第5話 幼なじみ
不思議な体験だった。もしも、あれが実際の出来事ならば過去の殺人事件を観たことになる。少年の憎悪も父親の醜さも。
新しい運命は今、刻まれだす。
「だからさァ~ッ能力体に攻撃されてたんだって! ナーノ! アメティスタ! 信じてくれよォ~ッ」
情けなく唸るのは護衛を任されていたボナベラだ。兄貴分二人に叱られて殆ど涙声である。
「信じる信じないの話じゃあねェだろう。バンボラよォ~」
坊主頭の男の名はナーノ。彼女の使用人の中の「情報組」で仮のリーダーを勤めている。ボナベラの幼なじみでもあるがそれよりも茜への忠誠が勝っているようだ。
「今日と昨日、何体の能力体を視たんだ? え?」
自身の能力体のネズミを数体ちらつかせて吐けという無言の圧力を感じさせる。
ナーノの能力体Mr.24はチーム内でも拷問だと恐れられている。食いつかれると引き剥がすのは容易ではないし噛まれるとマンガに出てくるチーズのような焼け焦げた穴が体中に残るからだ。それと、傷口に何かが触れると激痛が走るし満足に服も着られない。
(マジヤベェッ! 昨日のコトほんとおぼえてねェんだよォーッ!)
二人が欲しい情報はだいたい検討はつくが昨日の夜にこころが能力体が見えていたと判ったときからの記憶が無い。昨日は泊まり込みで人間の石化のデータを漁っていたからそこまで出会うはずもないのだが。
誤魔化そうとしても長年共に過ごした兄貴分に勝てる気がしない。自分だってこころくらい判りやすければ同じことは出来るけれど精度は確かではないのによく判るものだ。
「えーっと………………忘れた」
「そこまで溜めて「忘れた」かよ。昨日はオマエ、暴走状態になってたからしょうがねェけど今日のことまで忘れちまってたら結構マズいぞ」
呆れ顔で口を挟んだのは昨日同じく人間の石化のデータを魔術関連でまとめていたアメティスタだった。
昨日と違うのは彼が女になっているという点だ。いつものことだが発情期でもないのに彼が女になっているというのは自分が狼に変身したということだろう。記憶には無いが。
彼の肩まで伸びた艶やかな黒髪に、モデルやダンサーのように引き締まった肉体美、それでいて自分よりも大きい胸。女としての悔しさなどとうになく「やらかした」の五文字が頭の中を堂々巡りする。
アメティスタを女にするのは過去に何度かあった。それらは全て訓練中だったから良かったものの実際の戦闘だったのならば格好の的になるだろう。
「いや、今日のはおぼえてるぜ! 流石に!」
「んじゃ何体だ?」
「一体。群集型だったぜ。で、数に入れていいのかは知らねェがアタシらがさっきまでいたのが能力体の中だったと思う……」
先程の出来事の前のうっすらと靄のかかったような記憶から一つずつ取り出していく。
やはり、自分の所属している部署の仮とはいえリーダーは優秀だ。対象の朧気な記憶から情報を引き出すのはボナベラは出来ない。
「ただ可笑しいトコがあってだな。茜さんの孫……なんだっけ」
「こころだな」
「坊主」と呼んでいた少年の名前まで消え失せたような。人の記憶なんて不確かな物だが先程まで一緒にいた人物の名前まで忘れてしまうなんて。ありえないことだ。
「アイツの気配がしたんだ。魔力も、貰ったコトないけど」
「貰ってたらマズいだろうよ」
女になってもアメティスタの皮肉は変わらない。性別は変わっても性格は変わらない筈だ。中身までが丸々と変わった訳ではないのだから。
「同じだと思うか?」
「同じだと思う。多分だけど」
ナーノはとびきり真剣な顔をして『闇の血統』が発現した可能性についてボナベラに教えた。
魔力を持つ者にとって自身の血統はかなり重要なものである。例えば魔力の暴走によって先祖の姿に一時間ごとに変身してしまって最終的には原始人になってしまい妻に勘違いされて殺害された魔術師をボナベラは知っている。
魔術を使えるようになると先祖の記憶を無意識のうちに読んでしまうこともあるというのも。
それに、自身も『闇の帝王』と呼ばれた「デミアン」が曾祖父にあたる純粋な『闇の血統』だ。
「「デミアン」とアイツ、何かあんのォ?」
「凛さんが「デミアン」の息子だ。だから離れて暮らしてるんだろう。あの人は直系だからな」
「そうなのか?」
ボナベラが何も理解していない訳ではないのだ。ただ、情報組でボナベラよりも前に入ったアメティスタで情報が止まっているだけで。
「あぁ~……そういや、オマエに言ってなかったわ」
「ふざけるなよ」の言葉が喉の内から出かかった。けれど優しい方の兄にそんな申し訳なさそうな情けない顔をさせるくらいなら責任は自分にある。
『闇の血統』を引く女にそんな「デミアン」に成りうる可能性がある男の存在などどんなに切羽詰まった状況でも知らせるのは躊躇うだろうから。
(けど、別に気にしてやしねェよ。「デミアン」なんぞとっくの昔に死んでんだかんな)
「別に。かまやしねェよ。それより茜さんは? 何もないか?」
茜のことが関わると途端に忠犬ボナ公とでも言えるようになる妹分の姿を見て警戒は緩んだようだ。Mr.24はその姿を既に消していた。
「先生なら無事だ。五体満足。健康そのもの」
呆れたナーノに自分一人でまた盛り上がってしまったのかと羞恥心を感じた。元来激情家の性格の家系に生まれてその個性は周囲に迷惑ばかりかけている。
