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008

 そんな風に目を掛けてくる有力者がいれば、当然、それを面白くないと思う人間もいる。

 市庁舎を出たところでその筆頭格と顔を付き合わせる羽目になり、ユラの不快指数は再び跳ね上がった。


「今から仕事か? 相変わらず穴ネズミみたいな生活をしてるんだな」


 ――大きなお世話だ。

 本日何度目か分からない感想を抱き、ユラは梯子を担いだ同業者に胡乱な目を向けた。

 がっしりした体格と厳つい顔つきの男だ。いかにもわかりやすい職人気質を漂わせている。そして、これが街路灯修繕事業者の標準だった。

 街路灯の修繕というのは本来、もっと土木的で堅実な種類のものだ。それを妙な技術で簡易化し、次々と片づけてしまうユラのやり方は、同業者の中で「そのうちしくじる」が合い言葉になっている。


「人の勝手でしょ。いちいち絡まないでくれる?」

「《神殿》からお偉いさんが来てるらしいじゃないか。せっかくだから、小生意気な厄介者を引き取ってもらいたいものだな」

「お誘いは受けたけど、お断りしてきたばかりよ。残念ね」


 噛みつきそうな男の顔を、ユラは表面上の冷淡さで受け流した。

 生来、敵対する人間には感情的にならない性質だ。それが余計に相手の癇に障ることは知っていたが、今さら直す気もない。


「あなたたちが勝手に決めたテリトリーは守ってあげてるんだから、感謝してくれてもいいと思うわ。まあ、人手が足りなくなったなら手伝ってあげてもいいけど?」

「ほざけ。いいか、調子に乗るなよ。お前のやりかたは無茶苦茶だ。そのうち痛い目を見る」

「一年前にも言われたわね。いまだに実感した覚えはないけど。現状を安穏と肯定して、無駄な手間をかけ続けるのが賢いやり方?」

「定石には定石になる理由があるってことだ。女ってのはこれだから嫌なんだ、口ばかり回る」

「あなたも十分饒舌でしょ。……まったくもって無駄な口論ね。もう行ってもいい?」

「手を滑らせて落ちろ」

「おあいにく様。私は、わざわざ登る必要なんてないの」


 ユラは皮肉とともに踵を返した。背中に刺すような視線を受けながら、悠然と市庁舎を後にする。

 いらいらしたまま仕事に取りかかったせいで、予定数を片づける頃には、すっかり消耗してしまった。

 時計の針は午前二時を示していた。仕事を始めた時間がいつもより早かったとはいえ、街は寝静まっている時間帯で、人通りはすっかり途絶えている。

 ガンプリシオを白く染めた雪は、まだ溶けていない。くさった気分で半凍結の雪道を睨みながら歩いていく。今日という今日だけは転びたくなかった。たとえ誰も見ていなくてもだ。

 無駄な張り合いのせいで、帰り路がよけいに長く感じられた。


 フラットへ続く角を曲がり、ユラは目を瞬いた。

 門までの道が、いやに丁寧に除雪されていたのだ。脇によけられた雪は、まるでぽっかりと出現したカーペットのようだった。


(……なに、これ)


 積雪はせいぜい数センチ程度だったが、それでも結構な労力だ。

 ユラはきょろきょろしながら門にたどり着き、ふと、違和感を覚えてフラットを見上げた。

 見慣れた建物が、くすみを取り払っているような気がしたのだ。もちろん建物自体は変わっていないのだが、妙に小綺麗になっている。

 階段を上る途中、ふと思い立って、壁を指でなぞってみた。

 埃や土で黒くなるはずの指は、依然として白いままだった。

 エプロンと三角巾を装備したログイットの姿が脳裏に浮かび、ユラは思わず吹き出した。


(徹底してる、っていうか……ばかまじめって感じね。ここまでしなくても)


 大家の仕事を大いに通り越している。ユラはこみあげるまま、声を殺してくすくすと笑った。

 胸の中を渦巻いていた苛立ちが、すとんと抜け落ちたような気がした。

 時刻はすでに早朝だ。寝静まったフラットで、足音を忍ばせて階段を上がる道すがら、疲労にぼんやりした頭がふと思った。

 「いっらっしゃい」があるのなら――「おかえり」もあるのだろうか。


(……何、考えてるんだか)


 軽くなったままの感情に蓋をする。

 口の中で悪態をついて、空想を振り払った。

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