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第0話 「贄イスカの天還」

 薄暗い部屋の(ひび)割れた壁に、灯火に照らされた三人の影が揺れる。火の揺らぎに合わせて伸縮する影の背丈は三様に異なるが、三者とも影の背に翼を生やしている点は同様であった。この村落でごく一般的に見られる容姿である。

 彼らが住まう古びた家屋は、常ならば静寂とともに朝日を迎えたはずであったが、この日ばかりは様子が違う。寒々しく寂れた部屋の中に、母親のすすり泣く声が虚しく響いていた。

 三者の中で最も大きな影の両手が、最も小さな影の肩に乗せられ、両手の主が口を開く。


「すまない、イスカ……本来ならば、これは長子であるお前のすべき事ではない。お前を救えぬ父を怨んでくれ」


 痛みに耐えるように太い眉を寄せ、目を赤くしながらも強い眼差しで語る男の手に、小さな影――イスカと呼ばれた少女は自らの手のひらを重ねた。その表情は、向かい合う男とは対照的に無垢な笑みに彩られている。


「お気に病まないで、父様。私は自ら進んでこの道を選んだのですから」


「しかしお前は……」


「父様。そのようなこと、仰ってはなりませんよ。特にハーシィの前では、決して仰らないで下さいね」


 聞き分けのない子を諭すように苦笑する娘を前に、男は一層顔色を曇らせて何とか言葉を呑み込んだ。

 この白翼が美しい娘、イスカは自ら選んだと言ったが、本来この悲愴な役目を仰せつかったのは彼女の妹であるハーシィであった。しかし、妹子の幼過ぎるが故に役目を果たせぬ事を危惧した村人達は、姉のイスカが代役となるよう民意の流れを変えたのである。村の誰より心根が優しいと評判のイスカがこの意に応えるのは必定であった。

 目線を下げる父を気遣うように微笑むと、イスカは闇に落ちた窓の外を見た。年が明けてから四月も経つのに未だに冬が明けない村には、冷たく、人肌に硬く当たる風が吹いている。雪を添えた風が叩く窓の音も、長く聞き過ぎて最早気にさわることもない。ただ、風が運ぶ不安だけは、日に日に重くつのっていった。

 

「儀式がうまくいきますように……」


 優しい娘が呟いた心からの祈りに対し、父は苦しげに呻く事しか出来なかった。


 もともと貧しくひなびた地にあるイスカの村は、生活の大半が村内で完結していた。自足自立と言えば堅実に聞こえるが、足りぬ物を諦観ていかんでやり過ごし、有る物だけで食い繋いでいるというのが辺境の村社会に於ける実像であった。そんな中で冬が老いずに居座れば、食糧が枯渇するのもしかるべき事と言える。

 数十年に一度起こる廃村の危機に対し、村は有効な切り札を保有していた。生贄いけにえである。


 しばらくして、イスカの両肩から父の手が離れた。父はそのままイスカを強く抱き締め、今この場に不必要な感情を全て押し込めると、娘の左耳にただ「愛している」と囁きかけ、そっとその耳朶みみたぶを噛んだ。そして言葉無く泣き続ける母親にも同じようにさせたのだった。

 この村の言い伝えでは、左耳から囁かれ、歯で噛み閉じられた言葉は消える事なく心の奥底に刻み付けられると言われている。それは、どれほど時が経とうとも、どれほど身が離れようとも決して失われる事は無い言霊ことだまとなって、主と共に在り続ける。イスカも同様に、父母の耳と心に絆の跡を残した。


 その時、扉が叩かれ、親子の情愛に満ちた空間に容赦のない亀裂が走る。その打音は、罪の無い家族に終わりの時を告げる無情な宣告であった。

 イスカは、最後にもう一度父親と母親の顔を見つめた。そして先刻別れを告げ、今は泣き疲れて隣室で眠る幼い妹の顔を思い浮かべると、その三つの顔を心の内に強く刻み付けた。最早、今この時のイスカに、何を恐れるものがあろうか。

 

「では、父様、母様。今後も家族三人健やかにお過ごし召されますよう、天上より祈っております」

 

