モーテル
・もうちょっとメーテル
帝国史上最高傑作とまで称された、黒号計画・第十二期・九番。
彼女の十何回目の任務、アレクサンダー・アブソルート王国侯爵の暗殺。
少し考えれば無謀と分かるその内容にも『九番ならば、或いは』と飼い主たちに希望を抱かせるだけの抜きん出た実力が彼女にはあった。
事実、侯爵家執事長ルドルフ・シュタイナーは彼女に出し抜かれている。
人物眼と対人コミュニケーション能力にだけは一家言あるアレクサンダー・アブソルートですらも、その本性を見抜くことはできなかった。
笑顔の素敵な新人メイド「メーテル」。
彼女は飼い主に与えられた架空の人生を正確にトレースし、見事「メーテル」を演じ切った。もしかしたら、成り代わったのかも、しれないけれど。
真似事は得意だった、自分ってものが無いから。
潜入後、屋敷の人間たちから信頼を得るのは彼女にとってそう難しいことでもなかった。
愛想は抜群で目立ったミスも無く、真面目で丁寧な仕事ぶりに誰もが感心していたほど。
一週間もする頃には、そこにいて当然の存在として屋敷に溶け込んだ
形式的に付けられる監視の目が外れるのも時間の問題で、帝国も、彼女も、暗殺は成功するものだと考えていた。
その屋敷に、突然変異がいなければ。
「自然過ぎる」
潜入から二週間目のある日。
それまで、ほとんど接触の無かった相手から突然呼びかけられた。
平均より少し高めの身長の彼女から見ても少し小柄な、翠色の少女。
サクラ・アブソルート、侯爵家の長女だ。
屋敷の粗方を把握し終えた彼女でも、常に専属に囲まれているその少女のことだけはまだよく知らなかった。
何か粗相をしただろうかと記憶を巡るが、思い当たる節は無い。
自然、体に力が入る。
「振る舞いが自然過ぎて、いっそ不自然ですね。まるで百人の人間から良いとこ取りして作ったキメラみたい」
突然に冷や水を浴びせられたような衝撃だった。
「この二週間の一切波風を立てない仕事ぶり、それは見事。あなたは何時も正しかった、全ての場面において最適解を選び続けた。本来ならば称賛されて然るべきなのでしょう」
法廷に立たされているような気分だった。
「でもね、全く瑕疵の無い人間など存在しないんです。一見完璧に見えても私の兄やルドルフにだって得意不得意がある。言うなれば個性です、素人の書いた脚本の登場人物じゃないんですから、常にプラスにもマイナスにも振れないなんて気味が悪い。全てが普通というのはそれ即ち異常なんですよ」
今までの罪状を語られているような感覚だった。
「意図して作らなければそうはならない。そういうカメレオンみたいな人って大概は臆病だったり自分に自信が無かったりすることが多いんですけど、それにしてはあなたってとっても優秀ですよね? 皆があなたを逸材だと褒めています。それだけの人が、どうして素の自分を偽ろうとするのか。そんなに他人に嫌われたくないのですか? 過去に何かトラウマでも? もしかして、何か隠してます?」
判決を言い渡される囚人のような錯覚に陥った。
「メーテル……いえ、どうせそれも偽名でしょう」
目の前の少女が、実物を見たことも無いのに死神に見えて。
「貴様、何処の人形だ?」
その時に「メーテル」の首はあっさりと死神の鎌に刈り取られた。
……ああ、今思えば挽回の機会はあったのだと思う。
あの台詞にしても観察からの憶測だ、決定的な証拠を突き付けて来たわけではない。
真摯に訴えかければ、その場では不問として乗り切れた可能性もあった。
それでも彼女は威圧感に負けた。冷や汗なんて掻いたのは何年振りだったらだろうか。
「せえっ!」
緊張と恐怖、焦りに駆られた彼女らしくもない衝動的な行動。
ここでこの得体の知れない少女を殺さないと、きっと飼い主にとって良くないことが起こる。それは任務の失敗を差し置いてでも忌避すべき最悪の事態のはず。
そんな直感と共にこめかみを狙って振り抜いた左手のナイフ。
「……雑」
結果、直感は当たったが、ナイフは当たらなかった。
そして自身の首元に添えられた白刃と、空になった左手。
息を呑んだ。
不満気に唇を尖らせる、翠色の少女。
まさか、二十年近くの生涯を懸けて培った技術の粋を、たかだか十三の貴族の娘に破られるとは誰が想像しただろうか。
彼女にとって、神様よりも信じられない光景がそこにはあって
「無駄。全部ね」
嘲笑うような声と共にその日、九番は死んだ。
***
あの時と同じように、彼女の首元には白刃が煌めいている。
まあ、だろうなとは思っていた。正直に戦うのは苦手だ。
