エレメント・フォース~とある騎士の物語~
世界は、そう、比較的平和なのだろう。
大きな戦争は長らく起こっていない。それはあくまで何も知らない子供が見る一面ではあるが、少なくとも混沌の世ではないだろう。
だが、少女達には『今更』平和が訪れても知ったことではなかった。
イギリス某所。剣呑な空気は一切なく、それこそ世界一平和な町と言っても過言ではない穏やかな時間が流れる町。
そこに、一つの孤児院があった。
正確には孤児院ではないが、周囲の人間はそう呼んでいる。
入院する孤児は二人。管理する大人は二人、老いた夫婦だ。
そもそもの始まりは数年前。夫であるフギはロンドン滞在時、路地裏に潜んでいたストリートチルドレンに襲われた経験がある。
数は二人。どちらも幼い少女で大の大人を相手に出来るほどの力を持たない。
当然フギは軽く追い払ったが、二人の少女は地面を舐めながらもフギを手元から目を離すことはなかった。
生への執着。油でぎらつく瞳から発せられた『生きたい』という想い。
――その想いがフギの心を動かした訳ではない。
フギには子供が居なかった。妻のマイリは生まれつき病弱で子を宿せなかったのだ。
だからフギはこう思ったのだ。
もう先の無い生涯だ、この子達を利用して――親として死なせてもらおう。
そうすれば少女らも衣食住に困ることもないだろう、と。
突然連れ帰ったストリートチルドレンに、マイリは文句ひとつ言わなかった。
これはマイリが優しかったから、というわけではない。
彼女は連れ帰った少女二人を『自分が産んだ実の娘』だと勘違いしたのだ。
認知症である。
これも好都合だとフギは思った。
これで皆が幸せになれる。
誰も苦しまない。誰もが幸せだ。誰も孤独ではない。
穏やかは日差しの下、ガーデンに設けたパラソルの中でイスに掛けるフギは娘を呼ぶ。
茶色の癖毛をポニーテールに束ねたそばかすの可憐な少女を、ノラン――と。
金髪の長い髪を掻き上げながら微笑む凛とした美しい少女を、アリス――と。
「……出会えてよかったよ、儂らの愛しい娘たち」
毎日必ず声にする言葉。明日もきっと、そう信じて、フギは眠りについた。
☆ ☆ ☆
平穏の崩壊は唐突だった。
突如、町は炎に包まれ、町民は『追ってくる炎』から逃れられず焼き殺される。
炎の色は、白かった。神々しいまでに、どこまでも純白で。
アリスはただ見ていた。
目の前で焼かれていく父を、母を。その手に死した友の身体を抱えながら。
「無くなっていく……私が愛したもの全部……どうして……」
流れる涙は蒸発し、脳内を大切な記憶が駆け巡る。
ストリートチルドレン時代の話だ。
互いに名を捨てた少女らは、互いをどう呼ぶべきか悩んでいた。
『あなたは、何か好きなものとかないの?』
『好きなものですかー? いきなり言われてもですねー……うーん……』
『あなたはイギリス生まれよね?』
『でなければ他の街で野垂れ死んでますね』
『ふふ、それもそうね。なら、アーサー王物語は好きかしら?』
『知ってはいますが、好きと言えるほど理解はないです。でもなぜ?』
『いえ、知らないならむしろ好都合よ。だってあなたもアーサー王物語が好きなら、好き嫌いで言い合いになるでしょう?』
『うーん、そうでしょうか?』
『その可能性がある、ってことよ』
『はあ……で、なんなんですかそれが』
『うん、そうね……ガラハッドはどうかしら?』
『?』
『ガラハッドはね、アーサー王から「最も偉大な騎士」と呼ばれた騎士なの。そして円卓の騎士たちの中で、唯一「最も穢れの無い騎士」として神に召されたの』
『つまり、凄い騎士ですか?』
『そうよ。強くて、穢れの無い、誇り高くて凄い騎士よ』
『わわっ、なんですか突然! そんな手付きで頬を触らないでください!』
『ふふ、いいでしょう? だってすごく綺麗なんだもの』
『……き、綺麗ですか? あ、あり得ません。だってお風呂なんて入れないし、服だってボロボロの布きれで……』
『そういう問題じゃないのよ。あなたは――ガラハッドは心が綺麗だわ』
『ひゃうん……だから、その手付きを』
