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異世界で「ママ」になりました。 ~最強ドラゴンと息子に懐かれすぎて、魔獣の楽園が完成しそうです~  作者: 寝不足魔王


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第34話:お母さんの増産計画と、小さな騎士の焦り

 王宮へと向かう荷馬車を見送った後、セナは心地よい達成感と共に、在庫の最終確認のために倉庫へと足を向けた。

 王都から戻って初めての公式な出荷という大きな仕事を完遂した。だが、重い扉を開けた瞬間に、セナの頬の筋肉が硬直した。


「……空っぽ。一点の曇りもなく、綺麗さっぱり在庫が消えてるわ」


 棚の上には、マーサが数ヶ月かけてコツコツと貯めてくれた乾燥果実の痕跡すら残っていない。二十袋。王宮という巨大な組織の需要を考えれば、それはお試しに過ぎない量だった。事務職出身のセナにとって、目の前の在庫ゼロという事実は、管理官としての敗北を意味していた。


「セナさん、どうしたの? ……あぁ、棚が寂しくなっちゃったわね」


 背後から声をかけてきたマーサも、空の棚を見て苦笑いした。セナは、手元にあるバルトからの書状――中毒性がある、至急供給されたしという文言を、改めて戦慄と共に読み直した。


「……マーサさん。これ、大変なことになるわ。王都の連中が本気でこの味を気に入ったら、次の注文は二十袋どころか、百袋、あるいはそれ以上の単位で来る可能性があるわよ。……在庫ゼロは、この村にとって最大の危機だわ」


 現状の、家庭の軒先を少し広げた程度の小さな乾燥棚では、次の納期に到底間に合わない。セナの脳内では、既に増産体制のためのシミュレーションが始まっていた。


「よし! 全ライン、拡張よ! お母さんの意地を見せなきゃ!」


 セナの号令に、広場で遊んでいたレイとハル、そしてリリが興味津々で集まってきた。セナは即座に、王都で買ってきたばかりの、まだ真新しいインクの匂いがする良質な紙を広げた。広場の中央、最も日当たりが良く、かつ風が四方から通り抜ける一等席に、新しい大型乾燥スタンドを設営するための設計図を引き始めた。


「ハルくん、その支柱を立てる場所の地面を、少しだけ魔力で踏み固めてもらえる? ……そう、杭を打ち込んだ時に、重みで沈まないようにね。……レイくん、マーサさんが倉庫から持ってきてくれた新しい網を、シワにならないように広げて。……メルディさん、この木枠に気流を促す魔法陣の刻印をお願い!」


 セナの鋭い指示が、聖域の静かな空気を熱狂へと変えた。彼女が最もこだわったのは、作業効率を極限まで高めるための動線の整理だ。


「ロレッタさん、水場はあっちに固定して。……洗った果物を、そのまま右に流してまな板へ。……そこから三歩で、この大型棚に並べられるように配置を固めて。……無駄な一歩は、一秒のロスよ。一秒のロスは、一袋の不足に繋がるわよ!」


「はわわ〜、了解ですぅ! 三歩、三歩ですねぇ〜、セナさん!」


 ロレッタが楽しそうにステップを踏みながら、果物を洗うための中継地点を整えていく。ハルは少年の姿のまま、セナが示した杭の打ち込み地点を、小さな足でトントンと踏み固めていった。ただ踏むのではない。掌から放つ微細な熱風で、土の水分を適度に飛ばし、陶器のように焼き固めて安定させていった。


「……ママ。……土、カチカチ。……これで、重い木も倒れない」


「ええ、完璧よハルくん! 助かるわ。……さあ、次はメルディさんの出番ね」


 メルディが、理知的な瞳で組み立てられたばかりの巨大な木枠を見つめた。指先から淡い光を放ち、正確な筆致で魔法文字を刻んでいく。これは単なる乾燥を助けるものではない。湿気を強制的に外へ排出し、内部に常に一定の乾いた風を循環させる強制換気システムを、魔導の力で実現するためのものだ。


 セナ自身も、額に汗を浮かべながら重い木材を運び、金槌を振るって釘を打ち、網を張る作業に没頭した。かつての物流センターでは、棚は最初からそこにある既製品だった。けれど今は、自分たちの手で、この楽園の未来を支えるインフラをゼロから作り上げている。木槌が跳ねる感触、網を張る時の確かな手応え。その一つ一つが、どんな数字の達成よりも、今のセナの心を熱く、逞しくさせていた。


