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プロローグ【第一夜】

 

「三歩殺しの玄」「死神止めの玄」「夜岸の玄」といえば,いずれもオレのことだ.


 三歩近づいたら終わりだから,三歩殺しの玄.

 あまりの凄惨さに死神が止めに入るから,死神止めの玄.

 天下の極道大集団「夜岸組」のナンバー2だったから,夜岸の玄.


 そして病室のベッドで横たわっているのが,夜岸組のカシラ「老いぼれジジィ」だ.

 Swicth 2のレースゲームで看護師さんと対戦しているようだが,ジジィはオレの祖父でもある.

 これでもジジィはかつて「半歩殺しのシゲ」だった.

 なんでも今は,トイレに立つときの半歩もしんどいらしいが.


「そんで,大事な話があるんだぇ?」

「…あ,あぁ.まだ誰にも言ってないけど,オレ,組をやめようかと思ってるんだ」


 ジジィはコントローラーから手先も視線も離さず,「最下位は嫌じゃぁッ!」と雄叫びを上げた.声帯だけは今も変わらず,発せられる声量と重厚感には威厳がある.そんなジジィから発せられる言葉として,「最下位は嫌じゃぁッ!」はおかしい.


「なぁ,聞いてるのかジジィ———」

「玄」


 結果として最下位を手にしたのだろう.ジジィは悲しそうにうつむいたまま,オレの名を呼んだ. 

 御年80の口からたった2文字が出ただけで,オレの言葉は封じられて病室の空気へと消えていった.


「組をやめると言ったな」


 看護師は心配そうな表情でオレたちを交互に見た.喧嘩が始まりそうな気配を感じたのだろうが,これはあくまで通常の会話にすぎない.

 それでも,彼女はカタギだ.そしてオレは今,たぶんだけど怖い顔をしている.

 発言で圧をかけないよう,静かにうなずくだけにした.

 ジジィは顔をあげ,いつもの口癖を言った.


「その選択で,お前は胸が張れるのか?」


 オレの人生のなかで重要な選択をする局面において,その言葉はいつもセットだった.

 ばぁちゃん(ジジィの妻)への誕プレ選びに付きあわされたとき.

 千葉のサービスエリアで「トイレ行っておけ」と言われたときに「いや,今はいい」と返したとき.

 そして,オレがこの道を志したとき.


 ジジィはまっすぐな筋のある人だ.

 胸が張れる選択というのは,ジジィにとって「後悔しても言い訳をしない選択」にほかならない.

 オレが夜岸組を脱退するというのは,オレにとってだけでなく,組全体にまで関わる重大な選択だ.

 たしかに,この選択は間違いかもしれない.

「あのときやめていなければ」と,後悔をするかもしれない.


 しかしオレははじめて,その選択を「言い訳をしない選択」だと思えるようになっていた.

 気恥ずかしさを全力で抑えつつ,しかもいつもの看護師の前で,その根拠を口にした.


「好きな人ができた」


 驚きのあまり,看護師とジジィは見つめあった.

 息ぴったりな2人だが,残念ながら恋人への発展はしない.そもそも20代と80代だし,看護師の薬指には,まだ新しそうな指輪があるからだ.


 ジジィと同じように,オレにもまた,明確な正義というものがある.


其の一、約束は命より重い

其の二:カタギには指一本触れるな

其の三、前に出るのは常にオレ

其の四、必要以上の血は流すな

其の五、裏切りは一度きり

其の六、女と子どもは戦場に立たせるな

其の七、オレの弱さから逃げるな


「だ,だからさ.オレ,今日で組をやめる.補佐の2人には,もう言ってあるんだ…だから,頼む.認めてくれ」

「私からもお願いします」


「…ん?」


 気付いたときには,看護師がオレのとなりで同じように頭を下げていた.

 Switch 2は丁寧に床頭台へ置かれ,1stと表示された画面ではキノコのキャラクターがウィニングランをしている.看護師はゲーム好きのジジィの影響でSwitchを始めたらしいが,実力の伸び具合は目を見張るものであった.


「私は職業柄,いろいろなかたを見てきました.そのなかには当然,心残りのまま亡くなられるかたもいます.そのようなかたほど,やらなかった言い訳を私たち看護師へ口にするのです.だから,どうかお願いします.お孫さんの———玄さんの「好き」を,認めてさしあげてはいただけないでしょうか! 純朴なる看護師からのお願いです!」


 彼女の口からオレの名前が出るとは思わなかった.

 だがおしゃべりなジジィのことだから,考えてみればなにも不思議なことはない.

 看護師の若い女性に胸のなかで礼を述べ,オレはもう1度だけ,深く頭を下げた.


