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【プロローグ】

 ピッ、ピッ。

 しごく機械的な音が、断続的にひびく。前から、後ろから。そして、自分の手元でも。

「次のお客様、どうぞ」

 一人の客をさばき、次の客へ。

 ピッ、ピッ。

 カゴの中に入れられた商品を、ひとつひとつ手にとっては、バーコードリーダにかざしてゆく。

 ピッ、ピッ、ピッ。

 雑然としたスーパーマーケットの片隅。一番奥のレジ。一日のほとんどを、一週間のほとんどを、一年のほとんどを、私はここで過ごす。

 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。

 読み取り音がゲシュタルト崩壊をおこし、何らか意味をもって自分に語りかけてきているのではないか。そういう気にさえなってくる。

 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッピッピッピッピピピピピ。

「やあ」

 作業ルーチンを乱す、突然の声。意表をつかれて顔を上げる。

「あ、どうも……」

 目の前にいたのは、常連の男だった。毎日ここで買い物をしては、毎回私のレジを通っていく、一人の男性。

「大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど」

 ずい、とこちらを覗き込んできた。大きな双眼がきょろりとこちらを見据えている。

「大丈夫、です」

 ふと、先ほどまで混濁していた頭の中がスッキリしていることに気づいた。

 両手は無意識のうちに、男がもってきたカゴの商品を一つずつ読み取っては、もう一つのカゴへと商品を移しかえている。長年の経験を積んだ肉体が、半自動的に両手を動かしているのだ。

 ピッ、ピッ。

 男はシャツにスラックスという出で立ちだった。秋に入ったとはいえ、まだ残暑のきつい時期だからか、ジャケットは左腕にかけて持ってある。服はどれも総じて安物っぽかった。長年使い倒されているものらしく、きちんとクリーニングには出してはいるようだが、生地はくたびれてハリがなくなっている。いかにも着古した感じのスーツだ。

 ごみごみとした風景のこの街には、掃いて捨てるほど存在するいち労働者。眼前に佇むこの男は、一見すれば、そんなありふれた人間の一人にしか見えない。

 しかし私は、なにか言い知れぬ違和感を、この男に対して感じていた。最初に会った頃から――たしか一年と半年ほど前のはずだ。その頃からずっと、この男はなにか特別な存在なのではないか。そんな想像が頭から離れない。

「今日は、またずいぶん暑いね」

 ふいに男が話しかけてきた。

「そうですね」

 他愛なく、そう返す。

「まいるね、もう秋だというのに」

 ひらひらと手で仰ぐ仕草をして、男はにこり、と小さく笑った。

 こうして些細な会話をかわすようになったのは、私がこの男を常連客として意識しはじめてから、すぐのことであった。

 会話といっても二言や三言、つまらない世間話をするくらいで、特に踏み込んだ内容について話し込むということはない。そもそも、あまり話込むと仕事に支障をきたすことになるので、したくてもできないというのが本当のところだが。

 ピッ、ピッ。

 仕事をこなしながら、横目に男の顔を見た。

 特に、あげつらうほど特徴のある顔立ちではない。美醜についてもそうであるし、ここ、と目をひくポイントもない。印象に残りにくい、どこにでもいそうな顔。無個性とも言える。

 私の視線を感じたのか、再び男が微笑した。なにか後ろめたくなって、私も愛想笑いで返す。

 ピッ、ピッ。

 全ての商品を読み取り終えた。会計時は特に会話もなく、代金を受け取り、つり銭を返す。男は最後、こちらに軽く頷いてから、出口の方へと歩いていった。

 不思議に、印象に残る男だ。

 服装も、顔立ちも、立ち振る舞いも、どれもありふれている。ただすこし気さくなだけの、齢30近くの成人男性。

 しかし私には、彼がなにかとてつもない秘密を隠しているのではないかと、そのような気がしてならないのであった。

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