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ナイトレイ伯爵家三兄妹 兄

・私はこの前書きに書くべき真に驚くべきネタを持っているが、本編を食ってしまうのでここに記すことはできない。

 私は挨拶回りを頑張った。それはもう頑張った。

「はい」と「いいえ」と「ごきげんよう」しか言わなかった気がするけど頑張った。特に何を頑張ったかというと自分を抑えるのに苦労した。

 なんでしょうね、あの傲慢怠慢肥満肉まんの四拍子揃ったクソ公爵は。

 兄上が我慢していたので私も耐えましたが、とりあえずムカついたのでそいつのかつらをこっそりずらしときました。やっぱり社交界など来るもんじゃないですね。


「正直、あれを相手に終始ニコニコしていられる父上は尊敬します」

「あの人のスルースキルはガチだからな。俺も何度手を出しそうになったか」


 珍しく不快感を露わにした顔で兄上が言う。

 自分の娘との婚約を断ってからというものネチネチネチネチ嫌味を言い続けられているらしい。

 兄上だけでもフルボッコ案件なのに、今回に至っては義姉上のことを「劣等種の娘」とか言って馬鹿にし始めたので、それはもう戦争でしょうが。

 思い出すだけでイライラする。


「して、その父上はいったいどこに?」

「言ってなかった……今は宰相殿と会談中だ、リットン子爵の件でな」


 ああ、そういえば。そんな話もありましたね。宰相殿にお任せしたまま続報もありませんでした。

 リットン子爵領は事情が事情ですから扱いが難しいのはわかりますけど、そろそろ何とかしないと。

 万一の事態で被害を受けるのは隣接しているナイトレイ伯爵家やアブソルート侯爵家なのですから。


「………なにか、まるめ込まれてないといいですけど」

「ルドルフも一緒だから大丈夫だろ。……たぶん」


 父上は交渉事や心理戦に弱いので不安。


「まあ、あんまり心配するな。戦にはなんねぇし、させねぇ」


 兄上が私の頭をポンポンしながら見透かしたように言う。情報将校はそのためにいるのだと、安心させるように優しい声で。

 私はその手を両手でつかんで上げてにやりと笑って見せる。


「でも私の方が情報の質も量も多いですよね?」

「はっはっはっ、言いよる」

「あ痛ぁ!?」


 チョップされた。とても痛い。

 図星を突かれて暴力で返すとは大人げなし。


「まだ挨拶回り終わってねぇんだから、次行くぞ」

「うぐぅ……次は良い人ですかね?」

「対立派閥」

「うへぇ……」


 どうして嫌味を言われに挨拶に行かなきゃいけないんだろう。せめて向こうから来ればよいのに。

 殴っちゃったらどうしよう。

 常人には見えないスピードでやって、バレなければ大丈夫かな……?

 ウィル兄も言っていたし。


「気に食わないからって殴んなよ? ここまで我慢したんだから最後までだ」


 しかし、ジロリと見られて牽制される。

 なんですか、エスパーですか。


「むぅ……甘いものでも食べないとやってられません」


 歩きながら会場に用意されているお菓子を一つつまむ。

 じゃりじゃりとした食感で砂糖の砂糖による砂糖の為の砂糖の独壇場という味がした、あまり好きじゃない。市井のお菓子の方が繊細な味で美味しいのはどうかと思う。

 砂糖がもったいない。


「不味そうに食うな……」

「不味くはないです、美味しくないだけ」


 同じようで大きく違う。


「明日、J・J・Jの予約してるからちーっと耐えてくれや」

「本当ですか!?」


 なんということでしょう。

 もーそういうことは先に言ってくれないとー。

 あー何を食べましょう、保存の効かないスイーツをJ・J・Jで出来立てほやほやの状態で食べられるなんて……。恐・悦・至・極。

 まったくそんなご褒美があるのでしたら陰険クソ野郎の相手なんて十人百人バッチ来いですよ。

 どのような罵詈雑言にも接客業もかくやというスマイルをご提供してみせましょう。


(ちょろいなーこいつ……)

