啖呵売りの侯爵 1
・えたってない。
ハローワールド。
残寒の候、皆様風邪など召されずにお過ごしでしょうか。
最近夜食のカロリー計算について粉飾決算を行い執事長に対し虚偽の報告をしたところ滅茶苦茶怒られた方の侯爵です。
月日が経つのは早いもので、始まったばかりと思っていた冬ももう終わり、世間は桜の見頃を迎えようとしています。
しかしながら、ワシはその時まで生きているのか瀬戸際にいたりします。
時刻は夜の十一時過ぎ、特急馬車に揺られ車酔いに堪えながらも王都に到着したワシは早速とばかりに登城させられました。
少しは休ませてくれたってよくない?
とか思ったけどまあ駄目だよね。
ブラック企業って怖いね。
唯一喜ばしかったのは王都の民の混乱が小さかったこと。
城から追い出された高官たちが色々と手を回してくれていたらしく、大きな騒ぎにはなっていなかった。とはいっても極限られた情報だけ伝えられた上での外出禁止令、いつ何が起るかは分からない。
だから働かなきゃいけない。
でもお腹痛い。
あそこまで重い足取りは人生で歯医者さんへ行く時に次いで二番目だった。
無骨な宰相の手下に案内されて、着いた先は大広間だった。
許されたお供は二人だけ、一番強いトーマスとヘイリーを選んだけど、おまけに武器も没収されちゃった。
ずるいよね、ワシらは殺気漲る三十人ぐらいの完全武装の兵士に囲まれて逃げ場も無いのに。しかも扉も閉められるっていうね。
バーンって。大きな音立てないでほしい。
広間の中央には大きな会議用のテーブルが配置され、三つの席が設けられている。
まず一つは当然ワシ。
椅子の上に画鋲が置いてあったのでとりあえず無言で払いのけておきました。
舌打ちが聞こえてきたのは幻聴に違いない。
そしてワシから見て左斜め前の席には国王陛下がいらっしゃるのだね。
手足を縄できつく縛り口元には猿轡をされています。加えて背後に立つ強面おじさんによって首元には剣も添えられています。
憔悴しきっているのか、一度こちらを見た後また俯いて顔も合わせてくれません。
最後にワシの対面には宰相が両手を口の前で組みながら静かに座っています。
王城勤めの文官には階級ごとに色違いの制服があり、宰相の場合は最高位を表す純白のはずでしたが、今日はそれを鮮やかな赤色でコーティング。
とっても新鮮でおしゃれんてぃーです。
どこか鉄臭い気がするのは多分気のせいでしょう。
……中々特徴的なドレスコードなご様子。
エキサイティングでバイオレンスかつ頭ハッピーセットな人限定なのかしらね。
是非ともワシを入店拒否して頂きたい。いやまあ入っちゃったんだけど。
「ふぅー……」
深呼吸。
反逆者、ではなく最初から敵だった。と、サクラは言っていた。
三十一人の敵の視線がワシに集中している。
ワシってばもう大人気。
でも娘から貰った勇気の魔法は十二時で解けてしまうので帰っていいですか?
大丈夫、ガラスの靴なら置いて行くから──
「久しぶりですね侯爵、本当に来るとは思わなかった」
「久しぶりだね宰相、自分から呼んでおいてそれはないんじゃない?」
いつもの飄々とした曲者らしさはなく、宰相の声は冷たい。
一言一句の発声が恐ろしい。そろそろテンションで誤魔化すのも限界になってきた。
「だってそうでしょう? 自分で言うのもなんですけど、ここまでぞんざいな罠を張ったのは初めてでしたよ」
「……馬鹿にしてる?」
「いいえ。むしろ感心しています。ええ本当に、あなたは善人だ」
「たぶんだけど、褒めてないよね……」
「人としては褒めてますよ」
「人としてはかー」
つまり領主とか貴族としては無能と。
知ってた。
「いや失敬、私個人としてはあなたのことはそう嫌いではないんですよ。これからあなたの善性を見込んで一つお願いをします。横のそれは別ですが、返答次第であなたは生きて帰ることができる」
営業スマイルで言うけどさー。
絶対嫌いだよね、たぶん。
言葉遣いが丁寧に徹し切れてないもん。陛下のこと「それ」って言ったし。
「お願いって?」
「簡単なことです、帝国に降伏してください」
「……まあ、そうくるよね」
すーぐそういうこと言う。
簡単なことの簡単なことじゃない率、高いと思います。
