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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Courier

作者: HFO

某お題スレより。「ハードボイルド」「ホテルリバーサイド」「夕暮れ」

 夜になれば辺り一帯にネオンの光が満ち溢れ、この怠惰な賭博の街が本性を現す。極々一部の本当に運が良い者は巨額の勝ちに拍手喝采を受け、一躍時の人となる事もある。しかし、この街が客として迎え入れる人間とは今晩こそはと意気込んでカジノへ向かい、良くて勝ち負けが半々、大抵が明日の朝、家族になんと言い訳しようか苦悩する愚か者達であった。負ける者が多くなくてはカジノなどは成り立たないし、そうであるからこそ勝者の浴びる光が輝き眩しく見えるのだ。そんな賭博の街を二分するかのように流れる大きな川、その川沿いに建つホテルリバーサイドもそうしたカジノを地上一階から三階まで備える街の中心的なホテルであるが、昔から絶えずオーナーとマフィアとの癒着といったうわさ話が付きまとう事でも有名であった。街への絶大な影響力からして警察どころか国家権力すらも介入に躊躇するとまことしやかに囁かれるかのホテルは、夕暮れ時にオレンジ色の光を放つ太陽に負けじと既に煌々とネオンの光を惜しげもなく纏っている。平々凡々とした名前とは裏腹のその豪奢さは、その他凡百の同名のホテルに差を見せ付けるような偉容であった。


「ジョン、ジョン!ほらほら、何をぼやっとしているんだい?早くいかないと、良い席が埋まってしまうよ」

「そう急かさないでくださいよ、お父さん。大体スロットの席なんて何処に座ろうが変わりないでしょうに」

「全くお前は判っていないね、坊や!賭博師としての勘がね、教えてくれるのだよ、ここだ、ここが当たる席だってね」

「おとといもそんな事を言って負けてたじゃないですか、繰り返し言いますけどカードは使っちゃ駄目ですからね?」


親孝行の一環、という訳で仕事を辞めてから悠々自適の生活をしていた両親を誘ったは良いが、すっかりギャンブラー気取りの父親にジョシュアは苦笑が浮かぶのを止められなかった。息子が旅行をプレゼントしてくれた、という事で舞い上がっているのは嬉しいのだが、こうも熱を入れているようでは余計な出費に気を揉まずにはいられない。母からもいさめて貰おう、と傍らの母親を眺めると、なにやらぽかん、とした表情で母はホテルの方を眺めている。一体どうした、と思い自分も視線を向けてみると、これは一体どうしたことだろうか?ホテルの煌びやかなネオンが階下から順繰りに消えていくではないか。


「ジョン、それにお前も、一体なにを見てるんだい?そんなに珍しい眺めでもあったのかね?」

「いや、違うんですよお父さん。ちょっとホテルを見てくださいよ、ホテルリバーサイドです。ネオンどころか中の灯りまで消えていやしませんか?」

「うん、お前、何を言って……おや、これは一体どうしたことかな?何かイベントの用意でも――」


しているのかな、と言い終える前にズドォン、と辺り一帯に響き渡る音がする。音の先、今や灯りの落ちたホテルリバーサイドから黒煙が上がっているではないか! あまりの出来事にジョシュアも、彼の両親も、そして周囲の市民や観光客達も唖然として立ち止まっていると、立て続けにズドン、ズドンと次々にホテルから黒煙が上がっていく。『テロだッ!』最初にそう叫んだのは一体誰だっただろうか?その叫び声が引き金となり、周囲一辺が騒然となる。悲鳴を上げて駆け出す若いブロンドの女。未だ衝撃から立ち直れず呆然としている老人。我先にと逃げ出す人々の中で、ジョシュアもまた呆然とし続けていた。一体なんでこんな事が、折角両親に旅行をプレゼントした日にこんな事が起こらなくても良いじゃあないか! 定まらない思考のままやり場のない憤りを覚えたジョシュアであったが、彼の肩をがっしと掴む誰か――振り向いた先には父がいた。


「ジョン、このままこうしてここにいちゃあ良くないよ。さぁ、しっかりと母さんと手を繋ぐんだ。私たちのホテルに戻らないといかん」

「え、えぇ、ですけど、こんな騒ぎでどうやって」

「慌てる事はないよ、人の流れを良く見なさい。皆一様に大きな通りを目指していくだろう?