「お願い…します.親愛なる孫,からの…お願い,です」


 無意識のうちに目を閉じていたようだが,女性に肩をツンと触れられて我に返った.

 彼女は頭を下げたままこちらに目を向け,いたずらっ子の笑みを浮かべて,親指を立てた.やんちゃそうな可愛らしいグーサインだ.この人とはあまり話したことはないが,思っていたより人懐こいように感じた.


 次第に心拍数の上がっていくなか,鼓膜はその返事をキャッチした.

 オレが抱いている不安などなきものとし,ジジィは豪快に笑った.


「ハッハッハぁっ…ゲホゲホ.そうかぇそうかぇ! それがオマエの筋なら,ワシがとやかく言うことじゃない.ただし最後に1つ,ワシと約束をしなさい」

「い,いいのか⁉ って,約束?」

「あぁそうだ.これはお前の人生にすら関わる,超がつくほど重要な約束だ」


 ジジィはホッと一息ついて,床頭台の上の湯飲みに手を伸ばした.

 中身はカフェインが豊富な緑茶だ.だからトイレが近くなるというのに,ジジィは「美味いから」の一点張りで,緑茶の摂取をやめようとしない.

 湯気の立つままの湯呑みを傾け,ズズッとすすったあと,ジジィは静かに口にした.


「ワシが死ぬまでに,ひ孫の顔を見せにこい」




 あれからジジィは3か月生き,半年生き,3年たった今でもピンピンしている.

 しかし,あのとき交わした約束は,最期まで果たせなかった.


 先にオレが死んだからだ.

 自動車にひかれたらしいが,決して運転手の過失ではない.オレが道路に飛びだしたせいだ.

 会社帰りの呑み会のことだった.



 初夏の蒸し暑さが残るなか,それでも店内は盛況だった.

 駅から近いということもあるのだろう,客の出入りは頻繁だった.

 やがて千夜が現れ,胸の高鳴りを覚えたのは,久しぶりの再会だったからに違いない.


『おぉ千夜ぁ~よく来たね~…ハイボールでいい?』

『あ…はい』

『よぉうしハイボール一丁~うぇい乾杯』


 オレも呑み仲間もすでに数杯のジョッキをカラにしていた.

 そのとき千夜がした返事の違和感にさえ気づけていれば———


 死なずに済んでいたはずなのだ.オレも,千夜も.



 1時間半ほどの経過だったが,グラスやジョッキの数はひたすらに増えていった.

 普段はあまり呑まないという千夜も,このときはすでに6杯を数えていた.


『どう? ドリンク追加する?』

『あ…いえ.もうそろそろ———』

『いいじゃん千夜ちゃぁん,これおススメよ,オ・ス・ス・ス・メ』


 呑み仲間の女性は千夜の言葉をさえぎり,追加のカクテルを注文しようと手を伸ばした.

 そこで彼女を止められなかったのは,やはりオレも酔いつぶれ,頭が正常に回っていなかったからだろう.

 それでも千夜は,イヤな顔すら押しとどめ,彼女に軽くツッコミを入れた.


『スが1個多いですって』

『アハハハッ,千夜ちゃんマジでちゅき~』


 女性がすり寄ると,千夜はとても複雑な顔になった.

 ダルい絡みをされれば一方的に引いてしまうだけだろうが,彼女は同時に,少し頬を赤らめた.強引に突きはなすこともせず,そっと鳥串に手を伸ばしている.そんな対応にもオレは納得していた.


 千夜にとって,恋愛対象は異性だけではないのだ.

 そんな彼女に異変が起きたのは,テキーラを呑みおえた直後だった.


『さぁてお次は…ちょっくら二軒め行っちゃうか! 千夜も行けるか?』


 話しかけても反応が返ってこず,間もなくガタンと音がした.

 机に頭をぶつけたような,あるいは椅子を叩いたような,鈍い音だった.

 イヤな予感がよぎったがすでに遅く,千夜の身体は席から崩れ,床に倒れこんでいた.


 昏倒しているのは明らかだった.


『せ,千夜ちゃん? 千夜ちゃん⁉ 玄さん,救急車よんで!』


 呑み仲間の女性は,千夜を仰向けになおし,頭部をゆっくりと横へ向けた.

 そうか,これが回復体位というヤツか———


『玄さん,早くっ!』

『あ,あぁっ,わかった…』

 

 現実に引き戻されたとき,回らない頭のまま,ようやく状況を理解した.


 千夜が危険なんだ.


 オレは気が動転して,なぜか店から出た.電話で救急車を呼ぶという発想が完全に飛んでいたのだろう.飛びだした先にあったのは,駅前の大通りを外れた,狭い道路だった.すぐにクラクションが聞こえたと思ったら,衝撃を感じることもなく,オレはすでにこの世界———審判の世にいた.



