君は彼女を知っているか
・とりあえず許せサスケ。
「……ずるだろ、今のは」
エンタープライズは壁に背を向けるかたちで崩れ落ちていた。
口元には少量の吐血の跡。生気のない瞳で私を見定めている。
「……貴様と違って私のこれは不意打ちではない。ただ至極単純に──」
私は回し蹴りを放った右足をゆっくりと地面に下ろしながら言う。
「私の方が速い」
アイムスピーディー。
「それをずるだと言ってるのだが……まあいい、タイミングは完璧だと思ったんだが……」
「そう、確かに完璧だった。貴様は骨の髄からクソ野郎だな」
だからこそ、奴が来るならこの場面だという確信があった。
信頼がおけるほどの性格の悪さ、そこから行動が読めるのだ。
「……なるほど、慣れか。やはり暗殺者は何度も同じ人間を相手にするべきではないな」
「教訓を得たところ悪いが、貴様に次はないぞ」
禍根は全てここで絶つ。根元から全て刈り取る。
そうしないと、私の家族は過去を清算できない。
「それは困るな。大金を稼いだばかりなんだ、これを使わずに死んでは悔やんでも悔やみきれん」
「案ずるな、私が世界の恵まれない子供たちのために使ってやろう」
「……金の稼ぎ方も知らんガキに俺の金が渡るか……それは、不快だな」
立ち上がりながらエンタープライズが言う。
これまで嘲笑の為にしか動かなかった表情には、明確な嫌悪が滲んでいた。
「嫌だな。それは嫌だ。なので精々足掻くとしよう……」
「足掻きたいなら足掻けばいい、どのみち貴様はここで終わりだ」
「そういうことはこれを見てからにしてもらおうか」
エンタープライズが指を鳴らす。聖堂に音が響き、少しの間を置いてまた新たにあの重苦しい扉が開かれた。
最初はまだ手駒を隠していたか、だがそんなものは物の数に入らない。と、そう考えた。
だけどその甘い考えはすぐに否定される。
「下衆がっ……!」
「まあそう怒るな、いつものことだろう。そろそろ慣れろよ」
聖堂の中に入って来たのは手下と思われる黒ずくめの男。
そして、
「ティシア!」
義姉上が叫ぶ。
その声の通り、男が連れていたのはティシア・ナイトレイだった。
ただし、目と口を塞がれ、腕を縄で縛られた状態で。
***
最初の時も。
その次も。
そのまた次も。
そして今も。
どうしてお前たちは──
「話が違うわ! ティシアには手を出さないって契約だったじゃない!」
「そうさな、確かにそういう契約だった。末の妹だけはこの件に関わらせまいと必死だったお前たち兄妹の健気な努力を俺はよく知っている」
「だ、だったら!」
「だがな、ナイトレイ」
穏やかな、諭すような口調に乗せて、エンタープライズは最低の言葉を紡ぐ。
「前払いってのは良い言葉だよなぁ」
「──────」
憤怒も憎悪も悲哀もなにも言葉にならないと、義姉上は絶句する。
言っている意味は分かる、だが理解までは済んでいない。そんな表情。
それを無視して、エンタープライズは楽しそうに語る。
「お前の後に請けた爺の追加依頼の額が中々良くてな、まあそういうことだ。……それにしても、意外と信用されてなかったらしいな。アブソルートのついでとはいえ実の孫の監視依頼なんざそうそうあるもんじゃあないぜ」
「テメッ──」
「まあ、待てよアブソルート一号」
殴りつけんばかりに怒鳴ろうとした兄上を、エンタープライズは機先を制して押し止める。
「お前ら三人、そこから一歩動く度にその娘の顔に一つ傷をつける。これは確定事項だ、賢明な判断を期待する」
「…………」
──人質、人質、人質。
なぜそういつも、戦えぬ者まで巻き添えにするのか。
意志のある者だけで戦えばよいではないか。
「……毎度毎度人質とは、芸がないな」
「そうだな四号、確かに俺もそう思う。だが安心してくれ、今度はちゃんと本物を人質に取っている。前回のような失態は犯しちゃいないさ」
「……ちっ」
舌打ちする。
屋敷の件で煽ってやろうと思っていたのに気づいていたか。
「それに、古典芸能も捨てたものではない。使い古されようが引っ掛かる人間は依然として残っているからな」
「………………」
動けない。私は動けない。
ああ、最近なんだかこんなのばかりな気がする。
「……で、望みは何だ?」