「アメティスタァ~! そういや、幽霊って視たコト……あるかァ~?」
ホラー嫌いの彼はその美麗な顔を一気に青ざめさせる。彼の能力体自体ホラー映画になりそうものなのに何故かホラーは苦手らしい。
「しょうがねェな」とばかりに赤毛に剃り込みを入れた坊主頭を掻いてこのような話題を嫌う男を部屋から追い出した。
「その幽霊がどうかしたって? 何かあるんだろ、それだっていうのが」
能力体の能力をバラした報復を恐れていたから幽霊の話題を出したのだが後々何かしらの仕返しが来そうだ。
「『幽霊』って言っていいだか判んねェけど……さっきまでアタシらが存在していた? トコに『幽霊』がいて夢を見てたっぽい。夢ってのが能力体の能力なんだろうけど悪意は無いかんじだった。どっちかってェとこころを護ってるような感じがしたな」
少女は赤毛でそばかすまみれでこころとは似ても似つかない。
少女と劇場がセットの能力体なのかもという想定で考察をしてみる。少女が劇場に居たのは基本的にはありえないからだ。
少女は人間の形であったから人型だろう。不定型の幻覚の可能性もあるが少女の魔力は人間の物だったから守護霊が能力体になったものの可能性の方が高いのだ。
人型の能力体自体は強力なパワーを持っているモノも多い。自身のアンダーラバーズも人型ではあるが殴ったり蹴ったりするのは不得意だ。その代わりに能力体の出来ることが多いしスピードと射程距離があるので強いとまではいかないが足止め程度ならば出来る。
能力体は人それぞれ個性があるのと同じように能力者の数だけ能力体がいる。同じ能力体を持つ可能性も天文学的にはなるがないとは言い切れない。
だから、能力体が幽霊の可能性はあるだろう。強くはないだろうが油断大敵だ。
「本題に入ろう。判ってんだろ? ──オメェ今朝、金属の刃物は見なかったか? 使い勝手絶対ェ悪ィだろーなってヤツ」
「それと何の関係があんだ? 確かに今朝こころがそんなナイフに目を突かれてたがよォ……」
今朝の失態を思い出し羞恥心からなのか忠誠心からなのかは判らないがナーノの顔を見ることが出来なくなった。猿をあの時に「始末」しておけばこころが負傷することも(何故だが傷は治っていたけれど)、他の能力者の能力にかかることも無かった筈だった。油断をしていた自分が全て悪いのだ。
ボナベラは死ぬことに一切恐怖は無い。ただ断っておくと死にたいという訳ではない。自分で選んで行動した末に死んだのなら悔いは無いというだけだ。生を謳歌して死にたいとかささやかな願望はあるが茜への忠誠から死ぬのならばそれが本望なのだ。
一番怖いのは茜に殺されること。茜から差し向けられた刺客(元仲間)達から逃げ隠れしてビクビクと肉食動物に狙われた哀れな子供の飼い犬みたいに惨めに殺されること。
それだけは避けねばならない。地獄の刑罰のと茜に見捨てられるのどちらがマシかと訊かれたら地獄の刑罰の方がマシだと答える。それは他の仲間も同じだろう。
「ソイツァマズいな……」
疑問を投げかける間もなく、ドアの向こうにアメティスタが控えていたらしくチームの一員である証の黒いトレンチコートを羽織って駆け出していった。
「バンボラァッッ! 足出せッ! そうすりゃ今回の失態はチャラにしてやるッ!」
ナーノと共に同じトレンチコートを羽織りながらアメティスタに怒鳴られる。
「ヴィペラから返ってきてねェんだよッ。それに何様だよッ! テメェーッ!」
ドアを開けると鍵の連なったリングが飛んで来る。多分、彼は女にされた事をそれなりに根に持っているのだろう。
「どこに行くんだ!? 場所が判らなけりゃただのドライブになるぞ!」
乱雑な対応から危機を察する。普段は口数が少ない彼は危険に対して鋭い。
「こころがヴィペラとアズーロと共に『柱さん』トコ行った! 『赤永寺』に向かえッ!」
*
どしゃぶりの雨の中、外出するような人間もそうそう居はしないだろう。傘も持っていないなんてのは尚更。
コブラ‐SFCは雨に濡れてもなお黒いボディに顔が写る程に輝いている。
「おぉ、ヴィペラもかよ……」
仲間に使われるのなんて実はいつものことだ。昨晩は資料が見つからなくて腹が立っていたというのも彼らを怒鳴った理由の一つでもある。
自らの手で改造した愛おしい相棒は使用者の魔力によって動くので魔術で姿を消して空を飛ぶことだってできるほどに優秀なのだから勝手に使われようがそれは誇るべきことだ。
それにヴィペラは女誑しというのもあってか借りた時は必ずといっていいほど何かしらぬいぐるみか人形を運転席に置いておく。
今回はピンクの猫のぬいぐるみだ。最近チームのメンバーに車を貸す度に猫のぬいぐるみばかり貰う。そろそろ置き場所に困ってきた。
「どうかしたか? 乗ればいいじゃねェか。何も危険なものなんてないんだからな」
ぬいぐるみを助手席に移動させて自分は運転席へと乗り込もうとする。
「昨日、今日とで能力体と戦ったんだ。オマエは運転しなくていい。いや、するんじゃねェ。なぁ! アメティスタよォ~」
「あぁ、ナーノ 俺が運転するよ。バンボラは体を休ませた方がいい」
「やけに今日は親切だな。まっ、いいけど。ぬいぐるみはいる?」
「「それはいらない」」
その言葉に甘えて後部座席に座った。妙に青ざめていたのは多分気のせいだろう。
コブラは同じ「情報組」のカッフェとラッテの協力によって改造したから安全なはずだ。魔力をエネルギーにして走るから一寸の狂いもなくドライバーの意思に沿う運転ができる。