 私らがするのはその流れからほんの少し、離れるだけさ。私らのホテルまで戻って、部屋に鍵を掛けて閉じこもらないといけないよ」


少なくとも、これ以上酷い事にならないと判るまではね。息子と妻を落ち着かせるように言う姿は直前までの浮かれた親爺の姿とはかけ離れており、それがジョシュアの心に平静さを取り戻させる。手を取った母は怯えており、息子の手をぎゅうと握りしめる仕草はジョシュアの胸を打った。妻と息子が手を取り合ったのを確認すると、ジョシュアの父は毅然とした態度で前を向く。彼らが部屋を取っているホテルまでは歩いて15分ほどの距離ではあるが、この騒然とした状況では一体何分かかるか想像するのは難しい。それ故にゆっくりと、しかし確実に歩を進めねばならないのだから。


「……それにしたって、何だってこんな事を、一体誰が」


母と歩調を合わせながら呟いたジョシュアの言葉は、当人以外の誰にも聞かれる事無く周囲の喧噪にかき消されていった。







 ――本当に、一体誰がこんな事を。犯人を見つけたら文字通り八つ裂きにしてやる!


出っ張った腹を揺らしつつ屈強なボディガードの男達に囲まれ、急ぎ足で地下のガレージを目指しながらホテルリバーサイドのオーナーであるサルバトーレは憤懣やるかたない思いで内心毒づいた。なんというケチの付き方だろうか、マフィアとの蜜月の関係をせっついて回っていた忌々しい弁護士の若造を始末出来て少しが経ち、郊外にある組織の倉庫建造予定地を頑として譲らなかった糞爺の孫も大怪我を負わせてやった。当然証拠や因果関係なんぞは残すはずも無いプロの仕事である。後は弁護士の遺族を脅しつけてやり、爺にはもっと酷い事になると突きつけてやれば後は全て上手く行く。そういう報告が滞りなく届き、さて今晩も酒がさぞ旨かろう、そう思った矢先のこの騒ぎだ! 全財産をスった阿呆の逆恨みか、それとも敵対組織の討ち入りか? いろいろと予想をつけるも今はまず、安全な場所へと向かうのが先決であった。そもそもからして電源が落とされている、それも予備の物も含めてだ。こんな時に最上階に閉じこもる、なんていうのはサルバトーレの趣味ではなかった。何事も命あっての物種でなのだ。


「それで、ガレージの方はすっかり一切合切安全なのだろうな」

「勿論です、ミスターサルバトーレ。既に先行したグループがお車と道を確保しております」

「フン、なら良いがな。全く、何故儂が歩いてガレージなんぞへ……」


ぶつくさと文句を垂れるサルバトーレにも眉一つ動かさずに護衛が先導し、非常灯の薄暗い灯りがかろうじて点る階段をカツカツと降りて行く。その間にもドォン、ドォンと音が響きながら建物が揺れており、修理費が一体どれほど嵩むのかと考えるだけでサルバトーレのはらわたは煮えくり返らんばかりである。なんとしてでも下手人を見つけ出してやる。必ず、必ずだ! 復讐の誓いを胸に秘めながらも足の動きは緩めず、全員が早足で歩を進める。護衛の一人はしきりに先導しているグループと無線で連絡を取り合っているようだが、階段という地形もあり電波の通りが悪いのだろうか? しきりに返答を促しているがどうにもノイズが酷いようである。やり取りが出来ない程では無いが、明瞭な通話とは言い難い。ああ、これは気にくわないぞ、とサルバトーレの勘が警鐘を鳴らす。いつだって、見通しの悪い中に飛び込むのは負け犬のやり方なのだから。


「おい、念のためだ。お前ら半分が先に行ってガレージの様子を見てこい」

「承知しました……お前とお前だ、ついてこい。先頭には俺が立つ」


サルバトーレの懸念を察したのか不平一つ漏らさない護衛の態度に少しばかり気分が良くなるも、だからといって状況が好転する訳でも無い。これまでホテルの館内に不審な人物が居たと報告は未だ来ておらず、それはつまりこの爆破騒ぎを起こした何者かが何処かに潜んでいる可能性が高い事を示してもいる。屋上のヘリポートが使えれば良かったのだが、あいにくと整備の為にヘリを呼びつけるにしても時間が掛かるのは全くもって腹立たしい限りである。もしくは、下手人がそれすらも見越していたとしたら……? 疑心暗鬼に陥りかけている、と自制するサルバトーレではあったが、それもこれも皆この阿呆みたく長い階段のせいだ。若い頃に鍛えた身体、今でこそ脂肪で腹が少しばかり膨れてはいるが、のお陰で息が上がってしまう事こそまだなかった物のやはり疲れる。だが、この疲労も無駄ではない。長い時間を掛けて下ってきた階段はようやく終わりが見えてきており、まもなくガレージに直通する通路にたどり着く事だろう。


