お狐様、速報を見る
―6回表、東京ヨツンヘイムの攻撃。バッターは星野。今日はまだ打てていませんが、ここは一発期待したいところですね―
―今期の打率は決して悪くはないはずなんですが、やはり……―
東京ヨツンヘイムVS大阪アスガルズ。現在3対3で互いに一歩も譲らぬ大接戦。
実のところイナリに推し球団の類は無く「みんな頑張れ」の精神であったりするのだが……どの球団が勝っても嬉しいし楽しいという非常に独特な見方をしている。そう、イナリは「野球そのもの」を楽しんでいるのだ。
まあ、そんなわけで今日の試合も非常にハラハラしながら見ていたりするのだが……大阪アスガルズの投手が投球ポーズに入り……投げた、その瞬間。
―番組の途中ですが速報です―
「お、あ、あ。ああああああああ!?」
耳がピーンと立って尻尾がぶわあっと膨らんでいく。今。今、まさに物凄く良いところであったのに。星野が打つのかどうか見たかったのに。今の一瞬は帰ってこない。帰ってこないのだ。たとえ再放送したとしても帰っては来ないのだ……。それを感じ取ったイナリはゆったりとした動きで床にポテンと倒れてしまう。
「儂のやきゅう……」
―先程、覚醒者協会日本本部は、全国民を対象に不要な海への接近を控えるように要請を出しました。これはモンスター『マーマン』の異常行動を受けてのことであり、対象期間は調査が行われる1か月を予定しているとのことです―
「……ふむ?」
倒れたまま、イナリはキャスターが伝えるニュース速報をじっと見つめる。今朝……というよりもまだ夜中に漁に出ていた漁船の乗員の皆殺しと、同様の事件が数件立て続けに起こっているという事実。護衛の覚醒者も殺されていることから、その凶暴性が一時的に増している可能性があるという推測。そうであるならば、海岸などから上陸する個体も出てくるかもしれない……要は、そういうことであるらしい。
―もしも水辺で『何かがある』『人のようなものが見える』などの事があった場合、速やかにその場を離れて最寄りの警察や覚醒者協会へと連絡するようにしてください。マーマンは非常に危険なモンスターです。勘違いでも気のせいでも構いません。決して近づかないようにしてください。繰り返しになりますが、大変危険です―
マーマン。そのモンスターをイナリは知らないが、画面の端に表示されたマーマンのイラストを見るに、どうにも半魚人の類であると理解する。魚のような……しかし決して魚ではない頭部と、各所に人のようで人ではない特徴を備えたモンスター。なんか見た覚えがあるような気がしないでもないが……覚醒者でさえ殺すというのであれば、確かに一般人ではひとたまりもないだろう。
「モンスターが普段はしない行動をする、か。なんぞキナ臭いものを感じるのう……」
イナリが思い出すのは、あの神の如きものとかいう【果て無き苦痛と愉悦の担い手】だ。またあのよく分からない奴が手出しをしているのかもと思ったが、そうではないかもしれないとも思う。神の如きものが、たった1人であるとは思えない。まあ、そんなことを言い出したら全ての事象に神の如きものの関与を疑わなければならなくなってしまうが……。
「とはいえ、海を泳いでいくわけにもいかんしのう……」
人間社会にいる以上、あまりその理を外れすぎるわけにもいかないしルールは守らなければならない。そもそも太平洋の奥底にあるダンジョンだとか、頑張れば行けるとは思うがそれを納得させられるとは思えない。それに近づくなといっている場所にイナリがルールを破ってひょいひょいと近づくわけにもいかない。それが良いことだからと好き勝手放題するのでは、あの【果て無き苦痛と愉悦の担い手】と何も変わりはしない。イナリは、そんなものに堕ちるつもりはないのだ。
(さて、如何にするか……)
この問題に対し、イナリに何が出来るのか。それを考えていると、机の上に置いていたイナリの覚醒フォンが鳴り始める。相手は……安野だ。ちょうどいいと電話に出れば、何やら安野の背後であちこちに電話をしているような音が聞こえてくる。
『あ、狐神さんですか⁉ お忙しいところ失礼します安野です!』
「うむ、何やら忙しない空気を感じるのう。さきほどの速報の件かえ?」
『はい! 実はこういう件があると暴走する人が出るので有力な方には事前にお伝えすることになっているのですが』
「ぬ?」
『本件は覚醒者協会で一括して対応しますので、海を見に行こうとかしないでくださいね!』
「む、うむ」
行くつもりは無かったが、そういうことをする奴がいて、何かとんでもない事態になったことがあるのだろうな……とイナリは察する。もしかすると、こうして電話で釘を刺さないといけないほどに言うことを聞かない奴が多いのかもしれないが。
「儂はるうるをしっかり守るつもりじゃからのう。その辺はあまり心配せんでもええよ」
『信用はしてますけど、暴走する人もよく出るので言わないといけないらしいんです……』
「大変じゃのう」
その後多少の愚痴を聞いてから電話を切ると、速報から解説に移っていたテレビに視線を向ける。まあ、そういう事情ならイナリが何かをすることも恐らくは無いだろう。たぶん、きっと。
イナリ「物騒な時代じゃのう……」





