12.雑音
「本当に、こんなところで合ってんの?」
苛立ちとともにスマホのライトを振り回すのは、坪木を筆頭にしたグループだ。罰当たりにも参道の途中で腰を下ろし、大声で話し合う。
こちらは闇に眼を慣らしていたので、彼女たちの表情も手に取るようにわかる。
「そういう風に書いてあったじゃん。サイトにも」
「こぉんなご利益のなさそうな神社で?」
学校での態度からして、彼女たちが候補にするなら、大方俺と唯だろう。
単なるコンタクトを求めているこちらに対し、向こうは依頼を持ってきている。
サタデー・ナイトはどちらの話を聞くだろう。
唯の顔を盗み見る。彼女の顔には恐れも不安もない代わり、ただただ軽蔑のような色が見え隠れしていた。
――失うものはないと言わんばかりに。
「そもそもあいつの言うこと、信用できる?」
「あいつって?」
「マキノ」
微かに唯が息を呑む。
予想通りだとしても、あいつはそこまで下劣な人間だったのか?
「アイツさあ、人を振り回すばっかじゃない? 案外こっちを実験台に、確かめるつもりなのかもよ?」
「そういうのってさあ……」
「じゃ、もし事実ならお願いしてみる? 牧野も殺せって」
「さすがに同期がポンポン死んだらちょっと」
「やるとしたら……本命だけ?」
醜悪な光景が広がっている。
感謝や祈りを捧げる場所で、自分のエゴで、誰かの死を望む、他愛もない雑談。
坪木たちには何もない。あるのは苛立ちと、退屈と、それを覆してくれる刺激への渇望だ。
彼女たちは何も知らないのだ。
流血も、命を失う恐怖も、それを悼むことも。
あるのはただ、近所の子供会で、オバケの正体がオトナだとわかっているのに、無理やり参加させられた子供のような、乏しい緊張感。
「今何時?」
彼女たちに聞こえないように、体を寄せて唯が囁く。蛍光塗料の塗られた腕時計は既に零時を回っている。
このまま何も起きないなら、すべては振出しだ。
『ただの迷信に過ぎなかった。めでたしめでたし』ならばそれでいい。
だが、根本的な解決には至らない。
他の何かが死をまき散らしていることに変わりはない。
今年、新たな犠牲者が出たら?
急に正義感に目覚めたわけじゃない。布津からは逃げ回っていた。
殺人だって、俺にできることは何もないと、目をそらし続けた。
けれど。
叔父の手紙が、俺に、『何かできるかもしれない』という期待を与えてくれた。
どうすればいいのか。
何をすればいいのか。
「そういえばさぁ……」
参道に両脚を投げ出していた女子の一人が、思い出したように声を上げた。
「なんかマキノからいろいろ聞きだそうとしていたあの一年、アンタ知ってる?」
「誰よ?」
「さあ。でも、なんかの関係者じゃないの?」
「なんで?」
「マキノが、『キミには復讐のため、知る資格があるだろうね』とかなんとか、スカした言葉を吐いてたし」
「マジ? ヤバくない?」
「もしマキノがマジで教えてたら、そいつも殺してもらわなきゃいけなくなりそうじゃない?」
「ああ、ニード・トゥ・ノウ?」
背筋を悪寒が走った。
「……その一年って」
唯の予想通りだろう。
牧野の方から接触したのか、布津がコンタクトを図ったのか。
もし前者であるならば、俺は彼女を許さないだろう。
そんなこっちの思惑も存在も知らず、彼女たちは無法図に自分たちの理想を描く。
自分たちを『チクった』吉川と唯や、布津の他に、殺してもらえるなら誰を『始末』してほしいか。
「唯」
俺は参道の方には聞こえないよう囁く。
「今から俺があいつらに接触する。お前はバレない位置に移動してくれ」
「このまま情報を得る方がいいんじゃない?」
「どのみちあいつらも牧野に吹き込まれただけだ。もう他に、情報も持っていないだろう」
「だからって、出ていってどうなるの?」
「あいつらの弱みを握ったことを暴露できるさ」
何もなかったとしても、抑止にはなりうる。
向こうがこっちに敵意を向けることで、『サタデーナイト』とやらを、出現させることができる、かもしれない。
