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パラレルモンスターズ  作者: 紫空一
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あの日々に思いを馳せて

 日曜朝などにテレビで放送されている子供向けの冒険譚アニメは、当然ながら”子供向けだから”というメタな理由で色々な要素がデフォルメされ、省略され、黙認されています。そういった要素に対して主人公が大人の視点でツッコミを入れ、関わっていくのが本作の趣旨です。

 ただし、本作主人公の国守は平均的な”大人”の感覚からはいささかずれており、一も二も無く”大人が正しい”を押し付ける事はしません。逐一理屈に拘って行動します。それ故に生まれる子供向け作品との対比を表現できたらと思っています。

 竜に跨って球技を行う双子の兄妹の話である前作に負けず劣らずエキセントリックな内容ですが、お付き合いいただければと思います。

 ※今回の連載はかなり不定期になる予定です。ボリュームは前作以下になると想定していますが、完結まで数年かかる見込みです。

 恋人に、フられた。

 市内で最も高い山の頂にある展望台では、傷心の男が一人、やたらと冷たく感じる風に吹かれていた。上空の飛行機が立てる耳障りなプロペラ音は、今の彼にしてみれば嘲笑のように聞こえてならない。

 ポケットに突っ込んだ手に財布が触れる。国守 悟(くにもりさとりと名の入ったAT限定免許証の有効期限はいつまでだったろうか。そんな取り留めの無い思考が、いかにも恋と愛を一度に失った衝撃を物語っていた。

 悟は、皮肉なほどに雲ひとつ無い秋口の青空を見上げ、吼えたくなる衝動を必死に抑えた。一人になりたくて飛び込んだ大自然の風景には、当然ながら行楽シーズンを満喫する家族連れがちらほら見える。中には若い男女が二人して連れ立っているのも見て取れた。なんとも仲の良い兄妹がいたものだと悟は思うのである。

 一通り傷心の自分に酔った頃、日曜午後の物悲しさが押し寄せてきたので彼はそそくさと運転してきた車へと戻っていった。

 ばん。と、ドアが閉まる聞きなれた音が社内に響き、気づく。精神状態が普通で無い時に車を運転するな。教習所で貰った本にそんな事が書かれていた気がする。そこから連想し、思い出す。当時、熱心に指導してくれた教官は、”路肩から無理やり追い抜こうとしてくる頭のおかしいバイクが居るから、四輪を運転する時は常に道路の左に寄せるように心がけろ”と言っていた。”縦列駐車の練習をしたい時はいつでもまた来い”とも言ってくれたあの気の良いおっさん然とした彼は、今どこで何をしてーーーー

「だめだ、やばい」

 悟は危なくクラクションに頭突きしそうになって首を上げると、ハンドル脇に挿したキーを回した。


 オーシャンモールと言えば、地元住みの人間なら一人残らず知っている一大商業施設だ。敷地面積でいえば五万平米を超えるこの巨大なショッピングモールで、悟はかつて働いていた。店員ではない。フードコートでの害虫防除のアルバイトとしてである。

 日中就いていた別の会社のアルバイトと掛け持ちで週三回の深夜勤務を頑張っていた当時の自分の幻影に励まして貰おうとしている事に彼はまだ気づいていないが、教習所で世話になったおっちゃんの事を思い出すくらいには疲弊している精神である。あまり、冷ややかな目で見てやらないであげて欲しい。

 客として駐車場に車を止めるのは何年振りだろう、と悟は思う。いつもオーシャンモールに来る時は、自分は帰りの運転をして、行きは彼女が運転するのがいつものパターンだった。悟は文字通り、物理的に首を横に振って思考を振り払った。すぅっと音を立てて空気を吸い込むと、ゆっくりとそれを吐き出しながら店内へと歩を進める。

 がやがやと耳障りな喧騒によって迎えられた店内で、悟は早速古い記憶に寄り掛かる。駐車場エリアに直結している三階から、四階を挟んで五階までを突き抜ける吹き抜けは、普段は休憩所として使われているイベントスペースだ。たまに施設側が呼んだ大道芸人がここで芸をしては客を沸かせるのである。フロアの片隅にはかつて映画館として使われていたミニシアター。悟は子供の頃、年末になる度にこの場所へと怪獣映画を鑑賞しに来ていた。そんな思い出もあって、この施設でのアルバイトを志望したのである。

