20.新しい思い出
ルビアの部屋は、本当に当時のままだった。
本棚の本も、カーテンの色も、丁度品も、こまごまとした飾りもすべて。
その部屋の中に、下男たちが離れから次々と荷物を運んでくれる。
「いいか、ルビアの物には傷ひとつ付けるな。繊細なガラス細工のように大事に扱え」
「そ、そこまでしなくても大丈夫です……」
「そこまでしなくても大丈夫だそうだ。それなりに丁重に扱うように」
大げさな発言をしていたアルセニオは、ルビアの控えめな主張にあっさりと意見を変える。
おかげで、少しの失敗も許されないと言わんばかりの下男たちのぴりついた空気が、少しだけやわらいだ気がした。
そうしている内に、今度は下女たちが次々と花瓶を運び込む。それぞれに季節の花が生けられており、とりどりの色合いが美しい。
彼女たちは、部屋の四隅に設けられた台座や、テーブルの上に花瓶を置いていった。
その様子を眺めていて、ルビアはふと思った。
(……やっぱり、知っている使用人がひとりもいないわ)
初めは、十六年も経つのだから新しい使用人が増えるのも当然だろうと考えていた。しかし、さすがに見知った人間がひとりもいないというのは、おかしい気がする。
「あの、アルセニオさま」
「どうしたの、ルビア」
「侍女のカリナやノエミはどちらに? それに、下女のテレサとか、下男のチコとか……。あっ、家令のフアンさんにもご挨拶したいのですが」
入れ替わりが頻繁にある下女や下男はともかく、家令が退職するということは滅多にないはずだ。
そう思って問いかけたのだが、アルセニオは気まずそうに視線を逸らした。
「……辞めてもらったんだ。もちろん、再就職先を斡旋して」
「えっ? あっ、侍女たちに、ですか?」
確かに考えてみれば、侍女は女主人に仕えるもの。公爵夫人であった『ルビア』が死んだ以上、侍女を解雇するのは当然の流れと言えるだろう。
だが、アルセニオは首をゆっくりと横に振る。
「いや、全員に」
「全員――全員!? 全員って、全員ですか!?」
「そう、全員だ」
そんなおかしなやりとりをしてしまうくらいには、アルセニオの発言は衝撃的だった。
(だって、全員って……! どうして!?)
彼らは、アルセニオによく仕えていたはずだ。少なくともルビアにとっては、働き者で気立てのよい使用人たちばかりだった。
それなのに全員を一度に解雇するなんて、よほどのことがあったのだろうか。
そんな内心の疑問が表情に表れていたのだろう。
アルセニオは目をそっと伏せ、ルビアの疑問に答えてくれる。
「君との幸せな日々を思い出す人間が側にいるのが、辛くて」
「え……」
「彼らと話すたび君と過ごした日々や君の面影がちらつくのに、君はもう側にいない。その事実に、どうしても耐えられなかったんだ」
「アルセニオさま……」
俯いたアルセニオは、まるで八歳の子供のようだった。
体は成長しても、心の一部はきっと、ルビアを喪った時に取り残されたままなのだろう。
十六年という長い時を、彼ひとりで過ごさせてきたことに、改めて胸の奥がきゅっと痛む。
「今度は、ずっと側にいます。できなかったこと、やりたかったこと、また一緒に思い出を作っていきましょう」
ルビアが両手を握り締めると、アルセニオはおずおずと顔を上げた。まるで、迷子の子供がようやく親を見つけた時のような眼差しだった。
「本当に、ずっと一緒にいてくれる? 今世も、来世も、来々世も、未来永劫?」
「もっ、もちろんです! いつまでもアルセニオさまの側にいます」
あまりに重く果てしない約束に、一瞬、軽々しく返事をしていいものかと怯んでしまう。しかし必死な眼差しを向けられては、頷くことしかできない。
そんなルビアの様子に、沈んでいたアルセニオの表情がようやく和らいだ。
「嬉しい……。ありがとう、ルビア。君の言ったとおり、たくさん思い出を作ろうね」
「は、はい。楽しみです」
安請け合いしすぎただろうか、と思ったのも一瞬のこと。
ぎゅっと両手を握られ、とろけるような柔らかい笑みを向けられたルビアは、たちまちの内に細かいことなどどうでもよくなってしまう。
(美形ってすごい……!)