「窓、開けていいか? 何か妙に酒臭ェんだが…………」
「じゃ、髪は外に出しといた方がいいな。窓から攻撃された時すぐに反応できるから」
神経質なアメティスタの発言にすぐさま返す。
能力者は能力体にダメージが入るとダメージを受ける。能力体は何も無敵ではないのだ。能力体に耐久力があったのならまた話は別だが。
この面子の中でボナベラの髪だけなら多少攻撃されてもまた生えてくるので被害が一番少ない。
シュルシュルと十メートル程に伸びた髪が全て外に出たのを確認すると車は動き出した。
「なぁ、あのナイフってやっぱなんかあんのか?」
「あのナイフってよりも『金属』部分が問題でな。大体八十年から七十年前から能力者が増えてきたってのは知ってるだろ? その元凶があのナイフの『金属』部分だ。『金属』部分は過去に地球に落っこちてきやがった隕石にくっ付いてた宇宙生物がオレらに能力体を寄越した……らしい。オマエんとこに晴陽が来たはずだぜ。成分分析を依頼しにな」
「おい、おいおいおい待てよ……ちょっと待て。成分分析ィ? アイツんなこたァ言ってこなかったぞ! 見たことあるか聞いてきたくらいだ!」
少し呑気すぎるんじゃないかというほどにその生物がどのような性質なのかはボナベラは知らない。
「オレが知るかよ。テメェなら既に研究してんのかと思ってたんじゃねェか?」
「してる訳ねーだろッ! 生物ならアタシかヴィペラだけど……植物とか菌はヴィペラの専門だッ! それを茜さんからは聞いてなかったのか!?」
「おいおい、落ち着けよ。知らなかったんだからしょうがねェだろ? それに、その生物のワクチン第一号はオメェしか作れねェんだよ」
ボナベラは「自分はいつも冷静だ」と返そうとすると耳を疑った。
「……何だって? ワクチン? 必要なのか? アタシらは能力者だけど至って健康だッ! そんなモンいんねェだろ」
「オメェよォ~こころが目を突かれたって言ってたな? 隕石の生物の幼体は他の生物の体内でも生き残る。共存ってヤツなんだろう。だが、成体となるとそうはいかなくなる。宿主の生物の身体が異物に反応しだすんだ。判りやすい例がアレルギー」
アレルギー。ボナベラならアンダーラバーズの毒を打ち込み抗体を狂わせれば一時的にだけだが発症することを出来なくさせられる。もっとも、完全には治すことは出来ないが。
「それでワクチン……体には全く害が無い生物なんだよな? アタシらピンピンしてるし」
病を引き起こす物なら断らざるを得ない。抗体をその生物に反応しないようにしてもその生物が死に至らしめる可能性が少しでもあるのなら抗体を狂わせることはできない。抗体が反応するのは異常ではないからだ。
「安心しろ。血縁でなければ感染しないし適応さえすれば後は無害だ。それで適応したのがオレらで──」
「『能力体は遺伝する』ってのかよ。適応できないヤツがアレルギー患者ってことか」
ボナベラはナーノの言葉に続く。
確かに、アレルギーは深刻な場合は死に至るから例えとしては判りやすい。
「そうだ。近頃、隕石の欠片が裏で出回っててな。調べたら買ったヤツらの中で適応できないヤツが変死してるってのが判ったのさ。そんで被害者を減らすためにワクチンを作る必要が出てきた」
「そりゃ、買ったヤツらの自業自得じゃないのか? そういうモンだって知ってたらの話だが……。知ってなくても裏市場に来てる時点でイカれてるヤツだしよォ」
「知ってたさ。売ってたヤツの口上が「人にバレない悟られない、神のごとき力を得られる空から来た魔法」だったからなァ。オレらからすりゃとんだ馬鹿な話だがマジにして死んでちゃ意味ねェよ」
急に髪に何かが触れたような? 雨が降っているのだから雨粒が触れることもあるだろう。なんてことはない。
車は静まり返った住宅街を抜け出した。こんな寒い日に外出している人間は少なく雨の中の輝く黒はそれなりに目立っていた。
こんな日でも繁盛している駅前には向かわず住人全てが死んだかのような山沿いの整備されていない獣道を通りすぎていく。
「ナーノよォ……マジメな話なんだが、能力者ってどこまで頑丈?」
「頑丈も何も、能力体発現させてるだけで基本は人間だ。装着型か能力者の肉体が変化するタイプ以外はな」
「だよなぁ……」
髪を引っ張られる感覚がする。髪は神経が通ってはいないからどの生物かは判らないが確かに引っ張られている。
(重さ六十七キロ……ってとこか。糸かなんか絡まっててワケ判んねェけど……)
一つの気配が這い寄ってくる。幸い、理解の範囲外の気配ではない。
「アメティスタッ! 敵がアタシの髪に引っ付いてやがるッッ! かっ飛ばせッ! 振り落とすんだッ!」
その言葉で一気に加速するはず……なのだが。何故だか愛車は減速した。
真意は判らなくはないが自分だったら真逆のことをやるだろう。それで無駄な負傷が防げるなら。
「正気かテメェらッッ!」
「バンボラよォ~逃げてもヤツは追ってくる。ならッ! ここでヤツを「再起不能」にする! そうした方が手っ取り早いッ!」
ゆっくりと、しかし確かに急所に向かってくる相手を敵だと思わない程にボナベラは間抜けではない。
自分は逃走した方が良いと考えるが血気盛んな男達はそうではないようだ。
(──んじゃあ、勝手にしやがれ! どうせ敵だしな!)