 そんな吹き抜けのエリアを突っ切って、悟は道幅が広めの通路を進んでいく。かつてはこの通路の中央には(勿論人工の)川が流れており、その一角では誰が言い出したのか、硬貨を投げ入れると願いが適うとされている池があった。アルバイトを始めてから年配の守衛との雑談で知ったところによると、店側としてはその様な意図は全くなく、むしろ投げ入れられた硬貨の扱いが法的にグレーだったので困ったのだそうだ。

 通路を抜けると、再び大きな吹き抜け。数件のレストランを横切った先にはエスカレータがあり、それに乗って降りた先に、かつては玩具店であった場所がある。ゲームソフト、怪獣のソフビ人形、米国から輸入されたサイケな色使いの玩具、パチンコ玉の様な金属のボールが進んでいくプラスチック製の迷路、カードゲームーー今では様々な種類が流通しているが、当時はごく有名なゲームソフトをモチーフにした一種類しか悟は知らなかったーー。当時は色々な玩具が陳列されており、その一角にはテレビゲームの試遊コーナーがあったが、金を持たない子供達にとってそこは単なる遊び場の一つであり、決して遊んだゲームが楽しかったからその場で買おうとなる場所ではなかった。有名ゲームハードメーカーのセカンドパーティーが開発した横スクロールアクションが試遊出来た頃、どこの誰とも知らない数歳年上の少年が、通常は行けない画面外にある隠しアイテムを裏技を使う事で取りに行っていた光景を悟はよく覚えている。

 すべて、今は昔の話である。不景気と少子化の影響か、国内の多くの玩具店がそうであるようにかつてこの場所にあった店も今はもう無い。画材屋が静かに客の来店を待つのみである。

 悟は今、懐かしさと寂しさの丁度中央に位置する心境で、その画材屋を眺めた。漫画背景として使われるスクリーントーンが陳列された棚を見て、画力と時間があれば当時の事を漫画にでもしてみたいという衝動に駆られる。20~30代の客が一人、丁度漫画用画材のコーナーへと足を踏み入れ、Gペンとスクリーントーンを数枚、慣れた手つきでレジへと運んでいく。悟は、彼女を意味も理由も無く店外からぼうっと見つめていた。はたから見るととても不審だ。

「こっち! はやく!!」

 不意に、遠く、子供が誰かを呼ぶ声が聞こえた。望郷の心持にも似た心境から我に返った悟は、面倒臭そうな態度ながらも声のほうを見やる。

 少年の周囲には別の少年と少女が一人ずつ居るのみだった。突然の事だったが、それなりに声を張り上げていたように聞こえた。だからだろうか、呼ばれた少年と少女は目がくりっとしたもう一人を軽く咎める様子で何かを伝えている。

 咎める二人はというと、少年の方が物事を俯瞰する性格が人相によく出ている聡明そうな顔立ち、少女の方は肩くらいまであるストレートの髪が特徴的で、それていてどこかお転婆そうな雰囲気がある。見た感じ、小学校4、5年生くらいだろうか。と、悟は思った。

 三人の子供達を見つめる彼は、はたから見ると、とても、不審だ。

「ん」

 悟は、おやと思った。

 子供達が駆けていく先には、観音開きの扉が一対。”従業員以外立ち入り禁止”と書かれている。かつてアルバイトをしていた悟は知っている。その扉の向こうは倉庫や施設関係者用の事務所が並ぶエリアである。一般客が足を踏み入れる場所ではない。

 あのくらいの漢字読めるだろうに、そうでなくとも入ってはいけない場所だという事くらい解るだろうに。

悟は、足早に三人組の方へと近づいて行くが、少年らはついに扉を開き、バックヤードへと足を踏み入れてしまった。その動きには躊躇も何も見てとれず、悪いことをしている、という意識が無いように見えた。

