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22.無数の罪

「『サタデー・ナイト・スペシャル』という拳銃がある」



淡々とした解説だ。



「モデルガンにもならないような、チープな銃だ。アメリカのドラッグストアで売っている、ノーブランド品のようなもので、とかく壊れやすいことで知られる。 


だがそんな粗悪品でも、殺傷能力は十分だ。その俗称は、ちっぽけな銃が最も『活躍』するのが土曜日の夜だから、という理由がもとだ」




懐かしい叔父の声だった。




引き金を引くと同時に閉じていた眼を、ゆっくりと開く。


滲んだ涙で視界がぼやける。デスクの向こうに、窓から外を見下ろす人影が見えた。





今度こそその顔を確かめられるように――何度も袖で顔を拭った。




黒のスーツの背中は大きい。

ずっと追いかけ続けた背中だ。




その彼がゆっくりと振り返り、俺を見下ろした。



「また会えたな、キヨシ」



 記憶の中の叔父が、そこに立っていた。



「……おじさん」

 



いざ会えたなら、何を話せばいいのかわからない。


無意識に口をついで出たのは、間抜けな言葉だ。


「……俺は、死んだんですか?」

「逢魔が時だ。銃弾は手段だが、人を殺すためのものではない。すでにそれを、お前は体感しているはずだ」



 並べる言葉は遠回しで、野暮ったくもある。


こちらが自力で答えにたどり着くことに期待している、叔父独特のやり方だった。



「……神社を降りた先の電話ボックスにて受けた銃弾」



 もう一つ。信じたくない可能性。



「……そして、完全犯罪を可能にした、犯人たちに撃ち込まれたもの」




 逆光の中、叔父の輪郭が笑うように崩れた。


それで十分だった。それこそが答えだった。





歯を食いしばる。


噛み殺しきれない感情の渦に、しゅうしゅうと、奇妙な吐息が漏れる。


 ようやく口に出せた声は、掠れ、ひび割れた、幼子のようなものだった。




「どうしてです?」

「どうして、とは?」

「殺人に加担した理由です。どうして……?」


「誤解があるな。あの銃弾はそもそも、超能力を分け与えるものでも、殺人を完遂させるためのものでもない。本人の資質を問うための道具だった」



 人間とは数奇なものだ、と叔父は言う。



「たとえその肉体が滅びようとも、やり残した無念が願いへと変わり、時に触媒を解することで、奇蹟に等しい確率でうつしよに留まることができる」



叔父が自分の胸元にそっと手を添える。

その途端、ジャケット、ワイシャツから、つつ、と何かが染み出すようにして床へと伝っていく。


その手をどけると、そこにはぽっかりと、文字通りの風穴が空いていた。



予感はあった。



叔父はもしかしたら、もうこの世にはいないのかもしれない、と。


しかし、目の前で、このように見せつけられれば、もはや声を上げることも、立ち上がることもできない。





また頭を撫でてもらえたら、とどれだけ願っただろう。皮肉交じりの人生の極意を、教えてもらえたらと。





どれだけ。

どれだけ。





下手に動けば、その瞬間目の前に立っている叔父は消えてしまうのではないか。そんな恐怖に、動きどころか声すらも奪われた。



「もう思い出すこともできないくらい、昔の話だ。久々に里帰りした時、神社で拳銃を作っているバカがいた。 


ガスガンを改造したちゃちなシロモノではあったが、この通り。人間に致命傷を与えるには十分だった。そいつは人間を銃でぶち抜くだけでなく、神社の裏手の雑木林に死体を埋め込んで素知らぬ顔をした。わざわざ証拠と一緒に。力作を油紙に包んで」



 叔父は大げさに肩をすくめてみせる。



「そして俺は惰眠を――いや、大いなる眠りに入ったというわけだ。だが、神社という場所、俺の遺志が、俺自身をここに残留させた。俺は、俺自身を撃ち抜いた銃を片手に、神社の境内を彷徨うようになった。目的は、そこを訪れる人間の意志を確かめること、だった」



 意志。



叔父は昔から、その言葉に拘っていた。

俺と叔父にとっての合言葉のようなものだ。


しかしそれは、叔父だけのものではない。



「叔父さんが、神社で長い時間を過ごしたことも……」

「無関係ではない、だろうな。


何かを為したいという強い思い、祈り、願望。そういったものは、本来そこで祀られているものに向けられる。それが存在するか否かは別として、あらかじめそれを届けようとする場所では、なおのこと影響するだろう」