 だが、そんな活気溢れる設営作業の傍らで、セナはレイの小さな異変を、お母さんとしての瞳で見逃さなかった。レイは、指示された網の準備や、荷物の運搬を、これまでにないほど必死にこなしていた。返事こそ元気だが、その視線はどこか遠くを、あるいは自分の手元だけを見つめている。

 ふとした合間に、レイは自分の腰に差した小さな木の杖を握りしめ、誰も見ていない物陰で、王都で見かけた洗練された騎士たちの素振りをなぞるように、鋭く杖を振っていた。


(……レイくん。……そんなに、急いで大きくならなくてもいいのに)


 レイが強く魔力を込めようとするたびに、ただの枝を削ったに過ぎない杖が、耐えきれずにミシリと嫌な悲鳴を上げた。杖の先から放たれる魔法は、強引な魔力の供給に耐えられず、目的地に届く前に不格好に霧散してしまう。レイはその度に、悔しそうに唇を強く噛み、泥で汚れた手で何度も何度も、滲みそうになる目を拭っていた。

 セナの胸が、針で刺されたようにちくりと痛んだ。王都で迷子と侮辱されたあの日。その一言が、この優しい少年の心に、焦りという名の深い棘を残してしまったことを、セナは痛いほど分かっていた。


「……レイくん。……あんまり根を詰めないで。……ほら、一度休憩しておやつにしましょう?」


「……ううん、大丈夫! 僕、もっといっぱいお手伝いして、ママを助けるんだ!」


 無理に作った笑顔。セナはそれを抱きしめてあげたい衝動を堪え、今は彼の頑張りたいという意志を尊重し、管理者として仕事を振り続けることにした。それが、今のレイにとっての救いになると信じて。


 夕暮れ時。

 広場には、新しく設営された十基もの大型乾燥スタンドが、燃えるような黄金色の夕陽を浴びて、軍隊のように整然と並んでいた。そこには、子供たちが選び抜いた色とりどりの果実たちが、一分の隙もなく、セナが教えた通りの等間隔で規則正しく並べられている。


「……壮観ね。……これなら、一日の生産量はこれまでの数倍は確保できるわ」


 セナは満足げに、完成したばかりの生産ラインを見上げた。マーサとリリも、新しくなった巨大な仕事場を仰ぎ見て、これならどんな大口の注文が来ても、笑顔で迎え撃てるわねとはしゃいでいる。


 だが、その安堵と達成感の瞬間を、冷酷に切り裂く音が響いた。

 森の境界線――未だ開拓が及んでいない、北側の深い闇の中から。金属と金属を力任せに擦り合わせるような、不気味で、生理的な嫌悪感を催させる咆哮が、聖域の結界さえも震わせた。


「……っ!? 今のは、何……!?」


 セナが即座に鑑定スキルを極大まで展開した。視界に浮かぶのは、これまでの穏やかな魔獣たちのものとは明らかに異なる、不吉な魔力波形だった。既存のどのデータにも当てはまらず、解析しようとするたびに数値が激しく乱れ、読み取ることができない。


「……ママ。……変な匂い。……さっきより、ずっと、近くなってる。……鉄の腐ったみたいな、嫌な匂い」


 ハルが少年の姿のまま、低い、龍の威厳を帯びた声で警告を発した。その紅い瞳には、王都での戦い以来の、鋭い警戒の色が宿っている。レイもまた、咄嗟に小さな木の杖を構えた。だが、その小さな手は、不気味な咆哮への恐怖か、あるいは自分の未熟さへの苛立ちか、微かに、けれどはっきりと震えていた。


 セナは、管理日誌の最後の一行を、かつてないほど険しい筆致で締めくくった。


『第三十四案件:大型乾燥ラインの稼働開始。

 特記事項:在庫不足を解消するための生産体制の拡張に成功。

 ……けれど、夕陽に照らされたレイくんの背中が、なんだか少しだけ、遠くに見えた。

 ……そして、森の境界線から届く、不気味な気配。鑑定でも正体が掴めないなんて、嫌な予感がするわ。

 ……平和な日常の裏で、何かが確実に、決定的に歪み始めているわ。

 ……明日も、この子たちが笑っていられるよう、お母さんも武器を握り直さなきゃ。』


 新しく設営された乾燥棚が、夜風に吹かれてガタガタと不吉に鳴った。お母さんの愛情と事務能力で築き上げたこの生産の楽園の端で、未知の脅威が、その飢えた口を広げようとしていた。


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