ずっと見えていた
「あれ、孝康?」
休日ぶらぶらと街を歩いているとふいに声を掛けられた。目の前から歩いてきた男に少し遅れて認識が追いついた。
「おー峰か」
高校の同級生、峰島信人だった。卒業以来会っていないので十年来の再会だった。同じクラスになったのは一年の頃だけだったが、つるむグループが同じだったので自然と三年間縁は続いた。当時はよく遊んだが、大学に進学すると仲間が変わり関わる機会は激減し今に至った。
「彼女?」
「え?」
「いや、そちらの方」
こちらから見て峰の右側に立つ女性。ショートの黒髪で背は小さく、控えめな性格なのか声も出さず静かに俺に向かってお辞儀をした。
「結婚したのか? しかもこんな美人を、たいしたもんだな」
「……あぁ、そうだろ? 本当に俺にはもったいないよ」
そこまで言うと、少し間を置いてから微妙な表情で峰は答えた。
少し違和感はありながらも、謙遜しないのかよと思わず口を滑らせそうになった。美人とは御世辞もいいところで暗く地味だなというのが本音だった。ただ嬉しそうに笑う峰の奥さんを見ていると、単純に幸せそうで羨ましく思った。
「孝康はどうなの?」
「見ての通りおひとり様楽しんでんだよ」
マウントを取られたようで少しイラっとして、じゃあまたなと早々に会話を切り上げた。また飲もうなと言われたがせいぜい奥さんと楽しんでろと心の中で毒づいた。
なんであんな奴に。器量が小さいとは思うがどうしてもそんなふうに思ってしまう。
何も変わってなかった。だらしなく出た腹も、良く言えばおっとり、悪く言えばまぬけな面、着ている服も高校生が着るような学生ファッション。そんな奴が結婚出来てどうして俺は。まるで納得がいかない。
気分が悪い。せっかくの休日だというのに。結局もやもやした気分のまま外を歩く気になれず予定を早めて家に帰った。
しかし、結局帰っても誰もいない寂しい一人暮らし。普段なら気にしないが今日は駄目だった。情けない。脆い。自分自身への嫌悪も相まってその日は一日すっきりしない気分のまま過ごすことになった。
*
それからしばらくして、また休日に街を歩いていると向こうからこちらに歩いてくる峰を見かけた。前回とは違う場所だったが、最近になってこちらの生活圏内に引っ越してきたのだろうか。
相変わらず嫁さんを横に連れていたので俺は無視しようと方向を変えたが、「孝康」と残念ながら向こうから声を掛けられてしまったので、さすがにそのまま無視するわけにもいかなくなった。
「何してんの?」
「適当に買い物だよ。お前こそ今日もデートか?」
少し嫌味が過ぎたのか峰の表情は固かった。しまったと思ったが、これで切れる縁ならその程度だと思おうとした矢先、
「今時間ある?」
と峰から切り出された。
「まぁ、あるけど」
「この前あんまり話せなかったし、久しぶりにちょっと喋ろうよ」
「いやでも……」
「ね? いいでしょ? ほら、ちょうどそこに店あるし」
半ば強引に峰はすぐそこにある喫茶店に向かおうとする。嫁さんはいいのかと思いながらも彼女も店内に入っていくので仕方なく俺も後に続いて店に入った。幸か不幸か店は空いており、すぐに席へと案内された。
「コーヒーでいい?」
「あ、ああ」
すみませんと峰が店員を呼び、コーヒーを二つ頼んだ。
嫁さんはコーヒーを飲まないのだろうか。だがそれにしたって店員も何も言わなかった。普通こういうのはワンドリンク制だろう。不思議に思いながら程なくしてコーヒーが運ばれてきた。一つは峰の前に、一つは俺の前に。
「気が付いた?」
「何が?」
「ほら、二つ」
「嫁さんコーヒー嫌いなの?」
「いないよ」
「は?」
「妻はもういない」
一瞬何を言われたのか分からなかった。そして俺が困惑しているうちに峰の表情は静かに崩れやがてぐすぐすと涙を流し始めた。もう何が何だか分からなかった。
「三年前に死んだんだ、事故で。でも、そっか……まだ、いてくれてるんだ」
勝手に納得してうんうんと頷く峰。それを穏やかな顔で見つめる死んだ嫁。一体俺の前で何が起きているんだ。
「し、死んだって……お前嫁さん真横にいるのにさすがにその冗談引くわ。だって、めちゃくちゃ普通にいるじゃねぇか」
「じゃあコーヒーは三ついるでしょ」
「それは……」
「孝康にしか見えてないんだよ」
僕には残念ながら見えないけど、と寂しそうに言いながら峰は泣き続けた。
「俺にしか見えてないって……じゃあ、まさか……」
峰の横に座る女性に視線を向ける。彼女はゆっくりと笑顔のまま首を横に振った。
ーー否定? じゃあ死んでない?