ボナベラは自分の髪を一気に元の長さへと戻す。伸縮自在の髪でも強度は鉄ワイヤーより柔らかい。
もちろん、戻したということは敵を引き寄せたということ。敵は車体に近づいてくる。
敵の姿は普通だった。だいたい四十代前半位の普通の男。顔立ちはあまり悪くはないが職場の男達と比べると筋肉の量が足りていない。だが、現代人ならばこれぐらいが普通だろう。
些か拍子抜けした。車と同じ速度のバラけた髪に掴まってまで尾行してきた奴がこんな男だなんて。
フィクションでは案外こんな奴が強かったりするものだが現実ではそれほどではないことの方が多い。
「触らせてもらっている……既にィ~~。私のウエットクラブでもシンデレラ様のお役に立てる日が来るなんてッ! 最高だァ~~♡♡♡♡♡ 貴様らは知らないよなァ~~あの素晴らしいお方を! あっあぁ~~貴様らごときが知ってていいお方じゃあないものなァ~~生きてることに罪悪感とかないわけェ~~? そんなモンないよねェ~~そこらの黴にも劣るド低能にはァ~~。私ったらなぁぁぁ~~んて幸運なんざましょ。握手したい? それともサイン? でもォ、ダァァァァメ♡♡♡♡ 貴様らの汚いケツ触った手──あらやだァ! 全身汚いなァ~~!! 失礼した、訂正しよう。正確には貴様らクズの蛆虫共の穢らわしい肉魂ごときでこの幸福の絶頂の私にちょいとでも触れようなんて万死に値する行為だということだ。もっとも、私に触れられたことは光栄に思って死ぬんだな。阿婆擦れの雌犬がァ」
(コイツ、キチガイか?)
突然叫び、続けざまにシンデレラ様とやらの素晴らしさをとんでもない早口で語り出したこの男にボナベラはかなり引いていた。
職業柄奇人変人には慣れていたつもりだったがそうでもなかったようだ。気色が悪い。
喋り続けている男をアンダーラバーズの髪で拘束しようとするがそれは出来なかった。
濡れた髪が凝固し、こちらへ向かってきたのだから。
「テメェら逃げろ! 操作ができなくなってやがる!」
猛スピードでこちらに向かってくる髪に自分の能力体のスペックが嫌になる。まあ、「現場組」の奴らの能力体が暴走するよりは幾分かはマシだが。
ボナベラはこころには嘘をついた。自分の能力体の能力ならばいいが仲間を裏切る真似は出来ないから。少しでもあの場所で口走っていたのならアメティスタに殺されていただろう。冗談ではなく。
それほどまでに彼(今は彼女だが)の能力体、シェーディの能力は強力だ。アンダーラバーズと同様にパワーは無いが能力は凛の能力体よりも尖るけれどそこらの能力体よりも断然強い。
霧の麗人がアメティスタの側に現れ立つ。姿こそアメティスタの男の時にそっくりだがこちらの方が気品に溢れた佇まいだ。
仲間達の能力体には心底惚れ惚れする。見た目だけではなく能力も強力なのだから。
シェーディが手刀で髪を切り捨てた。髪は女の命などというが容赦なく切らせたアメティスタはボーイフレンドには向いていないだろう。実際一ヶ月程度でころころと恋人が変わっているし。
『ボナベラ、君ヲ助ケルノハコレデ最後ニナルカモシレナイ。アンダーラバーズ、オマエハオマエノ主人ヲ護ルンダ。俺達ノコトヲ気ニスルンジャナイ。判ったな?』
「何が言いたい!?」
兄貴分達の能力体はたまに訳の判らないことを言う。二人も同じようなものだが。
『オマエハ逃ゲロ、ボナベラ。赤永寺ニダ。ソウスリャオマエラガ「現場組」ト呼ンデイル奴ラガ助ケテクレルダロウ』
訳が判らない。「助けてくれる」?
