2話 瞬間死
目が覚めると、見慣れない光景が広がっていた。
ここは…レース場だろうか?
手にはゲーム機のコントローラのような、しっちゃかめっちゃかにボタンが着いたものを握っている。
というか、何か乗り物を運転している最中なのか?
けたたましいエンジン音、吹き付ける風、スピードは恐ろしいくらいに早く、まるで風になったようだ。
「ん?この道、右に曲がって…」
右曲がりのカーブがあることに反応が遅れたが、ハンドルを曲げられないまま、壁がどんどん近づいてくる。
もうどうにもならないと、恐怖で目をつぶろうとしたその瞬間、目の前が真っ白い光に包まれた。
「早かったですね。」
先程自らを閻魔大王と名乗っていた男が目の前に座っている。
閻魔大王のイメージとは裏腹に、校長先生のような風貌の男だ。
僕は再びあの殺風景な、白い地獄へと戻ってきたのか。
同情めいた微笑みを浮かべ、煙草を吸いながらそのまま話を続けた。
「まあ、痛みや恐怖を感じない死に方で良かったですねえ…最初ですから」
「今のは一体何だったんです?」
「今のが説明したあなたの罰です。無限死地獄ですよ」
紫煙をくゆらせながら、言う。
「無限死、ということは、今私は死んだのですか」
「ええ、F1のレース中にカーブを曲がりきれず即死。最後だけド素人のあなたが運転したので、全くハンドルの操作がないままに壁に突っ込む形になったせいで世間は今頃陰謀説とか自殺説だとかで大騒ぎですがね」
「最後だけ・・・?」
「ええ、それまでは"あなた"ではなかったのですから。
今死んだのはあなたではなく、現世の人間なのです」
「では、私は先ほど、一般の人を死に追いやったということですか?」
「別にあなたが殺したとか、終止符を打っただとか、そんなわけではありません。著しく望みの薄いラストチャンスをふいにした、そんなもんです」
自分がどういうメカニズムであのレース場で目覚め、そしてまたここに戻ってきたのか、全く理解ができなかった。
私は閻魔に質問を続ける。
「死ぬ直前だけ意識が私のものになっていた…ということは、私が他人の体に私が憑依していたということですか?」
「分かりやすく言うとそうなりますね」
閻魔は煙草を手元の灰皿に擦り付け、一息ついて話しだした。
「無限死地獄とは、罪人が文字通り『無限に死ぬ』、というものです。
ただ、終わりの条件というものがありまして。
これは至って単純明快なもので、憑依中に死ななければ無限死地獄は終わり。
地獄から解放、つまり成仏して、次の罪人に罰のバトンが渡されます。
無限死地獄は死が目の前に迫った人間に憑依し、
死んだらまた次、死ななければ終わり、無事成仏。こういうシステムなのです」
「では、先ほど死んだのは私ではなくただのF1レーサーだったと?」
F1レーサーにただの、というのもおかしな話だが。
「そうです。先程死んだのはあなたではなくただのF1レーサーです。精神はあなたのものでしたがね。」
「では、私がうまく運転していれば死ぬことはなかった…?」
「まあそうですが、F1なんて素人に運転できる代物じゃないですからねえ。
あなたが憑依したのも長いストレートコースの途中で、ほとんど最高速だった。
タイミングが最悪でしたね。ほとんど訳も分からないまま壁に突っ込んだのでしょう。
あなたが憑依するのは死が目の前に迫った人間だけです。
仮に憑依しなくても彼はあのまま事故死する運命だったのです。」
「もっとも、彼はプロでしたので、本来は壁に真正面からぶつかるのではなく、曲がりきれずに…という形だったとは思いますが」
閻魔は私がまともに運転できなかったのが可笑しかったのか、微笑みを浮かべて続けた。
「そうそう、あなたが憑依する人間は死が迫っていて、
なおかつ地獄行きの資格がある者のみです。心配はいりません。」
「地獄行きの…資格?」
「ええ、彼もまた罪を犯した人間だったのです。」
「一体、どの様な罪だったのですか?」
「それはプライバシーに関わることですからねえ。ほら、今は個人情報にうるさい時代ですから。」
人を何度も死なせようとしているのに、コンプライアンスを重視するのか。
世間の流れに乗じて地獄も民営化してしまったのか?
株式会社地獄。ロクでもない企業だ。
「では、私はどのような罪を犯したのですか?」
実際、それはかなり気になっていた。
自分がどんな悪逆非道な大罪を犯し、繰り返し何度も死ななければならない、『無限死地獄』という惨たらしい罰を受けるまでになったのか。
ここに来るまでの記憶は全くないが、もし自分が人の血で汚れきっているような人間ならば、今の私も前の私も同じなのではあるだろうけれども甚だ恐ろしくてたまらない。
「それもまた秘密です。とにかく、死なないように頑張ってください」
「……頑張ります」
納得はこれっぽっちもできなかったが、
不思議な力でいきなりレースを走る人間の中に憑依して死んだのを考えると、
やはり『無限死地獄』というのは本当に私の身にかかるものなのだな、と認識できてしまった。
これから、死から逃れられるまで、何度も死ぬ直前の人間に憑依して、何度も死ななければならない。
さっきは痛みや恐怖を感じる間もなく死ねた。
しかし、これからは死の恐怖や痛みに怯えながら、苦しみながら死ぬのを何度も繰り返すと思うと
待ち受ける『無限死地獄』が恐ろしくて仕方なかった。
「次の執行が始まるようです」
閻魔が無慈悲な宣告を僕に告げる。
また、視界が白い光でいっぱいになった。