プロローグ
――バリ、ゴキッ……ムシャ。
青年が歩くたび、彼を取り巻く靄は周囲の魔物を丸呑みにし、嫌な音を立てながら骨や肉を噛み砕いた。
まるで、靄自身が明確な意思を持っているかのように。
――ゴリゴリ、ビシャッ。
一歩歩くたび飛び散る血に顔色ひとつ変えず、青年は古びた小屋の扉を開けた。
そこには両手を縛られた少女と、今まさに彼女に襲い掛かろうとしている男がいた。
青年の、星を宿した黄金色の瞳に明確な殺意が浮かぶ。
「僕の妻に触れるな、下衆が」
彼がそう言うなり、黒い靄が犬の形となって、少女に覆い被さっていた男に襲い掛かった。
「ひぃぃぃぃ!! やめっ、ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
醜い悲鳴が響き渡る中、青年は少女のかたわらに跪く。
その眼差しはひどく優しく、この世で最も尊い宝物を見つめるかのようだ。
「助けに来たよ。怪我はない?」
青ざめた顔で、少女が頷く。その身体は小さく震えており、彼女が今どれほどの恐怖を覚えているか、青年は嫌というほど思い知った。
(――赦せない)
音もなく立ち上がった青年の怒りに呼応するように、黒い靄がぶわっと膨れ上がる。
(彼女を傷つける者は、等しく消え去るがいい)
今や青年の瞳は、黄金色から燃えるような赤色に変化していた。
「おいっ、どうし……ひいぃ……!」
「やめろ、こっちに来るな……ぐぁぁぁ!」
遅れて駆けつけた、男の仲間と思しきならず者たちが、たちまち靄に襲われ呑み込まれていく。
無情な光景を前に、少女が不安そうに青年を見上げる。
「ア、アル……」
「大丈夫。何も心配しなくていいんだよ」
冷酷な目つきで彼らのほうを睨み付けながら、青年は少女の肩を強く抱き寄せた。
「君は僕だけを見ていればいいんだ――ルビア」