「何言ってやがんだ。────アタシは戦う! 「助けてくれる」? アタシは生憎そんなヤワなお姫様じゃねェんだよ。クソッタレ!」
シェーディは呆れたように溜め息をついた。
『じゃあ、好きにしろ。死にたいんならな』
すかさずボナベラはクスリと笑いで返した。
ここまで馬鹿にされたのならばその分仕返ししてやるしかない。奴が気に食わないというだけだがそれは古代から人を殺す理由にも成りうることだ。
この場で酷く叩き潰して「再起不能」になるだけならまだ優しい方だろう。
「私を放ってイチャついてんじゃない! マーガレットには見向きもしなかったくせにッ! この雌共ッッ!」
何を言っているんだこの男は。
「マーガレット」……女の名前のようだがそんな女は知らない。この男の勘違いだろう。
「オッサン何言ってんのォ? スカーレットだかマーガリンだか知らねェがアンタを「再起不能」にすることは決定事項なんだぜェッ!」
髪をそこらの木の枝に結びつける。なるべく高く、なるべく遠くの木の枝に。
今日はツイている。雨ってトコロがいい。とても。
(よしッ! 今度は操れるッ! 雨に混じりゃあ気づかねーだろーよ。 アンダーラバーズは害になるモンは撃ち込めるが……薬、いわゆる治す為のモンは液体になっちまう。それがいい! 薬は毒にだってなるんだからなッ!)
鋭い雨が大地に降りそそいでいる中で木登りなんかしている人間はいない。こんな雨の日に外出するだなんてよほど頭が悪い人間ぐらいだろう。
ターザンのように髪を木の枝に巻き付けてぶら下がっている人間はここにいるが。
「「知らない」だと……? ふざけるんじゃないッ! 私は真面目な話をしているんだッ! そうだよなァ貴様らアホには判らないよなァ~~ッ! マーガレットを殺しておいて何を言うんだ! この溝鼠共めッ!」
知る訳がないだろう、そんなことを。昨夜の記憶がほぼないのだから。
男の言いがかりに少しずつ怒りが募る。知らない人間の殺害を擦り付けられたらたまったものではない。かといって、反論してもこの男は聞きやしないだろうが。
「アメティスタ……だったか。切り落としたのは。……おい、そこの屑。────あの女をとびきり下等な豚の餌にしてやれ。私の手を汚すまでもなァい!」
急にテンションが変わる男は気持ち悪さの魂だ。勘違いストーカーの概念を擬人化したらこうなるだろう。
「はい。──承りました。マスター」
どちらかというと自分には甘い彼がこちらを冷たい視線で見ているのは信じたくはなかった。
ボナベラには敵と見做した人間に対しての態度をとらせるようなことをした心当たりはない。
アメティスタは男の命令を素直に遂行するような冗談を今するような馬鹿ではない。もし、本当にボナベラを殺すとなったのならそれは冗談ではなく本気。
彼は全力で殺しにかかってくるだろう。それも死ぬ気で。
(あんのヤローッッ! こりゃマジじゃねェか! ゼェーーッタイッ勝てる確率0(ゼロ)パーだッ! ま、とりあえずやるだけやるけどよォ……できるなら、逃げたいッッ!)
ボナベラのアンダーラバーズは使用人達の中では比較的弱い方に入る。パワーも無いし髪の能力では誰にも勝てやしない。
それに一番訓練に付き合ってくれていたのはアメティスタだ。ボナベラの手の内は全て彼の頭の中に入っているだろう。正直に言うと彼に勝つヴィジョンが浮かんでこない。
アメティスタの周囲には霧が守るように現れる。
霧は特に問題は無い。その後に出てくるもっと恐ろしいモノと比べればの話だが。
側にはアメティスタの能力体、シェーディが静かに佇んでいた。
指先が震える。立ち向かわなければとは考えたが仲間を傷付けたくはないし、彼に攻撃をしたのなら何かが起きる気がする。それもボナベラにはマイナスにしかならないことが。
自分はそこらのチンピラよりも臆病者だ。きっと、粋がっているだけのヤツの方が自分よりも上手くやるだろう。
だが、“女”だから逃げたと笑われて生き続けるよりも男を倒して自分が戦って死んだと記録にだけ残った方がいい。そちらの方がずっと誇らしい。
(だけど……アタシは生きてやる。このイカレヤロウに殺されるくらいなら潔く死んでやんよ。死ぬわけねェけどな! 覚悟しとけこのヤローッ!)
