第5話:物々交換の経済学
レイ:セナを慕う人間の少年。テイマーの素質あり。
ハル(ドラゴン):最強の龍の幼体。
拠点である岩陰のシェルターに、かつてない活気が満ち溢れていた。
事の始まりは、朝日が森の隙間から差し込み始めた、午前八時の定時始業直後のことだった。
「グルゥッ! ガァッ!」
威勢のいい鳴き声と共に現れたのは、銀灰色の毛並みを誇るコボルトの長と、彼が率いる一族の若者たちだった。彼らの腕には、これでもかというほどの「貢ぎ物」が抱えられている。
昨夜、セナが事務的な冷静さと慈愛をもって救った幼子の命。その「お礼」を持参したのだ。
「あらあら……ちょっと待って、そんなにたくさん!」
セナが驚いて声を上げる間もなく、拠点の前の平らな地面には、次々と品物が積み上げられていった。
鑑定ウィンドウが、休む暇もなく情報を更新していく。
『種別:ジャイアントボアの腿肉……鮮度:極上。重量:計四十キロ』
『種別:星屑草の乾燥束……用途:万能薬の原料。市場価値:高』
『種別:未鑑定の魔力石……属性:土。エネルギー純度:中』
『種別:手彫りの木製カトラリー……工芸精度:良』
レイは「わぁ、宝の山だ! セナさん、これ全部僕たちのもの?」と目を輝かせ、ハルは肉の匂いに誘われて尻尾をブンブンと振り回している。
だが、セナは喜びよりも先に、事務職としての「リスク管理」のスイッチが入った。
(……マズいわ。この気温で生の腿肉四十キロは、二日で腐敗確定。それに、これだけの量を一方的に受け取るのは『贈収賄』に近い不透明な利益供与よ。継続的な関係を築くなら、これじゃダメ。……適正な『流動性』を持たせないと!)
セナはパチンと両頬を叩くと、困惑するコボルトたちに向かって、キリリとした「プロの顔」で歩み寄った。
「長さん、お気持ちはとっても嬉しいわ。でも、これだけの量をただで貰い受けるわけにはいかないの。……これは『お礼』じゃなくて、『初回取引』にしましょう!」
セナは、混乱するレイとハルを呼び寄せると、即座に現場指揮を執り始めた。
「レイ君、その大きな葉っぱを広げて! ハル君、このエリアを少しだけ温めて、除湿をお願い。……そう、そこ! ここを『検品所』にするわよ!」
セナはノートを取り出し、地面に石で線を引いて区画整理を始めた。
前世の物流センターで、荷物の滞留を防ぐために行っていた「ロケーション管理」の応用だ。
「いい、みんな。物はただ置いておくだけじゃ『ゴミ』になるの。管理されて初めて『資産』になるわ。……長さん、ここを見て。このエリアは『食料』、ここは『素材』、そしてここは『備品』よ。まずは棚卸しから始めるわよ!」
セナのテキパキとした動きに、コボルトたちも圧倒されながら、指示通りに品物を並べ替えていく。
セナは鑑定スキルで一つ一つの価値を算定し、ノートに素早く「レート」を書き込んでいった。
「星屑草の一束は、乾燥燻製肉三枚分に相当。魔石は……エネルギー効率を考えると、薪十束分ね。……よし、価格表の完成!」
セナが提案したのは、一方的な施しではなく、お互いの余剰資源を交換し合う「定例マーケット」の開催だった。
「長さん、私たちはこれだけの肉を食べきれないわ。だから、私がハル君の火を使って『長期保存可能な燻製』に加工する。その加工賃として、肉の半分をいただくわ。残りの半分は、あなたたちの冬の備蓄に。……どう? これならお互い様(Win-Win)でしょ?」
長は、セナが指し示す「論理的な配分」と、何より自分たちの生活まで見据えた「管理提案」に、感銘を受けたように力強く頷いた。
そこからは、森の「辺境フリーマーケット」の始まりだった。
セナは、ハルに「火の番(工場長)」を命じ、レイに「受付」を任せた。
「ハル君、一定の温度で煙を通すのよ。あなたの魔力なら、最高品質の燻製ができるわ。……レイ君、交換に来たコボルトさんの名前と、持ってきたものをこの付箋にメモして。間違えたら『在庫不一致』になっちゃうから、慎重にね!」
「うん、分かったよママ! ……あ、コボルトさん、列に並んでください! 順番に受付します!」
レイも、セナの「仕事」を手伝うのが誇らしいのか、小さな背筋を伸ばして元気に声を張り上げている。
ハルも「キュイッ!」と返事をして、鼻先から器用に熱風を出し、肉の水分を飛ばしていく。
セナはマーケットの全体を俯瞰し、滞り(ボトルネック)がないか目を光らせた。
コボルトたちは、自分たちが持ち寄った品が、セナの魔法のような手際で「整然とした商品」に変わっていく様子を、敬意を持って見つめていた。
「ただの物々交換は、時に不公平感を生むわ。でも、こうして『帳簿』に付けて透明性を確保すれば、信頼が生まれる。信頼こそが、最高のインフラ(経済基盤)なのよ」
セナは、交換の合間に、前世の知恵を活かした「おまけ」も提供した。
丈夫な蔓と撥水葉を組み合わせた「仕分けバッグ」の試作品を、コボルトの若者にプレゼントしたのだ。
「これを使えば、森での採取効率が二十パーセントは上がるはずよ。……あら、そんなに喜んでくれるなんて。……ふふ、次の『取引』には、もっと改良したものを用意しておくわね」
気がつけば、拠点の周りには笑い声が溢れ、種族を超えた温かな交流が生まれていた。
夕暮れ時、マーケットが閉場する頃には、セナのノートにはびっしりと取引データが刻まれていた。
『第一回・辺境物産展。収支報告:完全黒字。在庫回転率:極めて良好。特記事項:隣人との信頼残高が大幅に向上』
「お疲れ様、二人とも。今日は最高にいい仕事ができたわね!」
セナは、レイとハルを抱き寄せ、夕日に染まる森を眺めた。
当初はただのサバイバルだと思っていた生活が、セナの事務能力というフィルターを通すことで、確かな「経済圏」へと育ち始めていた。
だが、その賑わいと、ハルが放つ特有の「清浄な魔力の火」を、遠くから見つめる瞳があった。
森の境界線、樹々の影に潜む、金属の鎧を纏った偵察兵。
「……報告せねば。……魔の森の深奥に、魔獣を従え、未知の技術で民を統べる『聖域の主』が現れたと」
偵察兵は、音もなく森の闇へと消えていった。
それは、隣国の王子ジルヴェールの耳に届くまで、そう時間はかからないだろう。
セナは、そんな不穏な影にはまだ気づかず、今日の「売り上げ」である新鮮な果実をレイに手渡した。
「さあ、明日の予定を立てましょう。在庫が増えたから、保管倉庫の拡張が必要ね。……忙しくなるわよ、お母さん頑張っちゃう!」
魔獣の楽園、その建設計画は、セナの几帳面な筆致と共に、着実に、そして劇的に進み始めていた。