 それが彼らの性根の問題なのか、単に入ってはいけない場所だと知らなかったからなのかは解らない。が、悟は軽く生理的な嫌悪感を覚えて僅かに顔をしかめた。

 悟は扉まで駆け寄ると、通路の外からそれを開け、バックヤードを覗き込んだ。薄暗い廊下の十メートル先を、子供が躊躇いの無い様子で駆けていく。

「そっち入ったらダメだよーーーぉ?」

 声を張り上げる。廊下に反響している所為か、彼らが気づく様子は無い。

 悟は、自分自身ももう今は関係者では無いし、こんな事に首を突っ込んでやる義務も責任も無いのは解っていた。

 が、何か言い知れぬ胸騒ぎを感じてもいた。最初に仲間を呼んでいた目のくりっとした快活そうな少年。あの時彼は何と言っていたろうか? 悟は数十秒前の記憶を掘り起こす。

『こっち!はやく!!』

 あどけなさの残る声が青年の脳裏に蘇った。

(どういう意味だ……?)

 はっとして悟は周囲を見回す。

 左手。ベージュ色の床の先に明るい照明の雑貨屋。人気(ひとけ)は無い。

 右手。左は壁、右には本屋と画材屋。遠く吹き抜けが見えている。先ほど雑貨屋に居た客が横切ったが、この通路の方へ向かってくる人間は誰も居ない。

 あの三人組は変質者にでも追いかけられているのではないか。少年の言葉からそんな推測を立ててみた悟だったが、その気配は無かった。

「とはいえ、なぁ……」

 万一という事もある。もしこれで、明日の朝のワイドショーで○○県のショッピングモールで児童誘拐などという内容の話題が放送されていたら目も当てられない。場合によっては一生引き摺るだろう。

 現実味も現実感も無いその想定は、懐かしいバックヤードに足を踏み入れたいという彼の衝動を容赦なく後押ししてくる。

 悟は、数年ぶりの赤褐色の廊下に足を踏み入れた。

 子供達は遠慮の無い速度とモーションで駆けていく。大人が急いでいる時の、周りの目を気にする走り方ではない。悟はもう一度「おーい、どこいく」と声を出すが、やはり彼らの耳には届かない。悟自身気づいていなかったが、丁度その瞬間までバックヤードと外を繋ぐ扉に隙間があり、雑踏の音と彼の声が混ざっていたのだ。

 廊下を突き当たると、薄暗くて急な階段が3階と1階へと伸びている。足音の方向から、子供達が上に進んだと判断した悟はそれを追った。数階を上った事で軽く息を切らしつつ、踊り場を折り返そうとした時だった。

 ばあんと、重いファイルを床に落とした様な大きな音が反響した。

 平たい何かが床に叩きつけられた様な音。そして、その直後に伝わってきたのはーー

(普通の気配じゃない……?)

 未だ反響する音の向こうで、子供達が何かを叫んだのが聞こえた。

「おい!!」

 声音に心配の色を込め、青年が踊り場を折り返そうとしたその時だった。

 何かが、彼の懐に飛び込んで来るかのごとく距離をつめて来た。

「っぇ!?」

 人間、唐突に何かをぶつけられたりした時に”うわ”などとは咄嗟に口に出来ないものである。丁度息継ぎの最中だった悟は、ただただ目を見開いて反射的に姿勢を維持しようと踏ん張った。が、そんなありきたりな反応もついぞこの非日常の扉を開きつつある瞬間には儚く瓦解する。

「ぬぁぇあああ!? おお?!」

 羽織っている半袖シャツから出ている腕。素肌に、数年ぶりに味わう様な感触が満ちた。

 毛布の表面ほど粗く無く、ビロードの絨毯ほどは滑らかではない。

 枕ほど軽く無く、箪笥ほどは重くない。

 悟が咄嗟に自分の家にある物と比較して察したそれは、獣の毛並みだった。

「えっ、ん?」

 三度意味を成さない声を吐いた悟だったが、無理も無い。階段から落ちてきて自分を下敷きにしているそれは、ライオンの様な太い体とカラスのそれをそのまま十倍以上に拡大した様な羽根を持つ、哺乳類と思しき見慣れない生き物だった。

 間もなく、獣が落ちてきた先から子供の声がした。

「やっば!!」

「おいちゃん離れて!!」

 悟は、獣の向こうに三人の少年少女の健在を視認した。

 注意を促す子供に対して青年は何も発せず、言われるがまま少女の「おいちゃん離れて」の指示に従った。否、言われなくともそうする。食われたくなどない。獣の体から引き摺り出た悟は、踊り場の隅の方へと出来るだけ素早く、しかしよろよろと退避した。

「何だ、え? ゆ……め?」

 今のこの状況が夢である。それは、至極全うな疑いであったが、目の前に広がる景色と今しがたの獣の重量感、そして何より頭がフル回転で状況を整理しようとしているこのカンジは、悟には現実そのものに思えた。尤も、明晰夢以外の夢で同じ事を思う事はままあるのだが。

 悟は、夢でもなんでもいいと、そう思った。今このシーンで重要なのは、子供達の安全を確保する事だ。

(兎に角、あの羽根の生えたライオンを何とかしねぇと!)

