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10.アーバンレジェンド


翌日も学校だった。牧野は捕まらないまま、いじめグループは何もしかけてこない。


そこら中にあふれたニヤニヤ笑い。



授業が終わったのを見計らって、布津の元を訪ねた。


彼女は教科書をひとまとめにすると、軽く机で叩いて、均一に整えていた。顔を上げた彼女は、一瞬だけ驚いたようだったが、すぐに柔らかな笑みを向けてきた。



「どうかなさいました? センパイ」



一瞬だけ躊躇った。呼吸が乱れるのが分かる。



「……都市伝説を、追っている」

「センパイの叔父さんの、ですか?」

「ああ」

「捜査はしないと仰っていたのでは?」

「ウワサはあくまでウワサにすぎん」



噂が真実ならば、小澤さんの忠告も無視して危険に身を晒すことになる。

だが、それが文字通りの噂に過ぎなかったのなら。



「ウワサは、ウワサだ」

「そのわりに、随分力んでるんですね」



思えばいつもこうだった。

布津に会うたびに後ろめたさが付きまとっていた。



だからできるだけ遠ざけ、面と向かって話すことから逃げようとしていた。



俺は彼女を強い人間だと言ったし、今でもそう信じている。


だからこそ、『この言葉』は、彼女を傷つけることは、ないはずだった。



「俺は、澄田徹というやつを知らない」



彼女の顔から笑みが消えた。

だが、続けた。



「事実、あのような形になるまで、俺は澄田徹どころか、音羽布津という人間も知らなかった」

「……センパイ」

「なあ、俺は、お前のことを強い人間だと思っている。強くて、しなやかで、そしてしたたかとも思っている」



もはや彼女の顔に、笑みが戻ってくることはなかった。


俺は重苦しいものを唾と一緒に飲み込みながら言った。



「だからこそ、お前は俺を、利用するだけでいい。お前は、何もしなくていい。俺を利用して真実を知ったとしても、お前は、何もする必要がないんだ。だから――」



任せてくれ、ということはできない。

自分が利用しようとする人間を、信用することがあるだろうか。



肝心な時に、大切な言葉を失った俺に、布津はふと、興味を失ったように視線を逸らした。


丁寧にそろえた教科書を、鍋に突っ込むかのように流し込み、ファスナーを閉じた。

そのまま教室を出ていこうとする彼女に、咄嗟に呼び掛けた。



「おい――」

「センパイ」



返ってきたのは、抑揚のない口調だった。

リュック状のカバンを背に、カバンのベルトをぎゅっと握り込み、背を向けたまま口を開く。




「――懺悔なら、教会でやってくださいよ」

布津は教室を出ていった。




おそらくは糾弾なのだろう。あるいは叱咤かもしれない。


センチな心を捨てきれなかった、俺に対する叱咤。


彼女の背負っているものの重さ。その片鱗を、垣間見た気がした。





金曜日の夜に家を出た。通学用の自転車を途中のコンビニで停めて、神社まで歩いた。


夜風は妙に生暖かく、頭の回転を鈍らせようとする。


拳を握り、開く。少しだけ緊張感を取り戻せた気がする。



次の標的は、俺と唯のはずだ。



おそらく坪木たちは、サタデー・ナイトのことを知っている。牧野から吹き込まれる形でだ。


 そして、限られた時間を有効に使うのが受験生というものだ。



「サタデー・ナイト、ねぇ……」



 小澤さんのように、一般的なイメージは、映画のタイトルよろしく『土曜の夜』だろう。しかし、『探せ』であるなら人物だ。


”Night”ではなく”Knight”となる。



 土曜の騎士。

 無差別殺人に手を貸す透明マントの持ち主に、ぜひお目にかかりたいものだ。



やがて、神社の鳥居が、闇の中でぼんやり輪郭を表していた。その手前、神社の手前の電話ボックスには電気がついており、思わず目を奪われる。



ぎい、とドアが軋み、見慣れた顔が飛び出してきた。

 一瞬、言葉を失った。



「あれだけ来るなと言ったはずだぞ」



 小声で怒鳴ったものの、唯は涼しい顔をしている。



「乗り掛かった舟だもの」

「そうは言うがな……」

 


 ふと、彼女を観察しなおした。唯は制服姿のままだった。



「……お前、まさかずっと神社にいたのか?」

「ええ」



 あっさりとした肯定。開いた口が塞がらない。


そんな俺を面白そうに見つめ、唯は言った。



「どっちが探偵だか、わかりゃしないわね」


 探偵。

 叔父が憧れ、託してきたもの。



その託された「ハコ」の中で、本物の探偵になれたと無邪気に喜んでいた俺。


 