『ごめんなさい、可愛くてつい』
『もう……で、あなたの名前はどうするんですか?』
『私、私か……何でもいいし、ガラハッドの母でもあるランスロットでいいかな』
『なんかすごい名前ですね、ランスロット』
『そうね、ガラハッド』
フギ老人と出会った日の夜。
老人はガラハッドとランスロットにウチで暮らさないか? と持ち掛け、明日の夕刻にまた来ると言い残して去っていった。
『どうしますか。ランスロット?』
『……ガラハッドは、どうしたい?』
『私は……――ガラハッドちゃんはランスロットと一緒に居れれば何でも!』
『ガラハッド……』
『でも……』
『どうしたの?』
『あの老人、少しだけ似てました……昔のパパに』
『ガラハッドはまだパパを恨んでる?』
『いいえ。もう忘れましたよ、家族の事を裏切ったパパも……私を殺そうとして失敗したた挙句、自害して私を一人にしたママも』
『……あの老人は、嫌?』
『どう、でしょうか……重なる昔のパパは優しい人でした。でも私を置いて消えた』
『重なるが故に……ね』
『はい……。ランスロットは、どうですか?』
『……私が、これまで私が愛した人たちは皆死んでいった。きっとそういう星の元に生まれたとしか言いようがないほどに……だから、このままあの老人に拾われてしまえば、きっと私は愛してしまう。老人だけじゃなく、あなたの事もより強く……』
『愛するのが怖いですか?』
『怖いわ』
『ならランスロットは愛さなくていいです』
『え?』
『その分、ガラハッドちゃんがランスロットを愛します。愛し続けます』
『……だめよ』
『ダメじゃないです。ガラハッドちゃんはそういう星の元に生まれてませんし』
『だめよ……だってそんなことされたら、愛したくなっちゃうから』
『大丈夫ですよ。そんなこと言える時点で「ランスロットは既に愛してしまってる」んですから。それにあなたは「ランスロット」。もう過去のあなたじゃない』
『……今度は何も失わない?』
『少なくともガラハッドちゃんはずっと側にいますよ』
『……ありがとう、愛しているわガラハッド』
『まあ「そっちの気」はありませんけどね』
フギ老人に引き取られたガラハッドとランスロットは、これより父となるフギ老人から新しい名前を授かることになった。
ガラハッドはノラン。
ランスロットはアリス。
それでも二人は、二人きりのときだけ「騎士の名」を呼び合っていた。
実に何年ぶりかという幸せな暮らし。
始まりが唐突ならば、終わりも唐突だった。
『そういえばランスロット、明日が誕生日では?』
『ああ、本当にそういえば、ね。次で16だったかしら』
『ガラハッドちゃんは今年でやっと13です』
『もっと下でもおかしくないけどね』
『それは子供っぽいってことですか!?』
『良い意味でよ良い意味で』
『むむむ、ふんっだ!』
その日、ガラハッドはランスロットを口を利かなかった。
ついにランスロットは「なによそのくらいで」と拗ねてしまったが、自分にはそのくらいでも彼女からしたら傷つくほどだったのだと冷静に考え直し、謝罪することにした。
翌日、目覚めたランスロットは部屋にガラハッドの姿がない為、部屋を出てリビングへの階段を降りた。
直後。ランスロット――アリスの耳にクラッカー音が響いた。
『ラン――アリス、誕生日おめでとう!』
『ほっほ、おめでとうアリス』
『おめでとうアリスちゃん。さあさあ、たんとお食べ』
パーティ衣装に身を包み、テーブルには贅沢な食べ物がずらりと並んでいた。
アリスの視界がじわりと滲む。
『これ……』
『ごめんなさいアリス!』
『ノラン……』
『昨日あんなことで拗ねちゃって……どうしようって悩んでたら、おじいちゃんがサプライズ誕生日パーティで驚かせてやろうって……嫌でしたか?』
『……ノラン!』
『わわっ、急に抱き付いてどうしたんですか?』
『ありがとう。今の私は世界一幸せだわ。おじいちゃんもおばあちゃんも、ありがとう』
誕生日。人生の始まった節目の日。
『こんな贅沢な食事、もったいなくて食べれないわ』
