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この度、一身上の都合で神様を辞めることになりました。

作者: 上葵

 暇潰しなんですぐに終わります。


 陽光が射し込む八畳一間。

 カーテンの隙間の夏空を見て、神野大利はため息をついた。彼が郷里の岩手を飛び出し早いもので三ヶ月が経過した。


 音楽家になるという目標を引っ提げて上京したはいいが、バイトに励む日々は十分多忙で、気付けばネジをドライバーで締め上げるマシーンに成り果てていた。

 日に焼けた畳の部屋で鳴らしたギター。悲しげな戦慄がヘッドホンの中で響く。

 むしゃくしゃして堪らなくなった時、彼はいつもレッド・ツェッペリンを弾いた。


 慣れたコードをつま弾けば、空っぽの心が満たされたような気になった。

 結局、東京に出てきた理由は行方不明になって、それが衝動だったと思い知る。

 こんなんじゃだめだと、一念発起し、ヘッドホンを外して、ノートパソコンを開ても、特に何かが変わるわけじゃない。延々と同じことの繰り返しだ。

 新人アーティストのデモテープ募集をネットで検索するが、ピンと来るものがなく、ネットサーフィンをやめて、ワードを開いた。

 題名は歌詞ノート。

 ろくにアイデアが浮かばず、机の前で項垂れること数時間、コーヒーで無理やり眠気を覚まし、何度目になるかわからない空元気を胸に刻む。

 さあ、作らなければならない。誰もが羨む名曲を。

「……」

 キーボードと指の間に透明なクッションがあるかのように打鍵できなかった。

 くしゃくしゃとパーマがかった髪を掻いて脳を刺激するが、フレーズが出てくることはなかった。

 メロディも歌詞も思い浮かばず、焦燥感だけが存在しているが、肝心の一行目が閃かないのだ。

「詩を書くやつは人間的に空っぽで、生み出すメロディはゴミくずだ」

 吐き捨てるように呟き、彼は天井を仰いだ。


 三ヶ月で子供が抱く万能感は喪失し、失った自信の代わりに、焦りだけが募っていった。

 耳を塞いでも、現実は鎌首をもたげてやって来る。初めから気づいていた、自分には才能が無いってこと。

 故郷を飛び出す言い訳を、好きな音楽に押し付けて逃げ出しただけだ。


 自信ある曲を歌っても、道行く人はみな煩わしそうに一瞥をくれるだけだった。仕方なしに流行りのカバー曲を演奏したが、それでも足を止めてくれる人は皆無だった。表現者だと信じてやって来たが、自分を騙すのもボチボチ限界だ。


 同級生が大学生の夏をエンジョイしている八月の中旬、彼はただ後悔にうちひしがれていた。

 こんな後悔をするくらいなら、農協の奴隷にでもなっておけばよかった。

 技量も才能も運もない。空っぽの彼の鼓膜にアブラゼミの鳴き声が空しく張り付いていた。


「悔い改めなさい」

 ふいに若い女の声が響いた。テレビを入れてしまったのかとリモコンを探すが、およそ手の届く範囲には置いてなかった。

 辺りを見渡すが、音源が特定出来なかった。幻聴と判断し、憎々しげに窓の外の青い空を睨み付ける。

 近くに中学校があるので、登下校の声が漏れ聞こえたのかもしれない。

 中天をすこし過ぎた眩しい太陽をカーテンで遮って、布団をめくって足を突っ込む。ふて寝して可笑しくなった脳をリセットすることにした。


「こっちです」

 ぱぁん、勢いよくクローゼットの扉が開かれ、中から袴姿の女の子が出てきた。

 くりくりとした目にスッと通った鼻筋、桜色の頬にぷっくりとした唇。長い水色の髪が床に届かんばかりに伸びている。浮世離れした容姿の少女が腰に手をあて仁王立ちしていた。

