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04.約束

 簡単に人を傷つけようとするアルセニオが、信じられなかった。そしてそのことを、彼が微塵も悪いと思っていない様子なのが恐ろしかった。


 アルセニオは、何が起こったのかわからないという表情でルビアを見上げていた。目の色は普段の黄金色に戻っており、全身を取り巻いていた不穏な黒い靄も消えている。


 その表情を見て、ルビアははたと気づいた。

 彼は恐らく、これまで誰かに――親にさえ、叱られた経験がないのだ。


 ルビアの実家では、悪いことをすれば必ず周囲の大人たちが叱ってくれた。そして、どうしてそういうことをしてはいけないかを、懇切丁寧に教えてくれたものだ。


 けれど生まれてすぐに母を亡くし、十歳にも満たない頃に父を亡くしたアルセニオには、そういう相手がいなかった。

 それがどれほど悲しく不幸なことか――。恵まれた環境で育ったルビアは、ただただこのひとりぼっちの少年を可哀想に思った。


 呆然とするアルセニオの頬を手のひらで包んだまま、ルビアはその場に跪く。

 そうして彼と目線を合わせると、諭すように穏やかな声で伝えた。


「叩いてごめんなさい、アルセニオさま」

「――お前は、怒っているんじゃないのか?」

「いいえ、怒っていませんよ。ただ、悲しかっただけです」

「悲しい?」


 戸惑うアルセニオの手をぎゅっと握り、ルビアはまっすぐに黄金色の瞳を見つめる。上手く自分の気持ちを伝えられるか分からなかったけれど、この先、彼に誰かを傷つけてほしくはなかった。


「アルセニオさまは、強い力をお持ちです。その力は、誰かを傷つけることも、助けることもできる……。だからこそわたしはアルセニオさまに、人を守るためにその力を使ってもらいたいんです」

「なぜだ。そんなことをして、僕になんの得がある」


 痛い思いをするのは誰だって嫌だとか、強い者が弱い者を助けるのは当然の義務だとか、きれい事を並べようと思えばいくらだってできた。

 だけどどれも彼を納得させるにはしっくりこない気がして、ルビアはしばらく考え込んだ後、再び口を開いた。


「怒りや、憎しみは自分で抱えるのも、誰かから向けられるのも辛くて苦しいものです。わたしはアルセニオさまに、そんな思いをしてほしくありません」


 できればルビアは、アルセニオに日々を幸せに過ごしてほしいと思っている。

 タルク族は幾度も大国に侵略された歴史から、人との縁や絆を大切にして暮らしてきた一族だ。だからルビアも、たとえ政略結婚とはいえアルセニオと結ばれた縁を大事にしたかった。

 孤独に育った少年に、彼が家族から受けてしかるべきはずだった愛情を、少しでも注いであげたかったのだ。


「それに、誰かの笑顔を守れるって、きっとすごく嬉しくて誇らしいことだと思うんです。どうせ誰かに向けられるなら怒り顔より、笑顔のほうがいいでしょう?」

「……お前は、僕が誰かを守れるようになったら、嬉しいのか?」

「はい、もちろんです。わたしの旦那さまは優しくて立派な魔術師だって、自慢に思います」

「そうか……」


 ルビアの言葉に、アルセニオは無表情のまま黙り込んでいた。

 自分の思いが上手く伝わらなかったのかもしれないと少し不安に思っていると、黄金色の瞳がルビアを見つめる。


「お前がそう言うんだったら、努力する。人を傷つけないと、約束する。だから……僕から離れるな」

「え?」

「そこの女たらしに求婚されて、満更でもなさそうだっただろう」


 面白くなさそうにアルセニオが指さした方向を見れば、壁の側に佇んでいるジェレミーと目が合った。恐らく、何かことが起こればルビアを助けに入る気でいたらしい。右手に魔力を集中させており、金色の光が彼の手を取り巻いている。


「あー……ごめん、悪かったよ。さっきのはさすがに調子に乗りすぎた」


 彼は困ったように笑いながら右手を振った。金色の光が霧散し、空気中の魔素と混じり合って消えていく。


「さっさと帰れ。次に僕の妻に手を出したら、今度こそ殺すぞ」

「アルセニオさま!」


 人を傷つけないという約束をしたばかりなのに、物騒なことを言い始めるアルセニオに、ルビアはぎょっとした。

 もちろんそれは、単なる脅しだったに違いない。


「ごめんごめん。じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。またね、ルビアちゃん」

「さっさと出て行け」


 そうやりとりするふたりの空気は、普段と変わらぬ師弟らしい気安さに戻っていた。

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