26.夢
あの噂を広めた奴は大ウソつきだ、と思う。
何が頼めば完全犯罪を可能にさせてくれる、だ。本命は殺せないまま、しかも、危うくこちらの正体がばれるところだった。
駅前でかっぱらってきたフルフェイスのヘルメットを川に投げ捨てて、ようやく気分が落ち着いた。
やり場のない苛立ちは募るばかり。
――いっそできることなら、もう一度おまじないを使って噂を広めた奴を殺してやりたいくらいだ――
と、自分の考えに、慌てて首を振る。
考えるな。
思い出すな。
事件について考えれば、他の連中と同じ目に遭うのは明白で――
「何やってるんだ、お前!」
怒鳴り声に我に返った。クラス中の人間が、自分を見つめている。ついさっき逃げ出したばかりの商店街に、いつの間にか戻ってきている。
「お前がそんな奴だとは思わなかったぞ」
指を突き付けて歩み寄ってくるのは風紀委員の男子で、子供っぽい正義感と風紀委員という肩書を笠に着て、自分より成績のいい連中をバカにしている奴だった。
HRがそのまま処刑場になったかのように、クラスメイトが円陣を組む。その中央に立っているのは自分だ。
他に、ずっと殺してやりたかった女、音羽布津。
そして、ずっと憧れていたクラスメイト、澄田徹。
こんな状況、ありえない。
夢に決まっているのだ。
だからこそ、まだ澄田徹は生きていて、音羽布津は傷一つなく、風紀委員は断罪の悦びと共にこちらに詰め寄ってくる。
一歩、二歩。
逃げ場はない。クラスメイトは侮蔑の顔で彼女を見下し、石像のように固まっている。恥も外見も投げ捨て、押しのけて逃げようとしても――微動だにしない。風紀委員の男がさらに詰めよってくる。
その瞬間、異変が起こった。
足を踏み出すごとに彼の姿が『現実に即していく』。
その姿は自分の殺人を台無しにしてくれた少年のものだ。
商店街の雑居ビル。廃墟みたいな場所を、澄田徹が教えてくれたものだ。
『ここ、実は探偵事務所らしいんだ。中年の男性が一人で運営してるらしい。もっとも、事業としてはやっていないみたいだけどね』
澄田徹とはよく話が合った。探偵事務所について教えてくれたのも、その流れだ。
ハメット、チャンドラー、マクドナルドにコリンズ。
図書室の海外ミステリを読破して、バカにしていた自分に、新たな風を吹き込んでくれたのは、澄田徹、彼だった。
『じゃああなたは将来的に、その探偵事務所に弟子入りするの? そして、マーロウみたいになりたいの?』
澄田徹は苦笑しながら首を振る。
『僕にすれば、マーロウも、スペードも、アーチャーも、みんなあまりにも強い人たちだ。眩しすぎて、共感できない』
『じゃあ、あなたはどんな探偵が好きなわけ?』
『そうだな――』
回想の中に飛び込んだように、円陣の中の澄田徹が口を開いた。
「ミロ・ドラゴヴィッチ。破滅的で、私小説的な在り方、共感と許しという優しさを併せ持つ、人間臭い姿こそ、僕の理想かな」
これは偽物だ。
改竄された記憶だ。
被害者である音羽布津の、ルサンチマン的な復讐だ。
関係者が一堂に会している。加害者たる自分。
澄田徹、音羽布津、そして闖入者の探偵気取り。
あの時のようにナイフを握りしめ、叫び声と共に振り下ろす。
狙いは本命の音羽布津。
これが夢なら、何度だって殺してやる。果たせなかったからこそ。
ずぶり、と刃が肉に沈み込む。
間抜けな呻き声とともに、ペタンと尻もちをつく。
視点がおかしい。
なぜ自分は座り込んでいる?
横にいる、二人の少年は誰だ。
振りかざしていたはずのナイフが、なぜ自分の腕に突き刺さっている?
そして、ナイフを突き立てたのは誰だ。
ナイフを薙ぐ。傷口が広がる。鈍い痛みにナイフを取り落としそうになる。絶叫と共に転がる相手を、刺そうとするのは難しい。しかし今度は誰も邪魔をしないし、させない。
再びナイフを振り上げた瞬間、目が合った。
相手は音羽布津ではなかった。
音羽布津の体に、自分の顔がぺたりと張り付けてあった。
夢だ。
刺された自分がよろよろとふらつきながら、またも立ち上がれずに転がる。
澄田徹も、探偵気取りも、クラスメイトの誰も自分を庇ってくれない。
二人分の痛みを堪え、夢から目覚めるために、もう一人の自分目掛けてナイフを振り下ろした。