「あんたは……」

 少女はブーツを履いていた。大正時代のファッションのようだった。いや、大学生の卒業式だろうか。なんにせよ八畳一間には不釣り合いだ。

「靴脱げよ」

 大利の注意に「むっ、失礼しました」と短い謝罪をすると、そのまますたすたと玄関まで行き、ブーツを脱ぎ始めた。

 靴紐をほどくのに時間がかかっているらしい。小さく「んしょんしょ」と聞こえる。

 大利は謎の少女の小さな背中を眺めながら、瞼を閉じた。


 夢を見た。

 夢の中の彼はまだ高校生で友達の家の庭にあるプレパブ小屋でギターをかき鳴らすバンドマンだった。

 幸せだった。なんにでも成れると信じて疑わなかった。世界を変える一撃はここから始まると信じていた。

 あの頃の仲間は全員地元に残り、彼だけが、夢を追って東京に出た。


「ってなにを寝てるんですか。起きてください。話はここからですよ」

 アラームよりもやかましい声とともに体を揺すられた。

 瞼をこじ開けると、先ほどの少女が大利の真っ正面で困ったように眉間にシワを寄せていた。

 夢だったのは、どっちなのだろう、と一瞬だけ混乱してしまう。


「あー、はいはい」

 上半身だけを起き上がらせて目元を軽くほぐす。

「よろしい。それでは窓を開けてください。換気しましょう」

 幻覚が幻聴を引き起こす。きめ細かい肌は陶器人形のようだ。現実感はなく、白昼夢と判断するのに時間はかからなかった。

「そぉだな……」

 頭部を再び枕に預け、反対方向へ寝返りをうつと、「無視はよくないです」と声をあげられたので、仕方なしに起き上がる。

 もし幻覚でこれを生み出したなら、俺の脳はとっくに限界かもしれない。

 確かな質量を目の当たりにし、彼は自らを落ち着けるため深呼吸した。

「あんたは何者なんだ?」

「そうですね。自己紹介は大切ですが、喉が渇いたんで、ひとまずお茶をいれてください」

 不法侵入のくせに偉そうだ。

 年端もいかない見た目なのに居直り強盗のような態度が気にくわなかった。

 大利はじとっとした目で少女を睨み付けた。

「ちょっ、いくら私が今世紀最大の美少女だからってそんな熱烈に見ないでください」

 デレデレと恥ずかしそうに身をよじらせる。

 もし、仮に彼女が泥棒だとしても、生憎、盗られて困るものは、

「あ」

 布団から這い出て、四つん這いで移動し、テレビ台の下のプレステ4を死守する。

「これには手出しさせねぇぜ!」

 初任給で買った大事な財産だった。盗まれたりしたら登録されている百人のフレンドを失うことになってしまう。それは避けたい。

 ゲーム機を抱き締める大利を、少女は冷たい視線で見下した。

「それはなんですか?」

「PlayStation4」

 ネイティブっぽく言ってみた。

「よくわかりませんが……きっと大事なものなのですね」

「テレビゲームだよ」

「ゲーム機ですか? 私もゲーム好きなんですよ。どうぶつの森とかぼくのなつやすみとか。あなたはどんなゲームをしてるんですか?」

「殺人鬼になって、ターゲットをフックに吊るすゲーム」

「不健全な。セルが許しても我が許しません」

 少女の目が一瞬光ったかと思ったら、ごとっと音がして、プレステ4はひしゃげていた。

「なぁー!?」

「昇華に際して、未練を断ち切らせていただきました」

「タイマーか、タイマーが作動したのか!? こ、壊れてないよな!?」

 慌てて電源スイッチを押すがうんともすんとも言わなかった。

 3が壊れたときはご丁寧に黄色いランプが点滅した。ちなみにイエローライトオブデスというらしい。そんな下らない機能をつけるくらいなら、壊れない努力をしろよ、と制作者を恨んだもんだが、結局壊れたら同じではないかと、大利は憤慨した。

 ここに来ての故障はつらい。もうすぐ楽しみにしていたゲームのリマスター版がでるのに。

 未練がましくボタンを連打するが、電源がつくことは無さそうだった。 

 無力感にうちひしがれる彼をじっと見ていた少女は彼の肩に小さな手のひらをポンと乗せて囁いた。


「力がほしいですか?」


「……いきなりなんだ、お前?」

 ちんちくりんのくせに、強い目をしている。吸い込まれそうなほど澄んだ瞳だ。至近距離で見つめられて心臓が跳ねたが、彼女に反応するのはロリコンの気質があると認めることになるので、気のせいと言うことにしておこう。