「ほ、ほらやっぱりそうだ! 嫁さんは違うって言ってるぞ!」
「喋ったの? 彼女喋ったの?」
「え、あいや、喋ったわけじゃないけど」
「彼女は別に生前喋れなかったわけじゃない。生きているなら彼女は普通に喋れる。でも今は喋ってないんだろ? 喋れないんだよ。あっちのルールはよく分からないけど」
「そんな……」
あり得ない。今までそんな体験一度もなければ見たこともない。なのに急に、こんなにもはっきりと見えてしまうなんて事があるのか。
イタズラか、ドッキリか。誰かが俺の反応を見てどこかで笑っているのか。もしくはこれが動画として後々SNSに投稿されるのか。周りを見渡しその可能性を探る。だがすぐにその行動の虚しさと無意味さに至る。
イタズラの類にしては手が込み過ぎている。今日だって峰と会ったのはたまたまだ。もし全てが俺をターゲットにして仕組まれていたのだとしたら、下準備や根回しがあまりにも大がかり過ぎる。いくらSNSで誰でも大成功を狙える時代だとしてもここまでの事をするだろうか。
イタズラではない。そうなると全て峰の言う通りという事になる。
つまり、今目の前にいる女性は既に死んでいる。
幽霊。これが幽霊。初めての幽霊にしては存在感があり過ぎる。霊能力者でもここまで見えるのは珍しいんじゃないか。俺の隠れた才能が急に覚醒したとでも言うのか。
「彼女はどんな様子なの?」
「え、あ、はい?」
「教えてよ。僕には見えないからさ」
「はぁ……」
幽霊と分かった瞬間、目の前の存在が一気に恐ろしくなった。正直見たくない。だがもう手遅れだ。今更見えてないフリも出来ない。仕方なく彼女の様子を再度確認する。
彼女は笑顔だった。満足そうな笑顔に見えた。
彼の横にいられるのが幸せという事だろうか。
「笑っているよ。嬉しそうに」
伝えると峰は堪らずうぐっと嗚咽を漏らしてまた静かに泣き始めた。
どう思えばいいか分からなくなってきた。幽霊は怖い。見たくない。でも峰の立場を考えると途轍もなく切ない。最愛の死んだ妻が今なおそばにいてくれている。ただ彼にはその存在を確認することが出来ない。
「ありがとう。これも何かの縁なのかな。ずっと会ってなかった孝康とこうして会えたのも、美也子の事を知る機会を神様が与えてくれたのかもね」
美也子というのが嫁さんの名前か。正直峰の解釈通りなのかは俺の知る所ではないが、峰にとっても彼女にとっても良いことなのであれば、これ以上俺に出来ることもないし、もうそれでいいのかもしれない。
「びっくりしたんだ。前に会った時、当たり前のように結婚したのかなんて言ってくるから」
「あぁ、だからちょっと変な顔してたのか」
「変って何だよ。そりゃそうだよ、急にそんな事言われたら」
泣きはらして落ち着いたのか、ようやく峰が普通に話し始めた。どうやら今日俺を見かけて声を掛けてきたのはそういう事だったらしい。
峰は地元を離れ都会の大学へ進学した。それもあって峰との交流が断絶してしまった所はあったが、その後地元に戻らず同じ土地で就職し、しばらくして美也子さんと出会い結婚した。しかし今から三年前、美也子さんは不幸にも事故で亡くなってしまう。ショックで仕事も手につかず結局退職し、しばらくは心を病み毎日死を考えるような絶望的な毎日を送っていた。
そして一年前にようやく心身が落ち着き始め、彼女の分もしっかり生きる事を決意した。ただ彼女と過ごした土地に居続けるとあまりに想い出が多く辛かったため、決別するわけではないが最終的に地元に戻ることにしたそうだ。
「本当にありがとう」
「いや、別に何もしてないけど」
「孝康にしか出来ないことをしてくれたよ」
奢るよと峰は俺の分もコーヒー代を払い、連絡先を交換した後、俺達は店を後にした。
ーー俺にしか出来ないことね。
不思議な感覚だった。ただ見えただけだが、それで一人の人間を救えたのならそれは素晴らしい事じゃないか。幽霊は怖いし霊能力者なんて嘘つき野郎ばかりだと思っていたが、自分が見てしまった今全ては当然ながらひっくり返った。