グレイゴーストの女──名前を何と言っただろうか、ペンコラとかそんな感じだった気がする。どうせ偽名だろう。
ペンコラは左手に短剣を持ち、右手でメーテルの首を絞めている。
ただでさえ苦しかった呼吸がより窮屈に、酸素の供給が立たれ視界が端から少しずつ黒ずんでいく。
「くそっ、影武者か。あのクソ野郎、分かってて逃げたな……」
ペンコラはこちらを見ていない。ここにはいない誰かに対し忌々しそうに吐き捨てている。さりとて片手間の拘束でもナイフを奪われた今、抜け出すには単純に筋力が足らぬ。
「ええい、ネイティブダンサーはともかく私は連れて行ってくれても良いものを……!」
しかし、
「こっちを見ましょうねぇっ!」
「なっ──きゃっ!?」
吐血による目潰し。
視界が急に朱に染まったペンコラは思わずといった風に手を離し、彼女は倒れそうになりながらもナイフを回収し距離を取る。
身一つといえども使えるものばかりは筋力ばかりではない。
今ならいくらでも吐ける。どんとこい。おかわりもあるぞ。
おまけに現在彼女の体は毒に侵されている、
「早く水で洗わないと病気になっちゃいますよぉ……?」
「どいつもこいつも……このクソ女……!」
「そっくりそのままお返しですねぇ……」
力を振り絞りケラケラと笑いながら、怒りを顕わにするペンコラと正面から対峙する。
だが、怒っているのはメーテルだって同じだ。
(私はですねぇ……知ってるんですよぉ……?)
過去の彼女に喜怒哀楽なんて存在しなかった。
メーテルはまだ笑顔の素敵な新人メイドにはなれていない。本当の意味で笑えていない。感情の教科書を模倣しているだけの無情の暗殺者から脱し切れていない。
主からは自分の意思を尊重しろと言われているが、さていざという時に自分が何をしたいのか考えてみると何も思いつかない。
そうして、多分こうするのが正しいのだろうという選択をしてしまう。
人間らしくありたいと思う。人間らしさも知識として持っている。
それでも自分自身が人間であるという感覚が、どうも希薄で、よく分からない。
いつか主が修行の一環だとメイドに料理を振舞うと言った日があった。
そこで何を食べたいかと問われた時に同僚たちが次々に料理の名前を挙げる中で、自分だけが言葉に窮した。普通の人間が食べる料理は、味付けが濃くてまだ舌が慣れていなかったし、好きな食べ物なんて今まで考えたことが無かったからだ。
それでも、ただ一つ好きだと言えるものならあった。
自分を世界の底から掬ってくれたあの主となら、あの子の側で笑えるのなら、生まれて間もない「メーテル」だってきっと人間になれる。
あの子といれば楽しいし、褒められると嬉しい。
あの子が泣くと哀しいし、泣かせた相手に怒りもする。
きっとそこから好きが増える。世界が広がる。そして、この人生を好きだと言えるはず。
だから、本当は物騒な事なんてもうしたくはないけれど──
「駄目ですよねぇ……あなた達みたいな人がお嬢様に近づいたらぁ……」
「死にかけの女がなにを……っ!」
──彼女は戦うのだ。メーテルになるために。主のために。
「き~す、ま~い、あ~す♪」
怒って、笑って、中指を立ててやる。
「くそが……さっさと殺して私も逃げ──」
その時だった。
三階の窓が割れ、誰かが飛び込んでくる。
黒い影。勢いのまま二本の黒塗りの刺突剣を以てペンサコーラに襲い掛かる。
怒涛の連撃。空気を穿つ刺突を薄皮一枚の所で辛くも避けながら、ペンサコーラは後方に大きく跳躍し、距離を取る。
黒い影はそれを追わず、メーテルを背後に隠すように立ち位置を変え、ゆっくりと武器を構える。
「くっ……誰だっ!?」
「気にしてる場合ですか?」
誰何の声に対し影が言うと、ペンサコーラの肩を誰かが叩く。
「は?」
「…………(黄金の右ストレート)」
もう一つの影。右手には月の明かりを模した銀のガントレット。
既に大きく引き絞ってある。
「え──」
光陰の如き一撃。
左頬に直撃を受けたペンサコーラは首が、一周した。
「知っているぞグレイゴースト。よくも、私たちの主を泣かしたな」
・Q.メーテルはどうして帝国を裏切ったの?
・A.捕まえた後に一緒に人生ゲームとかしてたら懐いた。
・Q.どうしてメーテルは変態なの?
・A.人生一年生で依存先がまだちゃんサク一人しかいないから。
・冒頭のシーンでのちゃんサクの見解↓
・『なんとなく怪しいなーと思ってカマかけたら本当に当たってビックリした、自分の才能が怖い』
・次で本邸終わり




