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11話:インペリアル




 私はそれなりに隠し事がうまい。と自負している。

 仕事を終え、おばあちゃん特製のお夕飯を平らげて、お風呂へ。

 すっかり温まって二階へ上がると、スマホにメッセージが届いていた。

 すぐに返信し、約束の時間になったらパソコンの通話ソフトを立ち上げる。

 困ったら何でも聞いてね。

 なんて約束と共にお互いのIDを交換したが、三回目にして既に他愛もないおしゃべり用ツールと化していた。


「おっつー! すみれちゃん」

「お疲れさまです。 お風呂上がりですか?」

「そ。寒くなって二人して長風呂でねぇ。困ったもんだ」


 画面に映る純さんは、いつも通りの快活さだ。

 ミルクティー色のボブヘアに、勝気な二重のぱっちりおめめ。

 体格はスレンダーなモデル体型で、私の中で形成されていた姐御そのままだった。


「そっちはどう? 変わりなし?」

「珍しく平日にジャングルの住人が貰われていきましたよ。他は特に大きな事件はありませんでしたねぇ。純さんはどうです?」


 秘密。

 あくまで秘密にしなければ。


「うち? 魚が卵を産んだもんで、狂喜乱舞してるのが一匹いるよ」

「おー、おめでたいじゃないですか」

「三時間ごとにエサやるのは私の仕事なんだけどさ。最初はお腹に養分蓄えてるから特にすることないんだよ。でもねぇ、いざエサやりが始まると大変なんだ。稚魚のうちにしっかり食べさせないと立派な体格になれないんだって。そのくせ食べさせ過ぎると病気になるし、食べ残しを放置すると水質悪化でこれまた病気一直線。まさかこんなに早く産卵するとは思ってもみなかったよ、もー。大枚はたいて親魚買ったんだし、産まなきゃ泣けてくるんだけどねー」

