1話 目覚め
目が覚めると、そこは真っ白なところだった。
真っ白とは言っても、混じり気のない純白というわけではなく、ある程度人工的に調整された見やすい白、といったようだ。
妙に無機質な空間である。
壁も天井もないので、ただ白い空間がどこまでも広がっているのではないだろうかと感じた。
10mほど先に大きな机があり、ひとりの男がそこに構えている。
ここが小学校ならば一目でこれが校長先生の机だと思えるような立派な木製の机だった。
座っている人物も、白髪まじりで凛とした感じの、茶色いスーツを身にまとった中年の男性だ。
この人が本当に小学校にいても、この人が絶対に校長先生だと思いそうなルックスであった。
今の自分の状況が何一つ分からないし、夢であるように思えたので、目の前の校長先生に尋ねてみる。
「あなたは誰です?これはやはり夢なのですか?」
「私は閻魔大王です。ようこそ地獄へ」
耳を疑った。こんな淡白な地獄があるものか。
地獄といえば岩だらけで、そこらで獄卒が亡者を痛めつけていて、溶岩が沸き立っているような場所だと相場は決まっている。
しかもこんな校長先生みたいなおじさんが閻魔大王…
なんかこう、巨大な鬼の大ボスみたいなものではないのか。
白髪の混じった髪でもかっこいい、弱々しさのない、いい感じのナイスミドルではないか。
「地獄へ堕ちた方はみんなそういう反応をしますね。
やはり、溶岩ドロドロ、鬼がうじゃうじゃが地獄のイメージなのでしょうね。」
「ここは地獄、ですか?」
もう一度尋ねてみる。
そもそも自分が、地獄へ堕ちるような罪を犯した覚えもない。
「ここは地獄です。それ以外の何物でもない。先入観とか固まったイメージを持つのはよくありません。逆に聞きましょう。あなたは誰ですか?」
「私は……」
自分の名前を口にしようとしたその瞬間、固まってしまった。
私の名前は何だ?私は何者だ?全く脳に浮かんでこない。
不思議だった。自我をもってここに立っているというのに。
自分のことさえも分からないあたり、死んで、本当に地獄に堕ちたのかもしれない。
「いつもの反応ですね。みなさんも自分のことは忘れて堕ちてくるので気にしないでください」
妙な気遣いを見せてくれた校長先生だが、疑問は何一つ解消されない。
「なぜ記憶が無くなっているのですか?」
「地獄だからです」
何の答えにもなっていないではないかと思ったが、やはり地獄とはこういう不条理な場所なのかもしれない。
このまま同じ質問を3度したら、閻魔の怒りを買って地獄の雷に打たれてしまうのではないだろうか。
「私はここで何をするんですか?罰を受けるのですか?それとも、あなたの秘書とか、事務員ですか?」
「ここでの仕事は私1人で十分に回せるので補助は必要ありませんよ。もし要るとしても美人を雇います。目の保養になりますから」
暗に私が美人ではないことを示されたのだろうか。
「あなたが今からここで受けるのは罰です。現世で犯した罪を償うための罰」
「この地獄って、こんな真っ白で、見た目のイメージは現世のものとまるっきり違うくせに罰だけはきっちりあるんですね」
「本質はいっしょ、ってところですかね」
「なんだかどうにも他人事な話し方ですね」
もっとも完全に他人であるし、違う世のひとなので当たり前だが。
「あなたで何人目だと思っているんですか?今年の東京ドームの観客動員数と同じくらいですよ、そりゃ他人事みたいにもなります。」
やけに俗っぽいことを知っている閻魔大王だ。
「ところでその罰というのは?」
「無限死地獄、です」
とても物騒な名前が校長の口から出た。
どんな恐ろしいことが降りかかるのかと考えるだけで体がこわばる。
「安心してください、無限とは名ばかりです。あなた次第ですがね。まあ、百聞は一見に如かずです。頑張ってください」
妙に感情のこもっていない口調を聞いた直後、視界が白い光に包まれ、いつの間にか気を失っていた。