彼に見つめられたら、老若男女問わず誰もが全財産を差し出してしまうに違いない。アルセニオの笑顔には、そう思わせるほどの破壊力があった。
§
『思い出を作ろう』と宣言した通り、アルセニオは翌日には早速、ルビアを外出に誘った。
『町歩きに相応しい服装で』
その指示通りに、ルビアは葡萄色のワンピースと黒い革靴を合わせて、待ち合わせ場所である玄関先へ向かった。
既にアルセニオは準備を済ませて待機しており、ルビアを見るなり顔を輝かせる。
「ルビア! その格好、よく似合っているね。初めて見た服だけど、素敵だよ」
「十六年前のものは、今は少し流行遅れになっているみたいで。時間がある時に、今風に仕立て直そうかと思っています」
皇都の流行はめまぐるしく、廃れるのも速い。
お気に入りのドレスばかりだったが、やはり十六年も経てば古く見えてしまう。
(あまり野暮ったい服装でアルセニオさまの隣を歩いて、恥を掻かせてしまうわけにもいかないし……)
ちら、とアルセニオの様子を観察する。
銀糸の刺繍が施された紺色の上着に、黒いループタイ。白いシャツに黒いスラックス。艶やかな黒い髪を撫で上げた姿は、いかにも都会的な紳士といった出で立ちだ。
老若男女千人を集めたら、そのうち十人くらいは鼻血を出して失神するかもしれない――と本気で思うほどである。
一方、ルビアが身に着けているのは、流行の大きな飾りボタンと、ベルトを着けるタイプのワンピース。これならば、アルセニオの隣を歩いても問題ないだろう。
「僕は女性ものの服の流行はわからないけれど、君の望むようにするといい。お針子だって、デザイナーだって、何人でも揃えてあげるからね」
「ありがとうございます」
「そうだ、せっかく町に出かけるんだから、ブティックや宝飾店にも寄ろうか。香水店でもいいし、そうだなぁ、あ、有名な陶芸家の作品をたくさん取り扱っている食器店でティーセットを買うのなんかもいいね。お昼は魚料理が有名なレストランで食事を取ったり、夜は観劇に繰り出すこともできるけど……。どこか行きたいところ、ある?」
アルセニオが次々と提案してくれた場所は、若い娘ならば胸ときめかないはずもないほど、どれもとても魅力的な場所だった。
しかしそれより、ルビアにはもっと気になっている場所があった。
「行きたい場所、あります」
「どこどこ? どこでも言って。どこにでも連れていくよ」
「以前ヒメナさんが仰っていたんですけど、アルセニオさまは恵まれない方たちのために、孤児院や診療所などを経営していらっしゃるって……。その場所を、見てみたいです」
あれほど人嫌いだったアルセニオが、誰かの役に立とうと、そう言った施設運営に力を入れていたというのがルビアは心から嬉しかった。
どんな場所なのだろう。そこにいる人々はどんな暮らしをし、アルセニオのことをどのように思っているのだろう。
それを、この目で確かめたかった。
「ええ……そんな場所でいいの? 田舎の領地だし、そんなにお店やレストランも多くないよ」
「かまいません。アルセニオさまと一緒なら、どこでも楽しいですから」
アルセニオはあまり気が進まないようだったが、ルビアのその言葉に、肩を竦めて降参のポーズをしてみせた。
「わかった。奥さんの言うことなら仕方ない。――それじゃルビア。僕に掴まっててくれる? いまから転移魔方陣を起動するんだけど、陣からはみ出したら身体が分解されてしまうから」
「こ、こうですか?」
「もっと。だめだめ、そんなに離れてちゃ。ほら――こう」
ぐいっと腰を引き寄せられ、ルビアとアルセニオの身体が隙間がなくぴったりと重なる。
思った以上の密着具合に、ルビアは自分の心臓の音が相手に聞こえてしまうのではないかと不安なあまり、生きた心地がしなかった。