じゃあまたと手を振る峰の横で、穏やかな笑顔でお辞儀をする美也子さんの姿を見て、感じたことのない満足感で満たされていた。
*
「おいおい、お前そんな嘘つくような人間になっちまったのか」
「タカ大丈夫? 最近寝れてる?」
峰に会った一か月後、俺と峰が高校の時に属していたグループの今井翼と高村恵美と飲む機会があった。当然俺はそこで最高の話題だと思って二人に先日の峰との話をした。
だが最初二人は全く俺の話を信じなかった。
霊が見える云々の前に、前提としてあの峰が結婚していたという話がそもそも信じられないといった反応だった。
その反応は分からないでもない。なにせ最初俺自身もそう思ったのだから。ただ峰の反応からして、彼が嘘をついているとはさすがに思えなかった。嘘だとしたらヤバすぎる。それなら俺の見た全てが幻覚で間違いだったという話の方がまだマシだ。
「俺らが知らねぇうちに都会で垢ぬけたってか?」
「いやいや全然変わってなかったぞ。マジで当時のまんま。だから最初俺も信じられなかったんだよあいつが結婚だなんて」
「まぁでも男は見た目じゃないかんね。インスタとかどっか投稿してないかな」
「じゃあお前あいつと結婚出来るか?」
「さすがにキモデブは無理」
「ひでえ女」
そう言って高村はSNSを漁り始めた。会が始まると同時に撮らせてと付き合わされた一枚は早速彼女のストーリーに投稿されたようで、あまり興味のない俺と今井に比べるとSNSへの依存が見てとれた。
同じグループにいながら男には面白がって受け入れられていた峰だが、見た目とオタク気質のある部分が当時生理的に受け付けられなかったようで、高村は積極的に峰と関わる事はなかった。
「あー確かにあげてるね」
ほら、と高村がスマホの画面をこちらに向ける。
画面にはフォトウェディングか綺麗に撮られた写真から遡ると美也子さんと思われる女性との日々が残されていた。
「マジ変わんねぇじゃんあいつ。ってか何? 奥さん超美人じゃんふざけんなよ」
「ヤバイよねー。あれの何が良かったんだろ」
「マジひでえ女」
盛り上がる二人をよそに俺は何も言えなかった。
全てが峰の嘘で、奥さんとの架空の毎日が投稿されているんじゃないかと薄っすら考えたりもしたが予想は外れた。投稿された画像にはよく見知った峰の姿はもちろん、ちゃんと女性の姿も写っていた。
「違う」
「何が?」
「俺が見た女じゃない」
投稿された画像に映っていた女性は長く明るい髪色で、モデルのように整った顔立ちの美人だった。俺が二度見た峰の横にいた暗く地味な女とはまるで別人だった。
「じゃあお前が見た女って誰だよ?」
今井のもっともな質問は俺にとっても最大の疑問だった。
“結婚したのか? しかもこんな美人を、たいしたもんだな”
“……あぁ、そうだろ? 本当に俺にはもったいないよ”
皮肉なことに俺が投げつけた適当な嫌味は的外れではなかったのだ。
峰は嘘をついていなかった。あいつは本当に都会で美人の奥さんと結婚したのだ。
「タカ。見ちゃいけないもん見たんじゃない?」
ほろ酔いの上気した顔でへらへら笑う高村に無性に腹が立ちながらも、肝は急速に冷えていった。
やっぱり幽霊なんてろくでもない。
霊視能力に現を抜かしていた自分がひどく愚かに思えた。
*
もうこれ以上関わらない方がいいという思いと、峰は大丈夫なのかという心配を天秤にかけつつ、あの女は何だったのかという疑問を解消したいという素直な気持ちも含め、堪らず俺は峰に連絡した。
どんな反応が返ってくるか怖くて堪らなかった。色んなパターンを想定したが、いくら身構えても恐怖が薄れることはなかった。
『あぁ、本当に見えてたんだね』
自分が見た女のイメージを伝えると、意外にも峰の反応は明るいものだった。まるで俺の能力にすっかり感心しているといった様子だった。
『ちょっとこれ見てくれる?』
通話しながらトーク画面に峰から画像が送られてきた。
