貴方は悪くないんです。─復讐を誓った巻き戻り魔女の耳には、誰の言葉も入らない─
※ざまあ系ではありません。スカッとした読後感をお求めの方にはおすすめしません。
─許さない
目を閉じれば、怨嗟の声が聞こえて来る。
─許さない。許さない、許さない、許さない!!誰も彼も、みんな!!
苦しんで苦しんで、苦しみ抜いた女の声。
─壊された。汚された。貶められた。わたしは、わたしはっ
「うん。わかるよ。大丈夫」
─呪ってやる。壊してやる。この国を。この世界の、すべてを!
実際に響いているわけではない。わたしにしか聞こえない、呪詛の声。
「あなたの気持ちは、願いは、呪いは」
─呪われてあれ。呪われてあれ呪われてあれ呪われてあれ!
今は亡き女の呪詛は、どれだけ心がこもっていようと、なんの力も持たない。
だから。
─苦しみを永久に。いつまでも、いつまでも。逃げることなど、許さない
「わたしが必ず、果たす。あなたに代わって」
延々と紡がれる怨嗟の声。それは、巻き戻し前の、わたしの声だ。
ё ё ё ё ё ё
物語を巻き戻せば、世界は戻したその地点まで戻る。これからなぞる物語など、知りもしない状態に。どんな悲劇も惨劇も、なかったことになる。
けれど。
物語を紐解き、読み進め、そして巻き戻した読み手にだけは、巻き戻し以前の世界が残るのだ。
絶望し、世界を呪った女は、唯一手元に遺ったもの、己の法力と加護のすべてを注いで、世界を巻き戻した。その、神の御業にも等しい所業が行えたのは、ひとえに、女が生まれ持った資質に胡座をかくことなく、誰よりも努力し、血反吐を吐くような研鑽を積んで来たからにほかならない。
ゆえに。
世界は巻き戻され、巻き戻し前の世界は、なかったことになったが。
巻き戻しを行った者は読み手となり、唯一、元の世界がなかったことにならなかった。
巻き戻し前の世界で、女が世界からされた仕打ちも、女が感じた苦痛や痛みも、生まれ出た怨嗟や呪いや憤怒も、彼女のなかに残ったまま。
そして、全身全霊を懸ければ、世界を巻き戻せるほどの能力も。
だから。
彼女は未来であり過去でもある女の願いを、復讐を遂げることを、今はいなくなった女に誓い。
持てる力すべてを惜しみなく注ぎ、しかし恵まれた力に慢心を持つことなく、巻き戻し前の女と同じ、否、それ以上の努力と研鑽を積んで、復讐の道を突き進んだ。
元々、世界一の力を持つ聖女と謳われていた女だ。
望む道を進むなど、造作もないことだった。
ё ё ё ё ё ё
世界が彼女を讚美する。
元の世界では、未熟ゆえに、力及ばず取りこぼしたものもあった。それゆえに、迎えた結末であったのかもしれない。そんなものは逆恨みでしかなく、女が受けた仕打ちを思えば、酌量の余地もないことだが。
今の彼女はなにひとつ取りこぼすことなく、一点の瑕疵もない功績を作り上げた。
誰もが幸せで、祝福された、幼子の夢想のような世界。
前の世界で女を詰ったものが、壊したものが、汚したものが、貶めたものが、口々に彼女を褒め称え誉めそやす。まるで、汚名を着せ侮辱し凌辱した過去など、なかったかのように。
否。
事実、そのような過去などないのだ。
あの、滅法も末法も生温いほどの地獄は、世界を巻き戻すことで、女が消してしまったのだから。
だから、この世界の誰もが、罪などなく、悪くなどない。
彼女の世界は嘘のように甘く、彼女に優しかった。
ё ё ё ё ё ё
「私は、あなたに救われました」
女と同じく世界一の力を持つ聖女と謳われるようになった彼女に、護衛として付けられた男が言った。
「私の家族も領地の民も、あなたに命を救われました。このご恩は、決して忘れません」
巻き戻し前の世界でも、この男は女の護衛だった。巻き戻し前の世界でも、女は男の命を救っていた。ただ、力及ばず、男の母と弟妹、それから領民の半数を、取りこぼした。
女の護衛に付いているあいだ、男がそのことを責めることはなかった。当然だ。女がいなければ、母弟妹のみならず父や兄も死に、領民もひとり残らず死に絶えていたのだから。
当然、この男自身も死んでいただろう。
けれど前の世界で、男が女に感謝を述べたことはなかった。それどころか、別の聖女の護衛になった男は、護衛になった聖女と結託してありもしない女の悪行を吹聴し、女を貶めさえした。
実際に護衛に付いていた者の言葉は、信憑性を持って広められた。そこに、一欠片の真実すらなかったにもかかわらず。
女は、男に引け目を感じていた。家族を、領民を、救えなかったから。
ゆえに愛想のひとつもない男が護衛としてそばにいることを許した。次は取りこぼすことのないように。その上、聖女の護衛は手当てが厚い。多少なりとも、傷付いた領地の助けになるだろうと。
女が初めて取りこぼしたのは自身の兄で、男はわずかながら女の兄にも似ていたので、そんな意味でも戒めにはちょうどよかった。
けれどそれは、間違いだったのだ。
女が血反吐を吐いても研鑽を続け力を高めて、今度こそ取りこぼさず救うたび男は、ならばなぜ自分のときは取りこぼしたのかと、見当違いにも恨みを募らせていたのだから。