魔術で焼き払ってしまえば問題は無いのだろうが周りに仲間がいる中で火を出したら負傷者が確実に出す自信がある。魔力を操作すること自体があまり得意ではないのにこの場でやったものなら一面焼け野原になってしまう。
自分のいた木の幹を切り倒したようだ。
ナーノを引き上げなかったのはこの為。迷いがあったのなら引き上げていた。だが、もう迷いはない。
アンダーラバーズの髪から『薬』を出した。
「なにッ!」
(アメティスタにゃあ見せてなかった。『雨』と『薬』がナーノのMr.24の『熱』で暖められてから気体に、この雨で冷やされて液体になる……雨じゃなきゃできねェな)
木の周囲にはアンダーラバーズの髪を張り巡らしていた。そこから中毒性のある薬を散布したというだけ。
(ナーノとアメティスタは『毒をもって毒を制す』だ。後で治療すりゃいいだけだし)
炎に包まれて現れた男がMr.24。鼠だけがその姿ではないのだ。
彼を隠すためにボナベラは木に登った。鼠だと奴を倒すことは不可能に近いからだ。
ナーノと瓜二つな男(Mr.24)は手に持っていた巨大なハンマーを男の方に向かって投げつける。もちろん、決してアメティスタには当たらないように。
「私を殴ろうってのか? そのハンマーで? 馬鹿じゃないのか?ミジンコ以下の害虫の考えなどよく分からんなァ~~!」
軽々と放り投げたが、あのハンマーは確か「現場組」のリーダーが持ち上げることすらできなかった代物だ。当たったのなら無事ではすまないだろう。
(馬鹿はテメェさ。アタシを殺したいんなら──)
ゴウッッ!
凄まじい音と回転と共にハンマーはそこらの木をへし折った。男には一切かすりもせずに。
ハンマーは男の元へと戻ってくる性質を持っている。円を描くように戻ってくるので周囲に被害を出すが、今回のような森の中ならば標的以外の人的被害は基本的にないだろう。
(アタシの仲間をナメないコトだ)
ボナベラはハンマーの軌道上に立たないようにしながら地面へと下りる。流石に死ににいくような真似はしない。
「お~~いオッサンよォ~そいつ、噛みつくぜェ~。もう、聞いちゃいねェだろーけど」
ふざけながらも忠告はした。それは真実なのだから聞いていない方が悪いだろう。
女の妄想だと笑いとばしている男など
男の周囲の木が次々とへし折られていく。倒された木々の分だけ勢いが増していく。
雨で暑苦しくないのはいいが軌道上にはいるべきではないし行くべきではない。
いつもよりも激しく燃え上がっているようだ。このままだと数分で片が付くだろう。
「──マスター!」
よく通る悲鳴にも似た叫びにナーノとボナベラは反応せざるを得なかった。
──彼女はアメティスタだった。恋する乙女、それも身分違いで決して結ばれることのないと理解している主人と奴隷といったところか。奴隷はアメティスタのことだが。
(ウソだろッ!)
急いで彼女を射程圏外に引きずろうとするがハンマーが迫る。もうどうしようもないスピードだ。避けようにも避けようがない。
「アンダーラバーズ!」
指示を出し、ハンマーをアンダーラバーズの髪で捕まえた。髪は少しだけ焦げたがまだ伸ばして調整が出来る範囲の中なのでアメティスタを助けた代償としては軽い方だろう。
髪で捕まえた後は腕に引き寄せ、そのまま抱え込んだ。
こんなことでは恐らく操られているであろう彼女を元の彼に戻すことは出来ないけれど、とりあえず状態が悪化しないようにの保険にはなるだろう。
ハンマーは髪に捕まると風に流れて消えていった。
問題はそのアメティスタだ。
虚ろな目をして、ボナベラの目には夢と現実を混同しているように見えた。手も震えて顔色は真っ青になっている。恐怖からではなく操られているからだろうか。
「マスター! マスター!」
悲痛な彼女の叫びに答えることは出来なかった。自分はあの男ではないからだ。彼女が求めるのは「マスター」だ。自分では、ボナベラではない。
「……バカヤロウッ! アンタはマジにバカヤロウだッ! クソッ!」
いつもは頼りっきりな自分がアメティスタを助けることになるなんて考えてはいなかった。
「性別」が変わるというのはこんなにも変わってしまうのか?
「人狼」とはこんなにも変わってしまうのか?
自分が「人狼」であることが恐ろしい。
きっと、こんな緊急時に考えるようなことではない。
兄妹同然のアメティスタに対して心の奥から醜い問いばかりが湧き上がってくる。まさか自分がこうなるのかという不安もある。
怒りを彼女にぶつけるようなことはしたくない。彼女はアメティスタであってアメティスタではないからだ。
操られているだけで彼ではあるのだろうが、彼女をアメティスタであると認めたくはない。
「馬鹿はテメェだッ! バンボラ!」
「ツゥッ!」
鼠の姿のMr.24が彼女に噛みついた。
彼女は憎らしげにナーノを睨みつけた。足に空いた風穴からは肉の焦げた臭いが漂ってくる。
よく目を凝らすとチェスだかトランプだかをモチーフにしたキャラクターのような生命体がチラリと見える。これがアメティスタのシェーディの能力。
シェーディの能力は、『鏡』の中の『世界』からこのような生物を連れてくることだ。魔術師気取りの本人からしてみれば不本意だろうが、言葉だけだとメルヘンチックな能力の癖に殺意は高い、極悪な能力だ。
「あんなイカれたヤツの為に能力を発動させるとはなァ」
ナーノは「よくもまぁ」といった風に呆れた口調で笑っていた。彼自身も質の悪い能力を持っているせいか「自分も同じことをやるだろう」の笑いだった。
(まぁ、ある意味ビビったけどよォ。これ、もしやのアタシが治すんじゃねェよな……?)
