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心霊探偵ジョージの事件簿

幽霊になりたい男

作者: pDOG




「お願いです。幽霊になる方法を教えてください!」




 それは恐らく勘違いが重なって舞い込んできた依頼なのだろう。


 そうだ、そうに違いない。


 そうでなければ俺のところにこんなおかしな依頼が転がり込んでくるはずが無い。ここは探偵事務所なんだ。なんでも相談所では決して無い。昔の同僚は来るたびにいつもおかしな事件ばかり解決していると笑ってゆくが、そんな事はない。俺はいつだって真面目に仕事をしている筈だ。


 そう、猫探しなら俺の右に出るものはいないんだ。


 おっと、すぐ話が逸れそうになる。俺の悪い癖だ。


 依頼の話だったな。


 いや、まるで穴が空いているかのように財布の中身がこぼれ落ちていなければこんな依頼はもちろん断るのが正解なんだが・・・



 だってなぁ


 幽霊になる方法なんて知る筈がないだろ。



 幽霊なら何度も見たことがあるが、あれ、どうやったらそうなるのかなんていっぺん死んでみなきゃわからない。


 こんなおかしな仕事が成功する筈がないし結局俺の評判が下がるだけだ。普通どこの探偵事務所でも断る依頼だ。


 いや、そもそも興信所に来る依頼じゃねえ。


 まあ、


 いつも世話になっている住職の推薦と、成功にかかわらず前金でもらっちまってるからもう断れないんだがな。



 いや、困った。



「困っても家賃はまかりませんからね。ケンジさんはお金が入った瞬間しか取り立てられないんですから、容赦なくもらっていきますよ」


 それに隣にいるこの、なんとも好青年な見掛けをしている若造がなんとも辛辣な言葉を投げかけてくる。まったく、大人を困らせるな。


「前回の報酬を全て競馬でスらなければこんな事にはならなかったんですよ。これに懲りたらもう馬は辞めるんですね」


 そうはいくか。


 馬は男の、いや人類のロマンだ。


 おっとまた話が逸れた。


「イヤイヤと駄々を捏ねてないでいきますよ。まだこの時間なら面会に間に合うんですから」


 その好青年はまたこの哀れな中年にキツイ命令を下しやがった。年長者を敬うという言葉を知らないのかこいつは?


「家賃をちゃんと払う大人は尊敬できちゃうなあ。それに一度受けた依頼を必ずこなす大人はもっと尊敬するだろうなぁ」


 この野郎、ニヤニヤしながらこんな事まで言いやがった。



 ちくしょう、覚えてろよ。



 しかし、幽霊になりたい、か



 どうしたもんかな、これ






 俺の名前はケンジ、この口の悪い相棒はアキヒコ。


 俺たちは探偵だ。この東京の片隅で小さな探偵事務所を開いている。アキヒコは家出しちまった俺の息子の親友。そしてこの探偵事務所が入っているビルのオーナーの息子だ。



 そう、俺の名前はケンジ。



 若造に頭の上がらない貧乏探偵さ。



 ちくしょう!



……………



 面会時間にはまだ余裕があった筈だ。


 午後3時前には病院のドアを潜った筈だ。


 しかしそこはまだ昼日中だと言うのにどこか薄暗く、陰鬱で澱んだ空気が溜まっているようで、まるで真夜中に放り込まれたように静かだった。


 依頼人はこの病院に入院している。


 末期癌を宣告されて、あと数ヶ月持てばいい方、だそうだ。


 俺は通りすがりの看護師たちにかなり胡散臭い、というか煙たそうな目で見られていた。それはそうだろう。全身黒のスーツに黒のネクタイ。帽子まで黒と来た日にはこのまま葬式に参列してもおかしくない。こんな病院の中では不吉とか縁起でもないと思われるんだろうな。

 秋風によく似合うセーターを颯爽と着こなしたアキヒコが居なければ追い出されていたかも知れん。


 拝んどくか。


「何やってんですか?行きますよ。依頼人の部屋は408です。ケンジさんなら何とかしてくれるんですよね?」


 無茶苦茶言うな、この好青年。


 今回の依頼は俺によく仕事を回してくれるO住職の紹介だ。高名でよくテレビにも出演している“霊能者”のOを頼って依頼人は電話をしたらしい。


 どうやって電話番号を調べたのか不思議だったが、依頼人は元有名テレビ局のプロデューサーもしていた事があるそうだ。その時のツテでOとも繋がりがあったらしい。


 どれだけ自信たっぷりな業界人が出てくるのかと期待していたら、ベッドに上半身を起こした状態で俺たちを出迎えたその男は、本当に気弱そうな、ちっぽけな一人の男でしか無かった。