通路を抜けて黒いリムジンへ向かう。爆発は既に収まっており、あたりに響いているのは自分たちの足音ぐらい。どうやら懸念は杞憂に過ぎなかったようで、当初からガレージを確保していた面子と途中で先行させた護衛達が直立不動でサルバトーレを出迎える。単純に無線の不調で繋がりづらかっただけのようで、これは一安心かと思い背筋を伸ばす。慌てて逃げ込むような真似をしては面目が立たない。ふんぞり返って胸を張り、サルバトーレはのっしのっしと王者のように振る舞いリムジンへと歩み寄ろうとした、その時である。


「予想通り、ここまで来てくれましたか。ミスター・サルバトーレ」


低い、男の声がガレージに響き渡った。一泊の間を置いて、直ぐさま護衛がサルバトーレを取り囲む。側近の一人は早く車へ、と促すがサルバトーレはそれに従わない。表情に浮かんでいるのは獣の笑みで、明らかに下手人、もしくは一連の騒ぎの関係者に対する敵意が溢れ出している。


「ほほぅ、これはこれは。我がホテルリバーサイドで火遊びをしてくれた悪戯小僧のお出ましかね?」

「いかにもそうだ。依頼主の意向に沿っただけではあるがね。そういう意味では私はただの運び屋に過ぎない」

「成る程、成る程。私のホテルに何個もの爆弾を運び込んでくれた訳か」


ガレージから地上へ続く螺旋状の上り坂、その陰に潜んでいる男の姿は直接は見えない物の、薄暗い照明が男の陰を舗装されたアスファルトの上へと映し出していた。護衛の一部が音も立てずに坂へとにじり寄っていく。手には精度はともかく連射力には定評のあるサブマシンガンや大口径のハンドガンを獲物として携えており、護衛対象であるサルバトーレが自身の安全の確保よりも復讐を選択した為にクライアントの意向に沿うべく、不埒な運び屋の身柄を確保しようと動いているのだ。


「しかしこうも盛大な花火は事前にアポイントを取って頂かないと困るな。どうかね? そんな陰に隠れていないでこちらへ出てきては? 今ならまだ手厚く扱って差し上げるが」

「それはご丁寧にどうも。しかし、遠慮させて頂こう。あなたにはまだ幾つか受け取って貰う物があるのだから」


男はそう言うと懐から煙草を取り出して火を付けた。陰が火を付ける仕草を映し出し、吐き出した紫煙は柱の陰から飛び出してよく見える。このハードボイルド気取りのど素人め、と煙から男の居場所を割り出した護衛達がほくそ笑んだが、次の瞬間。ガシャンガシャンと大きな音を立てて男が潜んでいる地上へと続く坂道と、更に反対側の地下へと潜る下り坂への入り口にシャッターが降りる。サルバトーレの私設ガレージ用に特別にあつらえられたそれは、トラックが正面から突っ込んできても平気なように頑健さを追求して作られている。唯一の隙間は中央部分に空いた覗き窓ぐらいで、男の陰も既に見えなくなってしまっていた。


厳重に管理されていた筈のシャッターをはじめとしたセキュリティーが男の手に落ちている。そう気付いた護衛のリーダーはサルバトーレを元来た階段へと連れ込もうと走るが、それが叶う事はなかった。ガレージの中で再び巻き起こる爆発。天井に走る配管の裏、薄暗い中で護衛達が見落としていた部分に仕掛けられていた爆薬が今また、男の手によって起爆されたのだ。頭上から襲いかかる爆風と吹き飛ぶ車、舞い散る破片は護衛の大半をあっさりと飲み込んだ。階段への入り口は瓦礫に覆われて人の手では決して掘り返せない程に埋まっており、生き残った護衛達も打つ手が無い。


「ミスター・サルバトーレ、私のクライアントからあなた宛の伝言だ。『君はやりすぎた』――先日の弁護士の始末、そして地主の老人の孫への暴行。それ一つならまだしも、これまでの悪行三昧と合わせると、いい加減偉い議員のセンセイと言えども庇いきれないらしい」