そもそも、なぜ他人の意志をいちいち確認する必要があるんだか、と叔父は苦笑する。




 幽霊、あるいは叔父の遺志。

 叔父という人間を構成していた支えが揺らぎ、叔父はより強い意志を持つ、人間の意志を確かめようとした。



「……取り込まれたんだろうな」



 と、叔父は拳銃を取り上げる。



「もともと聖域を穢すような真似をした幽霊がうろつくような場所だったんだ。ネガティブな願望、意志を持った人間がやってきてもおかしくはない。それは、肉体という外殻を持たない存在に影響を与えるには十分だった」



世の中のすべては、互いに影響を与えていく。




しかし、より強力に、ほぼ一方的に他人が望む形に変わっていくものがある。




それこそが牧野が指摘する通り、オカルトや信仰と言ったものだ。


いうまでもなくそこには、肉体を持たない叔父も含まれた、ということだろう。




「人間は、こころとからだで出来ている……?」



 俺の呟きに、叔父は反応を示さない。



「霊魂が存在するかどうか、もしもそれが存在するのならば、肉体が一つの境界と言える。自分と他人を分ける、一つの境界」



 それが失われた『人間だったもの』には、何が残るのか。



 遺志、あるいは残留思念。

死ぬ直前、叔父がやり残したと考えたもの。



「答えは『なぜ』だ。なぜ俺を殺した人間は、オモチャを改造してまで人を殺せる力を手に入れようとした? その願望は、どのような意思に基づいたものなのか――その疑問が、存在が薄れていく後に、神社という願いを聞く場所をうろつくうちに変わっていき、そぎ落とされ、それを確かめるのが目的となった。


もし死体がもっと遠くのどこかに遺棄されたなら、俺はあの神社を彷徨うとしても、吉川武という個体を認識できない状態だったろう。もっとも、あの神社でも、保つことができたのは外見程度だ。


やがて俺は、本物のネガティブな願望に塗りつぶされることになる」




 それこそが、最初にこの事件を引き起こした人間のものだったのだろう。



「誰も、神社でお願いをすれば、それが実現するとは毛頭考えていなかったろう。もしも願望をかなえる存在がいるとするならば、自分に力を貸してくれ、という程度のな」




祈るとき、人間は相手を想起する。

その行為こそが、叔父を此岸に留まらせた。



「だが、その人間の孕む狂気は、並大抵のものではなかった。仮にそれが成就しなければ、本当に拒絶されかねないほど、その男の殺意は昂っていた。坊主憎けりゃ、ではないが、学校憎けりゃその周辺も、と」



ネガティブな感情、決して人に見せられない、心の奥底。


神社はそれを自覚させ、タブーすらも無意識から掘り起こしてしまう。

 

 

人ならざるものに悩みを吐露する場所。

ご神体の鏡によって『自分』を問われてしまう場所。 



叔父の行動原理は、意志を知ることだ。




それは一旦、ガードを下げて、相手に耳を傾けるということ。

共感しようとすることだ。




それは、一旦は自らが無防備になることを意味する。




「今でも思う。もしもそこを訪れたのが、受験生の集団だったら、と。


彼らは神頼みが気休めと知っている。そう言ったシビアなくらいがちょうどいい。

祈りとは、自分を作ると同時に、捧げる相手を作り出すことでもある。伝聞によって形作られるオカルトは、十分存在の余地が与えられる」



 叔父はジャケットの裾をいったん払い、改めて襟を正した。



「仮にその願望――呪いとも換言できる願望――を向けられたのが神であるならば、十分に耐えられただろう。あるいは、祈る対象が存在しなければ、呪いは相手がいないために発動することもなかったはずだ」