 そんな出来事を思い出したのは,ボクシングのようなリングの上に千夜を見たからだ.彼女は今日ここへ来たばかりのはずなのに,すでにギャンブラーたちのアツい雰囲気に順応していた.


『うおぉぉぉっ!』


 地響きのような歓声があたりを包み,オレは現実へと引き戻された.目前には数千人のギャンブラーたちがひしめき合い,酒とツマミを手にしながら熱狂している.それを俯瞰するオレだって,スナックBBのカウンター席で枝豆をほおばっている.


「ほぉんと,不思議な世界だよねぇ」


 スナックのママがグラスを拭きながら話しかけてきた.まだまだ若い30代くらいだろう.

 昨日,なにも知らなかったオレに,この世界のことを教えてくれたのは彼女だ,


『ただの審判じゃないもの.勝敗にはオッズが賭けられて,ギャンブラーたちは必死におカネを入れて.ひと昔前まではね,面談で天国行きか地獄行きかを決めていたようなの.それが今ではガラッと変わって,酒呑みギャンブルにまで使われているんだから…でも,意外と退屈しないよ』


 現在の冥界では,閻魔と1対1で審判を受けるわけではないらしい.

 他人と天国行きを賭けた勝負をして,負けたら地獄行きが確定するという,クソルールのようだ.



 オレには償わなければならない,最大の罪がある.

 心から愛していた千夜を,アルコール中毒で死なせてしまったことだ.

 

 ほかにも罪はたくさんある.過失のないはずの運転手はおそらく,危険運転致死傷で人生が狂ってしまっただろう.ジジィとの約束も果たせなかった.「命より重い」約束を,オレは無下にした.



 こんなオレに「恋愛」という道など許されるはずはない.

 しかし,もしこの贖罪がいさぎよく果たされたなら———


 一生をかけて,千夜を大切にしたい.

 運命を同じくして審判の世に来た千夜は,理屈すらも超えてしまうほど愛おしい生物だ.生前から彼女は,オレを尊敬の目で見てくれていたが,それは恋愛感情ではなかった.極道発のオレには恋の方程式も,そもそもこれが恋愛なのかもわからず,難しさを身にしみて感じていた.


 千夜のことだからきっと,この世界でも,すぐにみんなの人気者になるだろう.

 よりによって彼女は,審判の世における重役【審判官ジャッジ】に任命されたからだ.



 そしていま,目の前では彼女の初仕事が行われている.

 ボクシングのような大きなリングの上で,彼女はすでに消えかかっている人物に,泣きながら抱きついた.


【うぇぇん…ぜったい天国で会いましょうねぇ,ぜったいですよ!】

【う,うん.そうだな…ありがとう,千夜ちゃん.CASINOでの出来事もキミのことも,絶対忘れないさ】

【まだ行かないでぇ…グスン】


 顔の火照りを見るに,千夜はそうとう酔っぱらている.生前のことなど忘れているかのように.

 千夜がしがみついていた男性は,無情にも消失していった.彼は【審判官ジャッジ】としての役目を今日で果たし,天国へ旅立っていったのだ.その後継者こそが千夜である.いまはその送別会みたいなものだ.


 普段はおとなしい彼女だが,ジョッキの中身を勢いよく喉元へ流しこみ,虚空へ向かって叫んだ.


【CASINOのクソ野郎がぁっ!】


 これがアルコールの力だ.こんな千夜を,オレは見たことはない.

 リングの様子を見守っていた数千人のギャンブラーたちは,ツマミを片手に盛大に湧いた.

 CASINOは大盛況.審判にかけられる人々は,今日だけで100人を超えていた.


「あの女性———」


 スナックのママは手を止め,小さくつぶやいた.


「千夜さんというらしいわね,新人さんみたいだけど,すでに有名になっちゃってるみたいね」


 スナックのママは遠くのリングを見つめながら,優しく微笑んだ.

 すでにオレの気持ちを見通しているようで,濁すこともなく,単刀直入に聞いてきた.


「ねぇ,玄くん.あなた…やっぱり千夜さんのこと,好きなんでしょう?」

「あ,いや…好き,なのか? 正直に言うと,まだわからないんだ.好きって…なんだ?」

「あなたはいま,どういう気持ちなの? 千夜さんが有名になって」

「…それはイヤだ」


 するとママは静かに笑い,「じゃぁ好きなんじゃない」と断言した.

 オレの気持ちが確定する瞬間だった.


 オレはこの世界———審判の世に来て1日しか経っていないが,肌でなんとなく感じている.

 もしかして,死んでからの恋が一番ムズイ…?


ギャンブル×アルコール×人生です

不定期の投稿になってしまうかもしれません!


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