「でも兄上、私がお菓子でいつでもどこでも釣れると思わないでくださいよ」

「エスパーか。つっても釣れなかった試しがないだろ」

「あえてです、あえて。あーえーて」

「へいへい」


 肩を竦めてしょうがないなと微笑むその姿に、私はつい唇を尖らせてしまう。

 しかし、兄上が思い出したように懐から出したJ・J・Jのメニュー表を見た私は、秒で機嫌が直った。






 ======================






「いや余裕でしたね」


 対立派閥も仲良しグループもひっくるめて挨拶回りが全て終わった。

 お菓子のこと考えてたらもう勇気凛凛、元気溌剌、余裕綽々、意気揚々である。正直何を言われたのかもまるで覚えていない。


「……いや、うん、あからさまに不機嫌な顔されるよりはマシだけど……。『ほほ、小鳥がなんぞ囀りよる』みたいな表情もそれはそれでよくないぞ。完全に引き攣っていたからなおっさんたち」


 渋い顔で咎められた。まったく、殴るなと言ったり笑うなと言ったり注文の多い……。


「終わったことはよいではありませんか。はやく義姉上のところに──」


 会場の遠くにいる義姉上を見つけた私は振り返ってそう言おうとしたその時、絶叫が聞こえてきた。


「ジョーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


 兄上の名を叫びながら走ってくる見知らぬ男。


「ふんっ!」

「のどぉわっ!?」


 それを迎え撃つ兄上によるのど輪。

 上下に逆方向の力が加わったことで哀れ一回転して床にうつぶせに倒れた男を心底冷たい目で見た後に視線を外した。


「行くぞサクラ」

「え? え?」


 スタスタとその場を後にする兄上に、私と周辺にいた人々は呆然としたまま固まってしまっていた。

 鳩が豆鉄砲を食ったようというか、鳩が豆鉄砲を撃ったのを見たみたいな。

 ありえない光景というか。問答無用の暴力は振るわないイメージがあった故に。


「あ、兄上ぇ……?」

「見るな、目が汚れる」


 止まってしまった私の手を取って兄上が引っ張り歩く。その顔は公爵の時よりも不快感が滲み、焦りと吐き気の入り混じったなんとも複雑な表情をしていた。


「ああ、先に言っておく。あれは一応俺の同期だが何を言おうと信じるなよ? 俺はあれが嫌いだし、フィクションによくある『冷たい態度は友情の裏返しで本当は唯一心を開ける気の置けない親友』なんて設定は断じてない、断じてだ」

「は、はい……」


 強い語調でそう断言するにはそれ相応の理由があるのだろう。

 でも──


「そうとも! 私はジョーの親友ではない! 我々の関係性はその程度の安っぽい言葉で語れるようなものではないのだから! それ以上の縁で結ばれた運命共同体にも似た存在! 俺こそは! 鬼才と名高きジョー・アブソルートと学園において長きに渡り鎬を削り、覇を競いあった生涯の宿敵! 貴族の嫡男として同じ年同じ月同じ日に地上に舞い降りた、生まれながらの好敵手! そしていずれ奴の義兄となる男! ロイド・ナイトレイその人である!」


 ──こう言ってますが?


「…………………」


 兄上は額に手を当て、目を閉じて沈黙している。

 微妙な雰囲気の中、おずおずと尋ねる。


「えーっと……つまり、ジェシカ義姉様の兄君様?」

「その通りだ可愛らしい……いや美しいお嬢さん。初めましてかな? 俺はロイド、ジェシカの兄だ。君が噂のサクラちゃんだね、よろしく!」


 私の背に合わせて少しかがみながら金髪の偉丈夫は爽やかな笑みと共にその右手を差し出してくる。

 それに対し、これはご丁寧にどうもと私も握手をしようと手を差し出そうとしたとき、間に入り込むように兄上に遮られる。


「俺の妹に気軽に触れてくれるなよ、スカシ野郎が」

「おいおい、そう邪険に扱うことないだろ兄弟」

「黙れ、名誉毀損で訴えるぞ」

「義姉上の兄上……つまり私の義兄上ということでは……?」


 家族が、増えるの?