そんな前の世界の男とは別人のように、今の男は愛想よく、彼女に優しい。
母弟妹が死んだことが、男の心を歪ませ狂わせていたのだろう。
今の男は、彼女がなにかを救うたび、我がことのように喜んだ。
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「あなたに憧れているんです。会えて嬉しいです」
彼女に会いに来たと語る聖女は言った。
「あなたのようにいちどにたくさんは救えないけれど、それでもできる限り救いたい」
巻き戻し前の世界で女は、取りこぼしなくすべてを救うことなど出来なかった。取りこぼしに気付いても、拾えもしなかった。その、取りこぼしにかまけているあいだに、ほかでさらに多くが苦しむからだ。
女は世界一の力を持つ聖女で、女が救うものは、大局でなければいけなかった。
聖女はひとりではない。女の手の届かない分を埋めることは、女以外の聖女の役目であった。
目の前の聖女は前の世界で、女の取りこぼしを救っていた聖女で。
取りこぼしを顧みている余裕がないゆえに、取りこぼしを顧みない女のことを、聖女のくせに慈悲もないと罵っていた。
のちに護衛の男と共に、女の悪行を吹聴したのが、この聖女だ。
血反吐吐く努力などしたこともなく、救った人数は女の一万分の一にも満たないくせに、なぜか大きな顔をしていた聖女。
わざわざ探して会いに来る時間があるならば、なぜ研鑽や人助けに使わないのか。
会話する時間も惜しいと役目を果たす彼女を、聖女はしきりに称賛していた。
ё ё ё ё ё ё
ああ、と、思わず声がもれる。
巻き戻し前の女だって、一時期は立った場所。
だが、女がここに立ったとき、針の筵の上で石を背負っているような心地だった。周りは自分では出来もしないことを、女には義務付け。過剰な期待と重圧を押し付けた。そうして、その期待に少しでも届かなければ、女を悪し様に罵った。
女に目を向ける者どもは、並べて粗探しに必死で。
もしほんの少しの粗でも見付ければ千倍にも万倍にも誇張して吹聴し。見付からなければ造り上げてでも女を中傷した。
たとえ期待以上の働きをしても、感謝ひとつしないくせに。
世界は欠片たりとも、女に優しくはなかった。
それが、今はどうだろう。
誰もが彼女を歓迎し、褒め称え、彼女に感謝している。
巻き戻された世界は、嘘のように彼女に優しい。
彼女に重圧を押し付けることがないどころか、もうなにもせず、存在するだけでも十分だとすら嘯く。
彼女に目を向ける誰もが、その一挙手一投足に胸を震わせ、美しいと讚美する。
彼女のやることはすべて正しく、間違いなどないのだと心酔している。
今も、彼女が新年の挨拶をすると聞いて、恐ろしいほどの人数が集まり、姿を見せた彼女へと一斉に歓声を投げ掛けた。
巻き戻し前の世界で女に投げられたのは刃のような言葉だったのに、同じその民衆が、彼女に投げるのは温かく受け入れ歓喜する言葉。
「みな、あなたを歓迎している。どうか、笑顔を見せてやってくれ」
彼女の背を支えて言ったのは、同じ口で女の投獄を命じた皇帝。
「さあ、聖女さまのお言葉です。静まりなさい」
民衆へと声を張ったのは、法廷で女にありもしない罪の罪状を述べた宰相。
「みなさま、ごきげんよう」
彼女の声が張らずとも端々まで届くのは、女の髪を魔法でザンバラに刈り上げた魔法使いが、風の魔法で拡散させているから。
彼女の挨拶に音高く拍手を送ったのは、女の投獄に反論ひとつせず、あまつ女は偽聖女だったと宣言までした法王。
みな、巻き戻し前は女に優しくしたことなどなかった。ただ求めるばかり、責めるばかりで、なにも返さないどころか、悪意と暴力を与えたものたち。
彼女には、困り事はないか、欲しいものはないかと、なにくれと気を遣い、彼女がなにかすれば、一を十にも百にも感謝し褒美を与えようとする。彼女が褒美を辞すれば、なんと清貧なと誉めそやす。
それは、集まる民衆も同じだ。
女がどれほど尽くそうと、民衆はそれが当然と享受し、感謝することはなく、女の取りこぼしにばかり目を向けて責めた。
今、彼女の住まいには日々、民からの感謝の手紙やお礼の品が山と届く。
ああ、と、もう一度、唇から声がもれた。
「ここまでしないと、あなたたちは認めなかったの」
呟かれた声は、魔法で隅々まで拡散された。
予想外の、言葉だったのだろう。
しん、と、場が静まり返った。
「聖女?」
どうかしたのか、と、皇帝が彼女の顔を覗き込む。
彼女の挨拶のあとは、皇帝の挨拶だ。その場で皇帝は、彼女に求婚しようと考えていた。
皇帝は彼女に対する気持ちを隠していなかったし、国民も法王もその婚姻を望んでいて、彼女もまた、それに異を唱えることがなかったから。
それが、なんだろう、この、温度のない瞳は。
「貴方は悪くないんです」
文字をなぞるような声で彼女は告げる。
「これは、ただの、復讐ですから」
「復讐?」
「そう」
彼女は目を閉じ、言う。
─呪われてあれ。呪われてあれ!呪われてあれ!!
