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021

 白架層の汚染による細胞異常は、まず皮膚の炎症から始まる。

 小児の場合は初期症状こそ引き起こしやすいものの、それが悪性の腫瘍になることは希だ。五年前の魔工事故時にも、成人前の被傷者が死亡した例は1例もなかった。


 その説明をしたのは他ならないユラだというのに、誰よりも塞ぎ込んだのは、ティティとほとんど関与がないはずの彼女だった。

 ベッドの上で羽毛布団にくるまった少女は、疲れもあってすでに夢の中だ。

 冬の寒い最中、手を冷やし続けるのは大人でも辛い。半べそをかいたティティに付き合って、根気よく看護に当たっていたユラは、ティティが寝ついてもベッドサイドを動こうとはしなかった。

 自責にかられるかのような背中に、ログイットは声を掛けるのを躊躇う。

 一つ息を吐き、開け放してあった扉を軽くノックした。


「眠った?」

「……ええ。さっき、やっとね」


 小声での問いかけに、ユラは沈んだ表情で頷いた。

 ログイットには、その理由が分からない。確かに事が起きたとき一番傍にいたのはユラだが、ユラはその場でできる最善の対応をしたはずだ。今もこうして、他人に近い少女の看病に当たっている。

 無遠慮に踏み込むのもためらわれ、ログイットは質問を飲み込んだ。


「ありがとう。ユラがいてくれて、助かったよ。俺ができたらよかったんだけど……」

「嫌われるような事を言うからよ」


 容赦のない返事に苦笑した。

 憎まれ口は変わらないが、それでもやはり、声に覇気がない。


「君の、言う通りだったな。……俺は結局、自分のことしか考えてなかったんだ。家族や仲間の気持ちを、わかっているつもりだけで、全然わかってなかった。実際……堪えたよ。……情けない」

「……この子が怒ったのは、あなたを心配してたからでしょ」

「そうかな」

「馬鹿ね。でなきゃ、こんな所まで来ないわ。そんなことにまで自信をなくさないでくれる?」


 優しくない口振りには現実味があった。慰めようという素直ではない思いは確かに感じられて、ログイットは先ほどと違う感情の苦笑を浮かべた。

 ユラに言ったら真っ赤になって否定するだろうが、ユラの本質はとても優しいのだとログイットは思う。そうでなければこんな風にティティにつきっきりになったりはしないし、遠回しながらログイットをフォローしたりもしないだろう。

 押し込めたような無表情のまま、ユラがぽつりと呟いた。


「……責めないのね」

「え?」


 意味が分からず、ログイットは首を傾げた。

 ユラは顔を上げず、じっとティティを見つめていた。


「このタイミングよ。あなたを襲ったのも、《傘》を壊したのも同じ……まず間違いなく、セシロトの人間が関わってるでしょうね」

「……仮にそうだったとしても、君の責任じゃない」

「そうかしら。私がいなければ、あの黒装束を捕まえられていたわ」

「それでも。……その推測が正しくても、君のせいじゃない」


 言い聞かせるように言葉を重ねながら、ログイットは違和感を覚えていた。

 ユラは、襲われたのがログイットだと口にした。ユラの部屋に残された警告――「思い出せ」という言葉。普通なら、ユラに対する復讐が目的だと考える状況だ。

 良くない癖だ。

 説明しようとはしないのに情報を小出しにして、相手の出方を探る。彼女はおそらく、ずっと、そうやって生きてきた。もしそれに乗れば、彼女は殻に閉じこもって、先日のように投げやりと頑なさで自分を覆い尽くしてしまうだけだ。


「……クランヘルム王子とは、親しかったのか?」

「さあ。わからないわ。執着はされていた気もするけど……本心の読めない男だったから」


 セシロトの禁術事件の首謀者にして、現在も逃亡を続けている魔工の天才技師。ユラのかつての仲間で、今、彼女の心を占めている存在。

 ログイットにとっては、見知らぬ他国の王族でしかない。

 そして、現在の彼は逃亡者だ。もしも今回の事件が、ユラの推測通りセシロトの第二王子の仕儀だとすれば――資金や拠点を提供した存在は、おそらくガルフォールトの中にいる。

 そのことに気づいて、ログイットの背筋が粟立った。

 なぜニッツフェンが《神殿》と接触を持とうとしていたのか。この可能性を予測し、阻止するために、水面下で動いていたのかもしれない。だとすれば――その首謀者は、限りなく不穏な存在にたどり着く。