「大枚って、いったいおいくらくらいで買われたんですか」

「一ナマズで諭吉が複数人飛んだね。乱獲で数が減って輸出規制がかかってるから。今、愛好家が頑張って増やして流通させてる最中なの」

「ひぃぃ諭吉が……ちなみにどんな魚なんですか?」


 また乱獲か、と思いつつ尋ねる。

 あくまで知らないふりをしなければ。


「んー、インペリアルゼブラプレコって名前の子。アマゾンで日本人が見つけて名付けた魚。ちょい待ち」


 画面から純さんが消え、画像が揺れる。


「こいつこいつ。見える? シマウマみたいな魚」


 数秒後に画像が安定して映し出されたのは、あのストライプ模様のナマズだった。

 底に砂利を敷いていない水槽に三匹。

 土管のような隠れ家を背景に寄り添っている。


「おお……。なんか、こう、神聖な見た目ですよね。名前と合わさって」

「インペリアル? まぁ、うちの貴族様だからあながち間違ってないかもねぇ」


 画面外にいる純さんが爽やかに笑う。


「卵は別の場所に隔離しているから見せらんない、ごめんよ」

「あっ、逃げた」


 カメラの前の三匹が姿を消す。

 意外と恥ずかしがり屋なのかもしれない。


「盗撮がバレたかぁ。すみれちゃん元に戻るよ!」


 また画像が揺れ、普段の背景と純さんが戻った。


「綺麗だったでしょ」

「まるで改良種みたいですけど、普通にアマゾンにいるんですよね、あの子たち」

「マジで泳いでるよ。あ、でももすぐ生息地がダムに沈む」

「えっ」


 それじゃあまさか。


「水流を好む魚だし、ダムの底の止水域ではかなりマズいだろうね。近い将来ほぼ水槽の中にしかいない魚になるのかも。ウーパールーパーみたいに」

「いなくなっちゃうんですか……こんなに綺麗な魚が」


 まだ出会って間もないのに、もういなくなるなんて。


「エゴ丸出しなんだけどさ、せめて手元にいる子だけは元気に育ってほしいって思ってる。そのために私はエサやりを頑張るんですよ」

「三時間おき、ですよね」


 まるで新生児の授乳みたいだ。


「そう、私の仕事なんだって! 妻使いの荒いアクアリストもいたもんだよー。ま、承知の上で結婚したんだけどさ」


 純さんはえへへ、とはにかむ。


「まだラブラブですか?」

「うんうん超らぶらぶ! らぶらぶの中のらぶらぶな自信あるよ! もう連れ添って五年になるの。あっという間だったねぇ」


 五年目も結婚記念日を祝ってもらえるなんて。

 純さんは記念日に執着しそうなタイプには見えないし、春仁さんがマメなんだろうなぁ。


「でも……うん」


 急に表情が翳り、純さんは俯く。


「純さん?」

「……五年経って、まだ二人だけってのが申し訳なくてね。三人目の家族、お互い早くほしいんだよ。なのに私が、さ」


 ミルクティー色を片耳にかけ、話は続く。


「んあー! 体調悪いと変な話したくなっちゃうよもー。……すみれちゃんさぁ、今日だけ全然面白くない話、聞いてくれない?」

「私なんかでよければ、いくらでも」


 複雑な思いが入り乱れた表情で、純さんは「ありがと」と目を細めた。


「……あのね、私、学生時代に色々あって、ごはんが食べられなくなった時期があったんだ。食欲はないし、無理に食べると吐いちゃうし、もうどん詰まりでね。身長が百六十七センチくらいなんだけど、体重が二十六キロとかになっちゃって」


 告げられた数字にぞっとした。

 そんなの、痩せていて羨ましい! のレベルではない。

 骨と皮、死と隣り合わせの体重だ。


「あ。今は平気だよ? 三食プラスおやつ付きで、健康そのもの。だけど、どうも赤ちゃんを授かりにくい体質になっちゃったみたいでさ。一応病院にも通ってるんだけど、なかなか、ね」


 結婚について深く考えたことのない私には、その先の痛みは計り知れない。


「……純さんは、物知りで明るくてしっかりしてて、美人さんで……。その、いつかご褒美が抱き締めてくれる日が絶対に来ると思います、だから――」

「あっはっは! 変な話してごめんよー。でも褒めてもらえて純さんまんざらでもない! ただの胃もたれだし、明日こっそり先生に診てもらうつもり」


 ダメだなぁ。

 この手の話は苦手だ。


「お大事にしてくださいね」

「すみれちゃんこそ、明日もお仕事ファイトだよ! あーごめん、ほんっと暗い話はダメだねぇ」


 暗雲をかき消すように純さんは笑って、カメラに近づく。


「よぉーし、くらぁい雰囲気を吹き飛ばすお話をしてあげよう! はい拍手! やんややんや!」

「うぇ!? えっと……よっ、待ってました! ひゅーひゅー!」


 いたたまれなくなって、おだてられるままテンションを上げてみる。


「実はうちの夫君こと春君ね、熱帯魚以外にも飼ってる生き物がいるの」

「そうなんですか! 気になりますね!」


 知らなかった。

 多趣味だなぁ、春仁さん。


「飼ってるのはねぇ、キチュー、って生き物」

「きちゅー?」


 純さんは口元を押さえ、頬を膨らませる。


「手のひらをこうやって、パーにしてみて」


 画面の向こう側で、広げた手を胸の前に掲げる純さん。

 私も真似て右手を広げる。


「広げたね」

「はい」

「春君ね、それくらいの蜘蛛、二匹飼ってる」

「ひっ!!」


 途端に目の前の手のひらが蜘蛛に化けて見えて、私は悲鳴と共にひっくり返った。

 後頭部を打ち、卓袱台の上のパソコンは音を立てて踊る。

 痛い。

 脚も卓袱台にぶつけた。

 あああ、とても痛い。


「あっはははは!! 消えた! カメラから消えた!! あっはっは、大丈夫? くふっ、すみれちゃーん! あーおかしい! さいっこう! だよねー! 普通女の子って虫苦手だもんねー! 私が麻痺してるんだよねー! 私が! 奇虫平気な私が変態なんだよねー! あー! おかしぃー! くっふふふふ……」


 画面の向こうは大爆笑だ。

 このぉ……!

 まんまと騙された!


「あーもー純さんっ!?」

「ごめんって。でも暗いのはどっか飛んでったでしょ! 暗いの暗いの飛んでいけー! あ、春君お風呂から上がってきたみたい。切るね、バイバーイ!」

「ちょ、まっ!」


 ぶつり、と通話は途切れた。

 一方的すぎるくらい一方的に。



 この夜、私は二匹の巨大蜘蛛に襲われる夢を見るのだった。




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