 悟の認識はまだ甘かった。

「え」

 彼は、階段を上った先、少年少女が居る上層のその奥に見える通路に、さらなる異形を認めたのである。

 先ほどのライオンもどきの五倍はある巨大な体躯は像の様に無骨で、見た目にも解る分厚い皮膚を備えていた。その形状は悟が子供の頃に熱心に観ていた動物番組で取り上げられたどの種類とも似通わず、強いて言えばゴリラの様な筋肉質を想起させたが、体毛に覆われないどちらかといえば爬虫類に近い質感の両手両足が見て取れた。

 巨躯の獣は、起用に二体の別の異形をつかみ上げていた。

 右手につかまれているのは、狼を思わせる生物。但し毛皮の模様が虎のそれに似ている。

 左手につかまれているのは、馬を思わせる生物。但し首筋から腰にかけて硬そうな皮膚に覆われている。

「コウ! 逃げろ!!」

 三人組の子供達のうち、冷静そうな顔立ちの少年はしかし焦った表情を抑えられずにそう叫んだ。

 悟はそのセンテンスから、イントネーションから、そして向けられた方向から、この混乱の最中(さなか)にあってある事を察する。

(あの手に握られている獣は、敵じゃない?)

 そしてその想像が正しいのであれば、今しがた彼の元へ倒れこんできた羽根つきライオンも、あれきり悟に関心を示さない事から察するに同属か、と悟がそう思った時だった。

 (ごう)と。ライオンと同じ声音の咆哮を上げ、彼、或いは彼女は巨大な獣の視線を引き付けた。

「ライ! 足を狙うんだ!!」

 そう発したのは、最初に他の二人をバックヤードに連れ込んだ、お調子者っぽくも見える快活そうな少年。先程からはいささか想像し難い様な緊張感で、吼えた獣へとそう”指示”を出した。

 悟は、突如として感じた冷気に眉根を寄せる。彼の記憶の限りでは、このエリアにエアコンは無い。各部屋の中にはあるが、スタッフ用のこの通路にはその設備自体が無かったはずである。ならばどこから。そう思考した彼は、この目の前で展開されていく非日常にその答えを見た。

 ライと呼ばれた獣の眼前に、水晶の様に透明な固形物が形成されていく。そこに向かって周囲の風が寄り集まっているのが微かな気流から解る。そして何より決定的なのが、先ほどの少年の指示。

「このライオンが、何かをしていーー」

 ライと呼ばれた獣が今度は短くゴォと吼えると、固形化された氷と思しき物体は高速で巨大な獣の足元へ迫ってまとわりつき、その移動を封じた。

「今だ! フルとマイタをーー」

 少年が再び何かを指示しようとした時だった。

 巨躯の獣が明確な怒りを込めた咆哮を上げ、それぞれの手に握られていた獣を、左右の壁へと投げつけた。悲鳴と取れる短い叫びを上げ、狼型と馬型の獣はそのまま床面に伏せ、立ち上がる事もできずに沈黙した。

「フル!!」

「マイタぁ!!」

 恐らくはその獣と何かしらの繋がりがあると思しき二人の子供達は、各々獣の名を叫んで駆け寄ろうとするが躊躇った。その経路上では、巨躯の獣が未だ憤怒を込めて牙をむき出しにしていたのだ。