「力がほしいのなら授けましょう」

 覚醒前の主人公に語りかける謎の声のようなことを呟いて少女は小さな手のひらを差し出した。

「くれるってんなら、病気以外はなんでももらうけど、……なんの話?」

「力ですよ。直したいですよね? プレステ4」

「そりゃあな」

「よろしい。手をとってください」

「なんのゴッコ遊びだよ?」

 クエスチョンマークを浮かべながら、言葉に従って手を取る。パチリと肩に電撃が走る。

「痛っ!」

 静電気だった。夏なのに珍しい

「じ、譲渡は終了しました」

 少女も痛かったらしい、手をさすりながら、続けた。

「ここに契約は成立しました」

 意味のわからないことを呟いてから、にんまりと頬をつりあげた。

「さあ、あとは発現するだけです。直したいですよね?」

「そりゃあ、これが壊れたままだと暇潰しできなくなるし」

「なら、あなたはコントロールするしかないです」

「なにを?」

「神通力」

「……明日サポートセンターに電話するわ」

 この女、いきなり人ん家にいる時点で思ったが、かなりヤバい子だ。できればかかわり合いになりたくない。


 和服姿なのに髪の毛が水色というのも意味不明だ。なんかのアニメのコスプレだろうか。自然な彩度だが、地毛が水色というのはあり得ないだろう。

「電話なら今すれば良いじゃないですか。暇そうですし」

「いまは自宅でのんびりする大切な時間なんだよ」

「のんびりって、そんなバカな。平日の昼間ですよ。正気ですか」

 世の中には平日休みの職業も多くあるのだ。五連勤に心身は疲れきっているが、意識ははっきりしていた。

 彼女は確かにそこにいて、幻覚では無い。

「うるせぇな、ほっとけよ。お昼休みに電話をかけたらカスタマーセンターのおばさんに残業させちゃうだろ」

「慈悲深いのですね。まさに神の如し懐の深さ……」

 頭おかしい女の相手は疲れる、大利は頭痛を抑えるように額に手をやった。

「他人をおもんばかるのも良いことですが、力を使えば全部解決ですよ。奇跡を使ってプレステ4を直すんです」

「奇跡なら川の水をワインにしたり石をパンに変えたりする。今朝から水しか飲んでないんだ」

「元気があればなんでもできます。食べようと思えばなんでも食べられるもんです。私の友達はマヨネーズをかければなんでもウマいと言ってました」

「それは悪食なだけだろ」

 彼女の頭の中は平和そうである。

「腹へったな。飯でも食いにいくか」

 財布を持って立ち上がる。

「特別におごってやるよ。腹膨れたら二度と来るなよ」

 金はないが、見栄はある。武士は食わねど高楊枝。彼にもなけなしのプライドがあった。

「ご飯ですか? それは気のせいですよ。人間を超越した存在に昇華したあなたのお腹はすきません」

 こいつ、なに言ってんだろう、と呆れる大利の横で、少女のお腹がぐぅ、と鳴った。

「それはそうと先ほどから下腹部がぐるぐるするのですが、これはなんなのでしょう。人間特有の病気ですか?」

「お前も腹へってんじゃねぇか」

 空腹を誤魔化せる人間はいない。


 少女と一緒に外に出る。

 真夏の太陽が照りつける。アスファルトが熱を放出し、町の気温を押し上げていた。入道雲が遠くの空に見えたが、太陽を遮ることはなく、ただひたすらに暑かった。

「汗が吹き出します」

「夏だからな」

「体が火照ってます」

「そんな格好してればそうだろ」

「喉がからからです」

「もうすぐつくから我慢しろ」

