クソ野郎
・個人的にはかなりクソ野郎なのではないかと思ってます。
速い。
まず出てきた感想がそれだった。
反応も判断も逃げ足のいずれも速い。おそらくは屋敷猫の誰も追いつけはしないだろうし、単独では戦っても勝てないかもしれない。
実際に相対してみなければ正確にはわからないが、強さに関してはウィル兄を出してようやく、といったところだろう。
優秀。三下というには些か以上に上等だ。
だが──
「ここまでくれば──」
「まだ足りんよ」
──私ならば問題ない。
「ぬ!」
「……外したか。それに煙幕か、小癪よな」
アブソルート侯爵領内は須らく私の庭である。
森であろうと山であろうと逃げられると思っているのなら心外だ。
煙幕を張ろうと音でどの方向にどのように逃げようとしているかも大方把握できる。
だいたいの地点に苦無を投げると、金属の弾かれる音がした。
当たりだ。
「狩ってやるぞ、野兎──がっ!?」
獲物の方へ走り出した途端に、右足の裏に鋭い痛みが走った。
膝を曲げて確認してみると靴に小さな穴が開いて、ほんの少し出血していた。
原因としては、
「まきびし……」
足元をよく見てみると小さくて刺々したものがたくさん転がっていた。
「…………………」
急場でも冷静さを保ち、煙幕で視界を奪いってからこっそりと撒く。わざとらしく音を立てて動くことで足元への注意を逸らすことで、ずばり踏ませて相手の機動力を奪う。
基本的なことではあるが、うん、まあ、やるのではないか?
今回はちょっとばかし油断して引っ掛かってしまったが、まあこれは私から野兎へのハンデのようなもの。
うんうん、これで多少は面白くなってきたのではないですか?
だって張り合いがなければつまらないですからね、しょうがないですね。
初歩的で稚拙な策略にあえて乗ってあげるのも上に立つ者としての優しさだと私は思うのですよ。
初心者用のステージに熟練者が乱入して無双するような、みっともないことなんてしません。弱い者いじめは格好悪いですからね。
大丈夫、私は落ち着いています。王者の風を感じるのです。
つまり何が言いたいかというと。
「クソ野郎!」
おちょくるのもいい加減にせぇよ、と。
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幸い、足裏の怪我は大したことがなかったので走るのに問題はなかった。
ただし痛い。怪我をしたのはとても久しぶりなので辛い。
この我慢できる程度の痛みってほんといやらしいですよね。
野兎さんには強制足つぼマッサージの刑に処して洗いざらい吐いてもらわねば気が済みません。
というわけではい。
追い詰めました。
追い込み漁のように少しずつ進行方向を誘導しながら崖へと到達。
崖下は激流の川となっています。
「無駄な抵抗はやめて大人しく降参しろ、さすれば悪いようにはしない」
短刀を構えながら、目の前の男に言う。
灰色の外套に身を包んだ、不気味な男。
体格は高く細い。暗い雰囲気とは裏腹に姿勢が良くピンと張った背筋は槍を思わせる。
武器はなく、ずた袋を一つ担いでいるだけ。
追い詰められているというのに慌てる風もなくじっとりとした眼でこちらを値踏みするように見つめてくるのは王太子殿下とは違うベクトルで気持ちが悪い。
というかその余裕が気に食わない。
「……俺は──」
男がゆっくりと口を開き、
「ただの行商人です、なぜこのような状況になっているのか皆目見当もつかない。行き違いがあるようなのでまずは話し合いをしませんか、できればその物騒なものをしまっていただきたいのですが」
流れるような棒読みでそう言った。
ものすごく棒読みだった。全世界棒読み選手権があったならばまず間違いなく一位を獲れるだろう棒読みだった。
あまりに棒読み過ぎて、私も芸人ばりにずっこけてしまいそうになる。
だが、すぐ気を取り直す。
「よくもまぁすぐにばれるような嘘を躊躇いなく言えるものだ」
「嘘など言っていません」
「アブソルート侯爵領の商人は全て登録制だ、本当に商人だと言うなら許可証を見せろ」
「この地には昨日来たばかりでして。今から役所へ行こうと思っていたのです」
「なら関所の通行許可証だ! 貴様のような男が現れたという報告は受けていないぞ!」
「ああ、それなら……なんてことだ、すみません、どこかで落としてしまったようです」
「せめてもうちょっと申し訳なさそうな振りをしろ!!!!!!!」
あまりの心のこもっていない言葉の数々に、まともに相手をされていないと感じた私は怒りに任せて顔面目掛けて苦無を投げつける。
だがその雑な一撃は、男は外套の下に持っていたナイフで簡単に弾かれる。
当然ながら、素人の動きではない。
「貴様のような商人がいるか」
