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4.ヤンデレ

 職員室を出たものの、気まずくて教室に入れない。


 あるいは『事件を解決させ、感傷に浸る探偵のポーズ』をしたかったのかもしれない。


 教室に背を向け、窓枠に腕を預けていると、隣では窓枠に背を預けてるやつがいた。



「礼を言うべき? それとも恨み言を吐くべき?」

「お好きなほうを」



窓枠がきしみ、反動をつけてユイが立ち上がる。



「よくもいじめの件を公にしてくれてありがとう」

「お構いなく。陰でこそこそやってる連中と、それに甘んじてるやつがムカついただけだ」

「甘んじてる?」



 視線を向けずとも、ユイが顔をしかめるのがわかった。



「暴力にも、中傷にも耐えうる力があった。それをはねのけるだけの力も」

「だったら何の問題もないんじゃないの?」

「連中を逆なでするだけだったんじゃないか?」

「かもしれなかったとして、それで?」



 淡々と反駁され、向き直る。

 こっちの意見を認められるのを期待したわけではないし、言いくるめるつもりもない。



 だが何となく、もやもやした気持ちがあって、それはますます膨れ上がる一方だった。



「学校側としてはいじめの事実を発見できて一件落着だろうが……」

「だろうが?」



 俺は言葉に詰まり、顔が歪むのがわかった。


 一方彼女は、なぜかふっと表情を緩めると、さっきまで俺がしていたように、窓枠に腕をのせ、くすくすと笑い始めた。



「何だ?」

「いえ? ハードボイルド気取ってるのに、大事なものは言葉にもできないのが、ね」

「気取り屋ってのはそんなもんだ」



 軽口でかわしたつもりだが、図星には違いなかった。

 そんなもやもやをごまかそうとしたからか。



「――それに、探偵稼業はまだまだ修行中でね」



 余計なことまで口を滑らせた。ユイは勢いよくこちらを振り向く。



「……探偵、やってるの?」

「事務所の鍵を預かってるだけだ。修行中の身だよ」

「修行? 暗号解読とか、ピッキング?」

「チャンドラーの読破」



 ユイは今度こそ噴き出した。





「じゃあフィル、せっかくだし、この街の案内をしてくれない?」

「何がどうなのか、さっぱりわからんな」



 こめかみを押さえる。こんなガキと同列視されるマーロウに申し訳ない。



 放課後、そそくさと教室を出ていくいじめっ子らを見送り、彼女はすねたように唇を尖らせる。



「私、この街にはまだ不慣れだし、どこかの誰かさんが逆恨みしてくる可能性だってあるでしょ?」

「あのな……」



 ため息。


 今までの冷静沈着な姿はどこへやら、積極的にになったものだ。


 もちろんこれも、『まだ知らなかっただけ』で彼女の一面なのだろうが、ギャップがすごい。


 女子のナンパに探偵という肩書は使えるらしい。


 全く役に立たない情報を脳に書き込みつつ、俺は立ちあがった。



「あら、本当に案内してくれるの?」

「まあな」



 もちろんこの街に来て浅い彼女が、街案内を頼むというのは事実だろうが、最大の目的は探偵事務所の見学だろう。


 謂れのない暴力をふるった手前、それくらいは叶える義務がある。


 軍資金を確認し、学校を後にした。





 沼江町。

 田舎のモデルケース、あるいは典型的なベッドタウン。


 余暇すらない現代人が住んでいるこの街は、本当に寝床だけの町だ。



 刺激の足りないカップルたちは、こぞって町の外でのデートを好む。


 老人でさえ暇を持て余す街だから、当然と言えば当然だろう。


 事務所の近さも相まって、商店街のメイド喫茶に入った。




 郊外の大型スーパーによって、チェーン店は軒並み移籍。


 シャッター街と化した中、孤軍奮闘中のこの店は、個人経営者の気骨がひしひしと感じられる。


 もっとも、メイド喫茶と看板を掲げてはいるが、バイトがメイド服を着ている以外は普通の喫茶店だ。



 灰色の壁紙、アンティークに見える木製のカウンター。無骨そのものの景観は今時の『オサレ』ではない。



 取り合えずメイド服を着せれば客が増えるはず、という考えは、完全に努力の方向性を間違えている気がする。



「デートに選ぶ場所じゃないわね」

「デートだと思ってないからな」



 俺はカプチーノをすすりながら答える。

 マスターの腕は珈琲にこそ発揮される。メイド服が珈琲愛好家を遠ざけるのは皮肉というほかない。



「私は確か、街の案内をお願いしたはずだけど」

「……この時期、外を出歩くのは得策じゃないんでね」

「どういう意味?」



 向かいの唯が、ホットココアのスプーンを掻き回す手を止めた。音もなくスプーンを止める。



「熟練者のステアだな」

「気取った言い方はやめなさよね」



 カップを僅かに傾けてすぐにソーサーに戻し、再び尋ねる。



「どういう意味?」


 答えは第三者によってもたらされた。




「この時期は、よく人が死にますから」




 呆気にとられる唯をよそに、近くから椅子を一脚引っ張ってきて、すとんと腰を下ろしたのは、一人のメイドだった。



 気品のあるメイド服に身を包んだ赤髪の少女は、スカートの丈も気にせず、すらりとした脚を組んだ。わずかに覗く白い太腿と、黒いソックスが目に飛び込んでくる。



「そうですよね? 吉川センパイ?」



 舌打ちしたい気分だった。こんなところで知り合い――よりにもよって彼女に出会うとは思わなかった。



「ここのバイトはやめたんじゃなかったか? 布津」

「彼が嫌がっていたからですよ。知人のコネで見つけた働き口ですし、もう、やめる理由もありませんから」



 音羽布津は微笑んだままだ。

 彼女はいつも微笑んでいる。その姿が、なおさら解せない。



「殺人事件?」

 唯が眉を顰める。

「――連続の?」

「マスコミ曰く。大掛かりな無差別殺人である、と」



 絵本の読み聞かせのような口ぶり。


「動機も不明、情報らしい情報は回ってこない。わかっているのはこの時期に行われているということだけ。――どうでしょう? そろそろ、名探偵の出番ではないかと思うのですが」