だがそこには叔父がいた。


どんなに非力でも、少なくとも、声に耳を傾ける存在があった。呪いが適用される存在があった。




誰かに向けられた殺意は、『人ならざるもの』にも向けられた。


自分を『見捨てようとする』存在に対する、憎悪。



「気づけば俺は、そいつの前に立ち、俺の死体が握っていたはずの銃を握っていた。俺は、俺の意志を籠めて、その銃の引き金を引いた」




亡者からのメッセージ。

本来生きている人間に伝わることもなければ、認知されることもない。

あるはずのない、伝わることのない銃弾。



「そして、俺たちは繋がった」 



 叔父は自分の手を見下ろしながら、拳を開閉させる。



「その男は呪いとともに、自分の経験を叩きつけた。男の屈辱、怒り、殺意、ある意味で最も人間らしいと言えるネガティブな感情が、一気に俺の中に流れ込んできた。

その呪詛を、訴えを受け止めてしまったことで、俺は逆に、存在を確立させてしまったと言っていい」

「……その男は、自分の力で、殺人を成しえたんですか?」

「少なくとも、俺は何もしていない。

男の呪詛に対し、俺は自分がここにいると、届くはずのないメッセージを発信した。だが、その願望を受け止める対象がいたことで、俺の存在はより強固なものになり、その男の殺人が成功したために、俺の存在はより一層確立されていくことになった。


もし俺が呪詛を受け止めてもなお、俺の命乞いにも似た銃弾を受けていなければ、現世との関係は断ち切れていたはずだったんだ」




だが叔父は返答した。男の願望は成就し、叔父は呪いを乗り越えた。 


結果として、『呪いを受け止めた対象』は、さらに力を蓄えることとなった。




「もはや、俺には止めることができなかった。殺人が成功する神社。そんな噂がまことしやかに囁かれはじめた。オカルトはますます力をつけていき、ついには俺自身のメッセージすら、伝達が可能なほどになっていた」

「でもそれは、純粋な個人の意志ではなかった」




鋭いな、と叔父は笑うが、そうではない。



今のは俺の願望だ。

叔父が一連の事件で演じた役割が、あくまで被害者に過ぎないという、願いだ。




「噂を聞き付けた人間は徐々にやってくる。暗示が暗示を呼び、概念が定義と変わる。俺はかつて人間だった頃の記憶を持っているだけの操り人形だった。


神社にやってきた相手を銃で射貫く。そこに、オカルトと現世の架け橋ができる。現世に干渉したオカルトが、一般常識や物理法則すらも無視してしまうのは、お前も知っての通りだ」 




叔父は顎で、商店街を示した。

白昼堂々行われた犯行。見えない犯人。目撃者不在の完全犯罪。




「日常的に使われている母国語の意味を、深く考える人間は少ないだろう。まして、それが外国語なら、微妙なニュアンスにすら気づけないものだ。実際、俺は今まで殺しを成功させてきた連中の行動原理を『意志』という言葉で表現したが、この場合、『願望』とも言い換えられる」



だってそうだろう、と叔父は笑う。



「『殺人を意志する』なんて言い回しは聞いたことがないよな。仮にあったとして、そんなパターンが存在するとすれば、自発的なものか、戦争のような義務的なものか、なんにせよ、使命感のような意味合いを帯びる。 


だが、一定の秩序と治安を保つ国での殺人は、ほとんどが利己的なものだ。嫌いな人間を自分の視界から消すことによって安寧を得ようとする、そんな行為は『殺したい』という『願望』に過ぎない」



一見言葉遊びにも聞こえるが、叔父は言葉について、偏執的な拘りを見せるひとだった。




 すべては過去形の話だ。




「『祈り』と『呪い』。これも表裏一体だ。意志と願望は、善悪の視点はさておき使命感的か自己愛的なものかの違いだ。俺はお前さんに何度も意志の大切さを説いてきた。だが、今ではその言葉を、殺人の共犯者に対して与えている。自分が最も好きで、尊重していた意志という言葉を穢したようなものだ」



俺にはわからない。



「……だが、ここまで落ちぶれた俺を、お前は今でも慕ってくれている。お前がこの場所を、俺の理想を守り、結果として一人の少女を助けた。


お前は事件を望むことによって、誰かの不幸を願ったと後悔しているようだが、実際に手を貸した俺と比べたら、どうだ? 客観的に考えれば、どっちの方が罪深い?」



何も言えず、何も言わない。

それが俺の答えになってしまう。



「……お前と、被害者の二人の意志が、殺人者を通して俺に伝わった。


自分の恋人を救おうと行動した、気高い精神を持つ少年。


恋人に守られながら、為すべきことを為そうとした少女。


そして、誰にも気づかれないという状況を打破し、もう一人の少女の命を救った、無意識のお前の行動。それが、俺の呪縛を僅かにほどいた」 




叔父はテーブルを回り、こちらに歩み寄ってくる。一歩一歩踏みしめるたびに、体がたよりなく揺れているように見えた。



「負の連鎖を断ち切るには、お前が必要だった。呪詛の媒体となった俺と、深い縁を持つお前だけが、この一連の事件に幕を下ろすことができる。事実今、俺はこうして、お前の前に立っている。お前のおかげでな」



