心の光、揺らめく塔
翌朝、ヒカルは鳥の声で目を覚ました。木の窓から朝の光が差し込み、小屋の中を淡く照らしている。
昨日の出来事が夢ではないと知るのに、時間はかからなかった。見慣れない木造の天井。柔らかな寝藁。外からは、どこか沈んだ人々の話し声が聞こえてくる。
「おはよう、ヒカル」
扉を開けて入ってきたのはセリアだった。昨日と同じ白い衣装。けれど、どこか疲れたように見えた。
「町へ行こう。……見ておいたほうがいいと思うの」
丘を下ると、灰色の屋根が並ぶ静かな町が広がっていた。人々は市場に集まっているのに、笑い声ひとつしない。値段のやりとりも、まるで台本を読むように淡々としていた。
ヒカルは道端で転んだ子どもを見つけた。膝から血を流している。
「大丈夫か?」
しゃがみこんで手を伸ばすと、周囲の大人たちが一斉に視線を向ける。その目は冷たく、警戒と恐怖が混ざっていた。子どもは泣かない。ただ、俯いて立ち上がり、無言で去っていった。
ヒカルは昨日、セリアから聞いたことを思い出していた。
――この町では、感情を出してはいけない。塔が反応すれば、ヴェルザーク兵が来る。笑うことも、泣くことも、怒ることも、すべて禁止――安全の代わりに、心を捨てた町。
「…こんな事ってっ……!!」
その時、小さな手が彼の袖を引いた。
「……おにいちゃん、どこからきたの?」
見上げたのは、十歳くらいの少年。瞳に怯えと興味が同居していた。
「俺? ちょっと遠くから。ヒカルって言う」
「ヒカル……へんな名前」
少年はくすりと笑いかけたその瞬間、町の中央の塔がかすかに光った。
「リートっ……!」
「っ……!!」
リートはすぐに手で口を抑えた。
セリアが鋭く叫ぶ。
「だめ、塔が――!」
彼女の言葉を遮るように、空から低い唸りが響いた。塔の上空に黒い霧が渦を巻き、そこから何かが降りてくる。
「来た……ヴェルザーク兵!」
セリアの声が震える。町の人々が一斉に逃げ出す中、ヒカルは反射的にリートの前に立った。
甲冑の軋む音。漆黒の兵士たちが次々と降り立ち、空気が重く沈む。その中心に、一際異質な気配を放つ男。灰色の外套、仮面のような金属面。
「ア、アーヴェン……!!」
誰かが恐怖に満ちた声を上げた。その瞬間、塔が激しく共鳴した。押し殺されていた人々の“感情”が一気にあふれ出し、恐怖、怒り、絶望。その全てが塔の光を増幅させ、空を裂いた。
「感情を抑えることさえ出来ないとは無力だな」
アーヴェンの声がルミナリアに響く。
「塔が反応した、誰だ?」
リートは恐怖のあまり震えていた。黒い兵士たちが一斉に剣を抜いた。
ヒカルは反射的にリートを背に押しやる。
「下がってろ!」
「おまえらが感情を奪ったのか…!」
「誰だ貴様」
「ヒカル!ダメ!戦ってはダメよ!」
叫ぶセリアの声も届かず、ヒカルは無力に押し返される。ヒカルは魔法を使えない。剣が振り下ろされ、吹き飛ばされる。地面に転がり、息が詰まる。痛みよりも悔しさが胸を締め付けた。
「やめて! もうやめてよ!」
リートの叫びに、塔が強く反応する。ヴェルザーク兵が、光の反応を見逃さずにリートに手を伸ばす。
その瞬間、ヒカルの胸の奥で何かが弾けた。
ーー心で動けーー
頭の奥に響く声が、体中に電流のように走る。
次の瞬間、ヒカルの足元から淡い光が爆ぜた。
塔と共鳴するかのように、金色の奔流が彼を包み、ヴェルザーク兵たちの剣や鎖を弾き返す。
ヒカルを中心に、白金の光が円を描き、波紋のように町全体に広がった。
「……防御結界の反応か?」
アーヴェンの目が細められる。
塔の波動と同質。まるで塔そのものが、ヒカルを守ろうと力を貸したかのようだった。
ヒカルはまだ完全に立ち上がれず、剣を握る手も震えていた。だが、光の奔流に包まれる感覚は、彼にほんの一瞬だけ勇気を与える。
金色の光が兵士たちの攻撃を押し返す。アーヴェンの冷たい視線が光に反射して揺れた。
「……このままじゃ、戦いは終わらないな」
アーヴェンが小さく笑みを零し、後ろに控えるヴェルザーク兵たちに合図を送る。
兵士たちは一瞬ためらったが、すぐに後退を始めた。
ヒカルの胸の奥で光が収まり、塔との共鳴も静かに消えていく。
町にはまだ戦闘の跡が残る。焦げた石畳、散乱した瓦礫、そして白金の光の痕跡だけが、あの瞬間の奇跡を物語っていた。
セリアがヒカルの元に駆け寄る。
「……大丈夫?」
ヒカルは息を整えながら、かすかに頷いた。
遠ざかるアーヴェンとヴェルザーク兵の影。戦いは終わったわけではない。
しかし、ルミナリアの人々の目には、安堵の色はなかった。光の奔流が目の前で繰り広げられた瞬間、誰もが息を呑んだ。そして、困惑した。
あの力は何なのか。なぜ見知らぬ少年が町を守ったのか。街の大人たちは互いに目を合わせ、恐怖と不信を隠せず、口々に囁きあう。
「……あの子、誰……?」
「……町に災いを呼ぶんじゃ……」
リートはヒカルの背に隠れたまま、震えた声で呟いた。
「……ヒカル……守ってくれた……?」
小さな体がぶるぶると震え、胸の奥には恐怖と戸惑いが混ざっていた。ヒカル自身も、胸の奥で残る光の余韻を感じながら思った。
守りたい、という心の力は確かにあった。だが、それによって町の人々に恐怖を与え、危機をさらに大きくしてしまった。
セリアはそっとヒカルの腕に触れ、低く囁いた。
「ヒカル……大丈夫。あなたの力は“心”で動くの。魔法じゃなくて、塔と同じ性質を持っている。だから、上手く使えば町を守ることもできるわ」
「でも、町の人たちは……まだ混乱してる。あなたが来たことで、危機感も増したわ」
セリアは遠くの塔を見上げ、静かに続けた。
「だから、これからは私と一緒に考えて行動するの。町の人々を守りながら、敵の動きにも対応する方法を」
ヒカルはセリアの目を見て、ゆっくり頷いた。まだ何もわからない。だけど、少なくとも一つ確かなことがあった。
自分は、この町で戦える。守れる。
胸の奥で塔がかすかに脈を打つ。
それは、ルミナリアの人々がまだ恐怖を抱きながらも、これからの光を信じるための小さな鼓動のようだった。