「訂正しなさい、イスカ。これからも家族四人で、だ。天の国はきっと暖かい所だと思うが、体に……気を…っ…付けるんだよ……!」


 父の言葉の末尾は掠れて途切れ、嗚咽おえつで掻き消えてしまっていた。天の国でも息災そくさいに、という彼の言葉は、娘の抱える不安を和らげ、残される自身の悲哀を娘に悟らせないためのものであったが、その役目は果たせなかった。どれだけ明るい言葉で飾ろうとも、その意味が示す現実の重さには耐えられず、最後には気丈な父の膝を地に着かせていた。


「はい……今まで育ててくれてありがとう、父様。大好きです、母様」


 イスカは、父母と別れる最後の瞬間まで笑顔を絶やさなかった。仮令たとえ、その頬に涙の雫が伝っていようとも、それは紛れもなく笑顔であった。


「イスカ……私の可愛いイスカ……愛しているわ、誰より、愛しているわ……! いや……いやぁ! いかないで! イスカ! イスカぁ!」

 

 形見である赤銅色しゃくどういろの髪束を握り締め泣き崩れる母と、その母の肩を抱き支える父。それが、イスカが見た両親の最後の姿であった。

 イスカが生家の玄関を出ると、外で控えていた儀官ぎかん達によって家の扉が閉じられた。儀式用に装飾された大きな錠前に外から鍵が掛けられると、家の内より一層強くなった母の泣き声が虚空に響き渡った。この瞬間、贄の重責からイスカを救い出す者は、この村落に居なくなった。



 ◇◇◇◇◇



 神輿にて村外れのやしろに着いた贄は、低く頭を垂れた十五人程の儀官達に迎えられた。白の布面で顔を隠した大人達が参道沿いに立ち並ぶ姿に、イスカは彼岸ひがんの幻影を見た。

 儼乎げんこたる雰囲気の中、天儀てんぎ神弑しんし断儀だんぎ』は粛々と執り行われた。神木を切り倒し、そこからついの天儀の核となる『対の神器』を彫り上げるのである。

 神木に刃を立てる前に祈祷を捧げるのは神巫いちこたる贄の役目の一つであるが、神器を造り出すのはその道を究めた工人の職責である。神器が完成するまでの間、イスカは社の裏手にある御泉ぎょせんにて、なかの天儀たる『みそぎ水儀すいぎ』を行った。

 日頃は禁踏きんとうとされている御泉の水は極めて清冽せいれつであったが、肌を裂くかと感じる程に冬の凍風とうふうに侵されていた。神の泉の湧水は、諸々(もろもろ)の禍事まがごと罪穢つみけがれどころか、桃果とうかの雫を薄めたような色しか無いイスカの肌色さえ溶かし出すようであった。贄の付き人たる女人儀官が無言でイスカの身体をすすたび、彼女は白墨はくぼく刺青しせいを彫られているような感覚に涙をこらえなければならなかった。


 身を清め、白き神衣に実を包んだイスカは、暁の予感を滲ませる空を背に、やしろの拝殿、本殿の更に奥、大神木の前に築かれた祭壇へと導かれた。そこで彼女を待っていたものは、黄金色こがねいろの月を射落としたかのような巨大な真円の大神器『キノオズ』が地面に横たわっている姿と、ついの天儀を取り仕切る儀官のおさであった。

 『キノオズ』はいにしえの世に生えていた、現在の神木とは比べ物にならない程巨大な神樹を用いて、遥か昔に造られた大きな円形の器である。森神りんしんに認められた贄がこの器に足を踏み入れると、その身は天の国へと捧げられ二度と地に戻る事はない。幾度と無く村の危機を救ってきた神宝であり、歴代の贄達のひつぎでもあった。


 古の大神器の脇にたたずむ儀官長も例の如く白布面はくふめんを付けていたが、イスカはこの男性の翼に見覚えがあった。右羽の中程に直らぬ折れぐせの付いた翼は、イスカが祖父のように慕っていた老人のものである。彼は教導院の教師であったが、祖父母を生まれつき知らないイスカに孫のように振る舞う事を許してくれた優しい相手であった。

 

 その義祖父の口から、今まで一度も耳にした事の無い程の荘厳さと、黒鐵くろがねの如き冷徹さを響かせる声が放たれる。これて、ついの天儀『天贄てんし供儀くぎ』が立ち上げられた。終わりが、始まったのだ。