「帝国は侯爵を高く評価している、もし速やかに降伏なさってくれるのなら王国東部の領民の命は私が保証しましょう」
「断れば?」
「……蹂躙と略奪の矛先はまずあなたの領地に向けられる、当然です」
「……………」
「そうそう、聞くところによると今回帝国は正規兵の他に傭兵団も雇っているらしく、これが滅法ガラが悪いらしいのですよ。欲望に忠実な餓えた獣のような連中で、良心は母の腹の中に置いてきたとか。どうにも昔は王国のある場所を根城にしていたのが、何年か前にとても強い騎士に追い出されて帝国に流れ着いたらしく、復讐に燃えていてやけに士気が高い」
「へぇ~……」
……つらつらとよく喋ることで。
これワシの知ってるお願いと違う。
宰相の辞書には脅迫って言葉がないみたい。
「……剣閣を落とした暁には傭兵団は帝国との契約を終える。いかにあなたの騎士団が最強であろうとも地の利を失い、数で劣れば無事では済まない。物理的に手が足りないんです、どこかを守ればどこかが空く、全てを守ることなんて到底できっこない」
言われなくてもわかってますとも。ワシだって馬鹿じゃないんだから、たぶん。
騎士団に天地人全てで劣勢を背負わせているのは偏にワシの責任だ。
部下を死地に追いやってることは、自分が一番わかっている。
「ああ、何人死にますかね? いえ、死んで済むなら上出来かもしれません。私としても大変心苦しいのですが……契約ですから……。我が身の不出来を反省するばかりです。……どうぞ、笑ってくださっても構いませんよ?」
薄ら笑いを浮かべる宰相に対し、ワシの口元は引き締まるばかりだった。
笑えない。まったく笑えない。ワシのスマイル百万円。
「ははっ、ナイスジョーク」
とんだブラックジョークだけど。
王国文官の最高位だった男が何を言うか。表情筋を酷使して笑みを浮かべ、辛うじてそう答えてやる。
……円ってなに?
よくわかんないけど案外安かった。
「そうですか……」
つまらなそうに言葉をこぼす宰相。
心で負けては何の意味もない、そう簡単には折れないよ。
「それで、返答は? 今も戦闘は続いている、こちらとしてもあの騎士団とはまともに戦いたくないんです。お互い無駄な犠牲を出すのは賢明でないと考えますが?」
「断るよ、降伏はしない」
王国も見捨てない。
なによりまだ負けると決まったわけじゃない。そう続けようとして──
「これは意外だ、領民の為なら父親すら殺したあなたが断るなんて」
──拳をテーブルに叩きつけるのを我慢できたのは奇跡だったと思う。
いまワシはどんな顔をしているだろう、落ち着け。頭を冷やせ。違うことを考えろ。
大丈夫、ワシはCOOLなナイス害。いや違うガイ。
イメージするのは常に冷えピタを貼った自分。なわけない。
ああ駄目だ。思考がまとまらない、視線が宰相から外れない、瞬きすらも自由にできない。
「前回の王国と帝国の戦争末期。とうに領地は限界を迎えていたはずなのに一向に戦争を止めようとしない戦狂い、当時のアブソルート侯爵をあなたは殺害した。表向きは病死となっていますがね、少し調べれば誰だって気づきますよ」
「……………」
「今回もそれと同じです。単純な計算問題じゃないですか。国を捨て領民を生かすか、全員揃って仲良く死ぬか……。わかるでしょう? あなたは侯爵だ、自領の民を救う義務がある」
ひどく耳が痛い。
ここにいつものようにルドルフがいてくれれば、なんて思うけれど、
いまはワシしかいない。
一度、深く息を吸い、吐く。己の肩に万の命が託されていることを意識する。
「降伏はしない」
これは変わらない。
「……理由を聞いても?」
「だって宰相、本当は降伏なんてしてほしくないんでしょう?」
少々あてずっぽーだけどそう言うと、宰相の表情が変わった。
外向けのそれから素の顔へと。どうやら当たりだったみたい。
「よく、おわかりになりましたね」
「ここに来るまでに色々と情報整理してきたし、実際に話してみて直感したんだ」
サクラが言っていた、可能性の一つ。
「宰相、君は帝国の人間じゃない。霊国出身だ」
「ご名答」
歪な笑みを崩さず宰相は言った。
横目に陛下が顔を上げ、目を見開いたのが見えた。
「一応説得を試みたのは帝国への義理立てのようなものです。彼らには復讐の手助けをしてもらった恩がありますからね。ですが私は、いえ私たちは、今すぐ貴様らを殺したくて仕方がなかった」