 足元を固定している氷から、ばきん(・・・)と鈍い音。床との設置面が獣の力によって無理やり剥がされ、あっけなくその拘束は解かれてしまった。

 悟は己の足の震えから、今この瞬間での選択とは即ち命に関わる選択なのであると察した。誰の命か。子供達と、自分のである。

 獣は足に氷をまとわりつかせたまま、それをさも武器として利用する様に振りかぶった。

「くっそ、ざっけんなよもぉう!」

 泣きそうな声をあげながら、悟はついに凍えるように震え続ける足を踏み出した。

 なんとも理不尽な選択である。自分の命を優先して逃げる事、少なくとも逃げようとする事は可能だろう。だが、それをすれば彼は生涯子供を危険に晒してその場から逃げた自分と向き合わなければならないし、この現象と事件が公になって以降、世間からは子供を見捨てて自分の命を優先した男としてテレビやネットで叩かれ続けるのだろう。相手が子供だから、非常時だという事は多分誰も加味してなどくれない。若しくは加味して尚クズの烙印を押すだろうと彼は思うのだ。いささかペシミスティックが過ぎるとも思える思考だが、無視できるリスクではない。しかしかといって今彼が選んだ道は、自殺行為その物である。動物園に居る様なただのゴリラでも、彼等がその気になれば人間などいとも容易くその握力によって殺す事が出来るだろう。ましてこんな化け物相手に何が出来ると言うのか。

 だがしかし、子供の命と自分の名誉ーーひいては人生ーーを守るため、彼は後者の選択を選ぶしかなかったのだ。

「おじさん駄目だ! 僕達に構わず早く逃げて!!」

 冷静な顔立ちの少年と巨躯の獣の間に割って入った悟は、未だ氷が纏わりつく獣の足にしがみついて怒鳴るようにこう言った。

「目の前で子供置いて逃げられるわけ無いだろうが!! いいから君らがさっさと逃げろ!!」

 大人一人分の重量が加わり、さすがの巨躯も容易くはそれを振り払えないでいる。鈍重な動きで悟を振り払おうとするがなかなか適わない。

 なかなかその場を離れない子供達に対し、悟は激怒する様に今度は明確に怒鳴りつける。

「早くしろ! もう無理だから!!」

 言い終えるが早いかついに悟は振りほどかれ、床に倒れた。

 よろつきながらもすぐに立ち上がろうとする悟の前に、最初の一人、ライオン型を使役していると思しき少年が背を向けて立った。右手には子供の握り拳大のデバイス。その背中は何かを守ろうとする意思に満ちている。

「俺達、自分の意思で戦ってるんだ! だから心配しないで! 俺達には、パラモンがついてる!!」

 巨躯の獣は会話を待ってなどくれない。体勢を立て直すと、すぐに悟と少年の方へとその拳を振りかぶろうとした。すかさず、ライオン型がそれを阻止すべくその巨躯の腕へと噛り付く。

 もう二人の子供達も一人目の左右に立ち塞がり、悟に背中で語りかける。

「僕達は、ある人からの頼みを受けて、使命の為に戦ってるんです!」

「だから私達がやらないと、駄目なんです! この戦いから逃げたら、私達は自分から逃げた事になる!!」

 ライオン型が振り解かれ、四人の前の床に叩きつけれられる。

「ライ! 頑張れ!!」

「フル! 起きるんだ!!」

「マイタ! お願い!!」

 子供達が口々に叫んだ直後、声はフロア中に響き渡った。


「そうじゃないだろうが!!」


 三人の子供達の肩がびくりと跳ねて、思わず悟に振り返る。その表情には驚愕の色が満ち満ちて、叫びの意味を考える事すら出来ないでいるのが見て取れる。青年の一際大きな声には巨躯の獣さえ警戒し、体の動きを止めた。本能的に他の個体の威嚇の気配を察知し、不用意に攻撃する事を控えたのである。

 すっくと立ち上がった悟は、巨躯の獣を見据えながら一転、静かに諭すように子供達へと言葉をつむぎ始める。

「自分の意思? 使命? 自分から逃げる事になる……?」

 その足は子供達と並び、ついに追い越す。

「知らねぇよ。この表向き平和な日本で、子供がそんな覚悟を決めて命張る道理なんてねぇだろ……」

 未だ巨躯を見据えたまま、悟は今一度子供達に対して吼えた。

「死んだらどうすんだよ!! 家族はどう思う!? これからデカくなって、伸るか反るかの人生が待ってんだぞ!!」

 何を感じ、何を思っているのか。兎に角その時、子供達は沈黙した。沈黙して、悟の背中が唯一声にせず訴える言葉を、確かに聞いて(・・・)いた。

 ”自らの命をかけた決断と危険な戦いをするのは、大人の仕事だ”

