7.情報通
「俺は、この事件にかかわる気はありません」
改めて宣言する。
誰の感情も読めない。夕陽のせいか、皆のっぺりとした顔に見える。
「俺はもう二度と、あんな思いをするのはごめんです。命が惜しい。のこのこ捜査に乗り出して、殺されるなんてまっぴらです」
俺は本音に蓋をする。
――澄田徹が死んだのは、俺が事件を願ったせいだという、身勝手な罪悪感と、その懺悔を。
そうすることで救われようとする浅ましい心を。
誰かが何か言うより早く、探偵事務所を後にした。
探偵事務所を後にしてから、心の整理がついていない。
そんな状態で迎えた明日は、憂鬱そのものだった。
「ひどい顔ね」
心中を見透かしたように唯が言う。
「街を案内してくれるってのに、途中で終わって散々だったわよ」
「それは……悪かった」
別にいいけど、と唯はとってつけたように言う。
「あの後どうなった?」
「刑事さんがあの女の人――恵麻さんだっけ? と手紙について話してから、刑事さんが車で家まで送ってくれたわよ。あなたの叔父さんのヒントも、有力な手掛かりとは言えなかったみたいね」
「生き残りの証言と、『サタデーナイト』か」
頷きつつも、唯はひたひたと頬を叩く。
「ただ……個人的に気がかりだったのは、あの子ね」
「布津のことか?」
「ええ。あの子、あなたが事件解決することに期待をかけていたでしょう? だからこそ、あなたが降りたら、自分の手で――文字通り自分の命を懸けてでも――犯人を見つけようと、無茶しそうで」
唯はいったん口を閉じ、俺の方を盗み見た。
「あの子は幼馴染とか、そういう関係?」
「いや。事件をきっかけにだ。それ以前は、接点なんてなかった」
昇降口を抜けたところで、女子の一団にばったり出会った。俺を告発し、逆に唯に告発された集団だ。
坪木たちは一瞬ぎょっとしたが、すぐに意味深な笑みを浮かべ、先に教室の方へと消えていった。
「出席停止だったのでは?」
後姿を見送った担任に尋ねる。彼は肩をすくめた。
「お上の判断だ。高校受験という人生の節目に、ちょっとした過失で可能性が奪われてはならない。何より、いじめが大事に至る前に発見されたのだから、出席停止は罰として適当ではない、と」
「要するに事なかれ主義ですか」
「ズバズバ言うよな、お前」
担任はしかめ面になった。被害者たる唯は、小さく肩をすくめるだけだ。
「どうせ、このタイミングで出席停止なんかしたら、親が怒鳴り込んでくるからでしょ。今言った理屈も、その親たちの先取り。違います?」
担任は首を縦に振った。そのままうなだれそうな肯定。
それもすぐに、苦虫を噛み潰したような顔へと変わった。
「おやおやぁ? みなさんおそろいで」
俺たちの背後にいる声の主に向けられた顔だったものらしい。
縁のない丸眼鏡をかけた、ボブカットの少女。長い前髪越しにうっすら、値踏みするような目が見える。皮肉気に歪んだ口元。誰かのおさがりなのか、中途半端に長い袖口が、彼女の両手を隠している。
だが、最も目立つのは、金髪だ。
学校が急に髪染めを許可したくなったわけでもない限り、彼女のは地毛だろう。
「牧野?」
何の用だ、と言わんばかりの口ぶりで、担任が彼女の名を呼んだ。
当の本人は返事することもなく、眼鏡を袖で押し上げながら、こちらの顔を覗き込む。
「いじめの被害者に、加害者兼密告者に、解決手段を持つオトナ、ですか」
「その袖口、不便だろ?」
「おーやおや吉川クン? キミは萌えというものをご存じない?」
へらへらと笑うその姿は、典型的なサイコパス風の振る舞いだ。
「これはいわゆる萌え袖と言ってねぇえ。小柄な子がアピールポイントにできる簡単な属性ってやつですよぅう? 作業するときはもちろん捲ります。バカぁじゃないので」
「それだったらアピールもくそもないような気がするがな」
「しっかしまあ、吉川クン、随分大胆なやり方をしたもんですねぇえ? いじめをやめさせるために、隠せないような怪我を負わせて。浅慮な彼女たちは、密告して墓穴を掘ったようだけどもぉお」
牧野は俺の言葉を完璧に無視して、話をほじくり返す。
「とはいえ、恨みというものはオソロシーもんですよぉお? いつ誰が、標的となるかわからない。一度発覚したいじめは激化するのが通例ですし、ましてやここは沼江町、ってね」
牧野、と担任が鋭く呼んだ。叱責に似た響きにも、飄々と肩をすくめて答える。彼女が言う、萌え袖がパタパタと舞う。
「ま、なんとかなるでしょー。特に、あの事件で生き残ったキミならばね、吉川クン?」
芝居がかった口調で、彼女は言った。
“I expect you to resolve these cases, detective…”
“…before Saturday night.”