「ああ、来てくださったんですね。ありがとうございます。ここには相部屋の方もいらっしゃいますのでレストランにでも行きましょうか」


 男はそう言ってゆっくりとパジャマ姿のまま立ち上がった。


 俺たちがあまり見たこともないゆっくりとした動きだった。身体中が思うように動かない、そう見えた。


 左腕からは点滴の管が長く伸びている。頭の毛はもう一本もない。


 側から見てもまさに闘病中と言った感じだ。


 だが何よりも気になるのはその目だ。


 こけた頬の上に黒い隈を引っさげて窪んだ瞳が沈んでいる。


 この瞳に生気がない。


 知っている。


 これは生きる事を諦めてしまった目だ。


(ああ、そうか〉


 と、俺は納得した。だから幽霊になりたいって事なのか。


 男の歩みは本当に力無く、ゆっくりだった。


 最上階のレストランに付くと男はウェイターに「お水だけしか飲めないんですけれど、いいですか?」と断っていた。


 ウェイターは嫌な顔ひとつせずに窓際の一番眺めの良さそうな席へと案内してくれた。こういう客もこの病院ではきっと珍しくは無いのだろう。



 ウェイターは男の前に氷の入っていない水をひとつ置いて、軽く頭を下げた。



……………



 男は若い頃はそれはもう業界では知らぬ者の居ない敏腕プロデューサーとして名を馳せた。


 酒、タバコ、車、ギャンブル、ドラッグ、女


 遊びと名のつくものは何でもやってきたらしい。そのせいか身を固める事も無く、一人暮らしで気ままに生きてきたのだという。


 病気になった時も好き放題生きてきた天罰なのだろう、と軽く死を覚悟した男はこの病院で運命的な出会いをする。



 とある子連れの女性とロビーで意気投合したのだ。



 それ以来、その親子は足繁く病院へ通いまるで自分の事を本当の家族のように親身になって看病してくれた。実の親兄弟ですら呆れて見放した自分を、だ。


 男はこの二人のために生き抜き、癌と闘う事を決意した。



 しかし、現実は無情だった。



 癌を宣告されて足早に二年と数ヶ月の月日が経った。最初は戻れると思っていた職場にももう戻れない事が判明したのは三度目の転移が発見された時だ。それはこの病がもう治らない事を意味していた。


 男は二年以上も付き合ってきた女と子供を、もはやただの他人とは見られなくなっていた。生まれて初めて家族を持った気がしたのだ。


 この二人に何か残せないかと手を尽くしたが、長い闘病生活で使い果たしたなけなしの財産ですら譲渡は難しい。特別縁故者として遺産相続をする事はできなくも無いが、一緒に住んでもいない相手だ。内縁の妻と言うことすら無理だろう。


 それでも男は親子のために遺言書を書いた。頼りになる弁護士も手配した。


 だがまだ未練も残る。子供はまだ小学生だ。


 出来れば見守ってやりたい。



 たとえ幽霊になっても見守る事はできないだろうか?



 無理は承知の上で男はO住職を頼ったのだった。


 そしてあの野郎、俺に全てを丸投げしやがった、というわけだ。





 何度目かの訪問。病室の入り口で俺とアキヒコは痩せた女性と小学生くらいの男の子とすれ違った。


 女は俺の姿を見るとペコリと頭を下げて足早に病室を出て行った。


「ケンジさん、今の方が・・・」

「ああ、そうだろうな」


 俺たちはすぐに理解した。依頼人の見守りたい相手ってのはあの人なんだろう


 こざっぱりしたワンピースに綺麗に整えられていた栗色の髪の毛、取り立てて美人というわけでは無いが素直そうな瞳がその女性の人柄を映し出している。男の事を心の底から心配している瞳だった。




 そうか、運命の女に出逢っちまったんだな。



 なら仕方ねえ。



 男ってのはそういう生き物なんだ。




 俺はこの依頼人の頼みをなんとかして叶えてやる事に決めた。俺に何ができるのかなんて決まっている。俺にしかやれない事をやるだけさ。




 ちくしょう、O住職め、全て知ってやがったな。




……………



「それで・・・私は幽霊になれるのでしょうか?」



 もうベッドから起き上がれなくなった男の身体は、さらにひと回り小さくなったように見えた。荒い呼吸の合間に何とか聞き取れる程度の声が投げかけられてくる。


 アキヒコは立派だった。こんな依頼人の姿を見ても決して視線を逸らそうとはしない。ふっ、俺の息子なら居た堪れなくなって病室から逃げ出していたかも知れん。


「ああ大丈夫だ。俺に任せておけ。あの二人とはずっと一緒だ。」


 俺は男の手を握り、固く約束を交わした。


 男は病人とは思えないほどの力で俺の手を握り返してきた。乱雑に切られた爪が手に食い込んでくる。だが俺はそんな痛みすら気にならないほど、その男の瞳から目が離せなくなっていた。



