始動
【速報】カルボナーラが美味しい。
「先行して偵察してきます」
と、言ってサクラは屋敷を先に出た。
正直、目の前で煙のように消えられた時は本気で怖かったけど、まあそういうこともあるよねと考え直したら、なんか全部どうでもよくなってきた。
鳶が鷹、もとい雀から鳳凰が生まれる確率も、星が生まれ、国が生まれ、人が生まれ、いまワシがここにいる確率と比べたら誤差の範囲だと思う。
そういうこともある。どういうこともある。
世界は奇跡に満ちていて、たくさんの奇跡の連続で今がある。
でも、欲しい奇跡を狙って起こすのは難しい。
「……頼むね、二人とも」
出発の直前に、ワシはハンスとルドルフに言った。
領地のことはもう、全て任せてある。
「ええ、簡単なことです。全てお任せください」
「完璧にこなしてお見せしますよ。心配は無用です」
いつも通りの表情で、彼らはそう言った。
これから二人は、およそ五倍の軍勢と戦うことになる。
しかも相手は大陸で最も精強な帝国兵だ。
普通に考えればそれは、二人に死ねと命じているのに、等しいのかもしれない。
確かに二人は最強だ。大陸中を探したって、二人に敵う者はいない。
これは自信を持って断言できる。ワシには過ぎたる人材だ。
きっと、帝国軍が相手だろうと勝つことができるだろう。
万が一にも負けはしない。十回戦えば十回。百回なら百回、二人は勝つだろう。
でも、その十回を連続して戦うとしたら、どうなるかはわからない。
おんぶにだっこで二十余年、もう二人の年齢は五十をとうに超えている。
そもそもルドルフに至っては足の古傷が原因で騎士を引退した身だ。
それを引っ張り出して戦わせ、大軍相手に寡兵を強いて。
長年我が家に貢献してくれた忠臣を、この期に及んでまだ使い潰そうとしている。
それしか道がないとはいえ、あんまりな仕打ちだ。
自分で言うのもなんだけど、主に恵まれなかったねと、申し訳ない気分。
それでも、謝罪の言葉はまだ、言わない。
無茶を言っているのは分かっている。もう会えないかもしれないことも理解している。
でもここで謝ったりしたら、最強の名を、騎士の誇りを汚すような気がして、嫌だ。
せめて、任せろと言ってくれる部下を信じることすらできない、暗愚にはなりたくない。
「じゃあ、行ってくるね」
「ええ、精々土産を期待しておきます」
「……何が良い?」
「酒ですな、王都ならばワインが良い」
「それなら私はチーズを頂きたいですね、いつかお嬢様に頂いたチーズが非常にワインに合うのです」
「ははっ……うん、買ってくるよ」
さあ、どうだろう。
奇跡でも起きない限り、また三人で会える機会はないかもしれない。
そしてそれは、とても得難いものだと思う。
「……また」
「……ええ」
「またお会いしましょう」
うん、だから、頑張ろう。
***
一方その頃。
王都、王城。
宰相の手勢によってほぼ掌握された城内に、反撃の兆しあり。
一筋の光さえ許されぬ、闇に包まれた石室。
この国の頭脳とも言えた宰相でさえ知らぬ、王族の王族による王族のための隠し部屋。
長年に渡り受け継がれ、遂に出番を迎えたその場所に燻る逆襲の火種。
アブソルート家長男ジョー・アブソルート。
元グレイゴースト四天王リキッド・オブライエン。
王太子殿下クラウディオ・なんとか。
熱き反骨の魂を備えし三人は、この手に王国を取り戻すため息を潜めてその時を待っていた──
「息が苦しい……」
「言うなや」
「いや、正直そろそろやばいぞ」
──なんてことはなく、正確には身動きが取れなくて困っていた。
というかそもそもの話で何がどうなっているのか理解していないし、敵が誰なのかもわかっていない。
大絶賛混乱中。
宰相の魔の手──彼らにとっては謎の刺客からすんでのところで逃れた王太子と、それを助けたリキッド。ついで逃走の最中に閉じ込められていたジョーを助け出す。
そして追手を撒いたまでは良かったが、隠し部屋は想像以上に小さかった。狭いスペースにすし詰め状態になってから、かなりの時間が経過している。
しかも造りが非常に古いため老朽化した換気孔がまともに機能していない。
酸素は薄く、限界が近かった。
「酸素、薄い……」
「まあ、ろくに換気もできませんし……」
「そろそろ二酸化炭素中毒で死ぬんやないか?」
「死ぬの!?」
「まあ、このままなら」
「ど、どうにかならないのか!?」
「じゃかしいわボケ! こんな狭ぇ密室でマッチなんぞ点けた阿呆はどこのどいつや!?」
「仕方ないだろう!? 僕は暗所恐怖症なんだ! 暗い場所怖い!」
「ほんまに王族か貴様! こん無能めが! さっさと廃嫡されてしまえぃ!」
「他に兄弟いないのに!? 誰が後継ぐんだ!?」
「無能は否定しないのか……」
「それは、まあ、うん……無理……」
「「………………」」
「………………」
声を静めながら喚く三人。
やがて、それが寿命を縮める行為だと思い直し、口を噤む。
「さすがに出るか?」
「そやのぉ……このままやとじり貧やしな」
外には、敵がうじゃうじゃといる。
ジョーとリキッドは腕に覚えがあるが、王太子を守りながら包囲を突破できる確証はない。無様にとっ捕まる未来は容易に想像できた。
それでも、窒息なんてみっともない死に方よりはマシだろう。
「本当に出るのか……?」
「出ます、覚悟を決めてください」
「ワシが先行して血路を開く、あんたらは隙を見て突破せぇ」
「了解。……殿下、俺の後ろから離れないでください」
「………………わ、わかった」
王太子の呼吸が落ち着くのを待ってから、二人は石室の扉を開く。
「「じゃあ、行くか」」
***
王都で最も高い場所。
時計塔の頂上に、黒衣に身を包んだ翠の髪の少女が一人。
「さぁて、兄上は何処にいますかね……」
一言呟いて、屋根からぴょんと飛び降りる。
その姿はすっと、夜の闇に溶けた。
・これは内緒なんやけどペペロンチーノも美味しい。




