18話:わんわんアロマ
畑仕事へ向かうおばあちゃんたちを見送って、ママチャリでウィルオウィスプへ。
生花の水揚げに発注メールの送信、SNSの更新と仕事はたくさんある。
合間で鉢植えや苗ポッドの手入れをしなければならないし、ガラスケース掃除の助手だって務めなければならない。
まだ働き始めて日が浅いが、任される仕事は増えてきた。
今や手前の部屋は私担当で、奥のジャングルは千秋さん担当となりつつある。
熱帯植物に関しては奥が深すぎてまだ手に負えない。
でも、多肉植物やサボテン、観葉植物については初心者なりに知識が増えてきた。
サボテンや多肉植物は成長期がそれぞれの種類で異なる。
春や秋の穏やかな気候で成長する春秋型。
暑い夏を好む夏型。
夏に休眠し、冷えてくると成長を開始する冬型。
彼らはおおよそ、この三つに分類されるのだそうだ。
店にも現在進行形で春を待ち、休眠している子もいれば、緩やかに成長している子もいる。
揃いも揃って彼らの成長はあくびが出るほどマイペースだ。
しかしそれが愛おしくて愛くるしくて、可愛がり甲斐があるのである。
葉の間からにょろりと花茎を伸ばす多肉植物には思わず頬が緩む。
どうやら、私も立派に千秋さん側の人間になりつつあるらしい。
暖かな春が訪れるまで、水やりは控えめに。
土が乾いておよそ一週間経ったらたっぷりと。
休眠中の子のほとんどは水やりしなくても平気。
桜の花が咲く頃までは乾き気味で管理する。
ほかの種より水を好む子は細やかに状態を観察しながら。
完全に水切れした後に再度水やりしてしまうと、ショック死する子もウィルオウィスプでは扱っているのだ。
なんて知識人ぶってみても、どれもこれも千秋さんに教わったものに過ぎない。
経験のない私は知識で武装するしかない。
もし知識が不足すれば植物を健やかに育てられなくなってしまう。
だからとにかく千秋さんや、おばあちゃん家にある雑誌から取り込んで昇華させるほかない。
植物が土から栄養や水分を吸い上げるように着実に。
素人の域を出ないひよっこが、ひよっこで許されるうちに成長するしかないのだ。
始めは真っ暗闇の中にあるたった一つの道だったから、歩むと決めた。
植物に関心や興味があったわけではなかった。
なのに、今の私ときたら。
笑えるくらい千秋さんに染められて、緑に魅了されている。
そして、緑と同じくらい、この店での出会いが私を虜にしている。
緑にまつわる不可思議な縁は、確かに私を満たしていた。
「すみれちゃん、お茶にしない? 僕、今すっごいコーヒー飲みたい」
普段どおりの業務を終えて迎えた昼下がり。
カウンター内でノートパソコンにデータを打ち込んでいると、千秋さんがジャングルから現れた。
相変わらず平日のお昼は客足もまばら。
訪れたとしても常連さんくらいだ。
来店時に店員がお茶を嗜んでいても叱責する人はいない。
むしろお菓子の交換会に発展する未来がとっても鮮明に浮かぶ。
「私もです」
「わふっ」
膝に頭を預けていた毛むくじゃら湯たんぽも、どうやらおやつが欲しいらしい。
「よしきた。虎徹にもジャーキーあげるからいい子にしてるんだよ。すみれちゃんはいつものミルク入り?」
「あの、今日こそ私に淹れさせてください。いつも千秋さんにばかりじゃ申し訳ないです」
千秋さんは店長で、私は駆け出しの下っ端。
ならば、どちらがお茶出しをするべきか。答えは決まりきっている。
「いいよ。僕が飲みたくて誘ったんだもん」
「でもこれまでだってずっと淹れていただいてるし……」
食い下がると、千秋さんはゴールデンレトリバーのような笑顔でこちらへ歩み寄ってきた。
「お湯を沸かすコンロもドリッパーも二階に置いてるんだよね」
「そうですけど……」
くすぐったくなるような、甘い目元に釘付けになる。
