4 血に汚れる
俺の叫んだ呪文の刹那、杖の先の光は吸い込まれるように消えた。そして俺の中に溢れんばかりの情報が流れ込み、頭の中に刻まれた。
周囲を数秒間、沈黙が支配した。
「魔法上書き・・・!?、クソっ、フレイム・ボール!!」
男は再度魔法を叫ぶが周囲に再び沈黙が下りるのみだった。
アシミットも、目の前の男も、そして姿の見えない彼女ですら、驚きのあまり言葉が出ないのだろう。
俺は驚き固まっている男に向けて手を伸ばす。
「・・・は?」
男の間抜けな顔と声に俺の口角が吊り上がる。
・・・勝った。
『フレイム・ボール』
紡いだ言葉とともに俺の手のひらの光が灯り、直径十五センチほどの火球が音を立てながら男に向かって飛んだ。
「アアアアアアアアアァァァァ!!!??」
火球は男の顔面に直撃し、体を業火が蝕んだ。
数秒ほど炎とともに踊り、最後には人形の糸が切れるように地面に力なく崩れ落ちた。
そしてそれを確認したからか姿を隠していた彼女も俺の横にスタッと靴の音を立てて姿を現した。
その姿は案の定あの時の深緑のフード付きローブに機械の仮面をつけた彼女だった。
「・・・お前!?」
アシミットが先ほどまでの余裕を完全になくし、鬼の形相で叫ぶ。
「すまないがこの男は私の仲間ではない。だが、私の狙いは変わらない。お前だ、銀首輪のアシミット」
そんな二つ名だったんだとなんとなく興味深く思ってしまう。アシミットにはそんな銀色の首輪はついていなかった。
そこで俺はニネットの治療術のことを思い出し隣にいる彼女に耳うちを始める。
「・・・あの」
「どうした」
俺が囁くように小声で話しかけると合わせるように小声で返してくれる。
「あいつが回復魔法を使うように誘導できませんか?」
「・・・承知した」
少しの間が空いてから彼女は頷きながら答えた。
俺は彼女の邪魔をしないように一歩下がる。
彼女はボソッと何かを呟いて姿を消す。
「あ、あぁぁぁ・・・」
アシミットは情けない声を上げながら後ずさる。
「・・・シっ!」
短い息とともにアシミットの手首が切り落とされゴソッと音を立てて地面に落ちた。
「あ・・・あぁ・・・」
痛みのせいだろうか、大きくは叫ばない。
「すまない、やりすぎたかもしれない」
真横から謝罪の声が聞こえる。
確かにここまでくるともしかしたら回復魔法を使わないかもしれない。
そう心配していた俺の考えとは裏腹にアシミットは切り落とされた部分に手を添えた。
『ひ、ヒール』
ニネットのもう一方の添えられた手に光が灯ったのを確認して瞬時に自分の手をニネットの方へ向けて唱える。
『プランダ-』
俺の放った言葉と同時に無慈悲にも光はアシミットの腕を癒すことなく彼女の手の中から消えた。
それからニネットは死んだ目で、絶望に満ちた表情で、先のない自分の腕を見ながら座り込んでいた。
「・・・壊れたか」
「そうみたいですね」
再び姿を現しながら言う彼女の言葉に俺は冷静に返す。
そう、不自然なほどに冷静だった。まるで何かが俺の感情を消したかのように。
「・・・この人は殺してもいいんですか?」
俺がそう聞くと彼女は少しだけ悩むような素振りを見せた後、壊れたアシミットを見ながら口を開く。
「正直生かして軍に引き渡してもいいがこんな状態じゃ実質死んでるのとそう変わらないからな・・・最後の慈悲、という意味でなら殺してやった方がいいかもしれない」
そう言いながら腰から短い剣を取り出す。
俺はそれを見て一歩前に出た。
「それ、俺にやらせてくれませんか」
「・・・なに?」
俺の言葉に驚き半分呆れ半分のような声で彼女はそう言った。
「まさか、人を殺してみたいなんて馬鹿な理由じゃないだろうな」
その言葉には確かな重みと怒りがあった。
たしかに、言ってしまえば俺の理由は人を殺してみたいということになる。
だがそれは快楽的なものじゃない。これから俺が進むのは血で汚れた修羅の道だ。
人を殺す道を選ぶのならば、人を殺せるかどうかを自分に聞かなければならない。
ここで殺せないのなら俺の目標も、俺の復讐も、何もかも捨て去って自害する。それくらいの覚悟が今の俺にはあった。
あの時の、いじめられてただただ黒い種火を隠して燻ぶらせてきただけの弱い俺じゃない。
今こそ、燻ぶらせてきた黒い火で奴らを燃やし尽くさなければならない。
だから・・・
「これは、この殺しは俺にとって・・・最後の選択肢なんです。もし俺が怖気づいて殺せなかったら、僕を殺してください。その時はお金も持って行ってもらってかまわないですから」
俺は彼女に向かって頭を下げた。
「お願いします」
数秒の沈黙。しかし俺にはそれ以上に長く感じた。
「・・・わかった。ただし、殺せたら頼みがある。その時は拒否権なしだ。それでいいな」
「はい」
俺は頷きアシミットの方を向いた。
アシミットのそばまで歩き持っていたナイフを逆手に変える。
緊張や恐怖は・・・一切湧いてこなかった。
自分でも恐ろしいほどに頭は冷え切っていた。
俺はニネットの左胸にナイフを向ける。
「・・・貴女には感謝してます。温かい食事も、久しい優しさも、お金も、俺にとって最高の『利益』になりました」
左手をナイフに添えて準備を整える。
「だから、最後まで・・・俺のために死んでください、アシミット・・・いや、ニネットさん」
銀色に光る刀身を力いっぱいアシミットの胸に押し込んだ。
「うっ・・・」
サクリという感覚の後にゴリゴリと硬いものに引っかかる感触がする。
せめてもの慈悲と思い、俺はナイフを反時計回りに捻った。
すると先ほどまで動いていた目も、腕も、足も。わずかな痙攣を残して動かなくなった。
「おやすみなさい、ニネットさん」
木漏れ日だけが、俺たちを静かに照らしていた。