自分があの面倒な負傷の治療をせねばならないのかと憂鬱にはなったが、それよりも今はアメティスタとあの男をどうにかするしかない。
髪を伸ばして探知することが出来たのならやっただろうが生憎、能力体やそれの付属品は探知することが出来ない。なんとも扱いづらい能力体である。
「オマエ如きに共感される程に私はゲスな人間ではないさ。もっとも、騙し討ちをするようなゲス野郎に言われたくはないがな」
アメティスタの性格が少しでも覗いたらボナベラの無い胸はキュウと締め付けられる。
「へぇ~そう言っちまうか。オマエだってさっきコイツのこと奇襲しようとしてたじゃねェか」
ナーノに突きつけられた指先がナイフのように錯覚した。咄嗟に「指をさすな!」と叫んだ自分は悪くない。
「質問に答えが必ず返ってくると思うなよ」
「そうだな。オマエのことだからそう言うよ」
彼女はその言葉を聞くと顔をしかめた。そして、まるでヘドロでも見るかのような視線でナーノを突き刺した。
「私はオマエのような人間を一切知らない。もちろん、その髪の伸びる男のような人間もな」
「……アタシゃ女だ」
ボナベラやナーノのことも忘れさせたのだろう。操るには邪魔でしかない存在なのだから。
「それは失礼した。だがそんな格好じゃ女に見える人間の方が少ないさ。スカートくらい履けば少しはマシになるんじゃないか? 似合わないだろうがな」
皮肉も言うが彼女は彼ではない。
アメティスタ(彼女)に冷たい視線を向けられるのは嫌いだ。
幼少時代から自分が悪いことをしでかすとどこで知り得たのか、それとも感からなのかは知らないが、この視線で睨みつけるかのように目を見られた。そうされると何をしたか洗いざらい白状してしまうのだ。
嫌いというよりは苦手と言った方が正しいのかもしれないが彼に似た彼女に同じような視線を向けられるのは「探られている」としでかしたことを思い出すよりも先にあの男への嫌悪感ばかりが募るからつまりはこういうことだろう。
『彼女が悪い訳でも彼が悪い訳でもないが、アメティスタの感情を利用しているあの男が気色悪い』
ただそれだけだ。あの男が自分の髪をも利用して彼を彼女にしたこと。それは自分の相棒ならば賞賛した後に殺すのだろうが、自分が同じことを出来るかと言えば出来ない。
それほどまでに精神的に異常をきたしているという訳でもないし、仲間が操られた程度のことで殺人を犯すなど自分の理念に反することは出来ない。
忠誠を誓った茜が同じ目にあったのなら迷わず犯人の一族郎党全てに毒で一生涯苦しみ続けるように仕向けるだろうが、そこまでのことをするほどの敬意だとか愛情だとかそういったものはアメティスタには持っていない。
するとしたら、あの男が子孫を残さないようにするくらいだろうか。
ナーノもあの男に鼠の姿のMr.24をけしかけている。あの男はMr.24にすらも苦戦しているようなのに、よく自分の髪にしがみついていたものだ。
「アメティスタよォ~」
沈黙ばかりが続く。
「アメティスタ、アメティスタ、アメティスタ、アメティスタよォ~」
今度は続けざまに呼んでみる。反応は無い。
「ゲス野郎、あの女はイカれたヤツなのか?」
「さっきオマエが言ったみてーによォ質問に全て答えがあるとは思わねェこった」
ナーノは舌を出してからヒヒッと笑った。
厳ついどうみても一般人ではない風貌の男が笑えば怪しい取引現場にしか見えない。
シェーディの出した生命──本人は白の兵士だとか赤の女王だとか個別に名称をつけているようだが──の内の黒の兵士が彼女を守り続けるように彼女の足元をうろついている。
よくよく考えようとすると頭の中から余計な情報ばかりが出てきて思考がまとまらない。やはり、自分は考えるよりも先に行動する方が向いている。
「ナーノォ~あのヤロウ、ぶっ飛ばしてきていい? アイツ、アタシの髪にゲロ吐いてやがった」
ヤツには悪いとは思わない。濡れ衣を着せられる程度だけで済むのだ。殺されないだけマシだろう。
「いいんじゃね」
「ふざけるな! マスターに手を出すなどと……それに、マスターの吐瀉物だなんて……」
ボナベラは溜め息を吐いた。どっちにしろ面倒なものだ。
「吐瀉物なんてお綺麗な言い方すんじゃねェよ。ゲロだよ、ゲロ。どんなに綺麗に言ったとこで結局ゲロはゲロでしかねェし、オッサンのきったねェゲロに何の価値もねェよ。ゲロはきったねェモンなんだよ。讃えるよーなモンじゃねーよ、ゲロは」
鼻が慣れてきていたのか気づかなかったがやはり実際に吐いていたようだった。鼻を突く酸っぱい刺激的な臭いは、彼女風に言えば吐瀉物の例のアレだ。
「ゲロ連呼は女がすることじゃねェし……」
ナーノは顔をしかめて無精髭を撫でさする。自分も同じように弟がゲロ連呼していたら注意するだろうから。それも可愛い(自分としては不本意だが)妺分が連呼していたら流石に気分が良いとは言えない。