「そのと─「違う」


 食い気味に言われた。


「いいかサクラ、こいつは天上天下唯我独尊、世に並び立つ者はいない三国無双のクソ野郎だ、絶対に近づくんじゃないぞ、臓腑が腐る」


 臓腑が。


「兄上、この大陸の国は四つです」

「細かいことは気にするな」


 ふむ。


「ったく、何でここにいるんだお前、仕事はどうした」

「ジェシカから君が一向に会わせてくれないサクラちゃんが来ると聞いてね。仕事は部下に投げてきたのさっ!」

「上官には俺から報告しておく」

「それは本当にやめてください」


 ロイド殿は直角に腰を曲げる。

 なんというか、基本的には誰にでも人当たりの良い誠実な態度で接する兄上が感情を露わにしているのを見るとやっぱり「友情の裏返し」なのでは、と思ったり思わなかったり。

 独特なテンションですがそう悪い人には見えませんし。


「騙されるなよ、こいつは学園時代に最高九股していたような奴だ、刺されそうになった回数は一回や二回じゃない」

「あー……」

「それは違う、相手が勘違いしたんだ。私の愛は皆の物、誰か一人の器に収まるような大きさではないのだから」

「なっ? クズだろ?」

「理解です」


 そういうタイプのクズじゃったか。って感じです。

 でも、それだけ人に好かれるある種のカリスマや、九股を成立させるだけの計算深さや管理能力を持っている可能性もあるのだろう。

 ……いや、やっぱ顔だけかもしれない。


「どうだいサクラちゃん? 俺と危ない遊びでもしてみないかい?」

「妹に寄るなって言ってんだよ下半身男! 教育に悪い、サクラはまだ十三歳だぞ!」

「…………………十三歳?」

「おう」

「……十六歳じゃなくて?」

「十三歳です!」


 サクラサーティーン、狙った獲物は逃がしません。


「よし、では三年後にもう一度誘うことにしよう」


 切り替えが早い。


「二度と同じことが言えないようにその喉笛掻っ切ってやろうか……」


 私を後ろに庇いながら、グルル……と獅子や虎のように威嚇する兄上。

 そんなにこの人が嫌いなのだろうか、しかし、心配してくれるのはありがたいが杞憂というかなんというか。


「兄上、兄上」


 服をくいくいっと引っ張る。

 兄上が「何だ?」と振り返ったところで、サムズアップしながら言う。


「大丈夫です兄上、あれも海鮮丼です」

「…………………」


 すると兄上はロイド殿の方に向き直り。


「はっ」


 鼻で笑った。


「なんだかよくわからないがディスられたのか私は?」


 会話を理解できていないロイド殿は、しかし微妙なニュアンスを感じ取ったのか怪訝そうに言った。


「気にすんな海鮮丼」

「海鮮丼ってなにかな!? 悪口なのかなそれは!?」


 なんというか優雅なTHE・貴族って感じの見た目の男性ってなにか気に食わないんですよね。こう、後ろから刺したくなるというか。刺したことないけど。

 やっぱりこう眼帯で、傷だらけで、彫が深くて皺が濃く、声はしゃがれて、髭が豊かな眼光鋭く威厳のあるロマンスグレーとかがいいですよね。うん。


「でもまあ、この女誑しは一応三年以内に前科付けとくか」

「私が犯罪に手を染める前提で話さないでほしいな!」

「叩けば埃の出る体でよく言う……主に女性関係で」

「…………………」


 顔を逸らして無言になるあたり事実らしい。


「あら、女誑しなのは兄様だけではないのでは?」

「え」

「あっ!」


 後ろから涼やかな声がからかうように聞こえて、私と兄上は声を上げた。


「義姉上!」


 振り返るとジェシカ・ナイトレイ伯爵令嬢の、優しい笑顔がそこにはあった。


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