事件の後、警察署を出たすぐのところで、音羽布津は待っていた。



事実上の初対面の俺に、布津は探偵さん、と呼びかけてきた。




探偵。

焦がれた肩書は、ひどく重たいものでしかなかった。





本物の探偵ならば、こんなセンチな悩みを抱え、後悔とともに生きることはないのだろうか。


それともそれを抱えながらも、隠して、弱者に寄り添う騎士として振舞い続けるのだろうか。



「今のところ、神社の中に入っていった人間はいないわ」



 無言の俺に、唯が囁いた。



「もちろん、坪木さんたちも」

「……本当に、よく頭が回るな、お前さんは」

「誉め言葉として受け取っておくわ」



 予想以上に、深夜の神社の境内は不気味だった。



どこからともなく吹きつける風が、社の裏手の木々を揺らし、暗闇の中で白い紙垂が吹き飛ばされそうにはためく。



静寂を土足で踏みにじった俺たちを追い返そうとするかのような風。



そんな印象に呑まれないよう、首を振った。


澄田徹や布津は、神社の狛犬に襲われたのではない。ヘルメットで顔を隠した人間に襲われたのだ。



証人はいなかったというが、監視カメラには映っていた。それに、目撃者間での証言の食い違いだって、よくあることだ。



「D坂の殺人事件、ニューヨークの事件」

「何よそれ?」



 オカルトに呑まれないように呟いた独り言を、唯が訊き返してきた。



「前者は江戸川乱歩で、いかに証人の目撃証言が当てにならないか、明智小五郎に語らせている。フィクションではあるが、実証された事実でもある。



後者はアメリカで起こったもので、被害者が大声で助けを求めていて、通行人もその様子を目撃しながら、みすみす殺人を許してしまった、実際の事件だ」


「そのどちらかが、あなたたちのケースに当てはまる、と?」




 言いながら唯は、社務所近くのベンチに、スカートに気を付けながら腰かけた。俺も、多少の間隔を取りながら座る。



 その時気づいたのだが、この場所は絶好の待ち伏せ箇所だった。近くの柳らしき大木がうまく俺たちを隠してくれている。



参道からは見えづらく、逆にこちらからは一望できる。偶然発見したのかどうかはわからないが、つくづく彼女には感心させられっぱなしだ。



「一体、何が起こるのかしらね」



 思い出したように唯が呟く。



「そもそも誰が、こんな突拍子もない噂を流したのかしら」

「……殺人事件は四年前から始まったとされているが、それ以前の事件もありうるのかもな」



 火のない所に煙は立たぬ、とでも言うべきか。

 誰か殺人犯がいて、その殺人犯が事件と神社を結び付けるようなものを作り上げ、結果としてホームページに書かれるような噂へと変貌した。



 となると、問題はそのきっかけだ。

 昼間見た通り、この神社は寂れている。


よほど信心深い人間か、たまたま旅行で通りがかった人間なら参拝するかもしれないが、一番頻繁に付近を訪れそうな学生だって滅多に来ないだろう。


受験シーズンの神頼みですら他所が選ばれるのはまず間違いない。




 この神社が選ばれた理由。

 この神社でなければならなかった理由。




 少し考えて、立ち上がった。胸ポケットからペンライトを取り出し、光を調節する。このペンライトは、光が目立たないのが特徴で、なかなか使い勝手が良い。


最低限、足元を照らし出せる程度にして、ゆっくりと境内を歩き出した。



 社殿への道は舗装されており、スニーカーでも十分足音を消せた。体を屈めるようにして、慎重に歩く。



 かつては――あるいは今も場合によっては――七五三や厄払いを行っていたのか、ガラス戸越しに覗き込めば、ご神体である鏡に向かって長椅子が整列している。祝詞をあげる時に使うであろう太鼓もちゃんと残されている。


さびれた神社、というのは語弊があるかもしれない。

 


まるで、神社が人間を拒絶したかのようだ。

縋る者も、祀る者も。



そんな俺の迷信じみた妄想に、柳がざあっと音を立てて揺れた。



 社殿に沿って裏へと回ると、境内を囲う生垣と、いくつかの小さなお社があった。何らかの理由で合祀されたもののようだ。社殿を中央に、奥の二角を埋めるようにして置かれている。



その二点を結び付ける社殿のほぼ裏側、誰にも見えないあたりには、いくつもの吸い殻が落ちていた。さびれた、という推測は撤回した方がよさそうだ。



 とはいえ、めぼしい発見はない。


 踵を返そうとして、偶然蹴った何かが妙に小気味の良い音を立てて、社の土台にぶつかった。


 そのうちの一つは、古びた南京錠だった。


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