目を閉じればいつだって、その声が彼女を導く。
ただの残響で、なんの力もない、もういない亡者の声。
「わたしは、そのためだけに、この生を使うと、あなたに誓ったから」
目を開いた彼女はもう、皇帝も民衆も見ていなかった。
空を見上げ、手を掲げ、唇を開く。
持てる力、加護、心、すべてを捧げて。
今はいなくなった女と違い、確かに力ある声で。
「呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ」
一声ごとに空気が変わり、世界が塗り替えられる。
民衆から絶叫が上がり、場が恐慌に呑まれて行く。
「呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ」
狂乱に目も向けず、彼女はただただ世界を呪い続ける。
「聖女、なぜ」
皇帝が疑問を投げ掛けても、見向きもしない。繰り返される呪詛に、ついに皇帝も膝を折る。悲鳴こそ上げないが、顔は苦悶に歪み、両手で胸元を握り締めている。
「呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ」
足元で皇帝がうずくまっても、彼女は変わらず口ずさみ続けた。
ぱき、と、乾いた音が響く。
それは、
「っ、聖女!!」
気付いた皇帝が、苦痛も投げ捨てて立ち上がり、天へと掲げられた彼女の指先へ手を伸ばす。
彼女の肌は指先から枯れ木のように萎れ、ぱきりとひび割れ始めていた。
呪うために、命すらなげうって。
「もう、やめろ、聖女」
皇帝が彼女の手を握り、やめさせようとする。
「それ以上は、そなたの命に、」
この段に至ってすら彼女の命を案じた皇帝は、真実彼女を、愛していたのだろう。
力尽くでも止めようと手を引くも、彼女の腕はびくともしない。
「呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ」
その間にも呪詛は彼女の力を、加護を、思いを、命を吸って、世界中へと魔の手を広げる。
「聖女!!なぜだ!!ぐっうぅ」
呻いた皇帝が再びくずおれる。拍子に強く引かれた彼女の腕が、ばきりと肘から折れて脱落する。
腕だけではない。顔も首も干からび、ひび割れ始めて。
「呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ」
それでも彼女は唱え続けた。自分を滅びに向かわせる、世界を壊すための言葉を。
床に伏した皇帝は、それでも彼女を見上げ、なぜと問う。
なにが彼女をそうさせたのか。どうすれば、こんな復讐に走るような、彼女の心を救えたのか。
「俺のせいでないと言うなら、なにがそなたを」
巻き戻された物語の住人は、先の世界を知ることがない。それは読み手の特権だからだ。
ゆえに巻き戻し前の世界にある彼女の動機を、皇帝が知ることは決してない。
「呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ」
己が心にのみ残る、存在しない女の声に耳を捧げた彼女へは、億の言葉を尽くしても、伝わることがない。
彼女は復讐のために、心すら捧げていた。巻き戻し前の、自分の思いや望みを持っていた女と異なり、ただただ役目を果たし、力を蓄え、最高のときに復讐を遂げるためだけに、自分を使っていた。
そこまで、滅私で動いて、初めてこの世界は、彼女に優しくなったのだ。
「呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ。呪われてあれ」
彼女は世界を滅ぼす気はない。それは女の望みではない。死すら許されぬ永久の苦しみ。それが女の望んだことだ。
そしてこれは、彼女が彼女として抱いた、唯一の望み。
「呪われてあれ。呪われてあれ。呪われ、」
ざらりと不意に、彼女の身体が崩壊する。着ていた衣装のみを遺し、砂塵と帰して風に散った。
「聖、女っ」
それは彼女の身体であると同時に、かつて女の身体であった。
こんな世界、あなたに相応しくない。
だから。
これから永久に生き永らえる世界から、あなただけは奪い取る。
それが己の、死を意味するとしても。
復讐を誓って聖女の皮を被った魔女は、生涯を掛けた復讐を成し遂げ、自らの願いも叶えて、満足してこの世を去った。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました




