客の来ない店で恋愛小説を書いている場合ではない。
店には客が来ない。
これは飲食店としてはかなり重大な問題である。
普通なら「本日のおすすめ」だの「季節限定」だの「お待たせしません」だのと書いた看板を出し、客を呼び込む努力をするべきところなのだが、私はその時間を使って小説を書いている。
しかも自分で全部書いているわけではない。
下書きだけ私が書き、あとはChatGPTに「筒井康隆っぽくして」と頼んでいる。
つまり私は物書きというより、物書きに仕事を発注している物書きである。
いや、もう物書きですらない。
発注業者だ。
54歳。
リウマチ持ち。
糖尿病持ち。
更年期。
そして客の来ない飲食店の店主。
こうして並べると、どう考えても恋愛小説を書いている場合ではない。
働け。
という話である。
ところが長雨が続くと気分まで湿ってくる。
誰とも喋らない店内で、冷蔵庫の音だけが律儀に響いている。
そんなとき、ふと思った。
恋愛でも妄想するか。
この歳になると、現実にはまず遭遇しない。
だから安全である。
恋愛小説なら、相手がどんな男でもいい。
どんな女でもいい。
プロポーズだって好きな場所でさせられる。
妄想とは、実に経済的な娯楽である。
そこで私は、ベタベタの恋愛小説を書くことにした。
ただし問題が一つある。
私は「ねえ、高いところのもの取って」などと言えるような可憐な女ではない。
むしろ私のほうが取ってと言われる側だ。
背が高い。
横幅もある。
少女漫画のヒロインにありがちな、風が吹いたら飛んでいきそうな女とは対極の存在である。
そこで考えた。
男をデカくすればいい。
それも半端ではなくデカくする。
大谷翔平みたいなガタイにしよう。
そうすれば私より背の高い女でも、男の胸に顔を埋めることができる。
お姫様抱っこだってできる。
人間、設定である。
設定さえ変えてしまえば、物理法則など恋愛小説の前ではたいした問題ではない。
妄想は急速に膨らんだ。
男は無骨である。
シュワルツェネッガーみたいな身体をしている。
しかも走り屋。
女は猫みたいに気が強い。
男より年下。
よし。
これで恋愛は成立した。
あとはプロポーズさせればいい。
私は文字数の都合で、二人を知り合わせ、惚れさせ、悩ませ、すれ違わせ、仲直りさせるという本来なら数十ページかけるべき工程を、ものすごい勢いで圧縮した。
そして気がついたらプロポーズである。
恋愛小説というものは便利だ。
好きになった。
結婚しよう。
だいたいこれで話が進む。
ところが、そこで妙なことが起きた。
私の乏しい恋愛経験から引っ張り出したプロポーズの情景が、どういうわけか昔、自分がされたプロポーズとよく似ていたのである。
20歳のときだった。
相手は10歳年上。
あの頃の私は、まさかその17年後、自分が37歳になったところで、ネットで知り合った17歳の女に男を持っていかれるとは夢にも思っていなかった。
人生とは、なかなかよくできている。
いや、できすぎている。
そして小説の中の女も、なんとなく私と似たような年齢になっていた。
これはいかん。
こいつら、幸せにするのをやめようか。
ちょっと不幸にしてやろうか。
作者にはそういう権利がある。
私はキーボードの前でしばらく考えた。
……いや。
やめた。
こいつらは幸せにしてやろう。
しかも、とことんバカップルにしてやろう。
この先、何十年でも二人で馬鹿をやっていればいい。
なぜか。
私自身がそうだからである。
再婚して、現在の旦那もまあ、世間一般の分類では珍獣の部類に入ると思う。
しかし、幸せにやっている。
だから小説の二人にも、幸せになってもらう。
作者が一度くらい、登場人物に人生の借りを返してもいいだろう。
店には相変わらず客が来ない。
雨もまだ降っている。
私はまたChatGPTを開いた。
「ここ、筒井康隆っぽくして」
すると画面の向こうの人工知能が、また私の妄想を文章にし始めた。
店主は働いていない。
客も来ない。
だが、小説の中では若い男女が幸せになっている。
飲食店としては致命的だが、物語としては、まあまあ繁盛している。
そんなことでいいのかと思う。
いいのだ。
たぶん。




