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26話:新月の日には――




 新月の日は午後を、翌日は午前を、それぞれお休みにしているんだ。


 そんな風に告げられたのは、新月のおよそ七日前。

 同時に店の合鍵も渡され、私は自由にお店を出入りできるようになった。

 毎朝白い息を吐いてママチャリを漕ぎ、出勤する。

 日々の疾走もすっかり板についたと思う。

 今やママチャリは私の体の一部だ。

 あのわんぱくマウンテンバイクにだって負けてやるものか。

 なんて、嬉しい反面恥ずかしいこともある。

 朝、道端で誰かに出会うと必ず声をかけられるのだ。

 高齢化の進む鬼住村では、誰もが私のおばあちゃんおじいちゃんとなりつつある。

 ここで隠し事をするのは無理そうだ。

 そして。

 あっという間に六日が過ぎ、今日はとうとう半休の新月の日。

 どうしてお休みなのか、千秋さんは教えてくれなかった。

 開店当初からの決めごとなのだそうだ。

 新月がお休みなんて、何となくロマンチックで千秋さんらしい。

 なんて考えながら、パジャマから仕事着に着替えて支度をする。

 寒気のせいでますます着ぶくれているが許してほしい。

 保温最優先だ。

 体調を崩したら元も子もない。

 私はパンジーやビオラのように木枯らしに耐えうる強靭な肉体ではないのである。


「おい、ぬか漬け娘」

「ひぇっ。びっくりしたぁ、どうしたんですかあけび様」


 着替え終わると、どこからともなく現れた三毛猫様が脚に纏わりつく。


「今日は新月じゃの」

「そうですね」

「新月じゃの」

「はい」

「新月じゃの」

「新月がどうかしました?」


 やけにしつこい。


「お主、酒は強いか?」

「嗜む程度ですね。あんまり強くはないです」

「ふん、つまらんの。ぬか漬けのくせに」

「す、すみません?」


 どうして怒られてるんだろう、私。


「つまらんぬか漬け娘に常子から伝言じゃ。今日は客人を泊めるでの。くれぐれも粗相をするでないぞ?」

「伝言……三毛猫経由でって……」

「常子は独り言が多いのじゃ」

「はぁ、そうですか」


 伝言ゲームみたいだなぁ。


「そのお客さんって、もしかして人間じゃないお客さんです?」

「たわけ」

「いたっ」


 ふくらはぎに猫パンチを頂戴してしまった。


「常子の知り合いの小倅こせがれじゃ。童と肩を並べるうわばみでの。なかなか潰せん」

「千秋さん本当に酒豪なんですね。意外だなぁ……」

「あやつは生来の大酒飲みじゃぞ。酔うとピーピー泣きじゃくりおる。醜態を晒したくないとのたまって滅多に人前で飲まんがな」

「しかも泣き上戸……」


 ちょっと見てみたい。


「今夜はぬか漬けも付き合え。小倅と二人きりはつまらん」

「ほどほどにお付き合いさせていただきます……」


 あけび様はさほどお酒に強くなく、酔うと乱れる。

 数日前にもいつかの夜みたいにべろべろになって部屋に乱入し、寝ている私を潰してくださった。

 もちろん三毛猫ではなく、袴姿の状態で。

 はっきり言って堪ったもんじゃない。

 どかそうにも岩のように重たいし、泥酔状態で会話が成立しない。

 どうやら今日も被害を被るらしい。

 覚悟しておこう。


「よい心掛けじゃ。今日は儂も店に顔を出してやる。感謝するのじゃなぁ」

「はーい、ありがとうございます」


 三毛猫は満足そうに尻尾を揺らし、部屋から出て行った。


「あけび様はいつでもあけび様だなぁ」


 ああなってみたい。


「猫又恐るべし」


 恩人に違いないが、色々と面倒臭いにゃんこである。


「さぁて、準備準備」


 誰もいない部屋で私は身支度を再開した。

 髪を結んで、お化粧をして、ハンドバッグの中身を確認する。

 充電中のスマホをケーブルから外してバッグに放り込めば完了だ。


「よしっ」


 意気揚々とチェスターコートを着込んで襖に手をかけた。と同時に、スマホの着信音がハンドバッグから響く。


「また邪魔が……」


 こんな早くに誰だろう。

 不思議に思いつつ、私はスマホを取り出した。


「うわぁ」


 画面には『お母さん』の文字。

 今までずっと連絡してこなかったのに、どうしたんだろう。

 頭に角生やしてるかなぁ。

 出たくないなぁ。……出なきゃなぁ。

 私は恐る恐る通話ボタンをタップした。


「もしもし、お母さん?」

「すみれ? すみれなの?」

「そうだよ」

「あなた喋れるようになったの!?」

「うん。かくかくしかじかで」


 気まずいまま家を出たので連絡を怠っていた。

 驚くのも無理はない。

 お母さんはこうして頑なに文字ではなく音声での連絡を取ろうとしてくる。

 この人には呪われて声を失った事実は隠しておくべきだろう。


「良かったじゃない。ならもうこっちに戻れるわね」

「え?」

「あら、だってもう治ったんでしょう? だったら早く戻って次の仕事を見つけなきゃ。あなた、職歴はともかく学歴は申し分ないし、引く手数多に決まってるわ」

「ちょっと待って、私」

「あのね、年寄りばかりの山奥にいたって働き口も将来性もないのよ。ここまでの努力を水の泡にしたいの? あんなに受験勉強頑張ったじゃない」


 恐ろしく一方的な会話だった。

 お母さんは決して悪い人じゃない。

 私の将来を誰よりも案じてくれている。

 これまでだって、私が安定した未来を迎えられるようにレールを敷いてくれた。

 感謝している。

 感謝しているけれど……。


「私ね、今鬼住村の植物屋さんで働かせてもらってるの。店長さん、とっても良い人で仕事にも慣れてきて。だから、もう少しだけここに居たいなって」

「はぁ!? あなた何を考えてるの? 植物屋、だなんて!」


 お母さんは呆れたように大きく大きくため息をつく。


「いつ潰れるかも知れない店でこき使われて、得られるものがあると思う? ちゃんとした企業に再就職しなさい。さもなくば一生後悔するわよ」

「でも、私がいないと」

「第一、これまで植物になんて興味なかったじゃない」

「それは、その、店長さんやおばあちゃんに教わってる最中で」

「早く戻ってきなさい。いいわね」

「そんっ……うぅ、切れた」


 切られた。

 朝から精神に深刻な損傷を受ける電話だった。


「私が更新しないと、店が潰れるんだもん……」


 お母さんの言い分は至極当然で、現実的で、的を得ていた。

 だけどそれは一般常識に則っての話である。

 お母さんは私が置かれている状況を少しも理解していない。

 私の気持ちを知らないまま、正論を吐いている。

 私をレールに戻そうとしている。


「わかってるよ、私だって。……ああぁぁーっ!」


 叫んで両頬を叩く。

 考えるな、考えるんじゃないすみれ。

 今私は鬼住村にいるんだ。

 あのビルの森にはもういない。


「ぬか漬け娘! 騒いでないでさっさと下りてこい!」


 一階であけび様が叫ぶ。

 ほら、早く行かないと遅刻してしまうじゃないか。


「はぁーい!」


 当てつけのように乱暴な返事をして、私は部屋を出た。




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