似た芸能人がいるかな、と一瞬考えるもやっぱりゴールデンレトリバーにしか見えない。
愛嬌があって、胸の奥をかき乱される微笑みだった。
「で、二階は僕の住居スペースなんだよね。僕そんなに片付けとか掃除とかこまめにしてないし、散らかり気味だし……。端的に言って見られるの、恥ずかしいんだ」
「気にしません」
「僕がするんですー」
まるで子供みたいに口を尖らせる。
そんな他愛もない仕草すら、背筋が凍るほど絵になってしまうのが、憎い。
「頼むからここは任せてよ。せっかく出会えたすみれちゃんに、碌なヤツじゃないって愛想つかされたくないしさ」
「でも……」
「お願い」
「わふん」
かぷり、と虎徹が指先を甘噛みする。
彼も千秋さんの味方らしい。
「……わかりました。お任せします」
「よーし! 腕によりをかけて美味しいの淹れてくる!」
ドヤ顔すら様になるから恐ろしい。
それにつられてか、虎徹も自慢げにふんっ、と鼻を鳴らす。
「じゃあ待っててね」
千秋さんはひらひらと手を振り、階段に繋がる通路へと吸い込まれていった。
「いかんいかん。耐性つけなきゃ……」
恥ずかしながら、笹森すみれは色恋沙汰に恵まれないまま社会に出た人間だったりする。
美人とか可愛いとかとは程遠い、地味な顔貌が原因の一つだろう。
おまけにガリ勉女なんて世の殿方たちにとって魅力的なわけがないのだ。
……とても悲しい。思い出すと泣けてくるくらい悲しい。
ああそうとも。
私には魅力の“み”すら備わっていない。
絶対絶対千秋さんのアレはただのお人好しなだけ。
他意はないし、そっちの感情を私に向けるなどありえない。
ありえないくらい釣り合わないのに、時々自分の中の乙女が疼くのは何故。
「あぁー、虎徹ぅー」
ぼふ、っと虎徹に抱き着いて背中に顔を埋める。
「ふふ、ちょっと硬めのふかふか……」
「きゅう」
虎徹の獣臭には精神安定作用がある、とは純さん談だ。
嫌がりつつも逃げない虎徹にぐりぐり顔を押し付けて深呼吸する。
多分こうしていれば乙女も鎮まってくれるはず。
「甘くて香ばしい匂い……。さてはシャンプーしたてだなぁ虎徹ぅー」
背中のたるみを揉みしだいて、顔を突っ込んではまた深呼吸。
肺が虎徹で満たされると、また揉みしだいては深呼吸。
何度繰り返してもたまらない。
最高に極上なアロマが嗅ぎ放題の職場で働けるなんて。
「うちのあけび様は嗅がせてくれないからなぁ」
無理やり嗅ごうものなら猫パンチの刑に違いない。
「虎徹ぅー、お前はいい子だねぇ。どこかの酒好き毛玉とは大違いだよ……」
「くぅん?」
「大好きだよー、お利口さん。これからも末永くよろしく頼むよー」
「ふわん」
何とも腑抜けたお返事だった。
「わんわんアロマ最高……ふふ……」
「すみれちゃん……その、どうしたの?」
「ひゃ!?」
急に呼びかけられて、私は文字通り跳び上がる。
いつの間にか千秋さんがマグカップを二つ持って目の前に立っていた。
「い、いつの間に!」
「ほんの少し前に」
「少し前って、もしかして――」
「大好きだよー、の辺りかな」
うわぁ、聞かれた。
「いや、あまりにもとろけた表情だったし、声をかけるタイミングを失ってさ」
「……忘れてください」
「むしろ意外な一面だったので覚えておきたい。ダメ?」
「忘れてください。今すぐに」
「そこまで茹でダコにならなくても……」
「今すぐに記憶を破棄してください……うぅ」
満遍なく煮込まれた顔面を虎徹の背中にめり込ませる。
徐々に仕事に慣れてきたせいで気が緩んでしまった。
自分を呪いたいくらいに緩んでしまった。
恥ずかしさで死にそうだ。
「コーヒー飲む?」
「飲みます……」
真っ赤な顔を見られたくない。でもコーヒーは飲みたい。
「どうぞ」
私は葛藤したのちに顔をあげて、差し出されたマグカップをそっと受け取った。