「これが生きてるってことなんですね!」

「頭おかしいの?」

 キラキラと瞳を輝かせて少女は楽しそうに手を叩いた。

「いえ、肉体を手に入れるのが三千年ぶりなので、嬉しいのです」

「苦労してるんだなぁ」

 親御さんのことを思うと同情を禁じ得ない。

「それはそうと……すごい疲れました。足が重いです」

 信号待ち。水溜まりで遊ぶ子供のように足をピンと伸ばして、少女は唇を尖らせた。

 重たそうなブーツを履いている。加えて身動ぎしにくい袴姿だ。帯が少女の腰を締め付けている。

「服脱げば?」

「じょ、女性に向かってなんてことをいうのですか! セクハラ、セクハラですよ!」

「いや、袴だるそうだから……」

「な、なにをおっしゃっているのですか。これがこちらの世界の女性の正装なのでしょう?」

「周りを見ろ。そしてさっさと文明開化しろ」

 卒業シーズンでもないので、袴姿はいやでも目立つ。物珍しそうな視線は全て彼女に集中している。

「マア、あんなに肌を露出して破廉恥な!」

 いかにも人生を楽しんでそうな薄着のギャルを見て、大袈裟に少女は声をあげた。

「解脱した私はヤマトナデシコとして生きていきますわ」

 テレビゲームが好きでマヨネーズ大好きっ子がヤマトナデシコとか無理がある、と彼は小さく呟いた。


 駅前の牛丼屋チェーン店に到着した。ポケットから財布を取り出し、小銭を投入する。

「さあ、好きなの選べよ」

「む、なんですか、これ。お肉ですか? あらまぁ」

 タッチパネル式の食券販売機をもの珍しそうに見つめ少女は嘆息した。

「すごい箱ですね。おお、なるほど、ふむふむ。あ、これ、美味しそうです」

「あ、それはやめとけ。あんま美味しくないから、こっちにしとけ、味噌汁もつくし、なんと紅生姜食べたい放題だ」

「そうですか、ではそれで」

 危うく一番高いものを頼まれるところだった、と安堵の息をついて、彼らは食券を購入した。


 席につき、店員に食券を渡し、コップに注がれた水を少女は飲んだ。

 ごくごくごく……と気持ち良さそうに喉をならし飲み干すと、「ぷはぁー」と仕事終わりの一杯を堪能するかのような息をはき、

「私、生きてる!」

 と心底幸せそうに微笑んだ。

 砂漠でギリギリを過ごしてきた人のようだ。

「いやぁ、お水ってここまで、美味し……」

「お待たせしました!」

「はやっ!」

 乱暴に置かれた牛丼を見て、配膳のスピードに目を丸くした。

「す、すごいですね、まだ一息もついてないのに、もう料理が運ばれてきました」

「はやい、やすい、うまい、がコンセプトだからな。いただきます」

 湯気が出る出来立ての牛丼にヨダレがでる。

 大利は自分の分の牛丼を前に、箸を手に取り、手を合わせた。

「あの」

「ん?」

 咀嚼する大利を、戸惑ったように少女は見つめた。

「この二本の棒を使って食べるんですか?」

「すみません、スプーンください」

 どうやら箸の使い方がわからなかったらしい。見た目が外人だが、日本語があまりにもうまかったので忘れていた。


「んーーーー!」

 スプーンで掬って一口、少女は唸った。

「ゥンまああーいぃ!」

「そりゃよかった」

「さっぱりした白米にジューシーな牛肉が絡み付くおいしさ! 牛肉が白米を白米が牛肉を引き立てるッ! ハーモニーっていうんですか? 味の調和って言うんですか? 例えるならサイモンとガーファンクルのデュエット! ウッチャンに対するナンチャン!」

