15.ステイン・アライブ
諏訪部唯は真っ先に振り返った一人だった。
地面に崩れ落ちた吉川潔と、新たな人影を認め、緊張に凍り付く。
その人影は、喪服のような真っ黒のスーツを着ていた。
原始的な炎が周辺を照らしているにもかかわらず、彼の顔は、まるでヴェールに隠されたように真っ黒で、どんな顔か、窺い知ることはできなかった。
「……サタデー、ナイト?」
諏訪部唯の呟きに、真っ先に反応したのは記者だ。彼はすかさずカメラを構え、続けざまにシャッターを切った。しかしそのフラッシュも、彼の顔を捉えられなかった。
その代わり、白い光の中で浮かび上がったのは、男の銃だ。
「……は?」
記者が間抜けな声を漏らす。そして、今更気づいたかのように倒れた吉川と、サタデーナイトの間へとせわしなく視線を動かし、一瞬動きを止めた。
それでも彼が、余裕を保っていられたのは、日常に銃は存在しないという常識に守られていたからだ。
年下の吉川潔に散々してやられたのが癪だったのか、彼の口調を真似るように、皮肉っぽく口元を歪める。
「そんなおもちゃの銃で――」
言い終える早く、サタデーナイトの銃が火を噴いた。
もんどりを打って吹っ飛んだ記者は、そのままピクリとも動かない。カメラが手から吹っ飛び、アスファルトに叩きつけられたレンズが真っ二つに割れた。
悲鳴が上がる。殺しの依頼を頼もうとしていたはずの女子たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
依頼を受けてもらえるか、試せるものなら試してみればいいのに。
ショックで感情がマヒした諏訪部唯は、ぼんやりとその光景を見守っている。
突如、少女たちの進行方向に、サタデーナイトが現れた。瞬間移動としか言いようのない現象に、少女らはもはや逃げる気力も奪われ、へたり込む。
サタデーナイトはそんな彼女らに向け、何のためらいもなく引き金をひいた。バタバタと女子がその場に崩れ落ちる。
この場で今、まともに意識を保っているのは彼女だけになった。
『今、救急車がそちらに向かっています』
スマホの声も遠く聞こえる。
一台で足りるのか――それ以前に、霊柩車を用意したほうが早いのではないか――
そんなくだらないジョークが、意識の表象に浮かび上がっては消える。
そんな彼女を観察するように、拳銃を構えた男は、じっと佇んでいた。
やがて、諏訪部唯は、まっすぐ向かってくる加害者に、無意識に笑みを浮かべていた。
「……ウチの家庭、あまり裕福じゃないのよね。
何とか高校は出られるかもしれないけど、大学はムリ。携帯とかも、通信費のせいでどれだけ家計が圧迫されてるか」
自分はなぜ、銃を向けている相手に、自分のことをべらべら喋っているのだろう。
命乞いだろうか?
いや、違う――諏訪部唯は、悟る。
これは、演劇だ。日常的で、凡庸な死を、いかにも特別なものに仕立てようとする、悪あがき。
貧困という現実が常に横たわっているからこそ、それを忘れさせるこの異常事態に、乗じようとしているのだ。
諏訪部唯は思う。
心のどこかで期待していたのかもしれない。少女たちの迫害のエスカレートや、連続殺人の被疑者と鉢合わせすること。
それらはすべて非日常的で、刺激的だ。現実を忘れさせてくれるには、十分に。
そして、その先があるかもしれない。
――己の死。
「金を、安定した生活を求めること。そしてそれを、死ぬまで追い続けること」
――それを生きているとは言わない。それはただ、死と貧困への恐怖に怯え、克服しようとする無駄な足掻きだ。諏訪部唯の哲学に照らすなら。
だからこれはきっと、受動的な自殺なのだろう。
携帯の電源を切り、大きく手を広げた彼女の胸に、サタデーナイトの銃弾が突き刺さった。
近くに倒れている吉川潔に添うようにして、諏訪部唯は意識を失った。