去り際の言葉は、唇の動きだけだった。こちらの顔をじっくり眺め、自分の放り込んだ爆弾の威力に満足すると、彼女もまた教室の方へ消えていった。
追いかけようとする意志を始業の鐘が挫いた。
昼休み、放課後と、時間が取れそうなタイミングで彼女の教室へと向かったが、タッチの差で逃げられていた。
「煽るだけ煽って、こっちを振り回すのが趣味らしいな」
「いい趣味してるわね」
「お前さんもな」
乗り掛かった舟とばかりに行動を共にする唯を振り返る。
あれだけ事件に関わらないと宣言したのに、これ見よがしに手掛かりをちらつかせる女の尻を追っかける俺も大概だが、そんな俺と行動を共にする彼女も彼女で大概だと言える。
「やっぱり、事件に興味があるのか?」
「……ないとは言わないけど、人殺しに興味はないわね」
じゃあなぜ、と尋ねても、彼女は答えなかった。話題を変える。
「牧野について何か知ってることは?」
「金髪。ハーフかガイジン。日本語も英語もできそう。何でも知ってると言わんばかりの自己顕示欲の塊」
俺と似たり寄ったりの印象だ。
ただ、どこか緊迫した様子が感じられないのは、最後の言葉を読み取れなかったからだろう。
『土曜の前に』
サタデー・ナイトと告げるところに、お前より事件を知っていると言わんばかりだが、問題は何を、どのくらい知っているか、である。
「で、彼女がどうかした?」
「英語だ」
彼女の去り際の言葉を告げると、唯はこめかみに指を添えた。
「読み間違い、っていうのは?」
「なきにしもあらずだ。こちとら、英検三級レベルなんでね」
「英検三級には読唇術も含まれるわけ?」
呆れた口ぶりのわりに、牧野がニオう、と思っているのはお互い様らしい。
「で、そんな人を食ったような輩を調べ上げるにはどうすればいいかと思ってな」
「聞き込みでしょ」
「勘弁してくれよ」
「あら、探偵みたいって喜ぶところじゃないの?」
「こちとらコミュ障だ」
そもそも俺は探偵ではない、と付け加えれば、鼻で笑われた。
唯は人差し指を立て、一言。
「無鉄砲に誰彼聞いて回るって、バカバカしいでしょ。ここは効率的に、ローリスクハイリターンで行きましょ」
「それで、俺のところに来るのかお前らは」
担任はこめかみを押さえながら言った。職員室に押し掛けた俺たちに、迷惑そうな顔を隠そうともしない。
「わからないことがあったら訊きに来い、と聞いてましたので」
「そりゃ教科書の内容だろうが」
「じゃ、人生相談とかがあったら?」
「俺の方が相談したい気分だ」
担任は乱雑な書類を払いのけ、頬杖を突くスペースを確保した。
「牧野について、だったな?」
「教えてくれるんですか?」
「プライバシーに引っかからない範囲内でな」
そう前置きし、担任は言う。
「一言で言えば、変人だな」
「変人ですか」
「ああ。それを自覚した上で、誇張気味に振舞ってる感じがするな」
「演技性パーソナリティ障害?」
「決めつけるな」
口を滑らせた唯を諫める。
担任には聞こえなかったのか、撫でるように髪を搔き上げる。
「教師をやってると、少しは生徒のことが見えてくる。ジェネレーションギャップを感じるような、理解の及ばん奴もいるし、こいつは強がってるだけだな、とわかる奴もいる。ま、本当に十人十色だよ」
新たな発見に対する喜びのようにも、接する時間の短さに対する嘆きにも聞こえる。確かなのは、担任の、自分の職に対する誇りだ。