「お前ほんとは箸使えるだろ」

 俗っぽすぎるわ。


 シェフを呼んでください、と場違いなことを宣う少女を半ば引きずるようにして、店を出る。

 青空を割くように飛行機が白い雲を作って飛んで行く。車の下で眠たそうに猫が欠伸をしていた。

 特に用事もないので、帰宅した大利は直ぐに冷凍庫を開けてアイスを取り出し、袋を破いて、中身を頬張った。

 甘いものが好きなのだ。

「なにを食べているんですか?」

「ガリガリ君」

「美味しいですか?」

「うん」

「甘いですか?」

「うん」

「冷たいですか」

「うん」

「美味しそうですねぇ」

「……」

「羨ましいです」

「……」

「どんな味がするのか、私、気になります!」

「……お前も食うか?」

 冷凍庫からもう一本取り出す。

「よろしいんですか!?」

「奪い取ったようなもんじゃねぇか」

 取って付けたようなお礼に大利は呆れながら、アイスキャンディを差し出した。そんなしょうもないやり取りいくつか繰り返していたら、いつの間にか時刻は夕方を迎えていた。


「いつまでいるんだよ。早く帰れよ」

 性懲りもなく家にいる少女にため息混じりに問いかける。少女は腹這いになって人をダメにするソファーに寝そべっている。

「当たり前です。生まれたてのヒヨコを放置するほど私は無慈悲ではありません。あなたが使い方をきちんと把握するまではメンターとして側にいてあげましょう」

 キリッとした表情で言ってのけたが、リラックスしきった体に説得力は無かった。

「使い方って、なんのだよ」

「ハウトゥーユーズイット……そうですね。普段と違うこと、ありませんか?」

「んー、今日か? 強いて言えば快便だったな」

「……聞いてません」

 ソファーからやおら立ち上がり肩をすくめられる。

「やれやれ、先は長そうです。困ったことがあれば何でも言ってください。私、理解ある先輩ですから」

「そいつはありがたい話だが、あんまり長居されると警察が来るから勘弁してほしいんだけど」

 最近ネットで未成年者を泊めただけで、なにもしていないのに逮捕されたサラリーマンのニュースを見た。世知辛い世の中になったもんだ。

「警察が来ても、勝てますよ?」

 無垢な瞳で呟く。そういう話はしていない。

「未成年者誘拐という前科がついた時点で社会的には敗けなんだよ」

「関係ありません」

「偉そうに……何様のつもりだよ」

「神様」

「は?」

「そういえば自己紹介がまだでしたね」

 部屋の中心まで来ると、腰に手をあてて宣言するように少女は言った。


「ワタクシの名はネオン・ネネル・ネプチューネ。お気軽にネネネ様と呼んでください。神をやっています」

「……」

 ぴぽん。スマホの音声検索を起動させる。

「心療内科」

『近くの心療内科を検索しました』

 思ったより近い場所にあった。

「保険証は持ってる?」

 出来るだけ優しい声をかけたら、物凄く不機嫌そうに少女は続けた。

「頭のネジが外れているわけではありません。もう一度言っておきますよ。私は神です。信じてもらわないと話が次に進みません」

「大丈夫。大丈夫。そこに関しては疑ってないから。日本は多神教だから」

「関係ないと思いますけど……。まあいいです。退廃的な生活で脳細胞が壊死している方に、奇跡を理解しろというのも酷な話です。それであなたの名前は」

「紙野大利」

「職業は?」

「バンドマン」

「ニートですか?」

「バンドマンって言ってんだろ」

「定職ついた方がよいですよ」

「……急になんなんだよ、あんた。いい加減にしないと怒るぞ」

 口の減らないガキだが、児童相談所に連絡しないだけ感謝してほしいところだ。

「ふむ。魂が腐敗しきっているのは確かのようですね」

 にっこりと微笑まれる。

「でも安心してください。あなたはもはや人ではありません」

「言っていいことと悪いことの違いを教えてやろうか?」

「ああ、語弊がありましたね。正確には人間を超越したのです」

「は?」

「先ほどの儀式で私から引き継いで神様の力を手に入れたのです」

「そうかそうか。さっさと病院に行けよ。頭のだぞ」

 皮肉をはいたら、ジトっとし目付きで睨まれた。

「疑っているようなら、証拠をお見せしますよ」

 突如、少女は立ち上がると、シュ、と右手の親指と中指を擦らせた。どうやら指パッチンを失敗したらしい。

「ま、窓を開けてみてください」

「窓?」

 言われた通りに開けると、夏の夕暮れの風が室内に吹き込んできた。夜の匂いがした。

 黄昏時の閑静な住宅街が広がっている。蝉時雨に混じり、カラスの鳴き声が聞こえてきた。

 いつも通りの夕暮れだ。オレンジ色の陽光が降り注いでいた。

「開けたけどなに?」

「ふふふ、さぞかし驚いたでしょう。そう、アナタの眼前に広がるのは地球とは異なる世界!」

 ちらりと、もう一度確認するが調布市の長閑な風景である。近所のおばあちゃんが歩行器を使ってとぼとぼ歩いていた。

「さすがに驚きを隠せないようですね」

 ニタニタと気色悪い笑みを浮かべるネネネ。

「近くの精神病棟」

『近くの精神病棟を検索しました。三百メートル先を右折です』

「むっ、なにを検索してるんですか!」

 少女は叫びながら、窓辺に駆け寄ると手すりにもたれ掛かりながら、外の景色を確認した。

「な!? 変わってない! そんなバカな!」

「変わった人だとは思うよ」

「な、なんで!?」

「早く帰れよ。親が心配してるぞ」

 授業をサボってテンション上がってる系女子に違いないが、そのノリを押し付けないでほしい。学生は嫌いだ。世界が思い通りになると思っているから。

「そんな、バカな……」

 ガックシと窓辺で項垂れる少女。心底落ち込んでいるようだが、さっさと家に帰って欲しかった。

「帰れなくなりました」

 顔をあげたネネネは涙目で大利を見つめた。


「とりあえず今晩泊めてください」

「……嫌です」

 窓の向こうでカラスが鳴いた。

 締め切られた部屋で冷房の稼働音だけが、ゴウンゴウンと響いている。冷えた空気が逃げるので、大利は窓を閉めた。

「神は困っている人を助けます」

 懇願するようにネネネは頭を下げた。

「贅沢は言いません。今日の晩御飯はドミノピザでいいです。牛丼屋の隣に店舗がありました。店頭で直接買うとMサイズが一枚無料になるそうです。ついでにコーラをつけてほしいです。ペプシ派ですが、そこに関しては文句をいいません」