爆風に吹き飛ばされ、男が潜んでいるシャッターの前まで転がってきたサルバトーレの耳にあくまで冷静な声が響く。爆風の衝撃で未だクラクラする頭の中で告げられたのは長い間つるんできた有力者の名前。まさか、ヤツが私を切り捨てたのか! 愕然とするサルバトーレではあったが、これまで散々に警告はされていたのだ。これ以上直接的な手段に出られては困る、電話越しにうんざりする程聞かされたあの言葉だが、まさか、アレがこんな手段に出るなどと!


「もう少しスマートに行こうとも思ったが、最近孫が大怪我を負ったご老人がこんな事を言っていてね。『あの糞野郎の牙城を吹き飛ばせるなら悔いは無い』と言うじゃないか。だからたまにはこんな派手な手口でいってみようと思ったのだが、いやなに。お気に召して頂けたようで何よりだ」


男の言葉を半分以上聞き流していたサルバトーレの背後で、瓦礫に生き埋めになっていた護衛達の悲鳴が上がった。火だ。爆発で燻っていた火種が車から漏れ出たガソリンに火が燃え移ったのだ。助けを呼ぶ声、慈悲を請う声、だがそんな声はサルバトーレには届かないし、他の生き残り達にも届く筈が無かった。金銭だけで繋がっていた間柄だ、仲間意識などある筈が無い。人の焼ける臭いが漂いだし、煙も徐々にガレージに充満し始める。スプリンクラーは全く動かずに火の手だけが勢いを増していく。


「おい!おい!貴様、ここを開けろ!開けてくれッ! ただの運び屋なんだろう、それなら儂を助けろッ!ヤツの倍、いや、十倍は払ってやるぞっ!」


サルバトーレを含んだ生き残りは微かに空いたシャッターの覗き窓に叫ぶ。金や女、持てる物は全て投げ打ってでも助かりたい。当然、仮に男が応じたとしてもその口約束を守る事など有り得無い話ではあるが、少なくともこの時ばかりは全員が必死の形相でシャッターを叩き続けた。


「それは魅力的な話だが、まだ一つあなたには届ける物がある。あなたが始末させた弁護士には養子が居てね、幼いのに聡明な娘だよ。『地獄で燃え尽きろ、豚野郎』だそうだ」


そう言った所で初めて男の口調に感情が宿った。微かに押し殺したような笑みを含ませて告げた男は、覗き窓から容赦なく何かの液体をサルバトーレ達に浴びせかける。油臭く、ドロドロとしたそれは紛れもないガソリンで、何を浴びせかけられたか理解した者は皆悲鳴を上げる。余計に必死になってがむしゃらにシャッターを叩く者もいれば、手にしていた銃器をシャッターに向けて撃ちまくる者もいた。跳弾が跳ね回り、撃った本人や周囲の者を見境無く傷つける。そんな地獄のような光景を見ながら、サルバトーレは茫然自失としていた。こんな、こんな終わり方があって良い筈がない。自分にはもっと、相応しい終わり方というモノがあった筈だ。富と権力に囲まれて、誰からもうらやまれるような、そんな終わりが。


「お別れだ、ミスター・サルバトーレ。いずれまた、地獄でお会いしよう」


最後の別れを告げた男は、覗き窓越しに煙草の吸い殻を放って投げた。ぽたり、と吸い殻が落ちた所には先程のガソリンが溜まっており、一瞬で燃え上がる。ガソリンは線を引くように自分にまで繋がっていて、炎が走るように線を伝って――


サルバトーレが見た光景は、そこまでだった。






 

 ホテルリバーサイドで始まった爆発騒ぎは夜になっても一向に収まりを見せない。ホテルに両親と戻ったジョシュアはTVでニュースをじっと見つめていた。繰り返し流されるVTRには、観光客が撮影したらしい夕暮れのホテルリバーサイドの照明が一斉に落ちて、次々に爆発が起きて黒煙が上がる光景が写っている。暫くすると地下から火災が発生したらしく――幸い大半の従業員と観光客は待避した後だったらしいが――夕暮れの日差しと同じ位に真っ赤に萌えるホテルの姿が映っていた。未だにホテルのオーナーであるサルバトーレ氏とは連絡が付かないらしく、最悪の事態が予想されるとレポーターが告げている。