始まりの日。その裏にはいつも、終わりが息を潜めている。
『ノラン、おばあちゃんに切り分けてあげて』
『はーい!』
そう、今この瞬間、世界一幸せな日の裏には、世界一不幸な日が蠢いている。
『じゃ、いただきま――――』
ゆえに、終わりは唐突にやってくる。
――視界は、純白に埋め尽くされた。
『うぅ……』
アリス――ランスロットは肌を焼く熱に目を覚ました。
自分の体は蹲るように倒れており、視界が少しずつ回復していく。
上に何かが覆いかぶさっているのが判った。
左右に何かが転がっているのが判った。
奥で、何かが燃えているのが判った。
白い炎。それが家を焼いていた。
アリス達を守るように覆いかぶさっているフギ老人は薄らと目を開けていたが、背に燃え移った白炎に飲み込まれるのは時間の問題だろう。
アリスの両隣にはマイリとガラハッドが倒れている。意識がなかった。
『……ア、リス』
『おじいちゃん……これはなに……』
『わからん……それより、逃げろ……』
ランスロットはガラハッドとマイリを見る。
だがフギは静かに首を横に振った。
『アリス、お前だけでも生きてくれ……』
『でも……でも!』
『老人の過ぎた遊び……じゃが知らぬ間に、深く愛してしまったようじゃ……』
フギの言葉がランスロットの全身を縛り上げた。
愛されてしまった。
愛されたが故に、無意識に愛してしまった。
この人なら大丈夫。愛してもずっと側にいてくれる。
――何度目だ?
――失うのは何度目だ?
――愛するのは、
愛 し て し ま っ た の は 何 度 目 だ ?
崩れていくランスロットの心。
父母は白炎に焼かれて灰となり、
唯一の友ガラハッドの亡骸を抱えて、
ランスロットもまた、死んでいく。
「天使、子供を見つけた」
「今の一撃で生きてたの? そっか、じゃあ回収しておいて」
英語ではないどこかの言語で話す声が聞こえる。
虚ろなランスロットの視界に金髪の女性が映る。
とても美しく、燃え盛る白炎のように――酷く醜かった。
女性は問う。
『心が壊れかけているところ済まないが、その子を生き返らせてやろうか?』
そんなこと出来るはずがないだろう。
『あと一分以内に答えてくれるなら、可能だが』
本当に出来るの?
『ああ。っと言い忘れたが、この炎は私のものでな。その子や君の親を焼き殺したのは私なんだが、それでも頼るか?』
…………今なんて?
『54』
待って、今なんて言ったの?
『46』
待ちなさいよ、あんたが全部やったの!?
『30』
犯人のくせに何を上から言ってるのよ!
『23』
生き返らせるのなんて当然でしょ!? 償え、全部償え!
『残り18秒だ。もっとはっきりした言葉が欲しいな』
ふざけないで、ふざけないで!!
『10』
待ってよ、
『9』
待ちなさいよ、
『8』
ガラハッドだけじゃなく、おじいちゃんとおばあちゃんも!
『6』
なんで、なんでダメなのよ!
『5』
………………。
『4』
――――――。
『3』
……判った。
『2』
『私から大切なモノを奪ったあんたでもいい……ガラハッド「だけでも」助けて!』
『1』
『お願い! ガラハッド「だけを」助けて!』
ようやく、白炎の女性は口角を吊り上げた。
ガラハッドの身体が光に包まれ、息を吹き返していく。
『あぁ……』
ランスロットは口にして、ようやく悟った。
初めて「自分から大切なモノを捨てた」ということを。
もはや、自分に人を愛せる資格など無いことを。
捧げてしまったのだ、白き炎の悪魔に――魂を。
フランス・パリ。
体内に注入された魔力の影響で金色から蒼へと変色した長い髪を揺らす湖の騎士ランスロットは自身の過去を想起し、そこで想起をやめた。
今は他にやるべきことがある。
ガラハッドが先行して飛び出した。
「本当に自由な子ね」
そう呟き、ランスロットは愛剣を構えた。
マリエル・ランサナー卿に賜った魔装具。
世界で最も恨んでいる女から与えられた忠誠の剣。
あの女を倒すには、まず眼前の『本物』を討ち斃そう。
全ては、それからだ。
戦場に蒼い軌跡が二本、交錯した。