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闇と光

 ただ駆ける。駆ける。ひたすらに駆ける。

 息はあがっているが関係ない。

 一歩踏み出す度に全身が激しく痛むが関係ない。

 魔力も底を尽きかけて、欠乏から脳がぐらぐらと揺らぐが関係ない。


 今はただ、ここから彼女を連れ帰るためだけに駆ける。

 もと来た道を戻るだけとはいえ、入り組んだ坑道を迷わず進むのは難しい。

 それでも風の流れから正解のルートを模索し、外の匂いを感じ取ろうとする。

 

 ――焦るな。大丈夫、もう出口は近い。


 必死に自分に言い聞かせながらリアンは走る。

 そして、少し開けた空間へ出た辺りで雰囲気が明らかに変わる。

 淀んだ洞窟内の空気に交じる、冷たく澄んだ空気の動き。

 間違いない、外に通じる通路が近い。


 だが、ようやく掴んだ僅かな希望は次の瞬間に黒く塗りつぶされる。


 何処からともなく現れる異形。それも一体ではない。十を軽く越えるそれぞれ形体の異なる異形がリアンの周囲に湧き上がってきたのだ。


「……なっ…………!?」


 絶句する。

 アーノルドですら苦戦する化物がこんなにも。

 絶望的すぎる戦力差に加えて、更に目の前に新たな別の影が現れる。


 それは髑髏だった。

 空中に浮かぶ真っ赤な髑髏。人間のもののようにも見えるが、眼孔は異常に鋭く、輪郭の歪み方が余りに禍々しい。

 鮮血のような霧状のオーラを纏い、周囲に毒々しく振りまいている。


 怨霊。


 まさにそれは怨霊だった。

 リアンは直観する。これは魔の存在であると。

 如何なる由縁のものかは分からない。

 魔界からの侵略者か、邪念の集合体か、それとも魔力的な生命体か。

 兎角、これは本当にどうしようもない相手だと理解してしまう。


 身体が震える。抑えることが出来ない。

 情けないとすら思うことすら出来ない。

 あまりに原始的で根源的な恐怖。歯の根が合わない。

 

 逃げなくては。――どうやって?

 抗わねば。――どうやって?

 生き延びねば。――どうやって?


 いくら思考を巡らせても空回りする。

 恐怖で思考が鈍っているのはあるだろう。

 だが、それ以上に相手が悪すぎる。手の打ちようがない。


 もぞりと背中のぬくもりが動く。


 ヤーナの意識が戻った様子はない。

 恐らく特級の邪気と、それによって強張った身体に反応したのだろう。


 真紅の髑髏がゆらりと揺れる。

 揺らぎに合わせて周囲の異形の包囲が縮まる。

 

 リアンは心臓を握り潰されるような圧力を感じながら、静かに焦る。

 すぐにでも逃げ出さなければ間違いなく死ぬ。

 しかし、異形がゆったりと動いているのも、真紅の髑髏が直接襲ってくることがないのも今リアン達が目立った動きを見せていないからではないか。

 だとすれば、動き出せばその瞬間に八つ裂きにされても不思議ではない。


 リアンは必死に活路を探す。

 残りの体力と魔力、装備。囲む敵の配置と戦力。正体不明の敵の意図や性質。

 呼吸が震える。髑髏を直視するだけで魂が凍るようで、ぐらぐらと頭が酷く痛む。

 

 どうすれば。どうすればいい。

 どうすればヤーナと一緒に帰れる。


 決まっている。答えなど一つしかない。

 待っていて道が開けるものか。


 そしてリアンは覚悟を決める。

 残る魔力で全力の術式を炸裂させて、髑髏とは真逆に全力で逃げる。

 もはや策とも言えない、破れかぶれの逃走だ。

 だが、それでも死を待つだけよりもずっと良い。


『――無駄だ。小さき者。死を受け入れよ』


 頭の奥を揺さぶるような声。

 聞いているだけで怖気が走り、全身に氷柱が突き刺さったように冷たく震える。


『――何故死を拒む。人の子よ。生き汚さは悪徳である』


 邪悪極まる髑髏に悪徳を謗られて、思わずリアンは唇を歪める。


「……少し前までの俺だったら諦めてたのかもしれない」


 リアンが真っ直ぐに髑髏を見据える。

 瞳の奥に強い光を湛えて。


「一人きりで、先の見えない道を彷徨い歩いていた頃なら、さっぱり諦めてたのかもしれない」


 両の足に力を込めて、リアンは真っ直ぐに立つ。

 指先の震えを抑え込んで、力強く声を放つ。


「帰りたい場所が出来たんだ。今の俺には帰る場所があるんだ。だから――()()()()()()()()!!!」


 そしてリアンは走り出す。

 向かう先は後ろではなく、前。宙に浮かぶ髑髏の方へ向かって突き進む。

 動きは平時に比べれば遥かに鈍い。

 それでも残るありたけの力を推進力に換えて、リアンは走る。


 周囲から異形が飛びかかる。

 酷くゆっくりと時間が流れる。

 髑髏が揺らぎ、鮮紅のオーラが渦巻く。

 恐らくは何らかの魔術の発動の前兆。

 全てをくぐり抜けて、その先の外に通じるはずの道へと駆け込むにはどれだけ細い針の穴を通さねばならぬのか。そもそもそんな穴などあるのだろうか。


 いや、やるのだ。やるしかないのだ。

 俺は絶対に生きて帰るのだ。



「――その通り。あなたには、帰る場所がある。だから、早く帰ってきなさい?」



 突如響く柔らかな声音。

 あたたかで、優しくて、思わず眠りそうになる、陽光のような声。


 光が満ちる。

 比喩ではなく、周囲が目が開けられぬ程の極光に溢れる。


『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッ!?!??!!?!!!?』


 魂まで響くような、どす黒い絶叫が響き渡る。

 人ならぬ存在の苦悶の叫び。

 視界は光に塗りつぶされて何も見えないが、あの髑髏の声だと理解する。


『馬鹿な馬鹿な馬鹿な我が我が我がアアアアアアアアアアアアアアア!?!??』

「どこぞの悪魔か悪霊かは知りませんが、ウチの可愛い子に手を出した罪は重い。()く失せなさい、不浄の者よ」


 光が少しずつ霞んでいく。

 ゆっくりと坑道の岩肌が見えるようになってくる。


 目の前には何もない。

 異形も髑髏もすっかり消え失せていた。


 あまりにも呆気ない。

 あれほどの凶魔を一瞬で跡形もなく浄化するような使い手。

 そんなものは、リアンが知る限りたった一人しかいない。


「――全く!! 日が沈んでも帰ってくる気配がないと思ったら突然早馬が飛び込んできて、リアン君が野盗を撃退した上にアジトに殴り込んだって大騒ぎです!! ほんっっっっっっっっっっとうに心配したんですからね!!」

「……ルシャ、説教をする前に回復したほうがいい。多分もう聞こえてない」


 声が次第に遠くなる。

 視界が次第に暗くなる。


 慌てた様子で駆け寄ってくる幾つかの足音を耳にしながら、緊張の糸の切れたリアンはゆっくりと気を失うのだった。


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