 黄色く濁った瞳が俺に必死に訴えかける。



 死にたく無い、と



 そうだろう。運命の女を前にしてこんな情けない姿は見せたくねえよな。女を残して先になんて逝けないよな。



 わかるぜ、その気持ち。



「安心しろ。俺に任せておけ。」



 俺はもう一度男にそう約束した。男の約束だ。



 だがその日、男はいつまで経っても俺の手を離そうとはしなかった。喋る事はできなくても瞳とその手に込められた力強さが、俺に最後の望みを託しているのだと語っていた。





 男が死亡したと連絡が入ったのはそれから三日後の事だった。




「いくぞ、アキヒコ」



 俺はハンガーにかかっていた上着を引っ掴み、相棒を連れて病院へと向かう。




 そう、ここからが俺の仕事なんだ。




……………




 冬が近い秋の夕暮れは本当に重く、まるで緞帳を落としたように夜を連れてくる。



 薄暗い病院の入り口ではO住職とこの病院の院長と呼ばれていた男が出迎えてくれていた。前に胡散臭がられた時とは出迎えが雲泥の差だ。


「地下の遺体安置所です。宜しく頼みます。」


 院長は俺に深々と頭を下げた。こういったケースはあまり無いが初めてでは無いという。その度にこうしてO住職を頼ってくるのだという。


 俺はニコニコして俺に目配せしてくるO住職を殴ってやりたい衝動を必死に堪えた。



 この野郎、あとで覚えてろよ。



 病院には緊急搬送用の入り口から入った。そこ以外の出口は全て締め切ってあるそうだ。今日は職員も最低限の事情を知るものだけ残してあとは退勤させている。



 遺体安置所の入り口は蛍光灯が煌々と付いているにも関わらず、さらに暗く、陰鬱に見えた。


 その入り口に、あの女と子供が立っていた。



 女は俺の姿を見ると、またペコリと頭を下げた。



「いいんだな?」



 俺は誰に問いかけるでも無くそう呟いた。側から見ればそれは女への問いかけに聞こえた事だろう。しかし俺が投げかけたのは女では無い。事実、女からは何の返事も無かった。俺が問いかけたのは敢えて言うならば、きっと、俺自身へなんだろう。


「ここだな?」


 次に俺はアキヒコの姿を視界に収めながら声を飛ばす。アキヒコは何も言わずにコクリと頷いた。コイツがそう感じているなら間違い無い。



 遺体安置所の扉を開く。



 遺体を入れる引き出しのような銀色の扉が壁一面にある中で、ひとつだけ新しい死体が部屋の真ん中でベッドに寝かされている。



 間違いない、あの依頼人だ。



 そしてそのベッドに腰掛けている一人の男の姿。



 間違いない、あの依頼人だ。



 依頼人の姿が二つある。



 ああ、やっぱり。

 俺は確信した。男はあれだけの執念を持って確かに幽霊になれたのだ。



 幻の男は虚な瞳でぼうっと正面を見ていた。



 良かったな、望みが叶って、とは言えなかった。



 これは起こってはいけない事なんだ。



 この世に留まるなんてそもそも許してはならない事だ。天国へ行けとも行けると約束する事も出来ないが、死者は全てどこか(・・・)へ行く。それが正しい道なのだと俺は知っている。



 依頼人の家族を見守りたいという願いは残念ながら叶えてあげられそうに無い。



 だが、任せておけと言った言葉に嘘はない。



 せめて、家族全員。



 一緒に。



 俺は男に向かって懐から銃を取り出して構えた。



 S&W M360PD。俺の愛用の銃だ。古臭い代物だがそれだけに都合が良いところもある。もちろん世間様には内緒だがな。



 弾は入ってない。


 要らないんだ。



 男は銃を向けられても何も反応しなかった。それはそうだろう。怨みつらみを抱えている悪霊でもない限り、魂が止まっても意識がそこに残るとは限らない。



 コイツはここにいてはいけないんだ。



 俺はぼうっと座り続けている男のこめかみに銃口を突きつけた。



 気がつくとその男の両側に女と子供が座り、二人で両手をしっかりと支えてあげていた。



 そうだな



 しっかり捕まえておいてくれ







 撃鉄の落ちる音が静かな遺体安置所に響き渡った時、そこにはもう、俺とアキヒコの二人しか立っていなかった。




 横たわる依頼人の顔は実に安らかな表情をしていた。




……………




 ぶん殴ってやると凄んで近づいていった俺の前に、O住職は「ありがとうございました。こちらが追加報酬です」と茶封筒を差し出した。



 ちくしょう


 俺の扱いを熟知してやがるこの野郎。



 俺は封筒を引ったくると病院を後にした。結局一番後味の悪い損な役回りを押し付けられただけだ。



 俺は死者がどこに行くなんて知らない。



 だが一緒に送ったんだ。



 せめて次の人生は──── 共に。




「大丈夫ですよ、ケンジさん」



 アキヒコが俺に寄り添うように近づいてきて、そう言った。



「あの三人はもう、ずっと一緒です。ずっと」



 千里眼、そう呼ばれるコイツの目には何か見えていたのだろうか。



 俺はその言葉だけを慰めに、もうすっかり冬の気配を漂わせている夕暮れの秋風から身を守るようにジャケットの襟を立てて身を縮めたのだった。



 そうするとほんの僅かだが暖かいんだ。




 その夜、俺にはその温もりが必要だったんだ。





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