「ジョン、何か進展はあったかい?」

「ずっと同じ内容ばかりですよ、お父さん。犯行声明も何も無くて、テロなのか事故なのかもまだ断定出来ないって」

「そうか……それなら、今日は早くおやすみ。明日になれば判る事も出てくるだろうからね。母さんも寝てしまった事だし」


そう言って寝室に引っ込もうとしたジョシュアの父は、しかしくるりと振り向いて見つめてくる。はて何事か、と思ってそのまま待っていると、若干躊躇いがちに父親は口を開いた。


「ジョン、私も母さんもお前がこうして旅行に誘ってくれて本当に嬉しかったよ。ちょっと予想外の事があったかどうかなんてのは、些細な事さ。――本当に有り難う、ジョン。お前は私たちの自慢の息子だよ」


微笑を浮かべての急な言葉にジョシュアはつい返す言葉が思い浮かばなかった。父はそれで満足したのか、おやすみ、ともう一度だけ告げて寝室へと引っ込んでいく。扉が閉まって暫くすると、ようやく、ジョシュアは思い出したかのように深い溜息をついた。父親というのはこうも偉大なものだっただろうか? ずっと気に掛かっていた事がすっと消え失せていくかのようだ。思いがけず胸のつかえがとれたジョシュアは、しかし夕暮れ以降の興奮で少し寝付けそうにない。フロント脇にあるバーはまだ開いていただろうか? 一杯引っかけてから寝るのも良いだろう。そう思い立つと部屋の鍵を携えて外に出る。


「あ、これは失礼……」

「いえ」


勢い良く扉を開いたジョシュアであったが、丁度その前を通りかかった人物が居たらしくぶつかりそうになってしまう。長身の男で体格も良く、精悍な顔付きをしているあたり軍人だとかと言われれば納得してしまいそうな外見であった。その男の顔に煤らしき汚れがちらほらと見て取れて、ジョシュアは思わず見つめてしまう。


「何か?」

「あ、いえ、お顔が汚れているなと。もしかして、夕方の?」


怪訝そうな男にそう言ってやると、それまで気付いていなかったのだろう。顔に手をやった男は頬を指でさすると、指先の汚れに顔を顰めた。


「ええ、ちょっとした届け物がありましてね。あのホテルにいたのですが少し煙に巻き込まれたようです」

「それは災難でしたね。両親と旅行に来ていたのですが、私達もカジノに入る直前で爆発に遭いまして」

「それはお互い運が無い。ご両親にお怪我は?」


少し母親が混乱した程度だ、というと男は表情を和らげた。そのまま軽い立ち話が続き、男が仕事でこの街に来た事や、ジョシュアが両親に旅行をプレゼントした事などが話題に上る。突然の事にも愛想良く応じてくれる男に気をよくしたジョシュアは良ければ、と断りを入れて男を階下のバーに誘う。折角こうして立ち話をしたのだから、一緒にどうかと。


「ああ、良いですね。この煤だらけの顔を何とかしたら伺いますよ」

「それは良かった! 一人で飲むのも良いのですが、誰かと一緒の方だともっと良い」

「それは同感です。ではまた下のバーで、直ぐに向かいますから」


そう言って男と別れたジョシュアはバーへと向かった。差ほど間を置かずに男も現れて、多様な地域を行き来する仕事についているらしい彼の話を肴に夜は更けていく。ついつい深酒が進んでしまい、酔いつぶれて眠ってしまったジョシュアが翌朝目を覚ますと自分の客室であった。あきれ顔の両親が隣室の男性客が運んできてくれた上に、酒代も持ってくれたと教えてくれる。恐縮する両親を尻目にその男性は気持ちよく酒を飲ませてくれたお礼だ、と告げるとメモを託して去っていったらしい。内線でホテルのフロントに問い合わせると、彼は早朝にチェックアウトを済ませているそうで感謝の言葉を告げられないのは残念であった。


父から渡されたメモ用紙をかさ、と開く。そこには見た事の無いドメインのメールアドレスが一つと、走り書きの一文があった。




"確実に届けたい何か、自力では届けがたい何か。ご要望があれば是非ご連絡下さい"



                         ――Courier(運び屋)より



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― 新着の感想 ―
[良い点] ちょっとした舞台劇を思わせる配役と筋立て。文字の密度も目に心地よい。とても良かったです。
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