(あのヤロウの能力はたぶん『惚れさせる』ってのだろうな。何年前だか忘れちまったけど……アニメのヒロインにああなってた)
あの時は散々な思いをしたので、あまり思い出したくはない。とりあえず言えるのはヒロインの血を舐めたいとほざいていたくらいだろうか。
恋は盲目とは言うがまさにアメティスタはそのタイプだった。すぐに恋人が変わるのもそこからくる悪癖といってもいいもので、そう思えばあの男があそこまで豹変するのも判らないことはない。
毒を打ち込んで意識を落とした方が、彼女を相手にするよりも圧倒的に楽だ。だが、シェーディがボナベラの髪を切ったらアメティスタはあの男の従順な手先となった。
アメティスタに毒を打ち込んでしまったら自分も操られてしまうかもしれない。
「いいだろ、別に。アンタに迷惑かけてるワケじゃねェし」
イラつきながらも返事をする。
「さっさと髪切れよ。どうせまた伸ばすんだから」
「なんならオレがやる」とでも言わんばかりに指先に火を灯す。
「いや、いいよ。自分で出来るし……つーか、あのヤロウマジぶちのめす」
ボナベラはゲロのついた部分に触れないように気をつけながら少し先の方の髪ごとアンダーラバーズの髪で束ねた。すると、一気に火がつき髪は真っ赤に燃え上がる。
「な、なにをしている!? 私を拷問でもする気か!?」
何を馬鹿げたことを。きちんと話を聞いていたのだろうか。
「バーカ。なに寝ぼけたこと言ってやがんだ。魔術だよ、魔術」
「魔術? 何だ、それは」
忘れているのだろうか。それも、惚れさせるのと洗脳を同じとすると記憶を失うのも納得がいくことだ。
同性を「惚れさせる」ことは出来ないと仮定すると、自分ならば先程のように操られても髪を切ればいいだけになる。
「──なら、いいか。ナーノォちょっとコイツ見ててくれ。アンタが来てもコイツみてェになるだけだからな」
燃えるような熱が魔力炉から体内に走る。それと共に鋭い痛みがゆっくりと襲う。
(これだけは訓練のときから苦手だ……)
みるみるうちに女は男に変わった。
腰まで伸びていた髪は燃やしたというのもあるが、胸元までの長さになり、声も艶やかな色気たっぷりのウィスパーボイスになっている。
「ン……これでいいだろ」
体格がよくなったからか、衣服が全て破れてしまっていた。だからといってどうということもないのだが。
「み、見えてる……オメェ気づいてねェの? 今、オメェ素っ裸なんだよ! せめてパンツぐらいは持っとけ……」
ナーノが頭を抱える。
確かにこんな森の中で全裸なのはみっともない。
「別にいいじゃねェか。困るモンでもないし、だいたいアンタも同じモンついてんじゃん」
「そういう問題じゃねェ」
指をボナベラの方に向けて、一気に振り下ろす。
「いいって言ってんのに……」
ボナベラには女の時に身に付けていた物が男性用に直されて身体に合った服装になっていた。
「ま、ちょいと行ってくらぁ。こっちにわざわざ来んじゃねェぞ」
「頼まれても行かねェよ。バーカ」
自分の兄弟分はどうにも口が悪いようだ。
*
「よぉ、兄さんご機嫌いかがかな?」
親しみやすい近所の兄ちゃんをイメージしてみた。やっているのが自分からして似合わないはずだが、相棒の作戦を少しだけ参考にさせてもらう。
男の有様はひどいものだ。
Mr.24に四肢を喰われ、動くことの出来ない達磨のような赤と黒の肉魂が男の結果だった。酷くMr.24に囲まれていて、肉を焦がす臭いと苦痛による悲鳴が男が自分達に喧嘩を売ったという事実を証明している。
「んんぐ!? あ、あああぁ!!」
「何だって? あぁ~ありがとうございますぅ? 聞こえないなァ~。もっとはっきり言いなよォ」
男の股間を思いきり踏みつける。
これでは親しみやすい近所の兄ちゃんではなく、そこらのヤク中といったところだ。この男は自分が殺すのだから別に構わない。
(やっぱりか。コイツ、人間じゃねェな)
人間ならば人狼の脚力で思いきり踏まれても絶叫するだけで済むはずがない。踏まれた部位が砕け散り、肉が四方八方に飛び散る。いや、痛みで泡を吹くか、最悪の場合ショック死する。
まともな人間のする行為ではないだろう、これは。痛みを出来るだけ与えずに殺してやることだってできるはずだ。なのに、それをせずにMr.24を放置していることが自分が『黒』の側の人間であることの証だろう。
「アンダーラバーズ──奴を殺せ」
人形のように凍った表情で、感情を押し殺した。
この男は人間ではない。だが、人間の姿形をしているせいでバンボラに躊躇させる。殺人に罪悪感なんてとうに無い。なのに、何故だ。
「Mr.24、ちょっとした取引をしないか?」
小さな鼠達の興味はこちらに移ったようだ。ナーノの能力体のいえど基本的には自分のアンダーラバーズに似ている。