 冷蔵庫の中身を思い出す。

「コカ・コーラで手を打ちましょう」

「今日のご飯はモヤシと豚肉の炒め物だ」

「こちらの世界で頼るものがいないのです。どうか、お願いします。屋根の無いところでは寝たくありません。ひらに、ひらにー」

「そんなこと言われてもな……」

 三面記事が脳裏に甦る。

 未成年者を保護者の許可なしに泊めるのは、それだけで犯罪だ。見た目は可愛くても実質爆弾と変わり無い。

「ネネネはいまいくつ?」

「三千十五歳です」

「未成年だろ、親に迷惑かけるなよ」

「未成年じゃないです……」

 デーモン小暮閣下よりは年下だな、というどうでもいい感想を抱いた。

「それに俺は俺で忙しいんだ。悪いけど他を当たってくれ」

「さっきからずっと暇そうじゃないですかぁ!」

「これから忙しくなるんだよ!」

 暇人扱いされて、少しだけ頭に来て怒鳴ってしまった。

 ネネネはきょとんとした様子で首かしげた。

「そうなんですか?」

「曲作りするんだ。集中したいから、一人にしてくれ」

「曲作るんですか?」

「ああ、金にはなんないけど、少しでもやっておかないと東京に出てきた理由が解らなくなるからな」

 元来夜行性の彼の創作活動はいつも夕方からと決めていた。

「東京はそんな特別なところなんですか。創作活動であれば土地は関係ないような気がしますけど……」

「と、都会が人間を成長させるんだよ」

 田舎者の幻想だということに彼は気がついていない、ふりをした。

「私にはよくわかりませんが、聞かせてくれませんか。なにか一曲」

「いやだよ、帰れよ」

「大利さんはバンドマンなのでしょう、音楽とは人に聞かせるものじゃないんですか?」

 とぼけた面して、核心をついてくる。

 大利は勘弁したように息をつき、アンプ内蔵のヘッドホンをネネネの耳につけてあげた。

「ほぉー」

 妙な声をあげる少女の横で、青年は奏でた。さすがにオリジナルは恥ずかしかったので、七十年代のロックミュージックだ。

 西日が室内にゆっくりと影を落としていく。

 目を閉じて音楽に耳を傾ける少女は、まるで映画のワンシーンのような存在感を放っていた。


「素晴らしいです。ブラボー、おぉ、ブラボー!」

 演奏が終わると同時に少女はぱちぱちと手を叩いた。

「ウマイじゃないですか。ニートとか言って失礼しました。あなたは立派なギタリストです」

「いや、まあ、フリーターなのは変わりないけどさ」

「誰かとバンドは組まないんですか?」

「ライブハウスとかで募集チラシとか見てるだけだな。俺まだそんな上手くないんだよ。だから、ひとまず技量をあげないと」

「厳しい道のりなのですね。共感します……」

 こくこくと頷きながらネネネは一人ごちた。

「私もこうして休みを取るまでに生半可ではない苦労をしました。神は一人なのに、私に対する負担があまりにもでかいのです」

 妄想と一緒にしないでほしい。

「神候補を見つけて、肉体に魂を移し変えて、異世界まではるばるやってきて……異空間を繋ぐのは本当に骨が折れ……はっ!!」

 ぽん、と握りこぶしを片方の手で受け止める古典的リアクションをして少女は叫んだ。

「クローゼット!!」

「は?」

「クローゼットを覗いて見てください。入り口として使ったクローゼットなら繋がっています」

「覗くもなにもタンスにゴンとコートしかかかってねぇよ」

「いいからはやく」

「しかたねぇな」

 ギターを壁に壁に立て掛ける。大人しく言葉にしたがって、クローゼットの収納扉に手をかけた。


「な……」

 扉を引くと同時に、冷たい風が大利の前髪を撫でた。信じがたい現状に開いた口が塞がらなくなった。