「ドラマの見過ぎだ」



 空になったカップを一気にあおる。

 メイド服に身を包んだ後輩の、狂気じみた視線から逃れるために。



「探偵ってのは、警察に次ぐ第二の捜査機関と位置付けられた国のおとぎ話だ。ここは違う。ここの探偵の実態は、浮気調査が精々だ。覗き魔の蔑称の通りにな」

「そうでしょうか?」



 困惑した様子で、俺と布津の顔を交互に見やる唯。お互い、挑みかかるような形相かもしれない。



 布津は唯の方へ視線を向けた。



「えと、吉川センパイのお友達ですか?」

「共犯者かしらね」



 首を傾げる布津と、首をすくめる唯。



「いじめを暴露したやつと、暴露させられたやつ」

「……えと、先輩が加害者だったんですか?」

「あながち間違いでもないな」

「でもそのおかげで、いじめはなくなったけど?」



 なんだ、と布津は微笑を深める。



「結局センパイは、変わってないじゃないですか。そちらの、ユイ、センパイを助けたんでしょう?」



 ――昔私を助けてくれたように。



 わざとカップを乱暴に戻して立った。勢いあまって椅子の背もたれがテーブルにぶつかる。カップやソーサー、スプーンがガチャガチャきしむ。



 なけなしの紙幣を机に乗せ、唯の肩を叩いた。彼女は慌ててココアを飲み干す。

 首筋に冷たいものを感じ、手をやった。汗の一つもなかった。



「ごちそうさん」

「センパイ」


「マスターに言っとけ。メイド喫茶と珈琲の両立は無理があるって。『メイドさんの姿を見てから入りづらくなった』って言ってたぞ。『オッサンには刺激が強い』だとさ」



 口元を拭う。クリームが手の甲を縦断する。


 その生ぬるい感触が、奇妙に肌を刺激した。もう一度拭おうと、改めて口元に手を伸ばす。


 布津が動いた。ゲームの近接戦闘のような素早い踏み込みで、こちらの腕をつかむが早いか、彼女は袖を一気にまくり上げた。


『それ』を見せつけられた唯が息を呑む。


 振り払おうとするより早く、布津は紙ナプキンで俺の口元を拭い、三歩分飛びのいた。



「何のつもりだ?」

「どうして隠してるんです?」

「学ランが半袖じゃないからな」



 袖を元通りに伸ばす。たったそれだけの作業にすら、痛みを覚えた。


「その子――布津さん――を? 庇ったの?」



 見過ごしてはくれなかった。唯は傷跡をしっかりと目撃していた。



「そうです。それ以来、センパイは私のヒーローです」



 布津がメイド服に手をかけるのを見て、反射的に顔を逸らした。珈琲の染みが点々と、床にこびりついている。



「センパイは、命がけで私を守ってくれたんです」



 床に脱ぎ捨てられたメイド服。半裸になった布津の、胸元から左肩にかけて一直線に伸びている変色した肌は、当時の記憶も刻み込んでいた。



「ブラも、たまには役に立つものですね」


布津は胸を軽く持ち上げる。


「ワイヤーのおかげで命拾いするなんて」

「服を着ろ!」



唯が怒声に体を強張らせる一方、布津は笑みを浮かべたままだ。落ち着こうと、何度も深呼吸して、口から洩れるのは陳腐な台詞。



「……無闇に、オトコに肌なんか見せるな」



言葉が続かない。

空虚な感覚が全身に広がって、立っているのも億劫だ。


顔は固定されたように、視線は床を、彼女の足を見つめていた。



「これは証なんですよ、センパイ」



布津が両手を胸に当てるのがわかる。俺は耐えられずに吐き捨てる。



「何のあかしだ? 年頃の女子を傷物にしたっていうあかしか?」

「センパイが守ってくれなかったら、もっと悲惨な状態になっていたはずですよ。原形をとどめないほどぐしゃぐしゃになっていたかも」



なぜ布津は、そんな風に物分かりよく落とし込んでしまえるのだろうか。


彼女はずっとそうだ。いっそ罵倒してくれた方がマシなのに。



「この傷に触れていい人間が居るとするなら、センパイだけなんです」



 布津は再び歩み寄る。顔を拭うように腕を振ると、赤毛を押さえていたヘッドドレスが音を立てて床に転がった。


 後ずさりすることもできなかった。受け止めることもできなかった。


 何をするのが正解なのか、それもわからなかった。


 布津の腕が、俺の頬を包み込もうと伸びる。



「センパイ」



 吐息と共に吐き出された言葉には、何の感情も混じっていない。

 そうであってほしいという俺の願望かもしれない。






 突如鳴り出した店の電話に、布津の動きが止まる。

 現実に引き戻されたのだ。



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