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007

 ユラがいつもより早く家を出たのは、勤勉さでも何でもなく、その時間帯ならぎりぎり役所が開いているからだ。

 その日、市庁舎前の広場には、妙な人だかりが出来ていた。

 暴徒になるような気配はないが、不平不満を共通項として集っているのは明らかだ。


(……どこも似たようなものね)


 故国でも見た、世情不安をわかりやすく形にした光景だった。

 群衆にまとまりがないのが厄介だ。人混みをかき分けるようにして、難渋しながら市庁舎にたどり着いた。

 やっとの思いで魔工管理部に申請書類を提出すると、なぜか応接室に通された。

 この時点で、話が契約更新だけですまないことは確定している。

 予想外だったのは、覚悟していた以上の待ちぼうけをくらったことだ。


「ごめんなさいね、お待たせしてしまったかしら。外の人たちへの対応に手間取ってしまって」


 ぱたぱたと足音を立てて現れた纏め髪の女性は、穏和な顔で謝罪した。

 ぽっちゃりした体型で、その辺の主婦と変わりないような外見だ。人は見かけで判断できないことの証左として、《神殿》の魔法技師でも群を抜いた腕利きである。

 上がった息を整える技師に、ユラは眉を顰めて訊ねた。


「神殿魔工技術局の主幹技師が、わざわざ暴徒に対応を?」

「あら、そんな言い方は感心しませんね。彼らはまだ、紳士的にお話してくださっていますよ」


 彼女は人の良い苦笑で応じ、ユラに席を勧めた。

 おそらくは《傘》の絡みだろうが、定期観測だけなら下っ端の研究員で十分だ。民衆の不満が、多忙な主幹技師を神都から引っぱり出すほどに高まっているというのだろうか。


「『太陽を返して欲しい』のだそうよ。そうなったら、まあ、矛先は《神殿》になるでしょうねえ。……ああ、ありがとう」


 コーヒーを持ってきた事務員に笑顔で礼を言い、彼女はハンカチで額の汗を拭った。


「……随分と、的外れな要求に聞こえます」

「そうねえ、すべての人々に十分な知識を期待することはできないものね。……事故から五年も経ったのだもの、そろそろ限界ね。彼らにしてみれば、不当な扱いを受けているように思えているのじゃないかしら」

「必要もないのに《傘》を維持していると? これだけの魔力と経費を使って?」

「そうねえ。専門家はそう思うのだけれどね」


 技師は苦笑いでお茶を濁し、カップを傾けた。

 世界に存在する魔力は有限だ。《神殿》にとってさしたる価値もない都市へかなりの労力を割いているにも関わらず、怒りと憎しみをぶつけられるのだから、たまったものではないだろう。

 ユラは《神殿》が、本来ならば、ガンプリシオを廃棄したいのだと思っている。

 魔工事故の発生当時に《傘》を構築したのは、当時のトップの強権によるものだ。おかげでガンプリシオの住民は不便を被りながらもその土地に住み続けることができ、同時に《神殿》は重要な魔工資源の無視できない割合を、この港町に割き続ける羽目になった。

 そもそも魔工事故を起こしたのは、他ならぬガルフォールト王国の首脳部だ。

 おまけに《神殿》に反旗を翻そうとして失敗したという話なのだから、どこまでも救えない。ユラとて《神殿》には良い印象を持っていないが、ガルフォールトの態度はいささか自分本位が過ぎる。

 だからこそ、この街は、この国は、孤立を深めるのだ。

 ――かつて、ユラの故国がそうであったように。


「それはさておき、ちょうど契約更新の時期でしょう? 出張でこちらにきていたから、この機会にあなたと話をしたくて。最近は、どうしているの?」

「日々慎ましく暮らしています。不審な行動は取っていないつもりですが」


 真正面から挑発で返したのは、もう身に付いた癖のようなものだった。

 ユラの自己防衛を、相手は慈愛に満ちた微笑で受け止めた。

 ただ技術力を持っているというだけではない。神官でもある彼女は、《神殿》の人間らしく、政治力に長けた人物だ。


「この一年間、とても頑張っていたみたいね。……そろそろ、いいんじゃないかしら」

「……話が見えません」

「そうでした、あなたはこういう無駄が嫌いだったわね。端的に話しましょう。――あなたにその気があるのなら、《神殿》にはあなたを迎える準備があります」


 ユラは眉をひそめた。

 彼らが何を求めているのか、はっきりと理解していたからだ。


「あなたはもっと色んなことができる人よ。街路灯の維持はとても大事な仕事だし、この街に来たがる技術者は少ないから、とても助かっているのは事実だけれど……はっきり言えば、発展性はないわ。そろそろ、存分に研究ができる環境に戻りたいとは思わない?」

「退屈は平和の証明です。……今のところ、特に不満はありません」

「……あら。それにしては、業務に必要のない魔素をいろいろと買い込んでいるようだけれど」


 把握されていることは当然知っていたし、話に上るのも分かっていた。驚く要素もない。

 ユラはため息で返した。


「禁術の研究でも疑われているんですか?」

「いいえ、まさか。家事用の術式をいろいろ手作りしているんですって? 素敵だけど、よっぽど暇を持て余しているのかしらと思って」


 にこにこした笑顔でズバリと言われた。

 ユラは思わず唇を曲げ、無言を貫いた。その通りだが大きなお世話だ。

 常闇の街での日々は、単調で静かで、悪くなかった。ただ、それが退屈と紙一重だというのも事実だ。

 事実なのだが、指摘されたのは面白くない。

 神官は口調を変え、諭すような眼差しでユラを見た。


「……あなたが何を恐れているのか、理解しているつもりよ。けれど、研究を忘れる事なんてできるものじゃないわ。根っからの研究者ならなおさらね。技術は決して武器ではない。使いようなのよ。壊すためではなく、作り出すためのものだわ。……あなたの力は、もっと誰かを幸せにできる種類のものよ」


 ユラは沈黙を守った。

 《神殿》に身を寄せれば、何の制約もなく研究ができる。予算の問題だけではない。魔法技術局は、この世界で唯一、禁術の実験をも許された機関なのだ。

 勿論うまいだけの話ではない。一度所属した技術者は、生涯そこから外れることはできない。他にも個人としての制約は増える。

 《神殿》が目的としているのは、後者だ。

 セシロトの叛逆は、まだ終わっていない。主犯とされる王子は現在も逃亡を続けており、完全に消息を絶っている。そんな状況で、ユラを野に置いておくことが危険視されるのは、当然の流れだ。


「折角ですが……私は、現状に不満がありません。お断りさせてください」

「……そう。残念だわ」


 頬に手を当て、彼女は心底残念そうにため息を吐いた。

 席を立ったユラに右手を差し出し、名残惜しそうに微笑む。


「あなたなら面白いことをしてくれるんじゃないかと思っているのは本当よ。研修でも見学でも、名目は何でもいいわ。一度こちらへいらっしゃい。気が向いたら、是非にもね」


 目を丸くしたユラに、彼女は茶目っ気を込めて片目を瞑って見せた。


「いつまでも若いなんて思っていてはだめよ? 時間は有限なんだから」

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