 草原が広がっている。

 衣紋掛けもなければハンガーもなく、最悪なことに二万円で買ったコートもなくなっていた。

「えっと……」

 予想外の展開に脳の処理が追い付かない。

 背の低い草が一面に広がっている。

 雲一つない青空には鳥が飛び、大きな蝶が舞い踊る。背後を振り返る。部屋の窓の景色は夕焼けだ。

 扉を閉める。

 ネネネが「ね?」と言って感想を求めてきたので、混乱する脳を鎮めてもう一度扉を開けてみる。

 草原の海が風に波立てていた。

 閉める。

「なあ、俺のコートどこ行った?」

「さ、さあ。わかりません」

「とりあえず、弁償な」

「ど、どこかにありますよ、きっと」

 扉を開く。

 眼球に狂いはない 。

 草原と青空が広がっている。クローゼットの収納量をゆうに越えていた。コートも無限に入りそうなほど広い敷地だ。これで家賃六万は安すぎる。

 左右を見渡すが、201号室も203号室もなく、空中にぽかりとクローゼットのドアが浮いているだけだった。

「どういうことだ?」

 言葉を紡げたのは、数分してからだった。

「うっふふ、その星はアネンガレドと言って私が納めている土地です」

 含み笑いを浮かべながら少女は大利の横に立ち、ふんぞり返った。

 吹き込む風が彼女の長い髪を巻き上げる。

「世界を守護する女神として三千余年見守ってきたんですが、さすがに疲れたんで、一度神の力を譲渡して、暫く休暇をとろうと思いまして」

「隠しカメラはどこだよ。素人参加型のドッキリ番組だろ。あれめちゃくちゃ嫌いなんだよ」

「やれやれ、貧相なお脳ではまだ理解が追い付いていないようですね」

 少女はため息をついた。

「常識では考えられない出来事(アンビリバボー)が訪れるのは明日かもしれないとはよくいったものでしょ」

 ビートたけし以外でそれ言うやつ始めてみたよ。

「信じられないというのならば、一歩外に出てみてください」

 抵抗しても意味はないので、ひとまず言葉に従い、靴抜きのスニーカー取ってきて装備し、勇気を振り絞って一歩を踏み出す。爽やかな草の香りが鼻孔を擽る。肌を撫でる風がリアルだ。

「ふっふっふ、異世界に心踊っているようですね」

 ネネネはしたり顔で呟いた。

 くやしいが、調布ではない。

 キョロキョロと辺りを見渡していたら、「まだカメラを探しているんですか?」と呆れ顔で聞いてきた。

「いや、どっか行ったノースフェイスのコートを探してる」

「ど、どこかにありますよ。きっと」

 目を見て言えよ。

「あっ!」

 背の高い草の中心にプラスチック製品が落ちていた。指でつまんで持ち上げる。

「それは?」

「タンスにゴンゴン……防虫クローゼット用……」

 なんでこれがあってコートが無いんだ。

「まあいいや」

 タンスにゴンゴンをポケットにしまって、引き返す。

「……え、戻るんですか? ここから伝説が始まるんですよ?」

「伝説よりも現実みなくちゃ」

 パタンとクローゼットのドアを閉じる。


「私には理解できません。もっと素晴らしい世界が広がっているんですよ?」

「東京で頑張れないやつが、異世界とやらで頑張れるわけないだろ」

「うぅむ。それはたしかにそうですが」

「明日も仕事だしな」


 日が暮れ始めていた。

 夏の夜風が優しく室内に吹き込む。


「まあ、ひとまずご飯を食べましょうか」

 とネネネはにこりと笑った。

 いつまで居る気だろ、と大利はぼんやりと思った。




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