「イスカ=ナキ、鳥神使ちょうしんしイスカの名を冠す者よ。なんじ血妹けつまいハーシィ=ヴトゥスに立ち代わりて、天白神國之威惠賜神及神使献芹奉候僕神巫『天贄てんし』第廿六息女の貴席をうけたまわし。くの如き森神りんしんを折らずや、如何いかん


 この問いに応えてしまったら、もう後戻りは許されない。彼女を待つ行く末は、神の贄のみである。

 ――それでもイスカは。


「折りませぬ」


天贄てんしの席に座し、その身を天空にかえし。斯くの如き朋民ほうみんの意を折らずや、如何いかん


「折りませぬ」


「天空に身を還し、かたに恵みをもたらよすがとなるし。くの如き父母の志を折らずや、如何いかん


「構えて、折りませぬ」


 最後に一際強い意思でイスカが誓いを立てると、神器キノオズから燐光りんこうほとばしる。


「森神はがえんじ、魂の誓約は成された。天贄イスカよ。こちらへ」


 導きに応じたイスカの眼前で、儀官長は脇に控えていた儀官の男から円形の器を二つ受け取ると、そのうちの一つをイスカに手渡した。


これこそが神木アウラの幹より造られし双子の神器『キノス』である。その御力みちからは、『雄』の器に捧げられた供物を、『雌』の器に顕現けんげんするものである。天贄イスカは是を持ちて今より天の国に参じ、神及び神使しんしに奉仕するものとする。しかのち、神国よりたまわりし恵みを器に献供けんくせよ。さすればなんじが朋友の命、構えて救われん」


 儀官長の述べた通り、天の国におもむき神族に奉仕することで得られる恵みを、神器『キノス』を介して村に送ることが天贄たるイスカの使命とされている。しかしながら、贄が異界に渡り、神を支え生きるというその筋書きは、のこされる者達が自らの罪悪を薄めるために紡ぎ出した物語に過ぎない。

 ともすれば実際は、贄が器に載ったその刹那に絶命し、それを合図として神器が反射的、或いは惰性的に対価を与え続けている可能性も大いにあり得るのである。イスカの死は献身でも美徳でも無く、ただ現象を励起れいきさせる条件に過ぎないかも知れないのであった。


 多くの民の命を救うため、自ら犠牲になると決めた義理の孫娘に対し、その民の保身のための偽譚ぎたんを語り聞かせねばならない。おごそかな声音で粛々と儀式を進める儀官長の、白面の顎先から流れ続ける雫だけがその辛苦しんくの深さを語っていた。


うけたまわりし貴責、二心なく、身命をして果たして参ります」


 義祖父にそう応えたイスカにしてみれば、結果的に妹が、父母が救われ、村に幸福な行く末が訪れることが確約されるのであれば、自分の命の有無などは些事であると思えたし、方便を用いることで救われる人心があるならそれで構わないとさえ思う。それゆえに、眼前で白布面を濡らす優しい人の呵責かしゃくを払えずに今生の別れを迎える事が心苦しかった。


 敬愛する義祖父への不義は、大望を果たす事であがなわねばならない。ゆえに、村へ恵みの道筋を付けるまでは、神にだって殺されてやる心積りはない。

 イスカは強い決意と共に、受け取った神器を胸に抱き、自らの棺となる大神器へと無言で歩を進めるのであった。


 そして。

 先んじた足の爪先が大神器のふちを跨ぎ。

 残る後足が黄金こがねの大地に下ろされた、その刹那。


 暁を浴びた天贄の少女は、彼女を生み育んだ世界から永久とこしえに消え去った。



※ルビ振ったらぐちゃぐちゃになったので補足。


文中の「天白神國之威惠賜神及神使献芹奉候僕神巫『天贄』第廿六息女」は、

「あまつしらかみのくにのいけいをたまわり、しんおよびしんしにけんきんたてまつりそうろうぼくいちこ『てんし』だいにじゅうろくそくじょ」と読みます。


もっとも、儀式特有の言い回しゆえにもう二度と出てこないので適当に目を流してくだされば結構です。


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