異世界に落ちた少年
感情を出すことが“罪”とされた世界。
その町では、笑えば塔が光り、泣けば敵が襲ってくる。
現代の高校生・大洞光は、
後悔とともに命を落とし、目を覚ますとその“心を失った町”にいた。
ここは、笑うことも泣くことも許されない世界。
それでも彼は、もう一度「人の心」を信じようとする。
異世界転生から始まる、感情を取り戻す物語。
夏の夕立が上がったあと、街のアスファルトはまだ濡れていた。その水面に、ネオンの光が滲んでいる。
「……悪かった、って言えばよかったな」
独り言のように呟いた声は、雨の匂いにかき消された。
大洞光は、横断歩道の向こうを見つめていた。ついさっきまで親友と喧嘩していた。くだらないことだった。部活の試合での意見の食い違い、たったそれだけ。でも、どちらも意地を張って、結局言葉を交わせないまま別れてしまった。
その時だった。
「ワンッ!」
横から飛び出した小さな白い子犬が、光の視界を横切った。反射的に足が動いた。
そして、金属の悲鳴。ヘッドライトの光。痛みを感じるよりも先に、心の中で何かが崩れた。
――ごめんな。
――ほんとは、俺のほうこそ悪かった。
その言葉をようやく心の中で呟いた瞬間、世界は暗闇に沈んだ。
闇の中、風も音もない。
ただ、誰かの声が聞こえた。
──あなたは、まだ伝えたい想いがあるのね。
女の声だった。けれど、懐かしさと悲しみが混ざったような響きだった。
──ならば、もう一度生きなさい。
──その想いが、誰かを救う光になる。
視界の先に、一筋の白い光が現れた。光は吸い寄せられるように手を伸ばす。その瞬間、世界が反転した。
まぶしい青空。
頬を撫でる風。
そして、鳥の鳴き声がした。
光は、柔らかな草の上で目を覚ました。
「……夢、じゃない、よな」
身体を起こすと、制服の袖が風に揺れた。見慣れたブレザー。だが、周囲の風景は見たこともない。樹の幹は異様に太く、空はどこまでも高い。木漏れ日がきらめくたびに、空気の粒が光る。遠く、山並みの間から一本の塔が見えた。白く、静かに光を放ちながら、空に向かって伸びている。
まるで“心臓”のように脈動していた。
森を抜けると、塔が見える丘に出た。そのふもとで、一人の少女が歌っていた。金の髪が風に流れ、白い衣がひらめく。その歌声は透き通っていて、どこか祈りのようだった。光は思わず立ち止まった。意味はわからないのに、胸の奥が締めつけられる。
「……誰?」
少女が振り向いた。金色の瞳が、驚きと警戒を帯びて光を射抜く。
「え、えっと……迷子……です」
「迷子?」
少女は眉をひそめた。だがすぐに塔の方へ視線を戻す。
「ここに来ては駄目。この塔は“感情”に反応するの」
「感情に?」
「笑ったり、泣いたり、怒ったり……そういう心の動きが、塔を揺らすの」
少女は静かに言った。その声は穏やかだったが、どこか凍りついたようでもあった。
「じゃあ、笑っちゃいけないのか?」
「ええ。塔が光れば、ヴェルザークの監視兵が来る」
「ヴェルザーク……?」
「この町を支配している国よ。塔の力を奪おうとしている」
少女の言葉に、光は息をのんだ。どうやらここは、“普通の世界”じゃない。
「……笑うことも、怒ることもできないって、そんなの人間じゃない」
光の言葉に、少女はわずかに目を見開いた。
そして、寂しそうに微笑んだ。
「人間でいることを、もうみんな諦めたの」
沈黙が落ちた。風が塔の周囲を巡り、低い音を響かせる。まるで、悲しみを訴えるように。光はその音を聞きながら、ふと呟いた。
「泣いてるみたいだな、この塔」
少女の表情が揺れる。
「塔が……泣いてる?」
「そう聞こえる。守ってもらうためにあるのに、誰も心を見せてくれないなんて、悲しいだろ」
その言葉を聞いた瞬間、塔の中心にある水晶が、ふっと淡く光った。
少女が息をのむ。
「……今、反応した?」
「俺、何かしたか?」
「いいえ……ただ、あなたの声に」
塔の光はすぐに消えたが、確かに何かが“応えた”ように見えた。
その後、少女は光を森の外れの小屋に案内した。「夜になると冷えるから」と、簡素な毛布を差し出してくれる。名前を聞かれ、光は少し迷ってから答えた。
「ヒカル。……ヒカル・オオト」
「ヒカル……不思議な響きね。光、という意味?」
「たぶん。親がそんな名前をつけたんだ」
少女はわずかに笑った。その笑顔を見た瞬間、塔がまたかすかに震えた。
「やっぱり、笑うと反応するんだな」
「……怖いけど、不思議。あなたといると、塔が生きてるみたい」
その夜、焚き火の光の中で、二人はしばらく言葉を交わした。
「どうしてこの塔を守ってるんだ?」
「守ってるというより……縛られてるの。町のみんなの“心”がこの塔に封じられているから」
「心が?」
「昔は、感情が力になってた。でも、ある日を境に、それが“罪”に変わったの」
セリアの声が震える。
火の粉が夜空へ舞い上がる。
「……でも、あなたを見てたら、少しだけ思い出した気がする。笑うことって、こんなに……あたたかかったんだって」
光は微笑んだ。
そして、火の揺らめく向こうで、塔がまた小さく脈を打った。誰も気づかないほどの光。
けれど確かに、それは、再び動き出した心臓の鼓動だった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
第1章では、光とセリアの出会い、そして「塔」がわずかに反応するまでを描きました。
この小さな光の瞬きが、のちに町全体を変える“始まり”になります。
次章では、感情を失った町の人々と、
彼らを縛る《ヴェルザーク》の支配の真実が明らかに――。
「泣くこと」「笑うこと」「想うこと」、
そのすべてが“戦う力”に変わる世界へ。