「え、これ……」
思わず声が出た。画像はまさしく俺が見たあの女だった。
『電話で良かったかも。目の前にいたら彼女も気まずかったと思うし』
「どういう事だよ?」
『それが本当の彼女の顔だよ。僕と出会う前の』
整形なんだ、彼女。
その一言で全て納得した。
「あぁ、だからーー」
道理で俺が見た女とインスタで見た姿が違うはずだ。
インスタに映ったモデル美女。俺が見た地味な女幽霊。どちらも本物の美也子さんで、かつ本当の姿は俺が見たあの姿の方だったのだ。峰が言った”本当に見えていた”というのは言葉通りの意味だった。確かに、彼女のいる前でこんな話を出さなくてよかった。
付き合って一年ほど経って、そろそろ結婚をと考えていた頃合いで彼女から言ってくれたそうだ。嘘をついたまま一緒にはなれない。本当の私を知った上で考えて欲しい。それで振られても私はあなたを恨まないから。既に私はあなたを騙したまま付き合っているんだからと。
『彼女の誠実さに心打たれて、尚更この人じゃなきゃダメだって思ったよ』
恐怖した自分が馬鹿みたいだった。なんだよ。めちゃくちゃ素敵な話じゃないか。誠実さで言えば最初から俺に見せたあの丁寧なお辞儀からして現れていたのだ。
「いい人と出会えたんだな」
やっと素直な気持ちで彼を祝福できた。ただそんな人が既にこの世を去っているという事が残念でならない。そこから立ち直って生きる決意をした峰は大したものだ。
『ありがとう。本当に孝康と会えて良かったよ』
「こちらこそ。こんなファンタジーな経験させてくれてありがとうな」
礼として合っているのか怪しいがそれが素直に出た言葉だった。
*
それからほどなくして峰島信人は死んだ。突然の訃報にも驚いたが、殺されたという事実はあまりにも衝撃的で重く受け入れがたいものだった。
峰を殺したのは美也子の双子の妹の亜也子という女だった。ニュース番組に映った彼女の顔を見て俺は絶句した。
短い黒髪、地味で暗い印象。まさに俺が見たあの女だった。
理由は嫉妬だった。結婚した峰は、定期的に美也子と彼女の実家を訪れ家族と交流があった。そんな中で自分の趣味の話が通じる峰に密かに想いを寄せていた。
しかし数年後、幸運にも姉が事故で亡くなった。亜也子はチャンスだと思い傷心の峰に近づいた。しかし皮肉なことに血のつながりや本当の姉に瓜二つな亜也子の姿は、峰の心を癒すどころか更に傷口を広げる結果となった。堪らず彼が都会を離れ地元に戻った理由の一つには亜也子の存在も影響していたそうだ。これが結果として亜也子の精神を完全に歪めた。
自分は姉にはなれない。彼は私を受け入れてくれない。それどころかこんなに献身的な私もろとも全てを捨てた。密かに培った愛は一転激しい憎しみへと変わった。
妻を亡くし、それでも生きていく決意をした友人に訪れた最後はあまりにも残酷で悲劇的なものだった。
その時になって思い出した。峰と久しぶりに会った時、あの喫茶店で一つだけ不可解な場面があった。
「し、死んだって、お前真横にいるのにさすがにその冗談引くわ。だって、めちゃくちゃ普通にいるじゃねぇか」
「じゃあコーヒーは三ついるでしょ」
「それは……」
「孝康にしか見えてないんだよ」
「俺にしか見えてないって……じゃあ、まさか……」
俺は峰の横に座る女に視線を向けた。
彼女はあの時、ゆっくりと笑顔のまま否定するかのように首を横に振った。
私は死んでない。
私は姉じゃない。
私は妻じゃない。
私は美也子じゃない。
生霊は死霊に比べても念の力が強く、心霊写真なんかでもかなりはっきりと映る傾向があるそうだ。死んでいるとは思えないはっきりとした姿は、彼女の念の力の強さを象徴していたのかもしれない。
“ありがとう。これも何かの縁なのかな。ずっと会ってなかった孝康とこうして会えたのも、美也子の事を知る機会を神様が与えてくれたのかもね”
ずっと見えていたのに。
無力な自分の無意味な能力への後悔が、しばらく消える事はなかった。