「ふむ、鏡を見たことはあるか侯爵令嬢。世界は広い、戦闘能力のある商人がいても何ら不思議な点はないと俺は考える」
男が言う。先ほどの棒読みとは違い、覇気はないがまともな口調であった。
「……素はそれか?」
「そうだ。少し考える時間が欲しくてな、適当なことを言ってしまった、許せ」
「1mmも許してほしいとか思ってないだろ貴様」
「まさか。そんなことはある」
(イラッ……)
なんだろう、すごい友達になれないタイプ。
一言で言うと嫌い。
私は短刀の切っ先を向け、再度忠告する。
「もう一度言う、降参しろ。手は頭の後ろに、膝をつけ。ちなみに黙秘権は認めない」
「断る」
即答だった。
男の顔色は依然、泰然としたまま変わらない。
「実力差がわからないのか? 追い詰められていることが理解できないほど頭が弱いのか貴様は?」
「実力差は理解している。俺ではお前には勝てんさ。やってみなければわからない、などと青臭いことを言うつもりもない」
「では何故」
「追い詰められていないからだ。例えば俺がこの崖から飛び降りたとして、多少の怪我のリスクはあれど逃走には成功すると思われるが……どうか?」
「泳ぎは得意だ。というか修行は下の川でした。逃がさんよ」
そう言うと男はようやく少し驚いたような表情を浮かべた。
いや、なんというか「馬鹿じゃねぇの?」って顔だった。私もそう思う。
修行時代、両手両足を縛った状態で崖から突き落とされ這い上がって来いとか言われたことを思い出す。
獅子だってそんなことしないと思ったのは今でも鮮明に覚えている。
「それは……少し想定外だな……」
せやろ。
「こちらとしては目的から依頼主まで全て話すのなら、執行猶予付きで釈放さえもやぶさかではないぞ?」
「では真実を話そう。何を隠そう俺はただの小悪党だとも。得意分野はスリと空き巣、前の職場でやり過ぎて指名手配されてしまいここに逃げてきたという訳だ。今は反省している、許してもらえるなら真面目に働いて慎ましく暮らすことを約束しよう。……すまないが、依頼主がどうとかは……よくわからないな」
「……また嘘か」
ぬけぬけと男は言う。表情一つ変えず棒読みで、こちら騙す気すらない。
「もういい、弁明は牢で聞いてやる。……確保する、抵抗は無駄と思え」
まともに話す気がないのなら、話したくなるようにするまでだ。
本気の殺気──殺しはしないが──を向ける。
しかしそれでも男は眉一つ動かさず、わざとらしくため息をつき首を横に振った。
「やれやれ、信じてもらえないとは悲しいことだ……証拠を見せてやろう」
「は?」
ずた袋を肩から下ろしたかと思うと、おもむろに中をまさぐり何かを取り出した。
それは──
「くまの……ぬいぐるみ……」
おおよそ目の前の陰気な男には似合わない、女の子が喜びそうな可愛らしいテディベアだった。
不釣り合いとかいうレベルではない。
というか、何処かで見た覚えが……
「それがどうかしたか?」
「だから証拠だよ。俺が小悪党である証明。つまり昨晩、俺が近くの町や村で盗んだ物が全てこの袋に入っている。ついてはそうだな……これを返すから見逃してくれないか?」
「は? そんなことが交換条件になるとで──」
「もしこれを断る場合、俺はこれを抱えて崖から飛び降りる。荷物が持ち主のもとへ帰ることは二度とないだろう」
「……人質のつもりか? そんなもので?」
「人ではないがまあそうなるな。ちなみに、このぬいぐるみは民家に忍び込み拝借させてもらった。小さな可愛らしい女の子が大事そうに抱えながら寝ていたよ。田舎娘の持ち物にしては上等でな、売れば金になる。両親がわざわざ都市に行って我が子のために買ってきたのだろう。良い話だ、涙腺が緩むな」
「あっ!?」
そこで思い出した。それは私の友達、下町のサナちゃんがいつも持ち歩いている、テディベアのカツイエくんだった。
ご両親が節約を重ねてサナちゃんのために誕生日にプレゼントしてくれた、一番の宝物で大事なお友達だと嬉しそうに話してくれたことがある。
それを──
「なんだ、もしかして持ち主を知っていたか?」
「それはサナちゃんの宝物だ! 返せ!」
「だが捨てる」
「なっ!?」
それを男は何の躊躇もなく崖下に投げ捨てた。
呆然とそれを見送って数秒、ほんの小さくだが落水の音が聞こえた。
川は海へと繋がっている。今すぐ追っても救出するのは難しいだろう。
もし海へと流れ出たら、カツイエがサナちゃんの腕の中に収まることは二度とないだろう。それを知った彼女が、どれだけ悲しむか。
「貴様ぁ!!!」
「落ち着けよアブソルート、盗んだ品はまだまだある。……おっと近づくなよ、そこからこちら側へ一歩でも動いたらダイブだ。止めてほしけりゃ俺を見逃せ、そうすりゃ荷は全て返す。くまさんは……諦めろ」
「そんなことできるわけないだろうがぁ!」
