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009

 暗いままの朝であっても、市場の活気は損なわれていない。

 あちこちにつり下げられた灯石のランプが皓々と通りを照らし上げる。闇の中に浮かぶ賑やかさと明かりは、子どもの頃に見た、夜明け前の卸売市場をログイットに思い出させた。

 野菜を詰めた袋をログイットに差し出し、小太りの店主は首を傾げた。


「シティねえ……こんな街じゃ噂もろくに届かねぇな。ここでわかるのは、ここのことだけさ」

「そうですか……」

「距離以上に遠いもんだよ。覚えてるっつったら、王子様が亡くなったことくらいかね。ありゃいつだった?」

「五、六年前ですね」

「そうかい、もうそんなに経つのか……。《傘》ができる前だったなあ。立派できさくな方だったのにって、みんなが泣いてたもんだよ」

「ええ……本当に、そうです」


 亡き王子はログイットの兄と親しくしていた。ちょうど士官学校に入っていたログイットはあまり面識がないが、真面目で篤実な人物だと感じたことを覚えている。

 未来に、はっきりした希望を持っていた頃だ。

 あの頃もガルフォールトは様々な問題を抱えていたが、それでも、若い世代が鬱屈の漂う時代を変えていくのだと、素直に思っていた。

 ――あまりにも遠い感傷だった。


「まったくなあ。あれから全部が悪い方に向かってる気がするよ。王様は評判が悪いし、第二王子はふらふらしてどこにいるのかわかりゃしないって話じゃあないか。一体この先、どうなるってんだかなあ」


 ログイットは苦笑いで支払いを済ませ、暗い雑談を切り上げた。

 人もまばらになった街路を早足に歩きながらメモを開く。野菜に肉、卵にパン。一通りの食材の買い出しは終わってしまった。

 大家の仕事とともにドクターの食事係を引き受けたのは、なにも恩返しばかりが理由ではない。市場で食材を買い込むついでに、情報収集を試みたかったからだ。

 だがしかし、そんな狭い範囲で、街の外の情報など――ましてや遠く離れたシティの情報など、そうそう得られるものではない。世間話を長引かせるには状況が整わないのだ。酒場にでももぐりこめば噂話程度は手に入るかもしれないが、今度はそのための資金がないとくる。


 考えれば考えるほど、乾いた笑いしか出てこない。

 紙袋を抱えて裏路地を歩きながら、ログイットはため息とともに肩を落とした。


 大通りから外れれば、やはり明かりは少なくなる。時折思い出したように点っている街路灯だけが、心ばかりの光を提供していた。明るさを維持する街の労力は並大抵のものではないだろう。

 失って初めて、太陽がどれだけ明るかったのかを実感する。

 後ろ暗いところのある人間が逃げ込むことの多い街だと聞いたときは、「暗いというだけでそんな単純な」と思ったものだったが、実際自分がその立場に回ってみて、よく分かった。視認範囲の狭さは、そのまま安心感につながるのだ。

 騒ぎを起こした区画から大分離れているとはいえ、大手を振って大通りを歩く度胸はない。

 そんな自分の現状にも落ち込んで、また吐きそうになったため息を飲み込んだ。


(……自分が、ここまで無力だとは思わなかったな……)


 バックアップのない工作員なんてこんなものだ。仕事絡みのツテや情報源がなくなるだけで、八方塞がりに陥ってしまう。

 際限なく自嘲を続けそうになり、首を振った。


(とにかく、誰か、手を貸してくれる身内と接触して……首都に戻るにも、先立つものがないとどうにもならない)


 優秀で抜け目のない兄である。弟の処遇をどうするにせよ、身柄の回収に動くだろう。必要なのは、それを見落とさないことだ。

 下手に動いて身柄を拘束されれば、軍の上層部にいる兄にまで害を及ぼしてしまう。この状況で、もっとも危惧すべきはその可能性だった。


(いや……迷惑なら、もう十分かけてるか)


 苦い思いで、ログイットは唇を結んだ。

 既に話は届いているだろう。兄にとっては明らかな失点だ。職務上の上司ではないとはいえ、累が及ぶ可能性は十分にある。難しい立場にいる兄の苦労をずっと見てきているだけに、こんなかたちで足を引っ張ってしまう自分が情けなかった。


 どうにも鬱々とした気持ちが持ち直せないまま、仮の住まいとなったフラットに戻る。

 そこで待っていた人物に、驚いて足を止めた。


「ユラ?」


 ランプを手にしたユラが、扉の前で顔を上げた。

 ログイットは急いで門を開けて階段を上がる。ユラは、決まり悪げな顔でログイットを迎えた。

 もう昼近くだ。普段の彼女なら眠っている時間帯だった。


「ごめん、出かけていたんだ。何かあったのか?」

「……ドクターは仕事?」

「ああ」

「……そう」

「どうした?」


 重ねて問いかけると、ユラは苦い顔で視線を落とした。


「うっかり、蛇口締めてたみたいで……」

「うん」

「……水道管、凍らせた……」

「ああ。そうか、昨日冷え込んだしな。ちょっと待ってくれ。すぐに見るよ」


 身構えていた割に日常的な内容で、ログイットは思わず胸を撫で下ろした。

 部屋に入るログイットを見送り、ユラもまた、胸を撫で下ろしていた。

 他人に頼るのも、自分の失態を口にするのも、とにかく苦手だ。できるならしたくない。だが、これに関してはそうも言っていられなかった。

 ガンプリシオには日照がない。つまり、昼になっても大して気温が上がらないのだ。放って置いてもなかなか溶けず、最悪、水道管を破裂させてしまう可能性がある。

 しばらくして戻ってきたログイットは、片手に湯の入った薬缶と紙袋を持っていた。


「手伝うわ。明かり、いるでしょ」

「助かるよ。多分下の空き部屋だと思う。……落ち込んでるのか?」


 ユラは言い訳を探すように口を開いたが、出てきたのは深々としたため息だった。


「去年もやったのよ……」

「なるほど」

「……ごめんなさい」


 さすがに連年となると肩身が狭い。

 ぼそぼそと謝るユラに、ログイットは笑って返した。


「いいよ。大家の仕事のうちだろ?」

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