「……だろうね」
「我らは貴様らが我が祖国にした仕打ちを決して忘れはしない。この十年、どれだけの屈辱を得ようとも貴様らに復讐することだけを考えてきた」
その怒りは当然だろう。
それだけのことを当時の王国は行ってしまった。
たった十年で下級官吏から政治の頂点へと成り上がった稀代の才子。
若き宰相の動力源は永劫消えぬ怨嗟の炎だったと言う訳だ。
「だが、今日を以って事は為った。応報の時だ、覚悟するがいい。貴様らに神に祈る暇さえ与えられぬ地獄を教えてやる」
……でもね、はらわた煮えくり返っているのはこちらも同じなんだ。
***
義父、当時のアブソルート侯爵は本来心根の優しい男だった。
家族を愛し、民を愛し、故郷を愛し、誰よりも平和を願っていた。
まあ、少々愛妻家が過ぎるところもあり、やたら面倒くさい部分もあるにはあったけど、それでも良き父であり、良き領主であることに変わりはなかった。
男児に恵まれず仕方なしに跡継ぎとして迎えたはずの入り婿のワシのことも実の息子のように扱ってくれたのだから。
生来要領の悪いワシが侯爵家の一員として胸を張れたのは、貴族の何たるかを一から十まで叩き込んでくれた厳しくも優しい義父のおかげだった。
異変が起きたのは、フローラがサクラを産んですぐのころ。
きっかけは義母が病に倒れたことだった。
まず高熱が出て、そのあと意識を失った。原因不明、治療法も解明されておらず、如何なる薬も効果を持たない新種の奇病。
義父は侯爵家の全力を以って治療に当たったが、どれだけの金と労力を払おうとも解決策は見つからなかった。
当時の医療は匙を投げ、命運は天に委ねられた。
絶望した義父が最後に縋ったのは宗教だった。冷静な判断力を失っていた彼は、真摯な対応をしてくれた国教ではなく、無責任な甘言を操る怪しげな宗教に傾倒していく。
神に祈り、多額の寄付を送り、胡散臭い薬も金に糸目を付けずに買い漁った。
家族や友人、部下の諫めるのも聞かず「必ず治る」なんて言葉を信じ続けた。
……いや、信じるしかなかったのだろう。
そして、義父のやった全てのことは何の効果も示さなかった。
義母は一命を取り留めたものの、半身不随となり二度と一人で歩くことは叶わない。
そして、宗教から取り寄せた薬の副作用で脳を損傷し、記憶を失った。
彼女はもう誰のことも覚えていないし、誰のことも覚えることができない。
悲しみに暮れた義父。
そこにとある情報が届けられた。
義母の罹った病は伝染病に苦しんでいた帝国が意図的に他国に持ち込んだものであり、霊国は治療費と称して各国の貴族から大金を巻き上げている、という情報が。
怒り狂った義父は軍を起こした。
当時の国王は正真正銘の暗愚であり、拡張主義を唱えていた。
それを瀬戸際で食い止めていたのが義父だったのだが、そのタガが外れた王国は戦禍に飛び込むことになる
帝国と霊国への宣戦布告だ。
当時はハンスもルドルフも脂の乗った年齢でアブソルート侯爵家騎士団は名実ともに最強だった。
王国は騎士団の活躍を中心に連戦連勝、ハンスの十三段破りもここで生まれた。
しかし、帝国の同盟国である連合が戦争の仲裁を試みたところ、愚かにも有頂天だった国王が逆上し連合へも宣戦布告。
戦争は泥沼へと突入する。
人心は失われ、大陸は狂気に染まった。
当然ながら三方面作戦など続けられるはずがない。
霊国には勝利したが、帝国と連合の挟撃に苦しめられ王国は追い詰められていく。
侯爵家騎士団は強かった、彼らはどれほど劣勢であっても決して負けなかった。
だからこそ王国は限界を超えてなお崩壊しなかった。
骨が折れ、内臓がズタズタでありながらも人の形だけは保っているかのような有様で、それでも騎士団は戦い、勝利する。
その強さが仇となり、義父たちは「まだやれる」と勘違いしてしまった。
それを悟ったハンスやルドルフは義父に愛想を尽かし、また重圧に耐えかねて侯爵家を辞したのだ。
それでも義父は止まらなかった。
彼の眼はもはや自国の民など見えておらず、怨敵の姿のみを映す。
だから、殺した。同じような状況だった殿下と協力して、戦争を止めるために。
国を守るために。
・えたらない。