叔父の顔に、寂しげな笑みが浮かんでいた。




それは、俺が初めて見る叔父の悲しげな顔であり、自分の無力を悟った中年の姿だった。





完全無欠の超人としての叔父は、どこにもいなかった。




いや、そんな姿は、かつてどこにもなかったのだろう。




叔父は子供の俺に、カッコつけたいと思い、理想の姿を演じていた、普通の人間だった。


俺が見ていたのは、その幻で、本質ではあったが表層でしかなかった。





 俺と向き合っていた叔父は、大きく息を吐きだした、天井を見上げ、深呼吸をする。



「すまんな、潔。こんな姿を、本当は見せたくなかった」



頬が膨らむまで息を吸い込み、吐き出す。



「カッコいい叔父でありたかった。とても、親になんかなれそうもない俺が、唯一、大人ぶることができる相手が、お前だった。お前に胸を張れるよう、最後まで、カッコつけたままでいたかった」



力なく揺れる叔父の手に、『サタデー・ナイト』の拳銃があった。


様々な人間の欲望が、恨みが凝縮された死の象徴だった。


叔父の手がゆっくりと持ち上がる。銃が俺の肩あたりでぴたりと止まり、それから力なく回転した。


人差し指が引っ掛かったまま、銃口は叔父自身に。グリップはこちらに。



「お前が解決を望み、引き金を引けば、すべては終わるはずだ」 



引き金を引く、それだけだ、と叔父が言う。それきり動こうともしない。



「背が伸びたな」



思い出したように叔父が言った。確かにそうかもしれない。


だが、叔父と肩を並べるには、まだまだ足りない。




どうして今、そんなことを言うのか。

涙を見せまいと、嗚咽を必死に噛み殺し、整えようとする息は荒い。




そんな俺に、叔父はゆっくりとこちらに手を伸ばし、途中で止めた。 


自分が触れることで、何かが伝染するとでも考えているかのようだった。



ぎこちなく、中途半端に開いた手をゆっくりとひっこめると、叔父はゆっくりと膝をついた。昔のように同じ目線ともいかず、お互いの視線が中途半端な位置で交錯する。




ここは大人の隠れ家だった。探偵事務所という、子供のあこがれを、そのまま形にした空間だった。





そこには二人の男がいた。

中途半端に大人になりそこなった男と、大人と呼ぶには中途半端な若輩。




探偵は犯人を追い詰める。時に己の推理を披露することで、時に犯人を追い詰めることで、己の信念と、正義を実行する。


叔父は一因を作った。だが、叔父を殺しても止まらない。


犯人は他にいる。大勢の人間が、私利私欲のために叔父を利用し、犠牲者の山を作った。


そのおこぼれに預かった人間も山のようにいる。牧野やマスコミ。




そして、その一人が俺だ。




その俺が、まるで正義の執行人のように立っている。探偵に憧れて、現実を知り、喉元を過ぎて、また現実に直面する。


――俺はいったい、何を見てきたのだろう。





「裁くのはお前じゃない」



叔父は再び、寂しげに笑う。



「権利があるとすれば、被害者や遺族――だが、執行するのは国だ。お前の銃は、誰も殺さない。お前はあるべきものを、あるべき場所に返すだけだ」

「マイク・ハマーにならずに済む、と?」




精一杯の虚勢。

精一杯のジョーク。

それでも、叔父は笑ってくれた。




銃を握った。

叔父の銃には、重さがなかった。



今まで叔父は、これで相手の願望を確かめてきた。そこに、叔父と加害者との繋がりが、縁が生まれていた。



だとすれば、俺が込めるべきものは決まっている。




「――あるべきものを、あるべき場所へ返す」




頷いた叔父の笑みを、決して忘れることがないように、瞼に焼き付けて。




叔父の額目掛けて引き金を引いた。






瞬間、一瞬陽が陰った。




何事もなかったかのように静まり返った事務所で、意味がないのも承知の上で、部屋の明かりをつけた。





そこには誰もいなかった。

持っていた銃は失われ、ただの握りこぶしになっていた。





がらんとした部屋に、俺は独りで立っていた。



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