「どうせこのままでも、精神状態に良くない」
頷いた唯は、音もなく立ち上がると、姿勢を低くして社務所の裏側へと消えた。
完全に見えなくなったのを確認し、立ち上がった。
ルートは決めた。手水所をぐるりと回り、参道に現れればいい。
ちょうど社務所とは反対側だから、十分注意を惹けるはずだ。
靴底を押し付け、そのまま踏み固めるようにして一歩進み、また一歩と、できる限り足音を殺す。
そうして社殿の裏側までたどり着いた時、また、奇妙なものを見つけた。
いわゆる監視カメラだが、どう見ても神社側が設置したとは思えない代物だ。本殿の裏側に設置している上、高さも適切ではない。
そして何より、無理矢理に設置されたらしい、壁一面に広がる試行錯誤の痕。
やった奴は、『サタデーナイト』に負けず劣らず背信者だ。
監視カメラから伸びているケーブルを引き抜いてから、意を決して飛び出した。
「こんな真夜中にお揃いで。肝試しでも?」
「アンタ……」
闖入者の登場に、一瞬体を強張らせた坪木たち。すぐに、理解したと言わんばかりに頷く。
「……なるほど。アンタも誰かを殺してほしいってワケ? それとも、マキノから教えてもらったとか?」
「仮に誰かを殺すなら、自分の手を汚すさ」
「じゃ、なんでここに」
「眠れないから散歩していただけだ。この通り、夜食もばっちり」
コンビニのレジ袋を掲げ、いかにも自説を補強しようとする俺の姿は、彼女たちからすればさぞ滑稽で、苛立たしく、不愉快なものだったろう。
「あんた――」
「ところでさっき、マキノに教えてもらったのかとか言ってたな。それは、一体どういう話なんだ? この、『女だらけの肝試し大会』の趣旨か何かか?」
論点をすり替え、誤魔化し、口ごもったところを追求し、煽る。
自分でもなんだが、平気でそんな真似をする奴とはお友達になりたくない。
坪木は激昂とともに口を開いたが、慌てて口をつくんだ。先程の話題からすれば当然か。
あえて思案するように額を叩き、うそぶく。
「確か、アンタも人を誰かを殺してほしいのか、だったか。つまり、ここに来れば誰かに人を殺してもらえるのか? それとも、ただの丑三つ参りかな」
「その猿芝居、とっととやめたら?」
坪木が爆発した。
「マキノから聞いてたんでしょ。ここに、人を殺してくれるヤツがいるってことと……あたしらみたいに、それを本気で信じた連中が来るんじゃないかってこと」
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」
仁王立ちした坪木がふんと鼻を鳴らす。
開き直った態度で、挑発するように顎を突き出す。
「んで……仮に死んでほしい相手が、アンタとアンタのガールフレンドだって言ったら、どうする?」
肩をすくめる。
「自分の身は自分で守るしかない」
坪木はすっと目を細めた。
「……信じてないわけ?」
「信じてるさ、その殺意は」
信じていないのは他の二つ。
誰かの殺意を引き受けてくれる快楽殺人鬼の存在。
代償なしの請負殺人。
陽の落ちた神社の境内に吹き抜ける風は、不安を掻き立てるように木々を煽る。
うち一人が、ねえ、とか細い声を上げる。むき出しになった肌を擦り、自分を抱く。
「今日は……その、現れないみたいだしさ。来週にしない?」
人殺しは悪だ。それを依頼することも悪だ。
禁忌を犯すと、人は恐怖を覚える。
だが坪木らには、悪は恐怖ではなくとも、雰囲気は恐怖であるらしい。
この認識の断絶が、ひどく滑稽に思えた。
思い通り、サタデーナイトに出会えたとして、そいつが快楽殺人者で、人の話を聞くどころか嬉々として、こちらにナイフを振りかざして来たら、などという想像には至らないのか。
自分たちだって、学校に通っている生徒の一人。今までの法則通りなら、標的の一人なのだ。
俺は命の価値がどんなものか、知らない。
知る由もない。
だが痛みは怖い。傷つくのはつらい。
殺人はそれを体に叩きこむが、ほとんどの連中は無知のままだ。