 直後、悟はライオン型の異形すら追い抜き、静かに彼等を見下ろす巨躯の獣と対峙した。

「言葉、解るか? 解らないか……。帰っちゃ、くれないか?」

 その悟の言葉を巨躯ははたしてどう解釈したのだろう。その拳を今一度振り上げ、悟の脳天へと振り下ろそうと構えた。ほぼ同時に、我に返った少年達が口々に悲鳴交じりの言葉を吐く。

 悟りは、獣の拳を両手で受け止める様な姿勢で構える。右手に握りこぶしを作ってそれを左の掌で支える、さながら何かの古武術の様な構えだが、彼にその様な心得は無い。

 恐怖心が、自分の心の中に芽生えた使命感を塗りつぶしていくのが悟には解った。怖い。殺される。明確で容赦の無い暴力が、ついに自分に降りかかる。殴り合いの喧嘩など生まれてこの方してこなかった悟には、余りにも荷が重い状況だった。二度とこんなことしてやるもんかと思う。

 獣の一撃がついに叩きつけられようとしたその瞬間、悟は、右の握り拳を小指側が獣の拳に向くような形で逆手に構えた。そして、それを左の掌で思いっきり叩きつける。ばちんと肌を叩く音が響き、掌にじんとした衝撃が伝わった。

 無骨な肌と大きな巨躯、小さくも獰猛な顔を持つ獣は、だがしかしその悟の企みに気付く程の知能を持ち合わせてはいなかった。

 ドスンと重い衝撃が悟の右手に、腕に、腰に、脚に伝わった。悟自身、肩が脱臼するのではないかと思う程の一撃に、腹の底が震える程の恐怖を覚える。だがそれでも彼は逃げない。逃げられない。直後に聞こえてくるはずの、巨躯の獣の雄たけびを聞く、その瞬間までは。

 ふっ、と。体の自由が取り戻される感覚を察知すると、悟はその場を飛び退いた。そしてついに、獣は尋常ではない声量の雄たけびを上げてその場に倒れ、もんどり打ち始めたのである。

 子供達は最初、何が起こったのか把握できずに困惑していた。しかし、獣が右手を押さえて苦しんでいることに気付いて漸く理解する。

 観れば、獣が振り下ろした右の掌には高そうなボールペンが深々と突き刺さっており、どうやらそれによる激痛に悶えている様だった。

「サチ! リョータ!」

 何かを察した様に、快活な少年が他の二人の名を呼ぶことで何かを指示した。

「うん!」

「お、おう!」

「おい!!」

 アレだけ言ってまだ逃げないのかという悟の声音に対し、サチと呼ばれた少女は他の二人と同様にデバイスを獣にかざしてこう告げた。

「このイレギュランを、パラレルワールドに送り返します!!」

 造語が混じっているが、今のこの状況をヒントに思考する事で悟はその言葉の意味を理解した。つまり、この異形を元居た別世界へと封印し、この状況を切り抜けると言っている。悟はそう断定した。

 巨躯の獣は少女の言葉を理解しないまでも、気配で自分の身に訪れようとしている敗北を察知したのだろう。立ち上がり、最も近くに居るリョータと呼ばれた少年へと襲い掛かろうとした。

 悟が咄嗟に走り出し、巨躯の反撃を阻止しようとした瞬間だった。

「ライ!」

 唯一戦闘能力が健在だったライオン型が、今一度巨躯の(かいな)へと噛み付いた。

「リョータ!」

 襲われそうになった少年の名を呼ぶサチ。

「続けるんだ!」

 そう指示するリョータ。

「でもライが!」

 使役しているライオン型に対し何かしらの心配をするもう一人。

「ユウイチ、今はこうするしかないんだ!!」

 何やら悲痛な表情を浮かべながらも、リョータが発した言葉に対して返事無いまま他の二人は従った。デバイスを巨躯にかざす。

 そして、「アクセス!」と三人が謎の言葉を放った次の瞬間、巨躯の獣は突如としてその姿を消失させた。

 あたかも、最初からその場にはその存在が無かったかの様に。


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