八起の麒麟児 2
・若おかみは小学生めっちゃ面白かったです。
・見て。
・たぶん最後のトーマスくん視点。
「勝者! トーマス・パットン!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!』
審判の張り上げた声に、熱く盛り上がる群衆。
痛みに蹲る大男を前に、揚々と右手を突き上げる少年。
年に一度、村の腕自慢たちが集まる剣術大会。
今年の優勝者は初出場の弱冠十二歳、パットンさん家のトーマスであった。
「トーマスすげぇぇぇ!!!」
「本当にチャンピオン倒しちまったよ!!!」
「いいぞー! トーマスー!」
『キャー!! トーマースくーん!!!』
友人や家族らの声援に、はにかみながら応えるトーマス。
たいした特徴もない農村が生んだ、一人の天才、剣の麒麟児。
小さな体で村の誰よりも強いその少年が、将来きっと偉大な人物になると村人たちは信じて疑わない。
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「勝者! 東方、ウィリアム・アブソルート!」
『わぁああああああああああああああああああああっ!!!!!!』
審判の張り上げた声に、大きく沸く会場の観衆。
剣を高く掲げる翠の
髪の青年と、かつてない痛みに苦悶する少年。
こんなはずではと、何回もループする思考。
何が起こったのか、理解できてすらいなかった自分はひどく滑稽な姿であったことだろう。
田舎の仲間におだてられ出場した武術大会。
しかも傲慢にも幼年部門ではなく成年部門へとエントリーしては、物見遊山の有象無象も集まる予選を突破した程度で鼻を高くしていた。
そして、意気揚々と臨んだ本選。
黄金のように輝いていたはずのプライドは、秒で砕かれた。
相手が悪かった、運が悪かったと言い聞かせて保っていた心は、
「勝者! ゾズマ・グラディオン!」
次の試合で青年があっさりと負けてしまったことで脆くも崩れ去る。
聞けば自分の負けた相手は昨年の幼年部門の王者というではないか、どこまでも分不相応の身の程知らず。
何が麒麟児か、井の中の蛙ではないか。
年齢の割にはよくやったと、慰める声もあったが、真の天才には歳など関係ない。
言い訳の材料にはしたくなかった。
人生初の挫折。
おそらく自分は天才ではあるのだろうが、天才なんて抽象的な言葉、範囲が広すぎる。
天才にも格付けがあり、自分がその最底辺にいることを知った。
世界は、広かった。
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「ようこそ、アブソルート侯爵家騎士団へ──いや失礼、言い間違えた。ようこそ蛆虫ども、此処が地獄だ。生きては帰さん、此処で死ね」
袖振り合うも他生の縁なら剣戟交わすもかなりの因縁だろうと、伝手を辿ってアブソルートの門を叩くと──
現れたのは、最強でした。
齢五十の嵐の男、老いて益々壮んな人。
十三段崩し、ハンス騎士団長。
「弱い、弱すぎる。体が貧弱な上に根性も無い、よくもまぁこの程度の実力で俺の団に入ろうなどと思ったものだ。……良いか蛆虫、貴様は自分が強いなどという幻想を今すぐ捨てろ。年齢など関係ない、此処は完全実力主義で貴様の実力は一分の疑いもなく最下位だ。現状を把握しろ、弱さを認めろ、己が特別な人間だと錯覚している限り、貴様に成長も未来もない」
入団後の実力テスト、結果は散々。何の見所もない成績。
天才しかいない集団に入ってしまえば、途端に凡才に成り下がる。
その程度の実力。
この期に及んで密かに抱いていた想いは否定され、自分の立ち位置を明確に理解した。
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「走れ走れ走れぇ! 止まるなぁ! 遅れた奴に帰りの馬車など存在せん! 俺のアブソルート侯爵家騎士団に必要ないということだ! 故郷に帰りたくなかったら足を動かせ! 己の価値を証明して見せろ!」
重装鎧を着て炎天下でのフルマラソン。
この世に地獄が顕現したかと感じるほど、体が悲鳴を上げている。
体内から水分が失われ、喉がひりつく、意識が朦朧とする。
遂には足が止まり、手を膝につく。
「はっ……はっ……はっ……はっ……」
「……ふん」
団長はこちらを一瞥するとすぐに興味を失ったように逸らす。
それもそうだろう、だってまだ誰一人脱落していない。
たった一人の根性無しに付き合っている暇などない。
悔しくて、悲しくて、涙が出る。
一人だけ、たった一人で突出して劣っていた。
結局、ゴールした時には帰りの馬車は出発した後で、また徒歩で一人来た道を帰ることになった。
一度本気で故郷に帰ろうかとも思った。
あの井の中なら、天才でいられる。
辛いことなんてない、自分が中心に要られる世界。
褒められて、頼られて、それで──
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寮に辿り着いたのは二日後の夜だった。
日がどっぷりと暮れ、みんなが寝静まった時間帯。
夜勤の騎士に会った時は、驚かれ、心配され、笑って慰められた。