「全部、終わったと思っていたの」


 自嘲の滲むユラの呟きに、ログイットは視線を向けた。


「すべきことはすべて片づけて、手放すものは手放して。……我ながらうまくやったって、そう、思ってた。……いやになるわ」

「ユラ……」

「……忘れて。ただの、愚痴だから」


 到底、そうは思えなかった。もっと切迫したものに聞こえた。

 焦燥に突き動かされるように、ログイットはユラの肩を引いた。

 赤茶色の目が驚きに見開かれる。


「ユラ。俺は――」


 ログイットが言いかけた言葉は、扉が開く音に遮られた。

 一行の主が戻ってきたようだ。ほどなくニッツフェンが寝室に姿を見せ、二人の姿を見て眉を上げた。


「《神殿》と連絡がついた。今後の方針を検討する。……バレーノ博士、差し支えなければ君にも同席願いたいのだが」

「いいわ」


 ログイットが難色を示すより早く、ユラがあっさりと頷いた。

 彼女は利用されることを何より怖れていたはずだ。焦るログイットをよそに、ニッツフェンは満足げに頷いて、リビングに戻った。


「ユラ、本当にいいのか?」


 ユラはログイットを見て、強張っていた顔に苦笑を浮かべた。


「心配されるのって、何だか変な感じね」

「……ニッツには、君の事情は伏せてある。協力を拒んでも不利にはならない。無理をすることは――」

「わかってる。私も情報が欲しいだけよ」


 ありがとう、という素直なささやきが、ぎこちない響きで不安を生んだ。


 リビングで待っていた面々は、ニッツフェン一人がソファの一つに腰を下ろしているだけで、警護官の面々は警戒するかのように周囲に立ち並んでいた。

 主人然とした男はどうぞとばかり正面の席を指し示したが、ユラ一人をそこに座らせるのはためらわれた。かといって、ログイットはこの状況で座るわけには行かない。

 決して軽くはない苦悩は、ユラがログイットの隣に立ったまま肩をすくめたことで終息した。あくまでオブザーバーとしてここにいるのだと表明してみせたのだ。

 可笑しげに吹き出したのは、金髪の警護官だった。ティティと供に街に出ていた警護官だ。彼は苦々しげなニッツフェンの視線を受け、仕方ないとばかりに席についた。


「予定通り、一時間後に神殿側との会談だ。主題は《傘》についてではなかったが、この状況だ、俎上に載ることは避けられない。現状を確認しておきたいが……バレーノ博士、いくつか質問に答えていただけるだろうか」

「……先に前提条件を確認しておきたいんだけど、いいかしら」

「何だろうか」

「この状況、少なくとも議会の与り知らない話ということでいいのよね」

「無論だ。この状況の可能性を検討していたなら、子どもを連れてくるような真似はしない」

「……まあ、そうね」


 納得のいく説明だったが、凶悪な目つきのせいで気を損ねたかのように見える。

 事前にログイットから、彼が生まれつきこんな顔なのだと聞かされていなければ、「協力」の意味を辞書で引きたいほどだった。


「あなたは《傘》の構成を知っているだろうか?」

「機密にあたらない部分を、ある程度なら」

「《傘》を破壊しようとした場合、魔工技術はどの程度のものが必要になる? 術式を使わず、土台を破壊することは可能か?」

「後者の可能性は低いわ。《傘》の触媒は主に人工金属だけど、術式と同化してほぼ気体になっているの。座標固定されているから浮遊しないだけで、雲みたいなものよ。私は破壊された現場に居合わせたけど、あの様子だと、構成そのものに干渉したんだと思うわ」

「なるほど。前者は? 当局が関与しなければ不可能だと考えるか?」

「破壊するための術式を作ることができるかという意味なら、私でも可能よ。理論上はね。実際にやろうと思ったら、相当数の作業工員がいるわ。もちろん資材も、作業場所も。資金力がないと無理だという意味では、一番疑わしいのはガルフォールトの魔工局でしょうね」


 ニッツフェンはいっそう苦々しい表情になり、首を振った。


「そちらは我々の監視下にあった。……主に、禁術の研究を疑ってのことだったのだが」

「まだやってるかもしれないってこと? 懲りないわね」

「まったくだ」


 やけに真情の籠もった声音だった。

 だが、それが当局としての、最低限の潔白を証明することになったのだ。凶行は阻止できずとも、無駄手間ではなかったのだろう。


「……やはり、《神殿》との会談では釈明を前提に入らざるをえんな。あまりそちらに時間を取られたくはないのだが……」

「私からも質問して良いかな」


 場にそぐわない朗らかさで口を挟んだのは、椅子に座る青年だった。

 顔形は整っているのだが、どこか戯けたような、三枚目の空気を持っている。どんな立場の人間なのだろうかと、ユラはいぶかしがりながら青年を見た。


「もう一回《傘》をかけようと思ったら、やっぱり神殿に頼み込むのが一番早いよね?」

「……は?」

「ガルフォールトで作れたらいいけど、できるかわからないし、すごく時間がかかりそうだしね。その間、ガンプリシオをこのままにしておいたら、被害が広がるばかりだ」

「それはそうだけど……正気? 面の皮が厚いって一蹴されるわよ」


 思わず出た辛辣な言葉に、なぜかログイットがぎくりと身を竦めた。

 ユラはいぶかしげに隣を見る。言われた青年はまったく気にした様子もなく笑ったままで、へらりとした印象の顔を、そのままニッツフェンの方に移した。


「頭はいくら下げたって減らないよ。最初に神殿と交渉できるのは、私達なんだ。誠心誠意お願いしてみるのもいいんじゃないかな?」

「……なるほど。悪くない手かも知れません」


 悪人顔の男から同意が飛び出てきたので、ユラは思わず耳を疑った。


「ただし、先ほどの発言には同意できません。安易に頭を下げ続ければ、頭を下げる行為の意味が薄れます。くれぐれも独断で行わないよう、ご留意を」

「あーもう、固っ苦しいなあ……。いまさらだけど、やっぱり嫌になってきたよ……」

「……神殿や他国が相手の時だけでも、ご留意を」

「はいはい、わかってますー」


 ニッツフェンの譲歩らしき言葉に、青年がひらひらと手を振る。あまりに適当な返事だったので、悪人顔の眉間の皺が酷いことになった。

 ユラにはどうにも状況がよくわからない。口を挟む機会もないまま、その後は細々とした打ち合わせや調整に入った。

 意見を求められる場面もなくなったが、さすがに堂々と退席できる雰囲気ではない。

 退屈と気疲れに根負けし、ティティの様子を見てくる、と切り出せたのは、約二十分もした頃のことだった。

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