「そうだな、ナイトレイの爺の依頼だ、まずそこの姉妹は回収する。次いでアブソルート、お前たちのことは殺せと命じられているが、まあそれは無理そうなので諦めるとしよう。いまここで、今後一切俺に対して追手を放たないことでも誓ってもらおうか」
「……ずいぶん軽いな。そのような口約束、いつでも反故にできるとは考えないのか?」
「その時はその時だな。一度誓った契約を破る、誇り高いお前たちが俺と同じところまで堕ちてくれるならそれもまた一興だ」
一々言い方が癪に障る。
人の神経を逆撫でするプロのようだ。ポーカーフェイスを保とうとしても、頬が引き攣っているのが自分でも分かる。
落ち着け、落ち着け。
まずは位置の確認、聖堂の入口を南としてそこにティシア、私たちの立ち位置は中央、奴は東。
私がティシアを拘束している男へと駆け寄るより、ティシアが傷つけられる方が明らかに早い。
だが、私とクソ野郎が同時にスタートしてどちらが速くティシアを回収できるかといえば、それもまた明確、私だ。
そして、扉はまだ閉められてはいない。
「それで、答えを聞こうか」
嘲笑うように、そして値踏みするように、黒く淀んだ瞳がこちらを見つめている。
私は後ろ手で「任せて」とだけ兄上にハンドサインを送り、一度視線を伏せてから、向き直る。
「誓おうではないか、今後一切アブソルート侯爵家は貴様に対し一切の追跡を行わないと。たとえ空が落ちるとも、この宣誓は絶対である」
「ほう、ずいぶんと素直じゃ──」
「なぜなら、貴様はここで終わりだからだ」
私は動けない。兄上も、義姉上も当然動けない。
なら、他に誰がいるか。
リーはいない。ヘイリーも、メーテルも、ウィル兄もいない。
だが、彼女がいる。
君は知っているか、大地を震わす猛き咆哮を。
君は知っているか、燎原に放たれた炎が如き疾走を。
一度走れば風を切り、再び走れば悪を討ち、三度走れば天地を喰らう。
君臨するは我らのヒーロー、顕現するは奴らの絶望。
アブソルートの守り神、屋敷猫のスーパーエース。
「カモン、チーちゃん!」
口寄せ・阿豆佐味天神縁起!
「なにっ!?」
珍しく、驚愕に歪むエンタープライズの表情。
だがもう遅い。チーちゃんによる後方からの奇襲に反応するには速さが足りない。
疾駆する赤き風、誰も追いつけはしない。
「ニャーーーーッ!!!」
そこです! みだれひっかき!
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃっ!!!」
見るが良い!
さっきなんとなくめちゃくちゃ爪とぎしたチーちゃんのひっかきの威力!
「なっ、なんとぉ!?」
まずは初手で手駒の男の顔面を引き裂き、返す刀でティシアを縛る縄を切り裂く。
やはりチーちゃんはオンリーマイエンジェル、メーテルの百倍役に立つ。
たとえ一瞬でも、二人を引き離せたのなら私には十分すぎる時間。
ふらつく男へダッシュ一番、ドロップキック!
「ここからいなくなれっ!」
「ぐはっ!?」
手駒の男を聖堂の外へ蹴り出す。
そしてすぐさまティシアを抱きとめて確保。目隠しを外してあげる前に周辺警戒。
エンタープライズの攻撃に備える。
が──
「待てっ!」
──杞憂というかなんというか、実際にクソ野郎はこちらとは逆方向。
ティシアが奪取されると悟ると瞬時に方針を転換、繊細なステンドグラスを何の躊躇なくぶち破るとそこから一目散に修道院へと撤退した。
「くそっ! 判断が早ぇなおい!」
「兄上ストップ! 私が追いますからティシアと義姉上をお願いします!」
追いかけようとする兄上を止める。
ぶっちゃけ兄上とアレならアレの方が強いし、まだ駒を隠している可能性を考えると二人を守る役回りも必要になる。
「────分かった」
少しの逡巡の後、少し悔しそうな顔で兄上は頷きました。
私からティシアを受け取ると、ちょっと強めに私の背中を叩く。
そしてニヤリと笑いながら、言うのです。
「頼むぜヒーロー、決めてこい」
「────はいっ!」
・こいついつも人質取ってんなって言わないで。
・メーテルの百倍役に立つチーちゃんという本作最大の伏線回収。
・三十万文字越しの大活躍。
・もうやることないな。
・明日まで連続更新します。