少し遠い目をしていた彼は、ふっとその空気を霧散させた。
「一年の時受け持ったクラスの中に牧野がいた。ハーフらしいんだが、容姿が外国人っぽいだろ? だからまあ、人気があった。アイツの動きを目で追う奴とか、気を引こうとする奴とか、もっと過激な奴もな。お年頃の男子にとっちゃ、英語を使わずに口説けるパツキン美女だからな」
「洋モノポルノじゃ満足できなかった連中が大勢いたと」
俺と教師の名誉のために言うが、この発言は唯の口から洩れたものである。
オトコとして、どちらともなく視線をそらした。
「……まあ、その時アイツにちょっかいを掛けてた男子がいてだな。それに対して牧野は、全部英語で言い返したもんだから、バカにされたと思った男子が、アイツを振り向かせようと肩を掴んだ瞬間、顎にアッパーカットを食らわせたんだ。で、ひっくり返ったそいつに対し、何事か囁いた――その瞬間、その男子の顔が一瞬で青ざめたんだ。
事が事だから男子から何を言われたか訊いたら、牧野はそいつ自身しか知りようのないはずの事実を耳打ちして、それ以上やったら全部バラすと脅したらしい」
「情報通、ってわけですか」
穏やかに言えばそうなる。もっと物騒に言うならズバリ『ゆすり屋』だ。
「だから先生も、先程牧野さんの話を遮ったわけですか? 牧野さんが私たちに何か仕掛けてくるんじゃないかと思って」
「牧野は何もしないだろうよ。自分では、決して」
この場合はそうだ。
警戒すべきは、どんな情報が牧野か坪木らに『もたらされたか』だ。
「まあ、俺が知ってるのはそんなところだが……参考になったか?」
「ええ、まあ」
何とかして彼女に接触しなければならなくなった、という意味では。
担任は机の埃を払い落とすようにして、思い出したように付け加える。
「牧野は、文芸部の活動拠点としてパソコンルームにいることが多い」
「パソコンルーム?」
予想外の言葉が飛び出した。
パソコンルームは基本技術科の時間でしか使われない。それだけのために、安物と言えど四十台ものPCが、一年を通じて埃をかぶっている。
「今じゃ小説を書くといえば、パソコンかスマホだろ。学校のでなくともいいとは思うが」
ただし、部員は牧野一人。
文字通りのワンマン体制だ。
「よく許可が下りましたね」
「牧野が文芸部に入らなきゃ、文科系部活動が一つ潰れることになる。職員の間では、文科系と運動系の部活動のバランスについて会議が行われてたんだ。そういった事情を牧野が知っていたかどうかはわからんがな」
担任はどっかと背もたれに体を預け、だらしなく姿勢を崩す。
「で? 他に訊きたいことはあるか?」
「いえ、特には――」
「音羽布津さんについて、どれくらいご存知ですか?」
こちらの言葉を遮り、唯が尋ねる。
「……なんで音羽の話が出てくるんだ?」
唐突過ぎる話題に不審の目を向けられても、彼女はびくともしなかった。
「個人的に知り合う機会があったんです。先生なら何かご存知かと思いまして」
「それは……十分、プライベートな話だと思うんだがな」
担任は言葉を濁しつつも、一瞬だけこちらを見た。
やはり、俺は周囲の大人に恵まれている。
事件に巻き込まれた後も、俺は日陰者のままだったし、誰一人として尋ねてくる人間もいなかった。
警察と学校の連携。ありえるはずもないタッグがここにあった。
「芯が強い女の子、だろ」
担任と、唯が振り返る。
担任は少し驚いた様子で。
唯は、余計なことを、と言わんばかりの表情で。