ふざけるのもいい加減にするべきだ。
趨勢は既に決している。男の行為はもはや何の意味もない嫌がらせでしかない。
「ややや。お次は時計の鎖と女物の櫛だな。確か若い夫婦の家だったか、大切に飾ってあったのを覚えているぞ。賢者の贈り物でも意識したのだろう、中々粋なことをする。まあ俺はあの話、嫌いだけどな。サプライズを否定はしないが意思疎通が十分ならもっと幸福になる道はあったと思うんだよ、金の無駄遣いだし。ぶっちゃけ愚者の間違いじゃないか? お前はどう思うアブソルート」
だが男は楽しむでもなく、作業的に、退屈そうに新たな誰かの宝物を持ち出しては私に語りかけた。
「今すぐ盗んだ荷を全て返せ、まだ間に合う」
「不合格だ。ちゃんと答えてくれないと傷ついてしまうじゃないか、俺が。ということでこれもリリースだ」
「っ!」
鎖と櫛が宙を舞い、落下していく。
「さて、次は……とその前に、見逃す気にはなったか?」
「…………………」
「だんまりか……。まあいい、気が変わったら教えてくれ。次は……なんだったかこれ。よくわからんが何かの貝殻だな、おそらくは海に行った時の思い出とかそんなところだろう、青春の匂いを感じる。入れ物が綺麗だから持ってきたが……金にはならん。捨てるか」
無造作にまた一つ、誰かの唯一が捨てられる。
「……ふむ、まだ駄目か。ではとっておきをお見せしよう。これは独り暮らしの老婆の家から盗んできたものだが……厳重に保管されていたので解錠にかなり手間取った俺の努力の結晶だ。おそらくは結婚指輪、亡き夫の分と合わせて二つ」
「そ、それは!?」
「イニシャルはM.Aか……もしかしてアブソルートだったりしてな。まあ俺には関係ないが。……さすがにこの指輪が失われるというのは俺としても非常に心が痛む。売ればいくらになるか……。だがここは心を鬼にして──」
「待て!」
それはダメだ。それだけはダメだ。
「……見逃すか?」
「わかった……見逃す。この場だけは、見逃してやる。だから……それだけはやめてくれ」
「ほう、身内だったか。わかった、いいだろう」
その言葉に安堵する自分に気づいて、ひどく落ち込む。
完全に主導権を握られていた。
自分の甘さが嫌になる。
今後に禍根を残すことを考えれば、貴族として捕まえなければいけない。人が死ぬわけでもなし、物損で済むなら躊躇うべき場面ではない。
だけど、無理だった
「だが、この場だけだ。次に会えば絶対に捕まえる。貴様らの好きには絶対にさせない」
今回は負けた。心で負けた。
だが次はこうはいかない。
絶対に、縄で縛って盗みの被害者の前で土下座させてやる。
「強気なのは良いが……それは失言だな。怖くて手が震えてしまうじゃないか、こんな風に」
「え?」
指輪を持っていた方の手が、大きく振られた。
二つの指輪が太陽の光を反射して煌めきながら、放物線を描いていく。
「あ……ああああああああ!」
反射的に駆ける。
ダメだ。絶対にダメだ。
落ちたらもう絶対に見つけられない、絶対に元の場所には戻らない。
必死に手を伸ばし、掴む。
「やった」
「見事」
「っ!?」
だがしかしそこは、虚空の上。
足場はなく、重力によってこの身は落下していく。
振り向き、上下のすれ違いざまに見た男の顔は、ひどく歪んでいた。
勝てるのに。
戦えば、勝てるのに。
悔しくて、情けなくて、涙が出てくる。
だけどそれ以上に、
「クッッッソ野郎ォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
激情が、溢れ出す。
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「ふむ、残った品は売るとして中々の儲けだな」
少しだけ明るい声音で呟く。
「……それにしても、俺の捕獲を優先すべきだったろうに判断を誤ったな。五分五分の賭けに勝てたのは嬉しいが……あれと再会するのは避けたいところだな。まあ、存在を知れただけで良しとしよう」
荷物をまとめ立ち上がり、一応の確認として崖下を確認する。
修行をしていたと言っていたが、普通這い上がれるものではない。
溺れないまでも、激流に流されたのだろう、少女の姿は消えていた。
「しかし、強く、気高く、美しく、それでいて優しい。歳を取れば酸いも甘いも嚙み分けるだろうし、アブソルート侯爵家の未来は明るいな」
俺が言うのもなんだがきっとそうだろうと、本気で思う。
なんて、半年後に侯爵家が残っていればの話だが。
・実は拙作はR15を設定し忘れており、今更後出しもあれなので当初の予定より比較的マイルドなクソ野郎となっております。
・もしクソ野郎度が足りなかった場合にはどのあたりををもっとクソ野郎にすればよいかなどアドバイスなどいただけると非常に助かります。