どうにも馬車に乗れなかったのに帰ってきた奴は初めてだったらしく、嬉しいやら悲しいやらどう受け止めていいかわからなかったのを覚えている。
食堂を特別に開けてもらい作ってもらった簡単な夜食の味がしょっぱかったのも、よく覚えている。
風呂に入ると溺死しそうなので、体を軽く拭いた後、寝る前に夜風に当たろうと薄着のままベランダに出た。
そしてその時のことが一番、鮮明に、記憶に残っている。
「ありゃ」
「え?」
ベランダのすぐそばの大きな木の枝に佇む、翠の髪の少女。
少し驚いたように目を丸くしていた。
「しーっ……」
「あ、はい」
にやりと笑いながら人差し指を立ててそっと口元に添える少女の顔は、たいへん蠱惑的で不覚にも胸がどきりとする。
「私をここで見たのは内緒ですよ? 夜更かしがバレると兄上に怒られちゃいますから」
「は、はい……」
相手が誰かも分からぬままに、その幻想的な雰囲気に押されつい頷いてしまう。
「頼みますよ、トーマス」
はっと顔を上げた。
「僕の名前を知っているんですか?」
自分の立ち位置は下っ端の中でも下っ端だ。
おそらくアブソルート侯爵家の関係者であるだろう彼女にとって会ったこともなければ、知る由もない相手のはずだろう。
だが彼女は不思議そうに首を傾げたあとに、なんでもなさそうに言う。
「ええ、私たちを守ってくれる騎士の名前は全員、それが義務であり誠意というものでしょう? まあトーマスは正式入団はまだみたいですが……」
「っ……」
ひどく心に突き刺さる言葉だった。
同期でまだ正式に入団できていないのは自分だけ、実力が基準に届いていない。
知らず知らずのうちに俯き、唇を嚙む。
「まあでも大丈夫です! トーマスには才能があります! きっと騎士になれますよ!」
「…………………」
邪気のない励ましの言葉も、今の自分にはどうにも辛い。
期待が重いというか、自分の不甲斐なさが強調される気がするようで心がざわつく。
「……どうしました?」
「僕……辞めようと思ってて……」
「……なんとなくそういう気はしてましたけど、でも今日だって帰ってきたじゃないですか」
「言い訳づくりですよ……逃げたんじゃなくて現実を見たんだって、そう言いたくて。せめてやり切ってから辞めれば格好がつくかと思って、それだけです……」
「…………………」
「弱いんですよ僕。心も、体も……。半年前までは自分が最強だと思っていました、この世で一番で、誰にも負けないって自信に満ちていました……。なのに、親に無理させてまで家族を置いて田舎から上京したのに結果が大会の惨敗で、ここに来てからも全然ついて行けない! 皆が先に行って、一人だけ置いてかれて、距離は離れていくばかりで! もうどうしたらいいかわからなくて……! もう……努力の仕方すらわからない! 折れたんですよ……もう折れたんです!」
──ひどく、滑稽だったと思う。
年下の少女に、泣きながら情けない言葉をぶちまける男の姿は。
こんなことを言うつもりはなかった、どれだけ格好悪いんだと、恥の上塗りを後悔してももう遅い。
覆水盆に返らず。
しかし少女はこの醜態に引くことなく、真剣な表情でこちらを見つめていた。
「故郷に帰って、何をするつもりですか?」
「……家業の手伝いをするつもりです、迷惑かけた分……全力で。弟たちを食わせなければいけませんし。……それに、僕でも田舎の自警団ぐらいなら務まりますので、そこで頑張ろうかと……」
「そうですか……」
それだけ言うと、彼女は跳んだ。ふわりと、跳躍と言うよりは浮遊と表現した方が良いのではないかと思うほどに、ベランダ──自分の傍へと柔らかく着地した。
そうしてこちらに向き直ると、その細く白い両手で頬を掴まれた。
「なっ、何を!?」
慌てて離れようとするが女の子を強く振り払うこともできず、また思いの外彼女の力が強く、動けない。
強制的に目を合わせられると、そこには少し怒ったような瞳があった。
「それであなたは笑いますか? 笑えますか? よくやった、才能がなかったからしょうがない、自分は頑張った、そうやって誤魔化せますか? 私はできないことを責めません、諦めることも是とします。世界は残酷で、才能の有無はいかにも大きな壁でありましょうや。諦めなければ夢は叶うなんて無責任なことは言えません。だがそれでも、才能があり、夢があり、道がある若者の諦観を見過ごすつもりもありません。あなたは私の兄が連れてきた! 私の師が仮にとはいえ入団を認めた! 断言してやりましょうか、あなたの限界はここではない、最強無敵のその先です。確かにあなたは騎士団で最弱ですが、今のあなたはいくつですか? 十五にすらなっていないではないですか!」
「でも……騎士団は完全実力主義で……」
「だからなんですか、別に最下位は除名なんてルールないですよ。一番歳の近い者でも六つの差があるんですからあまり気にしない。ハンスだって二十五歳まで無名でした。あなたには時間がある、年も取る、経験も積む、いつか最下位から脱出する時が来る。そしてそれはそう遠くはありません。一生の仕事にするつもりがあるなら、もっと長い目で見てください。人生は長いんです!」
「ぐぅ……」
まくしたてる言葉に、返す言葉もない。
