お家へ帰る、時間だよ
カンカンカンカン、しつこいくらいに、危険を示して、電車が来るので気をつけて下さいアピールをするその音が嫌い。
ガタンガタン、揺れる地面も嫌い。
好きなのは、電車の通る瞬間。
ゴオッ、なんて重たい重低音で突っ切っていく鉄の塊が、強い風を起こして、髪を巻き上げる。
その瞬間が好きで好きで――。
ザリザリ、コンクリートの地面で靴底を削るように歩いていた足を止めずに、もっと近く、と踏み出す。
黒と黄色が交互になった遮断機が行く手を阻む。
ガタンガタン、振動の伝わる地面から顔を上げて、やって来る鉄の塊に目を向けた。
移動手段として、こんな鉄の塊を作ってしまう人間は、怠惰なのか勤勉なのか。
移動を楽にしたいという、怠惰な気持ち。
手軽に使える移動手段を作ってしまう、勤勉さ。
あぁ、人間って、不思議。
迫る鉄の塊目掛けて、もう一歩――。
***
カンカンカン……と徐々に小さくなっていく警告音に合わせて、重たい腰でも上げるみたいにゆっくり持ち上がっていく遮断機。
髪を巻き上げた風のせいで前髪も後ろ髪も乱れてる。
後ろから聞こえる息切れと、変に前のめりになったボクの体。
あと一歩だったのに、それを妨げたのは、服を掴む手で、未だにしっかりと服が握られている。
首だけで振り向けば、深く息を吐き出している、ボクの進行を妨げた人物と目が合う。
長い前髪の隙間から覗く左目は、薄い淀んだ水色。
いつも通り見えている右目は、青みがかった黒。
浮かんだ汗に張り付く髪が鬱陶しそう。
「帰る時間だろ」
開口一番にそう言った目の前の人物――長年の付き合いの幼馴染み。
腐れ縁とも言うが、長年の付き合い過ぎて、最早腐り落ちているかも知れない。
そんな幼馴染みは過保護で、夕日が街を染めるくらいの時間なのに帰宅を促した。
ゆっくりとボクの服から手を離した幼馴染みは、その手で左目を隠すために前髪を整える。
それを見ながら、体ごと幼馴染みの方を向きながら「そうだっけ」と返す。
そうだろ、なんて返ってきても、帰宅時間なんて定められた覚えがないので分からない。
今日は他の幼馴染みも交えてご飯を食べるらしい、というか、既に作っているとか何とか。
軽く頷きながら、そっか、と呟けば、やっぱり返ってくる言葉は、そうだろ。
今日のご飯はなんだろう、次の電車が来るのは後どれくらいだろう。
緩く結い上げた髪を触りながら、どうしようかな、と視線を空へ投げた。
真っ赤な空が、街を染めている。
赤いなぁ、これが血だったらグロイんだろうなぁ。
酷くぼんやりとした、モヤでもかかったような思考は、再度掛けられた声で霧散する。
「引きこもりより、散歩してるだけいいけど。あんまり遠くに行くなよ」
溜息混じりに吐かれた言葉に、瞬きを二回。
目の前では、ガシガシ、居心地悪そうに髪を乱している幼馴染みの姿。
ボクもボクで、そんなに居心地は良くない。
だから、同じようにボクはボクの前髪を乱してから、幼馴染みの手を取った。
息切れをしていたのは、走って来たからで、体温も上がっていそうだなぁ、なんて思ったのに、手汗すら感じないサラサラした手の平。
それをぎゅむぎゅむ、強弱を付けて握る。
え、何、なんて不審そうな声を出す幼馴染みを無視して、ぎゅむぎゅむ。
何処からともなく焼き魚の匂いがして、先程の今日の晩ご飯は何だろう、という疑問が再浮上する。
そうすれば、今の今まで感じなかった空腹感が湧き上がってきて、ぐぅ、とか細い音。
異性だとしても、今更幼馴染みの前で恥ずかしがることもなければ、誤魔化すこともない。
人間の基本的欲求だから、その一言に尽きるものを、いちいち恥ずかしがったり、誤魔化したりする方が無駄だろう。
片手では幼馴染みの手を握り、もう片方の手では自分の胃の辺りを撫でる。
空っぽの胃はぐるぐる動きながら、胃液を増やしては無駄に粘膜を傷付けようとする。
意識をしたら胃が痛くなってきた。
「お腹空いたね」
「……そうかよ」
「お腹空いたから、帰ろうか」
自然な流れで幼馴染みの手を貝合わせに繋ぎ方を変える。
お魚食べたいなぁ、なんて言いながら歩き出せば、和食なら何でもいい、と返ってきて、気の抜けた笑い声が漏れた。
手を繋いで、二人、血みたいに真っ赤な街並みを見ながらお家へ帰る。
たまには悪くないかな、目を細めれば、隣で薄く笑う幼馴染みがいて、手に力を込めた。