駆け、海を渡って大陸の端にある国にやってきた王女の物語りはこうして新たな展開を迎える。私たちはここに、限りない歴史の時空の大きさを見ることができる。