「いいですか、過信も自虐もいけません。天才である自負を持ちながら身の丈に合った目標を持ってください。覚醒のタイミングなんていつ来るかわからないんですから、大事なのは忍耐です。食らいつこうという気概がある限り、アブソルートはあなたを見放しはしません」
「…………………」
視線が交わる。
先の逸らしたのは自分の方だった。
「自分の可能性が信じられません……」
「案外めんどくさいですねトーマス」
「……すみません」
「ではこうしましょう。あなたの自信の源の四分の一を、私に任せてくれませんか?」
「それは……どういう……」
「あなたを自分が信じられないと言うのなら、私があなたを信じます。そして、もう四分の一をあなたの才を信じここへ呼んだ我が兄ウィリアム・アブソルートに。……あとこれは内緒なんですけどあなたに密かに目をかけているハンスに、任せあげてください」
「我が兄って……あなたはまさか……? それに団長が……?」
「オフレコですよー? そして、はい。私、アレクサンダー・アブソルートが長女、サクラ・アブソルートがあなたの才能を保証します。あれです、あなたを信じる私を信じろってやつです! ええ、大丈夫です! 訓練にだって付き合いますし……万一芽が出なかった場合は私が家族ごと責任取ってあげますから!」
こう言うのが正しいかわからないが、なんとも男らしい言葉だった。
うじうじしていた自分が恥ずかしくて、顔が赤くなるのを感じる。
控えめに彼女を見ると「任せなさい!」と言わんばかりに胸を叩いてニコリと笑った。
はてさて今は夜ではあるが、太陽のように輝いて、見えた。
もしくは今、月を照らしているものの正体こそこの目の前の彼女なのではないかと、そんなことを考えてしまった。
なんちゃって。
「あ゛!?」
彼女が──いや、サクラ・アブソルート様が突然、かなり不味そうな声を上げた。
「リーが置いてけぼりでした! すみませんトーマス、私もう行きますね! じゃあそういうことで! 辞めないでくださいね!」
言うや否や身を翻し、ベランダから木へと飛び移る。
「え、あ、こ、こんな時間に何処へ!?」
慌てて欄干まで駆け寄って身を乗り出して尋ねる。
そもそもの話、侯爵家の令嬢がこの時間に起きてることもおかしければ、あの身体能力も異常だ。
だけどお嬢様は片足で大樹の頂上に立つと、両手を広げてバランスをとる。
そしてくるっと振り返り、ピースサインをこちらに向ける。
そして、
「世直し!」
それだけ言って、また月の夜空を軽やかに駆けて行った。
ふわりと、羽衣を着た天女のように。
やがて、闇に消えていった。
「……」
すっかり静かになったその場所で、一人先ほどの会話を反芻する。
少し考えたあと、明日に備えて早く眠ることにした。
世直しとは何か気になったけど、うん。
寝た。
いつか、彼女の剣であり盾になりたいと、思ったから。
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「え? 護衛騎士ですか?」
「うん、サクラが強いのはわかるけどさすがに付けない訳にはいけないからね」
「でもリーがいますよ?」
「リーちゃんは侍女でしょ?」
「いえいえ、先日ルドルフから及第点を頂きました! リーは凄いんです! 一年の訓練でここまで来たんですから! 盗賊暴漢暗殺者全員まとめてバッチ来いです!」
「え……なにそれ聞いてない……」
「言ってませんので!」
「じゃあ護衛は?」
「要らんです!」
部屋の外で専属の護衛として紹介されるその時をワクワクして待っていた僕は、泣いた。
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「サクラお嬢様見ませんでした!?」
「えー? 大通りのケース屋さんで見た気が……」
「ありがとうございます!」
「がんばってねー」
「サクラお嬢様見ませんでした!?」
「もう食べて帰ったよ? 店から出て右に行ったかなぁ……」
「失礼いたしました!」
「おー頑張れよ!」
「サクラお嬢様見ませんでした!?」
「丘の上の教会に行くと言っていましたよ?」
「ありがとうございました!」
「大変ねぇ……」
「サクラお嬢様見ませんでした!?」
「トーマスくん、教会では静かに」
「……すいません」
「……隣町の見回りに行くそうです」
「! ありがとうございます神父様……」
「お気になさらず、頑張りなさい」
「君、サクラお嬢様見なかった?」
「しやない」
「失礼しました……」
「サクラお嬢様見ませんでした!?」
「帰ったよ?」
「……」
「どんまい」
泣いた。
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(あれ……なんで今になってこんなこと思い出して……)
朦朧とする意識の中で、過去の記憶だけが脳内で鮮明に流れる。
(ああ……そうか……)
理由には心当たりがあった。
(走馬燈か……これ……)
心が折れなくとも、体が折れてしまっていた。
足が、動かない。
汗で視界が不明瞭で、何が迫っているのかもわからない。
でもきっとそれは、とどめだ。
(せめて、お嬢様を守って死ぬなら、格好ついたのになぁ……)
おそらく最後の、思考がそれだった。
(あー……くそ……)
「トーマス!」
声はもう、聞こえていなかった
・今までありがトーマス。